久岡武雄が赤坂のプリンスホテルのラウンジに到着したのは、看護婦の津山典子との電話で会う約束を決めた午後6時から、30分余が経過していた。
彼は人を待たせることに心が引けたので、常に人より30分ほど早く行き人を待つ身であった。
だが、彼が書いた記事に対して先輩の中川健太が、「この文章は、何だ直せ!」と強い口調で指摘するので、ペースを崩された。
待つ身が、反対に人を待たせる立場となる。
心が急くが仕方ない。
開き直って記事を直す他なかった。
「医療新聞はだね。病院の経営者たちが読む新聞なんだ。そこを心得てくれよ」
彼が直した記事に目を通した中川が、メガネを光らせる。
「デスクの太田さんは、甘いからどんな文章でもOKを出すけど、それでは新聞記事の質が落ちるんだ。久岡君帰っていいよ」と中川が先輩風を吹かせる。
久岡は事務員の新人吉野貴子の視線を背後に感じながら部屋を出た。
彼は小走りとなり、ホテルへ向かった。
バスがホテル前のバス亭に到着するところで、太った女性が猛然と走っていた。
だが、皮肉にも寸前のところで間に合わずバスは発車してしまう。
女性は悔しそうにバスを見送る。
肩で激しく息をする女性の姿に、「走れない女か」と彼は体重80㎏余の22歳の妹の姿を重ねて、可笑しさが込み上げてきた。
待ち人の看護婦の津山典子は、背を向けて席に座っていた。
その悠然とした態度に、久岡は彼女の意志のようなものを感じとった。
「待たせて、失礼しました」彼は率直に詫びた。
「記者さんは、忙しいのね」魅惑的な表情で微笑む。
彼はそん笑顔とミニスカートに幻惑された。
日本看護協会で出会った時とは全く違う容姿であり、付けまつげの化粧で変貌していたので唖然とした。
しかも、タバコを吸っていて、灰皿の置きタバコの煙を消しながら、「コーヒーでいいかしら?」と問いかける。
実は彼はコーヒーが苦手で紅茶派だった。
「看護の仕事は、ストレスが溜まるので、タバコに頼ってばかり。
健康に良くないのだけど」彼女は肩をすくめた。
彼はタバコを吸わなかったのに、何故か彼女がタバコを吸う姿に特別なものを感じ始めていた。
「タバコ吸う横顔、似あっていますよ」口から出た言葉に彼自身、戸惑う。
タバコを吸わない相手に気づかって、彼女は顔を横に傾けてタバコの煙を噴き出していた。
紅茶を飲み終えた後、彼は取材者の立場となり、「ところで、看護婦のストレスの原因は何ですか?」と問う。