今朝読み終えました。
楽しくて、解りやすくて一日で読み終えました。
時間と金を読書にもっと費やそう、この著者の書物をもっと読みたい、と読んでる途中に段取したのはこの書物が初めてです。
こういった読書に関する書物は何冊か読みましたが、雲泥の差で小林秀雄著が大変良かったです。
再読はもちろんのこと、いつまでも本棚に在り続ける書物だと思っています。
小林秀雄の語る読書論を精緻な文章で読める貴重な本です。
読書論というと堅く感じられますが内容はこんなふうに読んでいたとかこんなことは考えていたという平易なものです。
ただ、一文一文に小林秀雄独特の深淵が感じられ、読むごとに目が覚めるような思いでした。
小林秀雄といえば難解な文章を書くことで知られているが、本書は著作の中では比較的読みやすい部類に入るのではないかと思う。
というのも、文中で「諸君」と明らかに目下(年下)の者を意識した呼びかけをしたり、若い世代を例に挙げて話を進めているところから、その世代に特に読んでほしいという意図をもってまとめられていることが判る。当然、学生でも理解しやすいように文章は平明であることが望まれるし、事実、筆者もその点に注意を払っていることが見て取れる。ページ数も程よく、内容もコンパクトにまとめられているので、筆者の本は初めてという方にも手に取りやすい。
内容は大きく分けて3つ。第1部は「読むこと」について、第2部は「書くこと」について、第3部は「文化について」の講演録と、哲学者・評論家の田中美知太郎氏との「教養」をテーマにした対談となっている。
タイトルだけ見ると、読書好きの方、自分の読書法に疑問を持っている方向けに見えるが、それらの方ばかりでなく、作家・ライターなど文章を書く仕事を希望している方に向けての文章も収められている。そしてこれは私見だが、人と人とのコミュニケーションをSNSなど主にネット上に求めている方々、炎上とまではいかないにしろ、何気ない一言から少なからぬ軋轢が生じ、相手との距離感を計りかねている方にとって、どのような姿勢で文章と向き合うべきかという参考にもなる。
正直、筆者の論すべてに「なるほど、もっとも」と、頷いたわけではない。
例えば、筆者は「書くことには技術がいるが、読むことにもまた技術がいる」とし、多くの人は物語であれば、ただ漫然と受け身に徹する子供の読み方しかできていないと指摘している。1冊の本から何をくみ取り、自らの糧として生かせるか、筆者はその読み方テクニックを具体例を挙げて説明してくれている。そこらにあるハウツー本と違い、生易しくはない方法だが、確かに実践することができれば、その人にとって読書はもはや安易な現実逃避手段ではなく、自分の意識───思想を確固としたものにする助けとして楽しむことができるだろう。けれど、同時に少しの反発も覚えてしまう。
酒を飲むのに作法や人生哲学が必ずしも必要でないように、読書にも純粋に娯楽のための娯楽本も必要ではないかと。筆者の言う読書法はなるほど立派ではあるが、飲み屋の客たちが猪口やグラスを片手に一斉に「この酒の燗のつけ方は・・・」とか、「男の生き方とは・・・」とかやりだしたら、それはそれは気持ち悪い。
最初に「比較的読みやすい」とは書いたが、あくまで「比較的」なので、カフェや電車の中で気軽に読める類の内容ではない。自宅であろうと、どこであろうと、きちんと思索のできる環境を整えてから読むことをおすすめする。
読むことの助言
一流作品のみ。一流は難解。難解だが安易に理解したと思う勿れ。一流作品にがつんと衝撃を受ける、人生に影響を受けることを恐るな。気に入った作家の全集を読め。文から人格を見出せるだろう。
小説を小説と思って読むな。
この本のおかげで無駄な本を読む時間の削減に繋がったと思う。
読み方が単なる濫読から、超一流の人達の本を丹念に何度も繰り返して読むような傾向になりました。
小林秀雄の文体に惹かれます。小林秀雄の全集を読むのもよかろう。
小説を読んで、実行することを忘れるような読み方は間違っている。
この本も何度も読むに耐えるものだと思っています。
非常に気に入っている本です。
「批評の神様」という響きに憧れ、何度となく小林秀雄の著作に挑戦してきたが、恥ずかしながら一冊も読みきったことがなかった。しかし、本著は口語に近い柔らかい文体で書かれており、短めの随筆が集められているので非常に読みやすく初めて完読できた。小林秀雄の思考に触れることができ嬉しかった。
内容は批評・読書に関するもので、中でも読書法に関する記述は興味深かった。作品の世界観に浸って面白がるのは現実逃避に近い不健全な読書で、全集、書簡などあらゆる物を読込み、それを作者の人間そのものが手に取るように分かるようになるまで繰り返すのが健全な読書なのだそうだ。早速実行にうつしてみたい。
この本の帯に「高等学校時代」というのは、現代の高校生時代ではなく、東京帝大の教養部にあたる。読みやすい文章を選んで編集してあるが、エッセイものが多く、読んだ覚えのあるものがほとんどで、《没後30年》記念の出版とあらば、致し方ないであろう。この本をきっかけに、新しい小林秀雄作品の読者がふえてくれれば、幸いである。
読書論・文章論は、その人を表すので面白くて好きです。清水幾太郎の「本はどう読むか」「私の読書と人生」、三木清の「読書と人生」など、本を読むことが好きな人には何度か繰り返して拾い読みする楽しみがある。
小林秀雄もあちこちで読書論・文章論を書いていたなあ、と思いつつ、拡散していてまとまったイメージはなかった。本書を企画した人は偉いと思う。あちこちに散っていた読書論・文章論を一書に集めた。
未読のものは僕にはなかったが、違う想定で読むと味わいが全然違った。まず本の大きさと厚みが何とも言えないお手ごろ感と上品さがあっていい。ハードカバーだがごつくないので、イージーな感じがない。
口絵のところにある書斎の小林秀雄も写真は何度か見たが、ここでは違う意味を持って登場。書棚の本は膨大だが、ほどよく整理ほど良く雑然とした感じが、これまた白黒の写真を通して或る種の品があり、本書の装丁や内容とも合っている。
小林秀雄の読書論や文章論とは、いわゆるプラグマティックな体裁で、保守感さえ漂うので、最初の頃は案外な感じがする。気に入った著者のものは全集で全部読め、濫読しろ、読書百遍、暗記。
また文章論も、美文は要らない、小説家になるならその前に一外国語を習得しろ(菊池寛)等々。そして、彼自身の文章は、かならずしもプラグマティックではなく「美文」だろう。
一杯喰わされ感と釈然としない感じが最初の頃は続いた。けれど新しい一分野を築いた人だけに、如上の金言は、空疎ではなく落ち着くところに落ち着く良識だと思う。
本書は、いろんな表題で繰り返し彼のそんな思想が現れているが、「カヤの平」や「美を求める心」などの名編も入っていて狭い意味の読書論文章論に終始しない。「カヤの平」は人の気持ちのあてにならなさみたいなものをユーモラスに描いた逸品で、「真贋」に通じるものもあると思うが、「真贋」は本書の分量では長過ぎたのだろうか。「真贋」を僕は彼の最高傑作だと思っているのだが。
「美を求める心」は読み方によっては、吉本隆明が大著「言語にとって美とは何か」で書いたエッセンスを分かりやすく少量で言ってのけてしまったぐらいの表現論・鑑賞論だと思う。その他、講演からの文章も落語のような漫談を交えながらの達意のものだ。
末尾の田中美知太郎との対談は何度も見ていて損した気がするが、この文脈で読んでみるとまた違った味わいで興味深い対談となっている。一点、了解しがたいことがあって、末尾に、木田元とか言う最近亡くなった哲学者の文章が載っている。「蛇足」とはまさにこれを言う。
木田元を翻訳もエセーも全く評価しないのは僕の趣味に過ぎないけど、あまりにも品格というか味わいが違う文書を並べてみて何になるのだろう。他人の解説なぞ載せないで、「真贋」を載せてほしかった。