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新型コロナ 茨城県内新たに23人感染 流経大で新たに3人感染確認

2021年06月16日 22時42分41秒 | 社会・文化・政治・経済

6/17(木) 4:00配信

茨城新聞クロスアイ

茨城県庁=水戸市笠原町

茨城県と水戸市は16日、県内で新型コロナウイルス感染者が新たに計23人確認されたと発表した。県内の累計感染者は1万185人。県内医療機関に入院していた60代と80代の男性2人が15日に死亡し、県内死者の累計は160人となった。

県によると、クラスター(感染者集団)が発生した流通経済大ラグビー部では、新たに学生3人の感染が分かり、陽性者は計82人に拡大した。

神栖市内の事業所でも20代女性従業員の感染が判明し、事業所内の感染者は計7人に増えた。

新型コロナ感染者のうち新たに23人が回復。県内の退院・退所などは計9581人となった。

■県内の感染状況  
新規 23人  
累計 10185人  
うち死者 160人  
退院・退所等 9581人  
(県発表、16日午後10時現在)


創作 人生の計算 4)

2021年06月16日 22時42分41秒 | 創作欄

久岡武雄が赤坂のプリンスホテルのラウンジに到着したのは、看護婦の津山典子との電話で会う約束を決めた午後6時から、30分余が経過していた。

彼は人を待たせることに心が引けたので、常に人より30分ほど早く行き人を待つ身であった。

だが、彼が書いた記事に対して先輩の中川健太が、「この文章は、何だ直せ!」と強い口調で指摘するので、ペースを崩された。

待つ身が、反対に人を待たせる立場となる。

心が急くが仕方ない。

開き直って記事を直す他なかった。

「医療新聞はだね。病院の経営者たちが読む新聞なんだ。そこを心得てくれよ」

彼が直した記事に目を通した中川が、メガネを光らせる。

「デスクの太田さんは、甘いからどんな文章でもOKを出すけど、それでは新聞記事の質が落ちるんだ。久岡君帰っていいよ」と中川が先輩風を吹かせる。

久岡は事務員の新人吉野貴子の視線を背後に感じながら部屋を出た。

彼は小走りとなり、ホテルへ向かった。

バスがホテル前のバス亭に到着するところで、太った女性が猛然と走っていた。

だが、皮肉にも寸前のところで間に合わずバスは発車してしまう。

女性は悔しそうにバスを見送る。

肩で激しく息をする女性の姿に、「走れない女か」と彼は体重80㎏余の22歳の妹の姿を重ねて、可笑しさが込み上げてきた。

待ち人の看護婦の津山典子は、背を向けて席に座っていた。

その悠然とした態度に、久岡は彼女の意志のようなものを感じとった。

「待たせて、失礼しました」彼は率直に詫びた。

「記者さんは、忙しいのね」魅惑的な表情で微笑む。

彼はそん笑顔とミニスカートに幻惑された。

日本看護協会で出会った時とは全く違う容姿であり、付けまつげの化粧で変貌していたので唖然とした。

しかも、タバコを吸っていて、灰皿の置きタバコの煙を消しながら、「コーヒーでいいかしら?」と問いかける。

実は彼はコーヒーが苦手で紅茶派だった。

「看護の仕事は、ストレスが溜まるので、タバコに頼ってばかり。

健康に良くないのだけど」彼女は肩をすくめた。

彼はタバコを吸わなかったのに、何故か彼女がタバコを吸う姿に特別なものを感じ始めていた。

「タバコ吸う横顔、似あっていますよ」口から出た言葉に彼自身、戸惑う。

タバコを吸わない相手に気づかって、彼女は顔を横に傾けてタバコの煙を噴き出していた。

紅茶を飲み終えた後、彼は取材者の立場となり、「ところで、看護婦のストレスの原因は何ですか?」と問う。


墨田区、荒川区方面へ行く

2021年06月16日 18時49分51秒 | 日記・断片

今日も午前8時45分に、佐々田さんと待ち合わせをして、9時に中央タウンの大森さんのマンションへ迎えに行く。
茨城県、千葉県は曇り空であるが、東京は大雨と佐々田さんが言うので、心配していたが都心に近づくほどの激しかった雨脚が弱まり、墨田区役所へ着いたころは雨がすっかり止んでいた。
区役所の区議会(16階)へ行き、資料を手にする。
資料を手にしてから、まず、大森さんの中学の同級生の布団屋(向島)を訪問する。
4年前も訪問したので、相手の方の記憶が浮かんできた。
同級生の奥さんは出掛けていたが、ご主人に会うことができた。
ついで、京島方面へ行く。
さらに東向島、八代方面へ。
東向島には当方の友人宅があるが、訪問するとあいにく留守であった。
水曜日なので、仕事と想われた
ついて、荒川区役の区議会へ。
ここでも資料を手にして、町屋の不動産屋へ。
ここも大森さんの中学生の同級生。
ご主人は留守で、奥さんに挨拶をする。
町屋で都電を見た時は、東日本大震災の日、ここで千代線が止まり、しばらく駅周辺で待機したことが思い出された。
約2時間、電車が発車するのを待つが結局、運転が打ち切りとなり、徒歩で江戸川の橋を渡り北千住駅へ向かう。
結局、千代線の駅周辺で夜を明かすはめとなった。
結局、常磐線が動いたのは、翌日の昼過ぎだったのだ。
佐々田さんはあの日、柏の勤務先から取手まで、約16㌔を歩いたそうだ。
次の活動は来週の月曜日。
北区方面へ行く予定だ。
我孫子でうどんを食べて帰る。
「なかなか眠れなくて、午前3時に目覚めたので眠い」と大森さんが言う。
当方は、午前4時に目覚めたので同じように眠くなる。