彦根市立鳥居本学園 ブログ 

平成27年4月から小中一貫型小中学校として新たな歩みを始めました。学園と鳥居本の魅力満載ブログです。

昭和36年「鳥中情報」

2015年08月29日 | 鳥居本小中学校
 夏季休業中に鳥居本中学校の耐火金庫の整理をしました。すると、写真の新聞がきれいにたたまれて、ある冊子の中から出てきました。
 昭和36年11月18日発行。きれいにレタリングされていますが、おそらく手書きによるものだと思われます。トップ記事が「校舎増築」図書室やその他の特別教室がなくて困っていると書かれ、新校舎見取り図には音楽室、理科室、技術室、調理家庭室が新たに記されています。
 校長先生が 福田理庸先生、今では考えられないご本人の住所も書かれています。第2室戸台風の被害の様子や、生徒会活動のことが第2、第3の記事として記載されていました。
 裏面には「私たちの学校生活」というタイトルで、当時2年生の小野さんが次のようなことを書いています。

 私たちの学校は全校二百名足らずの小さな学校です。よそへ試合に行ったりすると、「大きいなあ。うわあ、すごい人数やあなあ。教室の中真っ黒やなあ。」と驚きます。・・・。真ん中に広い運動場があって、ハンドボールとテニスコートがあります。学校のまわりには山と田と畑がゆったり、のんびりと広がっています。だから神経がめったにとんがりません。

 とあります。その後、三時間かけて通学している友達のことや静かに学習できていることなど、この学校で勉強できる喜びが綴られていました。
 そして、最後に『朝鮮の友から』という題は、おそらく先生が書かれたものだと思われる文章がありました。

 去る十月一日、T先生宅へ「日本国滋賀県・・・」と書かれた珍しい手紙が届いた。この春北鮮へ帰られたK(本文は本名が書かれています)さんからのものである。北鮮とは正しく言えば、朝鮮民主主義人民共和国でKさんは咸鏡南道咸州群新下里に住んでおられる。・・・こちらの冬はとても寒く、川の水が全部15cm~20cmくらいこおってしまうそうです。・・・・

 というような紹介がされていました。この新聞は昭和36年ですから、1961年。1950年代から帰還事業がすすめられ、多くの在日の方が、北へ戻られました。『キューポラのある街』の中でも少し描かれていますし、ビートたけしさん主演の『血と骨』は帰還事業がテーマの1つとして表現されています。在日朝鮮人の子どもたちが一緒に勉強した記念に、いくつかの学校に記念の像が贈られています。城東小学校にはその像が残されています。
 このような記事を見つけると遠い国が一気に近くなるような気がします。