なんか。
そうやって書いてるとw
まるで、わしが
悲劇のヒロイン?!
みたいだけどww
実は、わし。
なんだかんだ言いながら
結構
田舎の生活も
楽しんでおりやしたw
第一。
と~ちゃんと
いつも一緒に
いられるし。
もともとが。
サバイバル生活
大好きな人間
なのでw
結構、
適応しておったしw
っつか。
自分では、適応してたつもりw
ただ、
生活自体は
良かったんだけどw
不満だったのは。
ズボン、ジーパンを
履いちゃダメ!と
言われたこととw
スカーフを
かぶれ、と言われたこととw
ウチの庭よりも
外には
一人で、出ちゃダメ、と
言われたことだった~w
着る物は
田舎の制服だ、と思えば
なんとか
我慢できたんだけど。
自由大好き人間
だったので。
庭より外に
出ちゃダメ、というのが
一番、
きつかったかな~。
田舎ですから。
いろいろと、
しきたり、ってのが
あるわけで。
この辺りでは。
新婚の嫁さんが
一人でウロウロと
表を出歩いてたり
するのは
非常に
はしたないこと、という
感覚が
あったらしいw
近所に
村全体が見渡せる
素敵な丘があってw
わしは
絵を描くのが好きだったので。
その丘から
スケッチを描きたい、と
常々
思っていたのだけれどw
結局、それは
実現できずに
終わってしまいましたなw
で。
そんなワシらを
親たちは、
どう見てたか、っていうと。
うちの父は
わしの意見を
尊重してくれる
人だったので。
大体、跳ね返りで
海外をウロウロすることも
多かったし。
どこかで。
ガイジン婿を
つれてくるかもしれん、という
予感もあったのかも、しれないw
「お前が、そこまで言うなら
十分考えた末だろうから」と。
特に何も
言わなかったけど。
母は
どっかの誰さんが
トルコ人と結婚したけど
お金目当てで、騙されて
ヒドイ目にあったらしいわよ、とか。
いろいろと
情報を仕入れて来ては
盛んに
心配しておりましたw
当時から、あったのだよ。
結婚詐欺、とか、ジュウタン詐欺、とか。
大体、うちのと~ちゃん
ガイドだし。
ガイドとジュウタン屋、
って言ったら。
悪の2大代名詞
だったしww
今みたいに
インターネットも
まだ
普及してなかったし。
少ない情報の中で
母が心配するのも、当たり前。
でも。
わしは、行く~!と
押し切ったww
と~ちゃんサイドは、
と言うと。
舅は、言語道断。
話し合いさえ、無理w
姑は、
飛び跳ね上がって
義姉と一緒になって
「あんた、ガイジンと
なんぼ遊んでも構わないけど。
本当に、結婚するんだったら
トルコ娘じゃないと、ダメよ!」
と
強力に反対運動を
勧めたらしい、ってのは
後から
聞いた話ww
ほとほと、困った
と~ちゃんは。
なんと。
日本に来た時に
両親の了解なしに
日本のトルコ大使館から
独断で
婚姻届を、出してしまったのだww
そういう
イキサツもあって。
日本で暮らした方が
いいかもしれない、と
いろいろ
やってみたんだけどw
やっぱり、どうも
うまくいかなくて。
ついに
トルコに、移住、という
最終選択肢を
とったわけ、なんだよね。
だから。
誰にも、弱音は吐けなかったww
ところで。
その後。
何かの用事で
村の役場に行って
戸籍謄本をもらった
舅が、見たものは…www
自分の子供達の
記入欄の
「ひつじと~ちゃん 既婚 配偶者 日本人」
という、文字www
舅さん。
カワイソウにww
あまりのショックに
その場にあった
イスの上に
よろよろと、へたりこんで
びしょびしょになるほど
汗をかきまくっていた
とかで。
舅さんは
地元の名士だったのでw
周り中の人が
駆け寄って
大丈夫ですか、と
ハンカチを差し出すと
無言でしきりに
汗を拭いていた、というのは。
あとあとから
聞いたハナシwww
結局、義兄達も
とりなして。
子供も生まれることだし。
今更、反対してもしょうがない。
下手に意地を
張らせると
あいつは、
このまま、
二度と
日本から帰って来なくなるかも
しれないよ、と
少々、脅しも
かけつつww
結局は
逃げ切りゴールインw
を
果たしたわけ
なのでした~w
でも。
と~ちゃんは、そういう
家族内の揉め事は
一切、わしには、言わなかったので。
わしが。
そういう事情だった、と
知ったのは
ずいぶん
後になってから、だったんだけどねw
最初から。
ちっとも、平坦じゃなかったんすよw
うちらの結婚はw
だから。
結婚式とかも、してない。
でも。
それでも、良かったんだ。
ただ、田舎に
行く前に
と~ちゃんが、わしに
「田舎は、いろいろと
しきたりがウルサイから。
うちの親が、何か言っても
絶対に逆らわないで、はい、はい、って
言ってね。」
と
重ね重ね
お願いしていたのを
今でも
思い出すww
そういう裏事情は
知らなかったひつじ飼いは。
へ~い、とか。
ノンキに返事してたわけだけどww
何たって、当時。
全然、貯金とかなかったのでw
「しばらく働いて
ある程度貯金ができたら
すぐに村から出るから
それまで、我慢してね。」
という
と~ちゃんの口約束を信じて(笑)
結局は、7年も、
住んじまったわけ、
だったのよww
結局、最後。
舅さんが、ガンで亡くなって。
と~ちゃんは
仕事上
しょっちゅう、
家にいないし。
姑さんと、わしと。
女性2人では
安全上
不安だ、ってんで。
義兄たちの住む
村から30分ほどの
ちっこい町に
引っ越した、という
わけなのでした~。
村に居た頃は
インターネットなかったんだけどw
小さい町に
引っ越してからは。
ぼちぼち
ブログを書き始めてw
その頃の
アホな日常騒動は
楽天ブログの
「ひつじ飼いの遊牧民的日常」
というブログに
ぞろぞろ~と
書き連ねてありやすw
こちらを、ぽちっと♪→→→「ひつじ飼いの遊牧民的日常」
興味のある方は
ちらり、と覗いてみてね~ww
本日もお付き合いいただいて
ありがとうございます!
ぽちっと応援
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まるで、わしが
悲劇のヒロイン?!
みたいだけどww
実は、わし。
なんだかんだ言いながら
結構
田舎の生活も
楽しんでおりやしたw
第一。
と~ちゃんと
いつも一緒に
いられるし。
もともとが。
サバイバル生活
大好きな人間
なのでw
結構、
適応しておったしw
っつか。
自分では、適応してたつもりw
ただ、
生活自体は
良かったんだけどw
不満だったのは。
ズボン、ジーパンを
履いちゃダメ!と
言われたこととw
スカーフを
かぶれ、と言われたこととw
ウチの庭よりも
外には
一人で、出ちゃダメ、と
言われたことだった~w
着る物は
田舎の制服だ、と思えば
なんとか
我慢できたんだけど。
自由大好き人間
だったので。
庭より外に
出ちゃダメ、というのが
一番、
きつかったかな~。
田舎ですから。
いろいろと、
しきたり、ってのが
あるわけで。
この辺りでは。
新婚の嫁さんが
一人でウロウロと
表を出歩いてたり
するのは
非常に
はしたないこと、という
感覚が
あったらしいw
近所に
村全体が見渡せる
素敵な丘があってw
わしは
絵を描くのが好きだったので。
その丘から
スケッチを描きたい、と
常々
思っていたのだけれどw
結局、それは
実現できずに
終わってしまいましたなw
で。
そんなワシらを
親たちは、
どう見てたか、っていうと。
うちの父は
わしの意見を
尊重してくれる
人だったので。
大体、跳ね返りで
海外をウロウロすることも
多かったし。
どこかで。
ガイジン婿を
つれてくるかもしれん、という
予感もあったのかも、しれないw
「お前が、そこまで言うなら
十分考えた末だろうから」と。
特に何も
言わなかったけど。
母は
どっかの誰さんが
トルコ人と結婚したけど
お金目当てで、騙されて
ヒドイ目にあったらしいわよ、とか。
いろいろと
情報を仕入れて来ては
盛んに
心配しておりましたw
当時から、あったのだよ。
結婚詐欺、とか、ジュウタン詐欺、とか。
大体、うちのと~ちゃん
ガイドだし。
ガイドとジュウタン屋、
って言ったら。
悪の2大代名詞
だったしww
今みたいに
インターネットも
まだ
普及してなかったし。
少ない情報の中で
母が心配するのも、当たり前。
でも。
わしは、行く~!と
押し切ったww
と~ちゃんサイドは、
と言うと。
舅は、言語道断。
話し合いさえ、無理w
姑は、
飛び跳ね上がって
義姉と一緒になって
「あんた、ガイジンと
なんぼ遊んでも構わないけど。
本当に、結婚するんだったら
トルコ娘じゃないと、ダメよ!」
と
強力に反対運動を
勧めたらしい、ってのは
後から
聞いた話ww
ほとほと、困った
と~ちゃんは。
なんと。
日本に来た時に
両親の了解なしに
日本のトルコ大使館から
独断で
婚姻届を、出してしまったのだww
そういう
イキサツもあって。
日本で暮らした方が
いいかもしれない、と
いろいろ
やってみたんだけどw
やっぱり、どうも
うまくいかなくて。
ついに
トルコに、移住、という
最終選択肢を
とったわけ、なんだよね。
だから。
誰にも、弱音は吐けなかったww
ところで。
その後。
何かの用事で
村の役場に行って
戸籍謄本をもらった
舅が、見たものは…www
自分の子供達の
記入欄の
「ひつじと~ちゃん 既婚 配偶者 日本人」
という、文字www
舅さん。
カワイソウにww
あまりのショックに
その場にあった
イスの上に
よろよろと、へたりこんで
びしょびしょになるほど
汗をかきまくっていた
とかで。
舅さんは
地元の名士だったのでw
周り中の人が
駆け寄って
大丈夫ですか、と
ハンカチを差し出すと
無言でしきりに
汗を拭いていた、というのは。
あとあとから
聞いたハナシwww
結局、義兄達も
とりなして。
子供も生まれることだし。
今更、反対してもしょうがない。
下手に意地を
張らせると
あいつは、
このまま、
二度と
日本から帰って来なくなるかも
しれないよ、と
少々、脅しも
かけつつww
結局は
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を
果たしたわけ
なのでした~w
でも。
と~ちゃんは、そういう
家族内の揉め事は
一切、わしには、言わなかったので。
わしが。
そういう事情だった、と
知ったのは
ずいぶん
後になってから、だったんだけどねw
最初から。
ちっとも、平坦じゃなかったんすよw
うちらの結婚はw
だから。
結婚式とかも、してない。
でも。
それでも、良かったんだ。
ただ、田舎に
行く前に
と~ちゃんが、わしに
「田舎は、いろいろと
しきたりがウルサイから。
うちの親が、何か言っても
絶対に逆らわないで、はい、はい、って
言ってね。」
と
重ね重ね
お願いしていたのを
今でも
思い出すww
そういう裏事情は
知らなかったひつじ飼いは。
へ~い、とか。
ノンキに返事してたわけだけどww
何たって、当時。
全然、貯金とかなかったのでw
「しばらく働いて
ある程度貯金ができたら
すぐに村から出るから
それまで、我慢してね。」
という
と~ちゃんの口約束を信じて(笑)
結局は、7年も、
住んじまったわけ、
だったのよww
結局、最後。
舅さんが、ガンで亡くなって。
と~ちゃんは
仕事上
しょっちゅう、
家にいないし。
姑さんと、わしと。
女性2人では
安全上
不安だ、ってんで。
義兄たちの住む
村から30分ほどの
ちっこい町に
引っ越した、という
わけなのでした~。
村に居た頃は
インターネットなかったんだけどw
小さい町に
引っ越してからは。
ぼちぼち
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