利根輪太郎の競輪人間学 本命の隣に気づかない!

2024年09月03日 14時48分17秒 | 未来予測研究会の掲示板

利根輪太郎の面目というか、眼目、逆転の発想はあくまでも、出目作戦なのだ。

それなのに、相変わらず、肝心なことを徹底できずに、自嘲するほかないのだ。

 FⅠ 前橋競輪 報知新聞社杯 

最終日(9月3日)

5レース

並び予想 1-4-5 6-2 7-3

レース評

照井は点数通りの自力パワーを見せて欲しい。藤原−尾崎がマーク。奮起の酒井が出切れれば、番手から栗山。

1番人気 1-4 (2・2倍) 2番人気 4-1(3・2倍)

1-4-5(4倍) 4-1-5(5・1倍)

本来なら、1-4か4-1で決まるレースである。

だが、4番は、2番を外に張りにいっために1-5の並びとなってしまう。

こうなると、穴車券となる。

利根輪太郎は本命1-4の隣りの下がりめの出目1-3を買ったのに、1-4の上がり目の1-5を見逃す。

なぜなら、1-4-5で決まると思こみ、肝心な出作戦である本命の隣の出目を買え!の鉄則を貫けなかった。

まだ、まだであるのだ。

つまり、機械的に実践するべきなのが、出目作戦であり、並びへの拘りは放棄しべきだ。

また、本命は買わないと競輪仲間に明言していのに、本命車券から、1-4-5を3000円。

1-4-2 500円 1-4-3 500円 1-3-4 500円 1-3-2 500円買っていたのだ。

 




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 1 照井 拓成   10.2 SB  
  2 5 尾崎 剛 1/8車輪 9.9    
3 2 田中 孝彦 3/4車身 10.1      
4 4 藤原 憲征 1/4車輪 10.2      
× 5 3 栗山 俊介 3/4車輪 9.9      
6 7 酒井 拳蔵 2車身 10.1      
7 6 関根 健太郎 1/4車輪 10.3      
 
2

未発売
2

1=5
2,260円(6)
3

1=2=5
1万790円(22)


1=2
590円(8)
1=5
230円(3)
2=5
1,740円(17)
未発売
1-5
3,710円(11)
1-5-2
3万7,330円(69)

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日記はわが人生の軌跡となる

2024年09月03日 09時52分47秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼紫式部、ゲーテ、トルストイ、夏目漱石などが自身の「日記」を残している。

古今東西の偉人たちの日記が公となっているのである。

本来、日記は人に読ませるためのものでないと思われるのだが・・・

日記は、人生の軌跡となる。

ことに偉人たちの日記は後世の人々にとっては、人生の鑑になることもある。

▼人間革命の哲学は今の社会には不可欠な思想であるだろう。

平和と共生の哲学を世に拡大すべきと思われる。

▼あらゆる友情の基礎は、誠実と言うことである―ヒルティ

カール・ヒルティは、スイスの下院議員を務め、法学者、哲学者、著名な文筆家としても知られる。

日本では『幸福論』、『眠られぬ夜のために』の著者として有名。 敬虔なキリスト教徒として、神、人間、生、死、愛などの主題を用いて、現代の預言者とも評されるほどの思想書を書き残した。 

▼人は、直接会い、語り合えば、理解し合えるものだ。

誤った情報や誤解や偏見は正すべきであろう。

▼言葉は希望の人生を開く力を持つ。

目の前の一人を励ます心からの言葉が期待される。


創作 あの頃の自分 9)

2024年09月03日 03時44分43秒 | 創作欄

午後11時を過ぎていた。

旅館の仲居の人にとっては、軽装で、旅行鞄を持たない二人は情事のために投宿したアベックに映じたであろう。

「朝食はどうなさいますか?」と聞くのだ。

「お願いします」と瑞奈は応じた。

10月の深夜の鎌倉の海で泳い瑞奈は、体が冷えたのだろう和風旅館に着くと直ぐに風呂へ入り30分ほど湯舟に浸かっていた。

風呂を出た瑞奈は驚くことに、上半身が裸であった。

「瑞奈ちゃんの裸、海で見てしまったので、もう平気でしょ」彼女は頬を緩めながら、部屋の隅に備えてある鏡台へ向かう。

瑞奈から男として黙殺されたも同然であり、勇作は沈黙するほかなかった。

「勇作はどちらかと言うと中性的で、女に警戒されないタイプだな」友人の木島紀夫に言われたことが思い出された。

「ゆうちゃんも、お風呂へはいりなさい」彼女は長い髪をブラシで整えながら顔を振り向ける。

2人は二つ並んだ布団でそれぞれ寝た。

「ゆうちゃん、何かしゃべって」手枕の彼女から促されたが、勇作は沈黙する。

「どんな家庭なの」

「父は市役所勤務で、母は中学校の数学の先生」

「そうなの、どちらかと言うと硬い家庭なのね。うちは、ママは結婚前は映画女優だけど、脇役。パパは市会議員で酒の販売店を自分の弟にやらせて、自分の妹は居酒屋経営なの。生前ママはスナックを経営していたの」

「ゆうちゃは、営業だけで、編集の仕事はしたくないの」

「どちらかと言えば、営業に向いていますね」

「そうなのね」とりとめのない話の後に、突然、彼女は身を起こして、最近、失恋したことを勇作に告げるのだ。

「瑞奈ちゃんのどこがいけないの。ゆうちゃん、言ってみて」涙声となり、そして嗚咽する。

勇作は言葉に窮した。

 

 

 

 


創作 あの頃の自分 8)

2024年09月03日 02時56分19秒 | 創作欄

10月の深夜の鎌倉海辺にはほとんど人影はなかった。

10月生まれの山崎瑞奈は27歳になっていた。

2月生まれの木村勇作は26歳であった。

2人は並んで砂浜に座り打ち寄せる波を見詰めていた。

「ゆうちゃ、長生きしましょ。共白髪までよ。いいわね」瑞奈が勇作の手を握る。

勇作は黙って星空を仰いでいた。

「瑞奈ちゃんは、ゆうちゃのことを深く知りたくないの。知ってしまったら、たぶん、私から離れていくわ」

勇作は、俯く彼女の横顔を見詰めながら「深くとは、男女の体の関係なのか」と想ってみた。

「わたし、泳ぎたくなった」

「泳ぐ?海水は冷たいですよ」

「それがいいの」立ち上がった彼女が突然にも衣服を脱ぎ始めたので勇作は唖然とする。

そして、裸体になった彼女は海辺を疾走するのだが、細見の後ろ姿は無邪気な少女のようにも映じた。

「ゆうちゃんも来て」彼女の長い髪が左右に揺れ、振り向きながら彼女が叫ぶ。

勇作は腰を下ろしたまま、砂浜から立ち上がらなかった。

瑞奈は平泳ぎで暗夜の海を泳いでいく。

「ママ」と瑞奈は沖へ向かい何度も悲しげな声を張り上げていた。

結局、二人は鎌倉の海に近い和風旅館で宿泊するこことなる。

 


創作 あの頃の自分 7)

2024年09月03日 01時19分13秒 | 創作欄

その日は、土曜日であり、午後8時30分を過ぎた横須賀線は空席が目立っていた。

勇作は、職場の同僚である山崎瑞奈と4人掛けの席に対面して座る。

その日の瑞奈は、クリーム色のワンピースピースのミニ姿であり、黒のハイヒールを履いていた。

「ゆうちゃん、旅行気分ね」と彼女が頬笑み暗夜の車窓に目を向ける。

「木村さん」の呼称が突然にも「ゆうちゃん」になったことに、彼は、違和感を抱く。

職場の同僚である彼女との関係が非日常的に変化する兆しでもあっただろうか。

「私、これまで誰にも言っていないのだけれど、フェミニズムのボーヴォワールの崇拝者なの」

言われても勇作には、フェミニズムやボーヴォワールへの理解が全く及ばなかったのだ。

2人は北鎌倉で下車して、深夜の円覚寺へ向かった。

勇作は大学生時代に1度であるが、夜の座禅を体験している。

それは、夏目漱石を少しでも理解したいとの思いからであった。

「ゆうちゃが、座禅したのね」瑞奈は真剣な表情となり、「わたし、尼寺に入りたい」と呟く。

「なぜ?」との問いを勇作は飲み込む。

彼女の心の深層を知りたくなかったからだ。

 

参考

円覚寺 鎌倉時代後半の弘安5年(1282)、ときの執権北条時宗が中国・宋より招いた無学祖元禅師により、円覚寺は開山されました。

開基である時宗公は18歳で執権職につき、無学祖元禅師を師として深く禅宗に帰依されていました。

国家の鎮護、禅を弘めたいという願い、そして蒙古襲来による殉死者を、敵味方の区別なく平等に弔うため、円覚寺の建立を発願されました。

 

フェミニズム英語feminism)とは、女性解放思想、およびこの思想に基づく社会運動の総称である

政治制度、文化慣習、社会動向などのもとに生じる性別による格差や性差別に影響されず、男女が平等権利を行使できる社会の実現を目的とする思想または運動である

男女同権主義に基づく、女権拡張主義、女性尊重主義ともいう

 

シモーヌ・ド・ボーヴォワール (Simone de Beauvoir、1908年1月9日 - 1986年4月14日) は、フランスの哲学者作家批評家フェミニスト理論家・活動家である。

20世紀西欧の女性解放思想の草分けとされる『第二の性』(1949)、ゴンクール賞を受賞した自伝小説『レ・マンダラン』(1954) など多くの著書を残した。主要著書はほとんど邦訳されている。

1970年代人工妊娠中絶の合法化を求める運動をはじめとする女性解放運動 (MLF)に加わり、『レ・タン・モデルヌ』、『フェミニズム問題フランス語版』などを通して運動を牽引した。

在学中に出会ったジャン=ポール・サルトルとは、実存主義の立場から自由意思に基づく個人の選択を最重要視し、婚姻も子どもを持つことも拒否。互いの性的自由を認めつつ終生の伴侶として生きた。