政府、社会の問題、提言など

社会、経済、政治などの問題点について投稿して行きます。 又、テレビ報道しない重要な出来事や、注目すべき出来事も対象です。

終戦の日~各種追加記事(その2)

2008年08月16日 13時43分32秒 | 社会
ニュース詳細

心の中で惨禍思う-舛添氏  高村氏-外相在任中しない

 終戦記念日の15日午前の記者会見で、各閣僚が靖国神社参拝に関する所感を語った。

 舛添要一厚生労働相は、靖国神社に参拝しない理由について「心の中で戦争の惨禍を思い、平和への決意を新たにするということであればいい」と淡々と述べた。

 公明党出身の斉藤鉄夫環境相は「これまで、閣僚の公式参拝はすべきでないと申し上げてきたし、その気持ちに変わりはない」と明言した。

 高村正彦外相は「外相在任中に参拝する予定はない」と、中国や韓国に配慮したことをにじませた。二階俊博経済産業相も「今回は控えさせていただく」と述べた。

 伊吹文明財務相は「報道陣に囲まれて、騒々しい中で心を乱されたくない」と、終戦記念日の参拝を否定。閣僚最年少の林芳正防衛相は「今までもこの日にはお参りしていない。今日もそのつもりはない」と述べた。

2008/08/15 12:26   【共同通信】

http://www.47news.jp/CN/200808/CN2008081501000443.html



今年も日本の「加害責任」強調 戦没者追悼式で衆参両院議長

2008.8.15 12:39

 河野洋平、江田五月の衆参両院議長は、15日に開かれた戦没者追悼式で、先の大戦における日本の「加害責任」を昨年に引き続き今年も強調した。

 江田議長は、「わが国の侵略行為と植民地支配により、アジア諸国をはじめ広い地域の人々にも、多大な苦しみと悲しみを与えた」と明言した。

 一方の河野議長は「非人道的な行為によって人権を侵害され、今もなお苦しんでおられる方々に、改めて心からなるお見舞いの気持ちを申しあげたい」と述べた。昨年の追悼式では「日本軍の一部による非人道的な行為によって」と発言。今年は「日本軍の一部による」を削除したものの、お見舞いの気持ち」を「改めて」表明したことで昨年と同様の考えを伝えた。

 河野議長はまた、「わが国と近隣諸国との関係においていまだに歴史に背景を持つ未解決の問題がトゲとなり、摩擦を引き起こしている」として東京裁判でのA級戦犯を合(ごう)祀(し)している靖国神社を取り上げ、「政府が特定の宗教によらない、すべての人が思いを一にして追悼できる追悼施設の設置に真剣に検討を進めることが求められる」と、国立で無宗教の恒久的な追悼施設の設置を積極的に提言した。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080815/plc0808151237007-n1.htm



終戦の日、中国メディアが戦後日本の平和主義を強調

 中国新聞社は15日、終戦の日を迎えた同日に福田康夫首相が靖国神社を参拝しないことに加え、武道館で行なわれる全国戦没者追悼式を大きく扱う記事を配信した。

  同電は、安倍晋三前首相に続き、福田首相も終戦の日に靖国神社参拝を行なわないことを決定と紹介。閣僚17人中、参拝の意思を明らかにしたのは保岡興治法相、太田誠一農相、野田聖子消費者行政担当相で、町村信孝官房長官ら12人は参拝しないことを明らかにしたと伝えた。

  全国戦没者追悼式については、天皇皇后両陛下、福田首相と戦没者遺族ら7000人が出席すると紹介。第二次世界大戦中の軍人・軍属230万人、一般国民の死者80万人を追悼するとともに、永久の不戦を誓う集会と記すなど、戦後の日本の平和主義をイメージづける論調だ。

  写真は2007年8月15日に撮影した靖国神社境内。中国新聞社は「(小泉首相在任中の)06年8月15日に比べ、訪れる日本の一般人は明らかに減少した」と伝えた。(編集担当:如月隼人)

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008&d=0815&f=politics_0815_001.shtml



靖国参拝:15万2000人祈りささげる

 63回目の終戦記念日を迎えた15日、東京・九段の靖国神社では、昨年より1万3000人少ない15万2000人(神社発表)が戦没者へ祈りをささげた。

 石原慎太郎都知事の参拝を見守っていた足立区の菊池四郎さん(78)は少年飛行兵の生き残り。「戦争は大反対だが、国へ若い命をささげた人に誠を尽くすのは人として当然」と話す。Tシャツにサンダルの渋谷区の女性(19)は、好きなアイドルの出演した映画で靖国を知り、「一度来てみたかった」。周りの参拝者の様子をまね、手を合わせていた。

 13年前から旧日本軍の軍装で参拝する栃木県の男性(81)は境内の雰囲気の変化を感じた。小泉純一郎元首相の参拝が問題になった2年前までは参拝者から拍手を受けることが多かった。だがこの日は無言でカメラ付き携帯電話を向ける人に十重二十重に囲まれ、参拝に一苦労。「珍しがってくれるのはいいが、あのころの熱気はなくなったねえ」【林哲平】

毎日新聞 2008年8月15日 20時01分(最終更新 8月15日 22時55分)

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080816k0000m040066000c.html



終戦の日、各地で戦争と平和を考える催し
2008年8月15日

 「終戦の日」の15日、各地で戦争と平和について考える催しがあった。

 広島ユネスコ協会は広島市の平和記念公園で「『平和の鐘』の集い」を開催。「原爆の子の像」の鐘を約120人が鳴らし、世界中の子どもたちの命と平和を守ることを誓った。広島大付属高2年の安藤友希さん(17)は「原爆から広島を復興に導いた人々に心から感謝しています」とスピーチした。

 神戸市中央区の神戸文化ホールでは、ミュージカル「桜の物語」が上演された。中国で食糧を略奪したことを悔い、日本に帰って桜の苗木400本を現地に寄贈した兵庫県三田市の織田文雄さん(88)の体験を、東方文化芸術団(神戸市)が劇にした。中国人8人、日本人約40人が舞台に立った。

 東京都千代田区の靖国神社の参道では、戦没者追悼中央国民集会(英霊にこたえる会、日本会議主催)が開かれた。こたえる会の堀江正夫会長は、15日に靖国参拝をしない福田首相を「残念で憤りさえ覚える」と批判した。靖国神社を取り上げ、劇場の上映中止が相次いだ映画「靖国 YASUKUNI」にも批判が出された。また、首相らの靖国参拝に反対する「平和遺族会全国連絡会」も東京・一ツ橋で集会を開いた。

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200808150119.html



悲しい歴史繰り返さない 文京で戦没者追悼式

 終戦記念日の15日、文京区の文京シビックホールで、都などが主催する戦没者追悼式が行われ、遺族ら739人が犠牲者の冥福(めいふく)を祈った。

 式では石原知事が、「平和と繁栄が多くの尊い犠牲の上に成り立っているという事実を忘れてはならない。次の世代に語り継ぐことは私たちに課せられた重要な使命」と式辞を述べた。また、2016年夏季五輪招致に関連し、「平和を貫いた日本の首都東京において、平和の祭典オリンピック・パラリンピックを再び開催し、成熟した都市の姿を世界に示したい」と語った。

 その後、正午の時報に合わせ、参列者全員が1分間の黙とうを行い、平和への誓いを新たにした。

 最後に、遺族代表の青木嘉昭さん(67)(町田市)が「悲しい歴史を絶対繰り返さないとの信念の下に、自由で平和な社会の確立に一層努力する」と決意を語った。その後、参列者は壇上の献花台に白菊を手向け、遺族の冥福を祈った。
    ◇
 追悼式の後、石原知事は靖国神社を参拝。続く都庁内での定例記者会見で、参拝が五輪招致活動へ及ぼす影響について尋ねられ、「別に影響はない。(靖国神社には)家内の父親や親類がいる。その心情として、私が行くことを、誰がどう妨げるのか」と語った。

(2008年8月16日  読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/news/20080816-OYT8T00109.htm



石原都知事:北京五輪開会式の首相を批判

 東京都の石原慎太郎知事は15日の定例会見で、北京五輪開会式を巡り、「非常に心外だった。自国の選手が来て、立って手を振らなかったのは、うちの総理大臣と北朝鮮の代表だけだった」と福田康夫首相を批判した。

 福田首相と石原知事は8日の開会式に出席。石原知事は、福田首相が日本選手団を激励した言葉について「『せいぜい頑張ってください』って言ったそうだが、総理大臣がかける言葉と違うと思う」と不満をこぼし「『せいぜい』じゃなしに、『大いに』頑張ってもらいたい」と皮肉を込めてエールを送った。

 石原知事はこの日、00年以来9年連続で靖国神社を参拝した。16年夏季五輪招致への影響については「別に影響はない。日本人として(参拝は)当たり前のことだ」と述べた。【木村健二】

毎日新聞 2008年8月16日 東京朝刊

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080816ddm041010159000c.html



県護国神社で戦没者慰霊 63回目の終戦記念日

 六十三回目の終戦記念日の十五日、県内でも戦没者を追悼する催しや不戦を誓う集いがあった。戦争体験者や遺族が高齢化する中、参加者は戦争の記憶を心に刻み、語り継ぐ決意を新たにした。

 英霊にこたえる会県本部と日本会議長崎(いずれも松藤悟会長)は、本県出身の戦没者を悼む「第二十一回戦没者追悼集会」を長崎市城栄町の県護国神社で開いた。

 同神社には、本県出身の戦没者約六万人余がまつられている。戦没者の遺族のほか、県議や長崎市議ら約七十人が出席。政府主催の全国戦没者追悼式のテレビ中継に合わせて黙とう。終戦を告げる昭和天皇の「玉音放送」の録音を聞き、「海ゆかば」を歌った。

 一九四五年三月、九州南東方面洋上で特攻隊として戦死した県内戦没者の家族にあてた遺書も紹介され、戦没者の冥福を祈った。

 松藤会長は「この集会では毎年、総理の靖国公式参拝を求めている。福田総理にはぜひ参拝を復活していただきたい」とあいさつした。

http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20080816/05.shtml




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終戦の日~各種追加記事(その1)

2008年08月16日 13時32分49秒 | 社会
ウィリアム・バンス氏死去  GHQで国家神道解体

 【ワシントン14日共同】14日付の米紙ワシントン・ポストによると、連合国軍総司令部(GHQ)の宗教課長を務め、占領下の日本で国家神道体制の解体を進めたウィリアム・バンス氏が7月23日、肺炎のため東部メリーランド州で死去した。100歳だった。

 オハイオ州生まれ。地元の大学で歴史学を学んだ後、1930年代に英語教師として旧制松山高等学校に赴任。帰国後に米海軍の予備役に招集され、44年に海軍学校のアジア研究責任者となった。

 GHQでは日本の非軍事化のため、神道と国家の分離を進めたが、軍国主義の象徴であった靖国神社については存続を認めるなど、戦後日本の国家と宗教体制の形成に影響を与えた。

 占領期間終了後は外交官として日本のほかインドや韓国で勤務し、71年に退職した。

2008/08/15 00:49   【共同通信】

http://www.47news.jp/CN/200808/CN2008081401001212.html



【今日の読み物(スコープなど)】

スコープ 戦没者追悼施設構想 提唱の首相 自ら封印

2008年8月15日 紙面から

 国立戦没者追悼施設構想が宙に浮いたままになっている。小泉純一郎首相(当時)の靖国神社参拝に中韓両国が反発したことを受け、当時の福田康夫官房長官が主導して追悼施設建設を求める報告書をまとめたが、自民党保守派の反発で頓挫。安倍晋三、福田両首相が靖国参拝を「封印」したこともあり、調査費の計上すら見送られ続けている。 (渡辺隆治)

 同構想が浮上したのは、〇一年八月十三日、小泉首相が初めて靖国神社に参拝した後の官房長官記者会見。福田氏は「国民や外国の人も、喜んで(参拝に)行ける施設を造ることがあってもいい」と、追悼施設を検討する私的懇談会をつくる意向を表明した。

 中韓両国は、靖国神社に太平洋戦争のA級戦犯が合祀(ごうし)されていることを問題視。政府は政教分離の原則から靖国側に分祀(ぶんし)を強要できないため、首相が内外から批判されることなく戦没者を追悼するには、新たな施設を造る必要があったためだ。

 懇談会は〇二年十二月、「国立の無宗教の恒久的施設が必要」とする報告書をまとめ、(1)追悼対象は明治維新以降に日本が関与した戦争による内外の戦没者(2)大型建造物でなく公園風。一角に追悼施設を設ける(3)場所は都心かその近く-などの具体像を提唱した。

 しかし、自民党保守派から「追悼施設ができれば、靖国神社の存在意義が損なわれる」との反対論が噴出。小泉首相の在任中、毎年の参拝のたびに、公明党や韓国から追悼施設の必要性を指摘されながら、政府は調査費を計上できなかった。

 政権を引き継いだ安倍前首相は追悼施設に否定的だったこともあり、調査費計上を引き続き見送り。自らの靖国参拝の有無を明言しない「あいまい戦術」で、中韓両国との関係改善に成功した。

 構想を主導した福田氏の首相就任で、追悼施設構想が前進するとの見方もあった。

 しかし、福田氏は首相就任前の自民党総裁選で、靖国参拝見送りを表明するとともに、追悼施設構想も「石を投げるような人がいる状況で造っていいとは思わない」と封印。就任後、政治課題に取り上げることもなく、〇九年度予算への調査費計上も見送った。

 政府関係者は「福田首相が靖国に参拝しないのだから、中韓両国の反発はない。公明党も追悼施設建設を強くは求めてこない」と指摘する。

 ただ、首相がわだかまりなく戦没者を追悼できる状況には依然なっていない。福田氏が自ら提唱した追悼施設構想に積極的に取り組まなかったことは、政治責任を放棄したことにもなる。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/scope/CK2008081502000126.html



2008年8月15日(金)「しんぶん赤旗」

靖国参拝 都知事は中止を 東京革新懇などが要請

 「『東京都平和祈念館(仮称)』建設をすすめる会」と「平和・民主・革新の日本をめざす東京の会」は十四日、石原慎太郎都知事に対し、二〇〇〇年以降毎年八月十五日に行っている靖国神社の参拝を中止するよう要請しました。

 参加者は、都知事の靖国参拝が憲法二〇条で禁止された宗教的活動で、憲法順守を義務付けた九九条にも違反すると指摘。靖国神社が侵略戦争を指導したA級戦犯を祭るなど日本の侵略戦争を「正義の戦争」として正当化していることを批判し、「東京都知事がそのような歴史認識では国際都市の首長として認められない」と強調しました。知事が靖国参拝をやめ、都が凍結している平和祈念館の建設を一日も早く実施するよう求めました。

 東京都知事本局の宮沢浩司副参事は「要請は知事に伝える」と答えました。

 石原知事の靖国参拝に対しては、日本共産党都議団や市民団体五十一団体も中止を要請しています。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-08-15/2008081514_02_0.html



首相参拝見送りで?参拝者はやや少なめ 海外メディアの取材も 靖国神社

2008.8.15 10:52

 63回目の終戦記念日を迎えた靖国神社では、昨年と同様に首相が参拝を見送る見通しのためか、参拝者や警備の機動隊員はやや少なめだった。

 真っ青な空の下、セミの鳴き声が響く拝殿前では早朝から多くの参拝者が頭を下げ、かしわ手を打つ姿がみられた。参道では全国の遺族会のツアー客が記念撮影をしたり、首相の参拝を求め署名活動をする人も。

 小泉純一郎元首相が参拝し、多数の参拝者が訪れた、2年前の終戦記念日の境内の様子を描いたドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」が話題になったこともあり、外国の報道陣が取材をする場面もみられた。

 終戦の日に毎年参拝しているという千葉市の男性(82)は「今日は特別厳粛な日。これだけたくさんの人が平和のために祈りに来ていることに希望を感じる」と話した。

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http://sankei.jp.msn.com/life/education/080815/edc0808151100001-n1.htm



追悼施設建設に慎重=「国民議論見極める」-町村官房長官

 町村信孝官房長官は15日午前の記者会見で、靖国神社に代わる新たな国立の戦没者追悼施設の建設について「政府が先頭を切って突っ走る話ではない。国民がどういう風にこの問題を受け止め、議論されているかをよく見極める必要がある」と述べ、世論をにらみながら慎重に対応する姿勢を示した。(2008/08/15-11:38)

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http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2008081500341



終戦記念日「1面」扱い この新聞だけ

2008/8/15

   <テレビウォッチ>『朝ズバッ!』の「1面ざっと見」で柴田アナが、東京新聞の『きょう終戦記念日 63回目』の見出しを指しながら「新聞で1面に載せているのは、残念ながら東京新聞だけですね~」とつぶやいた。

   一方、2年前の小泉首相のときに、国内外で摩擦を生んだ靖国参拝問題。

   番組では、毎日新聞が総合面で報じた『首相参拝路線も困難に』にも触れ、柴田アナが「2年前には、首相の靖国参拝問題のほかに、合祀か分祀かの論議もありましたが、今年は沈静化していますね~」。

   毎日新聞の記事は、「福田首相が就任時から不参拝を表明、『ポスト福田』を目指す麻生自民党幹事長も不参拝の意向で、2年前の靖国参拝騒動から一変、沈静化している」というもの。

   これにコメンテーターの浅野史郎・前宮城県知事は「靖国問題は別にして、きょうが終戦記念日ということが意外と自覚されていない。この日の思いというものを、日本人は忘れてならない」と述べ、戦後の日本の「原点」が忘れ去られようとしていることに警鐘を鳴らした。

   政治問題化した首相・閣僚の靖国神社公式参のなかで、年を追うごとに風化してきた終戦記念日。浅野前知事が語るように、この未曽有の大事件を自覚し直す必要が……

文   モンブラン | 似顔絵 池田マコト

http://www.j-cast.com/tv/2008/08/15025177.html



平和祈念館:市民団体が建設要請 都議会決議後、凍結状態に /東京

 市民団体「『東京都平和祈念館(仮称)』建設をすすめる会」は14日、計画が凍結されている祈念館について早期に建設するよう都に申し入れた。また、「憲法の政教分離の原則に違反する」として、石原慎太郎知事が15日に靖国神社を参拝しないよう要請した。

 祈念館の建設は東京大空襲の犠牲者の追悼や戦争体験の継承を目的にしたもので、都が90年代に建設を検討した。だが、財政難や歴史認識が問題となり、展示内容などについて都議会が98、99年に「都議会の合意を得た上で実施すること」と決議した後、凍結状態になっている。

 要請書は「平和といのちの尊さを伝える祈念館を一日も早く建設するよう求める」と主張。16年夏季五輪の招致を目指す石原知事の靖国神社参拝については、15日が北京五輪の開催期間中のため「中国への敵対的行為と言われてもしかるべきことだ」と懸念も示した。【木村健二】

毎日新聞 2008年8月15日 地方版

http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20080815ddlk13010215000c.html



ニュース詳細

「無宗教の追悼施設を」  河野衆院議長が認識表明

 河野洋平衆院議長は15日、全国戦没者追悼式での追悼の辞で、靖国神社参拝をめぐる議論を念頭に、政府が「特定の宗教によらない追悼施設」の設置を真剣に検討すべきだとの認識を示した。

 福田康夫首相が官房長官だった2002年、私的諮問機関は無宗教の国立追悼施設が必要とする報告書をまとめたが、宙に浮いた状態が続いており、河野氏の発言は議論を活性化する狙いがあるとみられる。

 日本と近隣諸国の関係について河野氏は「いまだに歴史に背景を持つ未解決の問題がとげとなり、摩擦を引き起こしている」と指摘。日韓両国が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)問題などを踏まえ「お互いに領有権を声高に主張するばかりでなく、話し合いによる解決を実現していくこと」を求めた。

2008/08/15 12:25   【共同通信】

http://www.47news.jp/CN/200808/CN2008081501000469.html





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終戦の日~遺族の思い

2008年08月16日 13時18分52秒 | 社会
【社会】
『史実、正しく未来に』  63回目終戦記念日遺族ら追悼
2008年8月15日 夕刊

 六十三回目の終戦記念日を迎えた十五日、政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館(東京都千代田区)で開かれ、参列した遺族ら約五千八百人が戦争犠牲者の冥福を祈り、平和への誓いを新たにした。福田康夫首相は式辞で「悲惨な戦争の教訓を風化させることなく、過ぎし日の史実を未来に正しく引き継いでいく」と決意を述べた。 

 追悼式には、天皇、皇后両陛下をはじめ、衆参両院議長、最高裁長官、各界代表らが参列した。

 式典は、正午前に始まり、君が代を斉唱。

 就任後初の参列となった福田首相は式辞で「わが国は、多くの国々、とりわけアジアの諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」と加害責任に触れ、深い反省と犠牲者への哀悼の意を表明した。その上で「一国だけの利益を追求しようとする風潮」に懸念を示し、「内向きな志向の虜(とりこ)になることなく、心を開き、そのまなざしをしっかりと世界に向けながら、歩んでいきたい」と述べた。天皇陛下は「戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願う」とお言葉を述べられた。

 河野洋平衆院議長は追悼の辞で「近隣諸国との関係においていまだに歴史に背景を持つ未解決の問題が摩擦を引き起こしている」とし、「政府が、特定の宗教によらない、すべての人が思いを一にして追悼できる追悼施設の設置について真剣に検討を進める」ことなどに言及した。

 遺族代表では、夫の薫さんがインドネシア・ビアク島で戦死した松永きわ子さん(89)=福井県敦賀市=が「この悲しい歴史を絶対繰り返さないことを誓う」と追悼の辞を述べた。

 正午の時報とともに、参列者全員で一分間黙とう。戦死した軍人・軍属約二百三十万人と、空襲などで亡くなった民間人の犠牲者約八十万人の冥福を祈った。

 参列した遺族の最高齢者は九十四歳、最年少は九歳。参列者は、戦没者の子供が約三分の二を占めた。父母の出席がないのは二〇〇五年以来で、妻は全体の約2%に減るなど世代交代が進んでいる。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008081502000252.html



【社会】
『硫黄島』語り合う 遺骨収集に初参加 北島 勲さん(64)
2008年8月15日 夕刊

 先の大戦から六十三年。世代交代がぐんと進み、終戦記念日の十五日に開かれた全国戦没者追悼式の参列者は戦没者の子供が約三分の二を占めた。閣僚の靖国神社参拝に加え、沖縄戦集団自決をめぐる教科書記述や竹島(韓国名・独島)の領有権問題などが内外に波紋を広げる中、全国で鎮魂の祈りがささげられた。 

 「靖国神社で『硫黄島に遺骨収集に行ってきたよ』と父に報告してきました」。一歳になるかならないかの時、硫黄島の戦いで父親を亡くした北島勲さん(64)=東京都目黒区=はこの日朝、東京・九段北の靖国神社に参拝してから全国戦没者追悼式に参列した。

 父藤男さんの死亡証明書には、一九四五年三月十七日、硫黄島で戦死したと記録されている。最高指揮官・栗林忠道中将の最後の電報で総攻撃を敢行すると伝えられた日付で、実際にいつ亡くなったのかは分からない。この大本営発表が新聞報道された三月二十二日、勲さんは一歳の誕生日を迎えた。

 母は戦後間もなく「まだ若いから」という祖父母の配慮で離籍されたため、顔も知らない。中学生ぐらいの時、祖父の机から、自分の一歳の誕生日の新聞記事と死亡証明書を見つけ、父が硫黄島で戦死したと知った。

 二〇〇一年に初めて硫黄島を訪問。今年七月に十日間、硫黄島での遺骨収集に初参加した。硫黄島にはいまだ、遺族のもとに帰れぬ遺骨が一万三千柱以上ある。四〇度近い猛暑の中、シャベルを持って五分作業しただけでやめたくなるほどきつかった。作業服がすぐにびしょぬれになった。「飲料水がたくさんあってもつらかった。水や食料不足の戦いは筆舌に尽くしがたい苦しみだったろう」と北島さん。

 遺骨収集で硫黄島に渡る直前、関係者から父がいた部隊がいた壕(ごう)の場所を教えられた。高さ一メートルほどの入り口付近はしゃがまないと進めない。「こんなに狭く暗い場所で爆撃に耐えたのか」と感極まった。

 昨年、長男が「硫黄島に一度行きたい」と言ってくれたのがうれしかった。この夏は父がいた壕や遺骨収集の写真を見せながら、長男と戦争について語り合うつもりだ。「戦後六十三年たった今も癒えぬ傷を背負って生きている人がいる。同じ惨禍を繰り返してはいけないと次世代に伝えなければ」

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008081502000248.html



元特攻隊員で、京都に住む立命館大名誉教授岩井忠熊さん(86)の講演を仙台で聞いた。

 父親も仙台の旧陸軍第二師団勤務の職業軍人。導かれるように学徒出陣し、海軍の特攻要員に。震洋というベニヤ板製の高速艇に爆薬を積み、敵艦に体当たりするのが任務だ。

 1945年、九州南方の海で死ぬはずが、輸送船の沈没で出撃前に海に投げ出され九死に一生を得たという。
 仲間の大半は、その荒天の海にのまれ死んだ。「なぜあんな愚かな戦争をすることになったのか」。戦後は一貫してその歴史の解明に取り組み、靖国神社の意味を問い続ける。

 当時、海軍中将が岩井さんら青年士官を集め「死んでほしい」と頭を下げたそうだ。一方では「むだ死にしてはならん」と常々言っていた上官も。そんな言葉に翻弄(ほんろう)され続けたのが、若い戦闘員の現実の姿だった。
 「死んでいった者のことは決して忘れないが、靖国に行ったことはない」と岩井さん。戦後だいぶたって沖縄近くの海に出向き、船から花束を投げ黙とうした。「追悼の仕方は決して一つでない」。岩井さんの信念だ。
 きょうは終戦の日。

2008年08月15日金曜日

http://www.kahoku.co.jp/column/khksyou/20080815_01.htm



【静岡】
94歳・掛川の山崎さんが戦没者追悼式に参列
2008年8月15日

 15日に東京・日本武道館で営まれる政府主催の全国戦没者追悼式に、全国2番目の最年長者遺族として掛川市遊家の山崎くにさん(94)が参列する。山崎さんは「残された家族は皆、元気で暮らしていることをそっと報告したい」と参列理由を明かした。

 山崎さんは1944(昭和19)年7月9日、ビルマ(現ミャンマー)の戦線で夫の松吉さんを亡くした。残された家族は2人の娘、母、しゅうとめ、妹の女性ばかり6人。農作業や山仕事など家族を養うため必死で働いた。

 松吉さんは41年に出征して満州(現中国東北部)へ。その後、ビルマに転戦した。戦争が終わっても生死が分からず「生きて帰ってくれれば」といういちるの望みも48年、戦病死との報告で打ち砕かれた。

 「白木の箱が届いて、中には『陸軍伍長山崎松吉の霊』と書いた紙が入っていただけ。でも生きるのに必死で落胆している暇などなかった」

 娘2人、孫7人、ひ孫13人、玄孫8人に恵まれた。「体は丈夫で散歩やゲートボールも楽しめる。皆に支えられ感謝している」という。毎年、靖国神社や護国神社への参拝は欠かしたことはない。「苦しいのは皆同じと自分に言い聞かせてきた。忘れたことはないが、もっと夫のことを思ってやればよかった」と、静かに松吉さんの遺影を見上げた。

http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20080815/CK2008081502000193.html



福井市で戦没者追悼式 平和祈り200人参列
8月15日午後10時25分

 63回目の終戦記念日の15日、福井市戦没者追悼式が同市民福祉会館で営まれた。参列した遺族ら約200人が祭壇に花をささげ、同市の戦没者約9260人をしのび、恒久平和を願った。

 東村新一市長が「祖国を思い家族を案じ戦地に倒れたことは痛切の思いを禁じ得ない。幾多の犠牲の上に平和があることを次世代に語り継ぎ、二度と戦禍を起こさないようにしなければならない」と式辞。市遺族連合会の前田康博会長も「戦争のない世の中を永遠に続けることがわれわれの責務」と追悼の言葉を述べた。

 東京で行われた全国戦没者追悼式に合わせ、正午の時報を合図に1分間黙とう。参列者全員が祭壇に白菊をささげた。

 医者だった夫・隆信さんをフィリピンのルソン島で亡くした伊藤富美子さん(87)=毛矢二丁目=は「今、健康でいられるのは主人のおかげ。私たちと同じような苦労を、今後二度と味わわせてはならない」と話した。

 父・定尾さんを失った吉村良一さん(68)=荒木別所町=は妻、息子、孫の家族5人で参列。昨年、父が戦死したインドネシア・マドゥラ島を訪れ、今年8月には孫を連れて靖国神社に参拝するなど、普段から家族ぐるみで戦争の悲惨さ、平和の尊さについて話し合っているという。吉村さんは「母やわれわれ子どものことを思いながら死んでいったのかと思うと…」と声を詰まらせた。

http://www.fukuishimbun.co.jp/modules/news2/article.php?storyid=4813



東北から350人参列 戦没者追悼式

 東京・日本武道館で15日開かれた全国戦没者追悼式に、東北6県からは約350人の遺族が参列した。

 宮城県東松島市の無職織谷ウラ子さん(90)は40年以上、欠かさず出席しているという。夫は陸軍大尉として中国やフィリピンなどを転戦。マラリアにかかり、終戦直前の1945年8月7日に33歳で死亡した。織谷さんは「今の日本の平和があるのは戦没者のおかげ。若い人たちは、そのありがたさを分かっていない」と表情を曇らせる。

 山形県川西町の農業伊藤義隆さん(62)は南方戦線で叔父2人を失った。「祖父母から叔父は金鵄(きんし)勲章をもらい、家の誇りだと言われ続けた。身近に感じている」と言う。

 岩手県西和賀町の農業及川久蔵さん(88)は、兄が戦病死し、自らも6年間、中国に赴いた。「天皇陛下や首相は靖国神社に参拝していただきたい。中国、韓国などは批判するが、戦没者の慰霊はどこの国でもやっている」と語気を強めた。

2008年08月16日土曜日

http://www.kahoku.co.jp/news/2008/08/20080816t73020.htm





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終戦の日~陛下のおことば、首相式辞、遺族の思い

2008年08月16日 13時11分37秒 | 社会
終戦記念日:天皇陛下おことば(全文) 戦没者追悼式

 本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

 終戦以来既に63年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。

 ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り、戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

毎日新聞 2008年8月15日 13時52分(最終更新 8月15日 14時05分)

http://mainichi.jp/select/wadai/heiwa/news/20080815k0000e040080000c.html



終戦記念日:福田首相式辞(全文) 戦没者追悼式

 本日ここに、天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、戦没者の御遺族並びに各界代表多数の御列席を得て、全国戦没者追悼式を挙行するに当たり、政府を代表し式辞を申し述べます。

 先の大戦では、三百万余の方々が、戦場で、あるいは銃後の地において、そして戦後、遠い異境の地において、祖国の弥栄(いやさか)を念じ、愛する家族のことを案じつつ、亡くなっていかれました。また、我が国は、多くの国々、とりわけアジアの諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えました。私は、国民を代表して、ここに深い反省とともに、犠牲となられたすべての方々に対し、謹んで哀悼の意を表します。

 戦後、我が国は、一貫して平和国家としての途を歩み、国民ひとりひとりのたゆまぬ努力により、平和と繁栄を享受してまいりました。私たちは、今日の平和と繁栄が、戦争によってかけがえのない命を落とされた方々の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、ひとときも忘れることはありません。私たちが、これからも、過去と謙虚に向き合い、悲惨な戦争の教訓を風化させることなく、過ぎし日の史実を未来に正しく引き継いでいくことこそ、多くの戦没者の思いに応える道であります。

 今日、一部国際社会の情勢が不安定さをみせる中、一国だけの利益を追求しようとする風潮がないとは言えません。その中にあって、私たちは、内向きな志向の虜(とりこ)になることなく、心を開き、そのまなざしをしっかりと世界に向けながら、歩んでいきたいと思います。

 終戦から63年を経た本日、私たちは、いま一度不戦の誓いを新たにし、平和協力国家として、国際社会の先頭に立ち、世界の恒久平和の確立に向けて、積極的に活動していくことを誓います。

 戦没者の御霊の安らかならんことを、そして御遺族の皆様の御健勝をお祈りして、式辞といたします。

毎日新聞 2008年8月15日 13時51分(最終更新 8月15日 15時17分)

http://mainichi.jp/select/wadai/heiwa/news/20080815k0000e010079000c.html



終戦記念日:戦没者追悼式 4600人の遺族が参列

 終戦から63回目の「8・15」が巡ってきた。蝉時雨(せみしぐれ)が降り注ぐ日本武道館で開かれた全国戦没者追悼式には、約4600人の遺族が参列した。過去30年で最少の人数で、平均年齢は70歳。戦争を体験した世代のみならず、子の世代でも高齢化が進む。歳月の積み重ねが第二次大戦を遠い過去に押し流す中、遺族たちはそれぞれが当時の悲劇に思いをはせ、平和への祈りを一つにした。【清水健二、夫彰子】

 今回の遺族参列者は、7割近くが戦没者の子や孫。父母は3年ぶりにゼロで、80年代は過半数を占めた妻も全体の2%以下の85人にまで減った。

 最高齢となる94歳の飯村ヨツさん=東京都足立区=は、フィリピン・ルソン島に出征した夫の正重(しょうじ)さんを亡くした。終戦3年後に引き渡された骨つぼに入っていたのは、氏名が書かれた紙切れだけ。だから、今でもふと「お父さんは、どこかで生きているかも」と思う時がある。

 家が近所だった夫とは、当時は珍しい恋愛結婚だった。2人の娘を授かり、親子で浅草のダンスホールにも遊びに行った。

 出征先から夫が送ってきた5枚のはがきが、菓子箱に大切にしまってある。戦死3カ月前に届いた最後のはがきの文面は「皆様丈夫に暮らすよう陰ながらお祈り申し上げます」。ヨツさんは縫い物などの内職をして、娘や義母を懸命に支えた。長女の正代さん(68)は「母の涙は見たことがない。苦しい時代を生きてきた人の強さだと思う」と話す。

 追悼式の参列者が毎年減っているのを新聞で読み「さびしくなってしまう」と初参加を決めた。正代さんに車いすを押されながら、武道館を見上げ「胸がいっぱい。(夫が)生きていればよかった」と声を詰まらせた。

 最年少の高橋香澄さん(9)は、高知市に住む小学3年生。曽祖父に当たる英利さんを追悼するため参列した。「生き残ってもっと戦争の話をしてほしかった。そう心の中で言います」。緊張した面持ちで、祖父の寛(ゆたか)さん(68)と祖母の光江さん(66)と一緒に会場入りした。

 英利さんは、旧満州で開拓団の警備を担い、そのまま消息を絶った。召集の半年前に生まれた寛さんにとっては「顔も知らん親」だが、家族のために出征前日まで田畑を耕したという英利さんを慕う。初めて追悼式に参列する今回、よく墓参りに付いてくる孫娘は、自分から「一緒に行きたい」と言ってくれた。

 「戦争は殺し合いだから、やってはいけないと思う」。異国の地で逝った曽祖父を思い、香澄さんはきっぱり言い切った。

毎日新聞 2008年8月15日 13時38分(最終更新 8月15日 13時46分)

http://mainichi.jp/select/wadai/heiwa/news/20080815k0000e040074000c.html



【社会】
『親に会いに』『祖先に感謝』 靖国参拝 炎天下、遺族ら続々
2008年8月15日 夕刊

 東京・九段北の靖国神社には十五日朝から、小泉純一郎元首相や安倍晋三前首相、福田康夫内閣の閣僚ら国会議員が続々と参拝に訪れた。各地の遺族会のツアーバスや一般市民らも訪れ、炎天下の境内は大勢の人でごった返した。

 生後八カ月で、父が戦死した岐阜県遺族会の酒向(さこう)憲造会長(70)は「親に会いに来たという気持ち。平和で豊かな暮らしができるのも、若くして命をささげた人がいたからこそ。記憶はないけど、親を思う心は何年たっても変わらない」と語った。

 栃木県佐野市から親子三人で来た会社社長吉野志門さん(34)は「今は子どもが親を殺したりと、精神の荒廃が起きている。戦死した人たちは今のこんな日本のために命をかけたわけではないはず。申し訳なさを感じる」と話した。

 戦後五十年の一九九五年から、毎年参拝に来ているという埼玉県宮代町の会社員男性(54)は「祖先に感謝するため参拝はすべきだと思う」。首相や閣僚らの参拝は「外国に言われることではない。来るなら堂々と来てほしい」と話していた。 閣僚では、太田誠一農相と保岡興治法相が参拝。保岡法相は午前の記者会見で「従来から『靖国を参拝する国会議員の会』の一員として参拝してきたので、今年もやる。職務としてではない」と私人の立場を強調した。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008081502000246.html



【社会】
父の戦地、息子に 語り合いたい苦しみ、癒えぬ傷
2008年8月15日 13時53分

 先の大戦から六十三年。世代交代がぐんと進み、終戦記念日の十五日に開かれた全国戦没者追悼式の参列者は戦没者の子供が約三分の二を占めた。閣僚の靖国神社参拝に加え、沖縄戦集団自決をめぐる教科書記述や竹島(韓国名・独島)の領有権問題などが内外に波紋を広げる中、全国で鎮魂の祈りがささげられた。

 「靖国神社で『硫黄島に遺骨収集に行ってきたよ』と父に報告してきました」。一歳になるかならないかの時、硫黄島の戦いで父親を亡くした北島勲さん(64)=東京都目黒区=はこの日朝、東京・九段北の靖国神社に参拝してから全国戦没者追悼式に参列した。

 父藤男さんの死亡証明書には、一九四五年三月十七日、硫黄島で戦死したと記録されている。最高指揮官・栗林忠道中将の最後の電報で総攻撃を敢行すると伝えられた日付で、実際にいつ亡くなったのかは分からない。この大本営発表が新聞報道された三月二十二日、勲さんは一歳の誕生日を迎えた。

 母は戦後間もなく「まだ若いから」という祖父母の配慮で離籍されたため、顔も知らない。中学生ぐらいの時、祖父の机から、自分の一歳の誕生日の新聞記事と死亡証明書を見つけ、父が硫黄島で戦死したと知った。

 二〇〇一年に初めて硫黄島を訪問。今年七月に十日間、硫黄島での遺骨収集に初参加した。硫黄島にはいまだ、遺族のもとに帰れぬ遺骨が一万三千柱以上ある。四〇度近い猛暑の中、シャベルを持って五分作業しただけでやめたくなるほどきつかった。作業服がすぐにびしょぬれになった。「飲料水がたくさんあってもつらかった。水や食料不足の戦いは筆舌に尽くしがたい苦しみだったろう」と北島さん。

 遺骨収集で硫黄島に渡る直前、関係者から父がいた部隊がいた壕(ごう)の場所を教えられた。高さ一メートルほどの入り口付近はしゃがまないと進めない。「こんなに狭く暗い場所で爆撃に耐えたのか」と感極まった。

 昨年、長男が「硫黄島に一度行きたい」と言ってくれたのがうれしかった。この夏は父がいた壕や遺骨収集の写真を見せながら、長男と戦争について語り合うつもりだ。「戦後六十三年たった今も癒えぬ傷を背負って生きている人がいる。同じ惨禍を繰り返してはいけないと次世代に伝えなければ」
(東京新聞)

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008081590135313.html



【社会】
戦争体験者 63回目の『8・15』 死隣り合わせ 真実後世に
2008年8月16日 07時03分

 戦争の記憶を伝えてほしい-。63回目の終戦記念日。死と隣り合わせの体験を持つ人々は、今年も思い思いの「8月15日」を迎えた。戦争の真実を伝えようと自費出版を続ける元特攻隊員、夫の墓前で反戦を誓った中国残留婦人ノ。この日が来るたびに後世に伝えることの大切さを感じている。

 元特攻隊員の松浦喜一さん(84)=東京都世田谷区=はこの日、六冊目の「遺書」を自費で千部発行した。今回の題名は「日本国民と特攻隊 ノモンハン戦争を考える」。市民団体などに配る。

 出撃後、悪天候により、命からがら帰還した松浦さん。これまでも「日本の戦争指導者たちは『私たちもお前たちの特攻に続く』と言明した。しかし特攻を実行したのは若い兵士たちだけだった」などと本に書き、戦争の真実を伝えてきた。

 「『憲法九条を守ろう』と言ってるだけじゃなく、戦争についてよく勉強しないと」と呼びかける。
 終戦から三十四年間も帰国が実現しなかった中国残留邦人の鈴木則子さん(79)=東京都国分寺市=は家族と夫の墓参りをした。

 国策で旧満州(中国東北部)に送り込まれた「満蒙(まんもう)開拓団」の一員だった。ソ連兵や中国人暴徒の襲撃から逃避行を続け、終戦を知ったのは三年も後のこと。助けてくれた中国人のおばあさんが「戦争は終わった」と紙に書いてくれた。

 日本政府の無策が長い間、残留邦人らの帰国を妨げた。いまだに公的支援を受けられない人もいる。「まだ何も解決していない。被害者として、加害者として、戦争を考え続けなければ。反戦とは、今の国のあり方を問い続けること」と話す。

 生還が困難な特殊潜航艇「蛟龍(こうりゅう)」の要員だった岩島久夫さん(81)=東京都世田谷区=は、福岡から上京した娘一家と静かに過ごした。水中の特攻隊として「死ぬための訓練」を続けた日々。訓練を終え、帰隊途中の広島で、原爆投下後の地獄絵図を見て終戦を予期した。戦後、旧防衛庁に勤め、今は大学院で平和学を講義する。「犯罪も戦争も、相互理解の不足から発生する。直接相手と会って対話することで、平和は保たれる」と伝える。

 戦争を知らない若者も戦争に向き合った。在日コリアン三世の大学二年、宣英理(ソンヨンリ)さん(19)は、東京・代々木で「日韓学生会議」のメンバーらが開いたシンポジウムに参加。「愛国心」をテーマにした発表をした。

 来場者の女性が「昔は『お国のために』と教えられ、愛国心が戦争動員に利用された」と体験を語り、宣さんは「教育は平和をつくることも、戦争をつくることもできるんだ」と感じた。日本と韓国の学生約五十人が合宿しながら準備に励んだ。宣さんは「あの戦争の禍根を引きずった日韓の歴史問題も、若い私たちの世代なら乗り越えていけると思った」と目を輝かせた。
(東京新聞)

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008081690070330.html



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終戦の日~各地での動き、閣僚らの動き(NHK版)

2008年08月16日 06時22分10秒 | 社会
終戦から63年 戦没者追悼式

8月15日 12時37分
終戦から63年を迎えた15日、およそ310万人の戦没者を慰霊する政府主催の全国戦没者追悼式が、東京の日本武道館で行われました。

式典には、全国の遺族の代表などおよそ6000人が参列しました。天皇・皇后両陛下が菊の花で飾られた式壇に着かれたあと、福田総理大臣が「わが国は、多くの国々、とりわけアジアの諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えました。国民を代表してここに深い反省とともに、犠牲となられたすべての方々に対し謹んで哀悼の意を表します。いま一度、不戦の誓いを新たにし、平和協力国家として国際社会の先頭に立ち、世界の恒久平和の確立に向けて積極的に活動していくことを誓います」と式辞を述べました。そして、正午の時報を合図に参列者全員で1分間の黙とうをささげました。続いて、天皇陛下が「終戦以来すでに63年、国民のたゆみない努力により、今日のわが国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民とともに、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和とわが国のいっそうの発展を祈ります。」とおことばを述べられました。終戦から63年を迎え、遺族の高齢化は一段と進んでいて、70歳以上の参列者が半数近くを占めています。最年長の参列者で、戦争で夫を亡くした静岡県掛川市の山崎くにさん(94)は「あのころはみんな喜んで兵隊に行っていたが、今の若い人たちがまた兵隊に行くようなことがあると困ります」と話していました。また、最年少の参列者で、戦没者のひ孫にあたる高知市の高橋香澄さん(9)は「戦争はすごく怖い。ひいおじいちゃんは生きて帰ってきたらよかったのにと思います」と話していました。

http://www3.nhk.or.jp/news/k10013527831000.html#



終戦の日 全国各地で集会

8月15日 12時37分
終戦の日の15日、全国各地で戦争で亡くなった人を悼み、平和について考える集会や催しが開かれました。

このうち、東京・千代田区では閣僚などの靖国神社への参拝に反対する団体が集会を開き、戦争で亡くなった人の遺族などおよそ250人が参加しました。集会を主催した平和遺族会全国連絡会の西川重則代表は「靖国神社への参拝を通し、将来の戦争に向けて国民の愛国心を高めようとしているのではないか。政教分離を徹底し、アジアの平和と和解を目指すべきだ」と訴えました。参加した人たちは、遺族の1人からの呼びかけで、戦争で亡くなった人を追悼しました。

一方、東京・千代田区の靖国神社では、閣僚らの公式参拝を求める団体が集会を開き、主催者側の発表でおよそ2000人が参加しました。この中で主催者を代表して「英霊にこたえる会」の堀江正夫会長が「国のために一命をささげた人たちがまつられている靖国神社に福田総理大臣の姿を見ることができないのはまことに残念で、憤りさえ覚える」と福田総理大臣の姿勢を批判しました。集会では、憲法の改正や総理大臣が靖国神社を公式参拝するよう求める声明を発表することにしています。

http://www3.nhk.or.jp/news/k10013527621000.html#



広島 平和の鐘で追悼の集い

8月15日 15時48分
終戦の日の15日、広島市の平和公園では戦争で亡くなった人たちを追悼し、「平和の鐘」を鳴らす集いが開かれました。

日本ユネスコ協会では、終戦の日にあわせて、戦争で亡くなった人を追悼するとともに、世界平和を願って全国各地にある寺や教会などの鐘を鳴らしています。広島では例年、広島市の平和公園にある「平和の鐘」の前で集いを開いていましたが、ことしは、2歳で被爆し、その後白血病で亡くなった佐々木禎子さんをモデルにした「原爆の子の像」が造られて50年を迎えたことから、この像の前で「平和の鐘」を鳴らす集いが開かれました。15日は広島ユネスコ協会の呼びかけで120人が集まり、高校生の代表が「平和を実現するためには、世界中の人たちに広島で起こったことを伝え、禎子さんのような人たちを出さないためにどうすればよいのか話し合うことが必要です」とメッセージを読み上げました。そして、正午を前に戦争や原爆で亡くなった人たちに黙とうをささげたあと、参加者が次々と「原爆の子の像」の鐘を鳴らし、平和公園に核兵器のない平和な世界を願う鐘の音が響きました。宮崎県から来ていた16歳の女子高校生は「ふだんはあまり意識することはありませんが、ここに来て戦争はほんとうにしてはいけないと感じました」と話していました。

http://www3.nhk.or.jp/news/k10013529631000.html#



終戦の日 長崎で不戦の集い

8月15日 18時46分
終戦の日の15日、長崎市で、イラク戦争に従軍した元米兵も参加して、再び戦争を起こさないと誓う「不戦の集い」が開かれました。

「不戦の集い」は、長崎市の被爆者団体や平和団体が昭和16年、日本が太平洋戦争に突入した12月8日と、日本が敗れて太平洋戦争が終わった8月15日の毎年2回、開いています。この日は、長崎市の爆心地近くにある核兵器廃絶と戦争をしないことを誓う碑の前におよそ40人が集まりました。ことしは、イラク戦争に従軍したアメリカ人、アッシュ・ウールソンさん(26)も参加しました。ウールソンさんは「イラク戦争に行く前までは正当化される戦争もあると考えていた。しかし、イラクで命じられたのは、子どもたちが手りゅう弾を投げるかもしれないから、子どもたちにも銃口を向けろということだった。暴力によって平和を築くことはできない。戦争放棄を定めた憲法9条のメッセージを世界に広げていくことが大事だ」と述べました。また、高校生たちが、「原爆の恐ろしさを忘れたとき、人はまた同じ過ちを繰り返すと聞いたことがあります。原爆の恐ろしさを忘れさせてはいけません。身近なところから命と平和の大切さを伝えていきたい」という不戦の誓いを読み上げました。

http://www3.nhk.or.jp/news/k10013533871000.html#



終戦の日 すいとんを食べる会

8月15日 18時10分
終戦の日の15日、戦中・戦後の食糧難の時代を象徴する食べ物「すいとん」を食べながら平和について考える集会が、北海道網走市で開かれました。

網走市内の公園で開かれたこの集会は、平和を訴える活動などを行っている市民グループが開いたもので、およそ30人の市民が参加しました。すいとんは小麦粉のだんごを入れた汁物で、戦中・戦後の食糧難の時代によく食べられました。当時のすいとんは、ほとんどが塩やみそで薄く味付けしただけのものでしたが、この日は、食べやすいようにとかつおだしのみそを使い、小麦粉のだんごのほかに大根と大根の葉も入れました。戦争を体験した女性は「わたしたちが食べたすいとんは、味がほとんどしなかった」と当時を振り返っていました。集会では、全員で戦争で亡くなった人に黙とうをささげ、満足に食べることができなかった苦しかった時代について話し合っていました。

http://www3.nhk.or.jp/news/k10013531851000.html#



中高生ら 平和願いメッセージ

8月15日 18時10分
終戦の日の15日、太平洋戦争末期に特攻隊の基地があった鹿児島県南九州市知覧町で、平和への思いや命の尊さについて語るスピーチコンテストが開かれ、中学生や高校生らが願いを込めたメッセージを発表しました。

このスピーチコンテストは、平和の大切さを次の世代に訴えていこうと、毎年終戦の日に開かれています。ことしは、全国から過去最高となる3900人余りの応募があり、15日は事前審査で選ばれた12人がメッセージを発表しました。このうち、中学生の部で優秀賞を受賞した鹿児島市の池田中学校3年生の高柳佳織子さんは、太平洋戦争で3人の子どもを亡くした80代の女性の体験を聞いたときの思いを発表しました。高柳さんは「朝鮮半島にいたおばあちゃんは、逃げる途中で子どもを亡くし、自分で固い地面を素手で掘ったそうです。そのときの気持ちを考えたら、胸が締めつけられました」と述べ、戦争を繰り返してはならないと訴えました。会場の人たちは、発表者のメッセージに静かに耳を傾けながら、平和への思いを新たにしていました。

http://www3.nhk.or.jp/news/k10013533511000.html#



戦争語り継ぐ童話朗読の集い

8月15日 18時46分
終戦の日の15日、横浜では戦争の悲惨さを語り継ごうと、戦争と子どもたちを題材にした童話を朗読する集いが開かれました。

横浜市旭区の会場にはおよそ300人が集まり、戦争を題材に書き続けてきた横浜市の童話作家、長崎源之助さんの作品をプロの俳優が朗読しました。このうち、84歳になった長崎さんがみずからの体験を基に書き上げた「汽笛」は、戦地から帰還した直後に被爆地・長崎の病院で出会った子どもたちとの交流を描いた作品で、原爆で大やけどを負った幼い子どもを励まそうと機関車が大きな汽笛を鳴らす様子が、チェロの演奏とともに語られました。汽笛の音色には戦争への強い怒りも込められ、会場に集まった人は「当時の子どもたちのつらい気持ちが痛いほど伝わってきました」と話していました。長崎さん自身も「二度と戦争を繰り返してはいけないという思いを、もっと多くの人が受け継いでいってほしい」と語りかけていました。

http://www3.nhk.or.jp/news/k10013534631000.html#



首相 靖国神社参拝しない考え

8月15日 5時22分
終戦の日、福田総理大臣は政府主催の「全国戦没者追悼式」に出席します。福田総理大臣は東京・九段の靖国神社に参拝しない考えを示している一方、2人の閣僚が参拝する意向を明らかにしています。

福田総理大臣は、終戦の日に靖国神社に参拝するかどうかについて、さきに、「わたしの過去の行動を見てほしい」と述べ、これまでと同様、参拝しない考えを示しており、15日は千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れて花をささげたあと、日本武道館で行われる政府主催の「全国戦没者追悼式」に出席することにしています。一方、福田内閣の17人の閣僚では、保岡法務大臣が「さきの戦争で尊い命を失われた方に対する追悼と恒久平和を祈る趣旨として、参拝することを決めている」と参拝を明言しているほか、太田農林水産大臣も参拝する意向を明らかにしています。また、15日は、超党派の国会議員でつくる「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」も、会長の島村元農林水産大臣らがそろって参拝することにしています。

http://www3.nhk.or.jp/news/k10013524041000.html#



各国議長 軍縮で意見交換へ

8月15日 7時8分
サミット・主要国首脳会議に参加している各国の議会指導者が集まって意見を交わす「主要8か国下院議長会議」が、来月2日、広島市で開かれ、核兵器の拡散防止などの軍縮に向けて、議会がどのような役割を果たせるのかなどをめぐって意見を交わします。

この会議は、国際化が進む中での議会の役割などについて定期的に意見交換しようと、平成14年から毎年、その年のサミット開催国で開かれています。北海道洞爺湖サミットが開かれたことしは、来月2日に広島市で行われ、河野衆議院議長が議長を務め、アメリカのペロシ下院議長らが参加します。会議では「平和と軍縮に向けた議会の役割」などが議題になる予定で、核兵器をはじめとする大量破壊兵器の拡散を防止するため、議会がどのような役割を果たせるのかをめぐって意見が交わされます。また、会議に先立って、各国の議長らは広島市の原爆慰霊碑に献花することにしており、広島市によりますと、アメリカ議会の議長が慰霊碑に献花するのは初めてだということです。

http://www3.nhk.or.jp/news/k10013524021000.html#



国会議員の会 50人余参拝

8月15日 12時37分
終戦の日の15日、超党派の国会議員でつくる「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」のあわせて50人余りが靖国神社に参拝したほか、小泉元総理大臣や安倍前総理大臣も個別に参拝しました。

「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」は昭和56年に発足した会で、終戦の日の15日午前11時に、会長を務める自民党の島村元農林水産大臣や古賀選挙対策委員長らを先頭に、自民党や民主党などの国会議員あわせて50人余りが参拝しました。このあと、国会議員の会の島村会長が記者会見をして、福田総理大臣が、終戦の日にこれまでと同様、靖国神社に参拝しない考えを示していることについて「人それぞれの考えがあることでいっしょに行動してほしいというのも無理がある。わたし個人としは、日本人として、日本の政治家として、靖国神社に参拝すべきではないかと思う」と述べました。一方、国会議員の会とは別に、自民党の小泉元総理大臣と安倍前総理大臣も靖国神社に参拝しました。

http://www3.nhk.or.jp/news/k10013527531000.html#



福田首相 戦没者墓苑で献花

8月15日 12時37分
福田総理大臣は、政府主催の「全国戦没者追悼式」に出席するのに先立って、東京・千鳥ヶ淵の戦没者墓苑を訪れ、花束をささげて戦没者の霊を慰めました。

千鳥ヶ淵の戦没者墓苑には、さきの大戦で戦死し、名前がわからないため、遺族に引き渡すことができない遺骨が納められています。福田総理大臣は、日本武道館で行われる「全国戦没者追悼式」に出席するのに先立って、午前11時20分すぎに戦没者墓苑を訪れました。福田総理大臣は、花束をささげたあと、深々と頭を下げて、戦没者の霊を慰めていました。

http://www3.nhk.or.jp/news/k10013527721000.html#



官房長官 追悼施設に慎重姿勢

8月15日 13時32分
町村官房長官は閣議のあとの記者会見で、戦没者に対する新たな追悼施設について、国民が必要としているかどうかを十分に見極める必要があるとして、来年度予算の概算要求に建設に向けた調査費を盛り込むことに慎重な考えを示しました。

戦没者らを追悼する新たな施設をめぐっては、平成14年に当時の福田官房長官の私的懇談会が、宗教性のない国立の施設の設置を検討すべきだなどとする報告書をまとめましたが、政府は、国民の間で建設を支持する機運が盛り上がっておらず、自民党内に反対する意見があるなどとして、具体化に向けた動きには至っていません。これに関連して、町村官房長官は記者会見で「政府が先頭を切って突っ走る話ではないだろうと思う。国民が新しい追悼施設を必要とするかどうかについて、どのように受け止め、議論が行われているかをよく見極める必要がある」と述べました。そのうえで、町村官房長官は「来年度予算をどうするかはまだ決めていないが、今、あわてて何か行動する状況には必ずしもないのではないかと理解している」と述べ、来年度予算の概算要求に建設に向けた調査費を盛り込むことに慎重な考えを示しました。

http://www3.nhk.or.jp/news/k10013528711000.html#



太田農相ら3閣僚 靖国参拝

8月15日 15時12分
「終戦の日」の15日、福田内閣の閣僚のうち、太田農林水産大臣と保岡法務大臣、それに野田消費者行政担当大臣の3人が、東京・九段の靖国神社に参拝しました。

「終戦の日」の15日、福田内閣の17人の閣僚では、午前中に太田農林水産大臣が1人で、また保岡法務大臣が超党派の国会議員でつくる「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の一員として、それぞれ靖国神社に参拝しました。また、午後には、野田消費者行政担当大臣が1人で参拝しました。太田大臣は閣議のあとの記者会見で「戦争によって、国のために命をささげられた多くのみ霊に『安らかにお眠りいただきたい』という気持ちで参拝した。どういう行動をするにせよ、公人の立場であると元来考えている。『衆議院議員太田誠一』と記帳した」と述べました。また、保岡大臣は参拝に先立ち、記者会見で「これまでも『参拝する会』の一員として、参拝を続けているので、ことしも同様の対応をしたい。職務として参拝するということではない」と述べました。さらに、野田大臣は参拝のあと記者団に対し「わたしたち若い世代が実感できない大戦の苦しさや悲惨さを考えるようにという気持ちで参拝した。『国務大臣・野田聖子』と記帳した」と述べました。このほかの14人の閣僚は参拝しないとしており、町村官房長官は記者会見で、閣僚の参拝について、「各大臣の見識に委ねるべき性格のものだろうと思っている」と述べました。

http://www3.nhk.or.jp/news/k10013529751000.html#



太田農相ら3閣僚 靖国参拝(その2)

8月15日 20時0分
「終戦の日」の15日、福田内閣の閣僚のうち、太田農林水産大臣ら3人が東京・九段の靖国神社に参拝しました。閣僚の参拝について、町村官房長官は「各大臣の見識に委ねるべき性格のものだろうと思っている」と述べました。

「終戦の日」の15日、福田内閣の17人の閣僚では、太田農林水産大臣、保岡法務大臣、野田消費者行政担当大臣の3人が靖国神社に参拝しました。太田大臣は参拝したあと、記者会見で「戦争によって、国のために命をささげられた多くのみ霊に『安らかにお眠りいただきたい』という気持ちを持って参拝した。どういう行動をするにせよ、公人の立場であると元来考えている。『衆議院議員太田誠一』と記帳した」と述べました。また、保岡大臣は、参拝に先立って、記者会見で「これまでも『参拝する会』の一員として、参拝を続けているので、ことしも同様の対応をしたい。職務として参拝するということではない」と述べました。さらに、野田大臣は参拝のあと、記者団に対し「わたしたち若い世代が実感できない大戦の苦しさや悲惨さを考えるようにという気持ちで参拝した。『国務大臣・野田聖子』と記帳した」と述べました。このほかの14人の閣僚は、午後7時の閉門までに参拝しませんでした。

http://www3.nhk.or.jp/news/k10013535761000.html#




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