昭和60年の新校舎建設までは、木造平屋建て校舎でした。その当時玄関にかかげられていたのが、この木製表札です。ずっしりと重いこの板を、地元の百々建設様のご協力で玄関内に取り付けました。隣にあるのは「寄宿舎」の表札です。武奈や男鬼の生徒は冬季の間、学校での寄宿生活を送っていたそうです。
石田三成の居城佐和山城跡から彦根市内を望む風景です。佐和山城の城下町は鳥居本であるため、こちらは城の裏側ということになります。今年の卒業研究では1グループが佐和山の研究をしています。ちなみに佐和山は清涼寺さんの持ち物だそうです。
ボランティア部で制作した歴史看板シリーズ第1作です。赤い雨合羽は江戸時代中山道の鳥居本宿で評判となったもの。鳥居本の3つの赤の1つです。現在合羽屋さんの看板は街道に残っていますが、赤い雨合羽は伝説の品となっています。この看板は近江鉄道鳥居本駅にあります。
鳥居本中学校の玄関にある博物館では、地元の名産品や学校に関係する物を展示しています。手前は近江鉄道の模型と鳥居本駅キーホルダー。奥はサンライズ出版のひこにゃんと殿様で絵本になっています。
昨年度に引き続き、歴史看板をボランティア部の生徒が作成しました。鳥居本は宿場町として有名ですが、他にもゆかりの人物として、小野小町や藤原定家、石田三成などが関係しています。
ひこねカルタの「な」の札です。中山道の宿場町として紹介されています。最近は、大型バスで来て鳥居本の中山道を歩く観光客の方も見かけます。合羽屋さんなどの建物や赤玉神教丸の有川製薬もあります。近江鉄道鳥居本駅で降りるとすぐですよ。
井伊直弼の国宝彦根城は有名ですが、佐和山城も歴史に残る石田三成の居城。佐和山城の城下町が鳥居本で、実は鳥居本側にお城は向いて造られていたそうです。
安藤広重が描いた中山道摺針峠の望湖堂。この建物は平成3年の火事で焼失しました。弘法大師や皇女和宮のエピソードも残っています。鳥居本中学校では学校地域のシンボルとして大切にしているものの一つです。