福井新聞の記事を読み、倉持貞夫は妻の早苗のことを想った。
東尋坊が自殺の名所になっていることを報じていのだ。
自殺未遂の母子の姿は、早苗と母の姿と重なった。
利根川で親子で死ぬつもりで、母親の幸恵は小堀(おおほり)の自宅から昼過ぎに家を出た。
その時、早苗は3歳、弟は1歳半であった。
父親が大好きな早苗は、父親の大きなゴム草履を履いていた。
「とうちゃんは、また、競輪?」早苗は母親に手を引かれながら言葉をかけた。
母親の顔が引きつり、早苗の手に爪を立てた。
「母ちゃん、痛いよ」と早苗は悲鳴をあげた。
弟の晃は、利根川の土手に出たところで、川へ向かって走りだした途端に前のめりに草の中へ転んだ。
「走ったら、危ないよ」と母親は声をかけたが、何時もの声ではなく、かすれて聞こえた。
「早苗、いいかい。これから死ぬんだよ」母親が早苗を抱き上げた。
「死ぬの?」早苗には死ぬことの意味が理解できていなかった。
「みんな、とうちゃんが悪いんだからね。田畑も全部なくなり、家もなくなる」母親は嗚咽をもらした。
母親が振り返った先に見えた1本のしだれ桜が満開だった。
早苗も振り返り桜を見た。
「桜、きれだね」
母親は生まれ育った筑波山の麓の北条の桜を思い浮かべた。
「早苗、北条の実家へ帰ろう」と早苗に頬を寄せてつぶやく。
貞夫は早苗の母親から結婚後、そのような過去の経緯を聞いていた。
福井競輪場へ来ていた貞夫は、東尋坊へ足を伸ばしてみたくなった。
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