彦根市立鳥居本学園 ブログ 

平成27年4月から小中一貫型小中学校として新たな歩みを始めました。学園と鳥居本の魅力満載ブログです。

鳥居本学区文化祭

2017年11月06日 | 鳥居本

11月5日 日曜日
鳥居本地区公民館で
第38回学区文化祭が開催されました。
当日は、小学3・4年生の歌
中学3年生の合唱
吹奏楽部の演奏
卒業研究の中から2班が発表しました。

鳥居本カロム大会

2016年06月20日 | 鳥居本
 昨日、鳥居本の自治会行事として、カロム大会が実施され、本校の子どもたちが参加しました。

 

 トーナメント方式で行われ、優勝者には立派なたてが送られました。

 兄弟姉妹で参加している子も多く、ゲームの途中で攻め方をアドバイスする姿が見られました。

 また、兄弟姉妹ではないけれど、負けそうになって沈んでいる下級生に、「大丈夫、あきらめないで。」と励ます上級生の姿も見られました。

 子どもたちの微笑ましい姿にたくさん出会いました。お世話いただいた地域の皆様、ありがとうございました。


 優勝決定戦!
 

カキツバタ 見頃です

2016年05月08日 | 鳥居本
 5月1日の第1報しました笹尾のカキツバタ、1週間経って、本日はご覧の通り、沢山咲いていました。もう見頃です。今日はよく晴れて新緑が美しく、カキツバタの花も一段ときれいでした。

群生地に行く途中、藤が咲いていたり、ヤマツツジの花も今が盛りとばかりに咲いていました。


たぶんシオカラトンボやベニシジミが飛んでいて、下に目をやると

小さな魚が沢山泳いでいました。水面近くを泳いでいるものやら、底にくっついているものやら。
昨年きた時(5月下旬)にはモリアオガエルの卵塊がいくつもありました。鳥居本は自然豊かと一言でよく話をしますが、その自然は一言では語れない多様性を持っています。

このブログを読んでくださっている鳥居本の方で、「こんなのもあるぞ」というのを教えてください。取材に出かけます。

笹尾のカキツバタ

2016年05月01日 | 鳥居本
 昨年は5月下旬に初めてカキツバタの群生を見に笹尾へ行きました。ピークを少し過ぎたところでしたが、一面花が咲いてきれいでした。
 今日はまだ咲いていないかなと思いながら、群生地帯へ。

 ちらほらと咲き始めています。全部で20輪くらい咲いていたでしょうか。

 人工的な音は何も聞こえず、聞き慣れないカエルが鳴いていました。 

ロウバイ

2016年02月18日 | 鳥居本
 昨日の雪が嘘のように、今日は青空が広がる快晴です。学校の前にある畑に植えられたロウバイがきれいに咲いています。ロウバイは寒い冬に花を咲かせます。中学3年生が茶道体験に出かけた1月20日、雪が降り積もる中、かくみあ庵の庭にも咲いていました。3月になると、同じ黄色いサンシュユの花を見ることができるようになるでしょう。やがてあちこちに菜の花が咲き、辺りは温かい黄色に包まれます。
 梅の花にそっくりですが、ロウバイはクスノキ目ロウバイ科。梅はバラ科ですから全然違います。
 2月になって、梅も咲き始めました。

さんあかレンジャー

2015年09月24日 | 鳥居本
 鳥居本中学校では、毎年3年生が卒業研究と題して総合的な学習の時間に思い思いの活動をします。以前このブログで紹介を少ししましたが、今年の活動も佳境に入ってきました。
 さて、標題の「さんあかレンジャー」は3年前にこの卒業研究で作られたキャラクターです。鳥居本をアピールする方法の一つとして古くから伝わる「鳥居本のさんあか」を形にしてくれました。今までは、ずっと平面だったのですが、今年はそれを立体にしようと鳥居本中学校の職員らが取り組みました。随分形になってきました。
これはどこに使われるのでしょうか。いろいろとプランが練られた結果、本物っぽく作ろうということになり、本物のヘルメット、赤のつなぎを基本に、イラストに使われている合羽や赤玉を配置することにしました。
鳥中体育祭で合羽レッドのみ登場。


ゆるキャラと呼ぶためには次の3箇条をクリアする必要があるそうです。
1.郷土愛に満ち溢れた強いメッセージ性があること。
2.立ち居振る舞いが不安定かつユニークであること。
3.愛すべき、ゆるさ、を持ち合わせていること。
この3箇条に加えて着ぐるみがあること と書かれていました。

いよいよゆるキャラの仲間入り出来るのかな。もうすぐ街に飛び出します。

小町塚

2015年08月18日 | 鳥居本
 毎日中山道を通っています。以前から気になっていたのですが、先日昼間に通る機会がったので立ち止まって見ました。すると小野小町がここで生まれたという伝承があると設置された案内板に書かれていました。

 ここからしばらく米原方面に進むと「おののこまち会館」という建物があるので、そういうことかと納得。案内板によると、

 出羽郡小野美実(好美)は、奥州に下る途中に、小野に一夜の宿を求め、ここで生後間もない可愛い女児に出会った。美実はこの女児を養女にもらい受け、出羽国へ連れていった。この女児が小町という

とあります。
 小野小町と言えば、百人一首に「はなのいろは・・・」があります。このような歌を詠まれた方ですから、自他共に認める美人だったのだろうなと思います。百人一首には「はな」を詠んだ歌はたくさんありますが、「はな」から始まる歌は「はなさそう」と「はなのいろは」の二首のみ。従って、「はな」の次の「さ」と「の」が決まり字になる3字決まりの歌です。このブログを小中学生が読んでくれていたら、今年の冬の百人一首大会では、、「わかみよにふる」の場所を覚えておいて「はなの」と聞こえたら取ればいいのです。また「はなさ」もおなじようにすると「ふりゆくものは」を取れます。
 

日下部鳴鶴揮毫の書

2015年07月11日 | 鳥居本
 鳥居本小学校校長室前廊下には日下部鳴鶴揮毫の書が展示されています。随分日に焼けてはいますが、凛とした文字が背筋が伸びる気がします。鳴鶴は中林梧竹・巌谷一六とともに「明治の三筆」といわれた方です。大久保利光公のもと、書記官として仕事をしていましたが、大久保利光暗殺を機に、政界を退き、書道の道に進まれました。三人のうち鳴鶴には弟子が沢山いたので、鳴鶴の書風は全国に広がり、いま日本で行われている書道のもとになっているそうです。彦根城400年祭では、日下部鳴鶴展が催され、在野に置かれた鳴鶴揮毫の書として出品されました。
 鳴鶴揮毫の書は、護国神社をはじめ彦根には何箇所か書碑があり、紙に書かれたものでは、高宮小学校の体育館にもあります。
 「温良恭謙譲」(論語では「温良恭倹譲」)は、おだやかで,すなおで,うやうやしく,つつましく,人にゆずる態度を表しています。つつましいの部分が「倹」の部分が「謙」の字に変わっているので、「つつましく」ではなく、「へりくだる」とした方がいいのかもしれません。この書がいつ書かれたものかは分かりませんが、鳴鶴の没年が大正11年(1922年)ですから、100年以上昔のものであり、鳥居本小学校は来年130周年を迎えますから、創立間もなくの頃から小学校にあったと思われます。当時としては、学校教育目標のように大切にされていたことと思われます。

 このブログを書きながら、「す」の文字で「するめ」を思い出す私の頭の中には、川島英五の「時代遅れ」が流れてきました。  
 めだたぬように、はしゃがぬように 似合わぬことに無理をせず ・・・


注 落款の部分の名前が 日下部東作 となっています。これは鳴鶴の本名です。

日枝神社

2015年06月27日 | 鳥居本
 6月14日に比婆神社を紹介しました。林道にある比婆神社の鳥居をくぐらずに林道を多賀の方へ進むとすぐに男鬼の集落が見えてきます。男鬼町の集落の中ほど、山の斜面にそって写真の日枝神社があります。男鬼町には現在だれも住んではいませんが、比婆神社と同様綺麗に手入れされていました。ゆかりの人たちが今なお頻繁にお参りされていることが伺えます。比婆神社が居住地から随分山を登っていくのに対して、日枝神社は生活空間のすぐそこにあるという感じです。

 
 これはなんでしょう。トイレの明かり採り用の窓です。すごく懐かしくてシャッターを切ってしまいました。ただ四角く窓を開けるだけでなく、家形にデザインされ、木がはめ込まれています。
 映画好きの私は、センスのある美術スタッフが昭和初期以前の生活を再現する時のヒントにして欲しいと感じた窓です。いっそここでロケできないものでしょうか。

 この家の縁側から、加藤嘉さんが「山は厳しい」と、訪れた青年を一喝するセリフが聞こえてきそうです。
 

比婆神社

2015年06月14日 | 鳥居本

 鳥居本学区にある男鬼(おおり)には比婆神社という神社があります。国道8号線を彦根から米原方面へ走っていると近江鉄道鳥居本駅の手前に「比婆神社」の大きな看板が目につきます。看板を東へ入り、中山道を横切るとすぐに鳥居本小学校があります。小学校の前の道を道なりに山の方に行きます。名神高速道路の下を通り、団地を過ぎるポイントに「比婆神社」の案内があるので、それに従って進んでいきます。山の中の林道は車一台が通れるほどの道です。ところどころに対向できるところがあるので、前からの車に気をつけながら奥へと入っていきます。

 どうしてここに石垣が積まれているのだろうと思ったり、お地蔵さんに花が供えられていたり、人の息吹を感じながら、林道を進むと写真の場所にたどり着きます。この鳥居をくぐり、ここからしばらく急な坂道を登っていくと

本殿が見つかります。このお社の後ろは岩があって、祠になっているそうです。人里離れたところにある神社ですが、綺麗に掃除され、お供えされている榊は新しいものでしたから、神社の関係の方が頻繁に来ておられるのだろうと思います。私はまだ歴史的なことや、なぜこのお宮さんが作られたのかよくわかりませんが、霊験あらたかな感じがします。今風に言うとパワースポットのような。

 それにしても男の鬼(男鬼町)と名付けられたところに「比婆」ですからおばあさんという意味の字をあてた神社があるというのも不思議だなあと思います。

 このお社の付近には

ヤマボウシの花が咲いていました。ヤマボウシはハナミズキの仲間で、日本古来の品種(ハナミズキは外来種)です。秋には赤い丸い実をつけます。ちなみに、食べられます。

 しばらくここに居て樹木を見ていました。鳥の鳴き声だけのとても静かなところです。す~と落ち着いてきました。昔の人たちも心を清め(落ち着かせる)ることを山中の静かな場所に求められたのかもしれません。