とねり日記

とりことや舎人(とねり)の
どげんかせんとの日々

春便、届きましたか~

2018年04月27日 | 山里から
とりことBOXに詰める商品が揃い始めた4月20日過ぎ。


作業はいよいよ佳境にさしかかり、舎長以下、毎晩夜なべ作業が続く。


加えて作業の合間にランチのお客さんをこなしたり、田拵え、苗代づくり、籾ふりなど田植え準備があったりで、気が張り詰めっぱなしだ。

私の仕事はパッケージやラベル、お品書き等の印刷、そしてBOXに添える「おまけ」の一品のベーコン作り。(ちなみにぶら下がっているお肉はお客様用、上段の卵はオレ様用です。悪しからず)


それにしても燻製作りは心が弾む。チップにする木(山桜、こぶし、月桂樹)の香り、肉に絡みついた煙の香り、そして味見しながら飲むウイスキーの樽の香り。一日中、よい香りに包まれて作業するので気分がいいし、これをアテに一杯飲むことを考えると、脳の中に快楽物質があふれ出てくる気がするんだよなあ。

段ボール箱も It's all ready!


ズームアップすると…
手書き?


ところでこのトリコマーク(ピーコマークとも言う)、左と右とで違うって知ってました?
向かって左のトリコは線の重なりが見えて、右は見えない。2005年に知恩寺の手づくり市から始まったとりこと舎だが、13年目にして始めて気がついた。
舎長によるとこのトリコを正確に描けるのは舎長以外では、オオタさんとこのフキちゃんだけなんだそうだ。

という発見もありつつ。さあ役者が揃ったでえ。


24日午後4時、雨のなか日吉郵便局へ持ち込み、チルド便で発送完了。
すべての作業が終わった夜、舎長と二人大笑いした。
いやー、しんどかったけれど、楽しかったねえ。

追伸:
翌日から、メッセージとともに「届きました」のご連絡がちらほら。

なかにはこんな写真も。
猫ちゃんは「BOX」が気に入ったようですね。

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なごりの春

2018年04月25日 | 山里から
山桜Aがすっかり散った後、山桜Bが開花し4月19日に満開になった。


しかし『とりことBOX春便』の準備に追われて夜なべ仕事が続き、花見どころではない。山桜A同様、散る花を寂しく見送るしかないかなあ…

去年の今ごろ、この場所にはウッドデッキがあったのだが、諸般の事情により撤去した。
あと幾度、この場所でこの花を見ることができるのだろう…

そう思うとたまらず、舎長と二人急遽、花見をすることにした。
死にかけていたツブ茶(こちら)が足下にやってきた。


乾杯!


ツブ茶はこの後、テーブルの上に跳び乗ってきて、ワインのグラスとジャムの瓶をひっくり返した。
なんたる生命力! 完全復活か?
ただ死にかけたせいか目が悪くなったようで、目の前にパンくずなどを置いても、ほとんど他の鶏たちに食べられてしまう。それで安心を求めてますます私たちの側に寄ってくるようになったのかもしれない。
くちばしの先に何かくっついているのは、ジャムを食べてネタネタしたくちばしについた桜の花びら。


種籾の浸漬もそろそろ終わりに近づいている。


4月22日、山桜Bが散り始めた。


もうすぐ春が逝く。
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田んぼごと始め

2018年04月15日 | 田んぼ・野良仕事
桜が散りはじめると、田植えの準備が本格的に始まる。

4月11日、塩水選と温湯消毒をおこなった。
去年は温湯消毒→塩水選の順だったが、今年は塩水選を先にすることにした。
なぜ?
一年一作、毎年迷うのが米作りなんです。

まずは塩水を作る。うるち米の場合、比重1.13の塩水にする。水10ℓに対し塩2.6kg。かなりの量の塩だ。ただ、わが舎のイセヒカリは若干、芒(のぎ)が長くて浮きやすいのでそこからさらに比重1.10まで水で薄める。塩は当日に溶かすと濃度にムラができやすいと、何かで読んだので前日に溶かしておく。
塩分濃度計で測るが生卵を浮かべてもおおよその濃度は測定できる(こちら)。


塩分濃度の目安は、概ね以下のとおり。
ウルチ:比重1.13(芒あり1.10)
モ チ:比重1.10(芒あり1.08)
これはあくまで目安で、芒の状態などを考慮して濃度を決めていく。

わが舎の種籾はウルチ、モチあわせて6種類あるので、この辺のさじ加減がややこしい。


そして今年はさらにもう1種…
「とねり米」?


実は一昨年くらいから、大師黒の株の中に黒くてスッと背の高い穂が混じるようになった。他の品種との交雑種なのか、大師黒が先祖返りしているのか、種籾を採取して育ててみることにした。色つやがよい、食味・香りがよいなど、優良な品種なら「とねり米」と名付けて増やしてゆこうというのが舎長の思惑。

さあ、種籾のみなさ~ん。お目覚めの時ですよ~。


少しかき混ぜて種籾を水になじませてから、浮いている種籾を容赦なくすくい取って捨てる。


ウルチが終わったら水で薄めて次はモチ。
これを7回繰り返し、ようやく塩水選終了。
次は温湯消毒。
ウルチは60度のお湯に10分、モチは58度のお湯に5分。
毎年、舎長と二人でワーワー言いながらしているが、ちょっとずつ作業が円滑に進むようになったかな。
大きめの容器を使うこと。沸騰したお湯を先に入れ、後から水で薄めて60度にすること。種籾を浸けると湯温がぐっと下がるので、60度近いお湯の入った別バケツにさっと種籾をくぐらせてから浸ける。などなど年々進歩している(それでも今年も写真を撮る間がなかった)。

温湯消毒がすんだら懸樋で引いた沢水に積算100度になるまで浸ける。
ルンペンストーブの煙突で作った少し自慢の「分水器」で。


さあ、来週は苗代づくりだ。これから忙しくなるぞ~。

備忘のため、これから1年間の田んぼ関係の作業日程を大まかに記しておこう。
3月下旬 畦はつり(半日)
4月上旬 田起こし(1日)
  中旬 塩水選・温湯消毒(半日)
  中旬 用水路掃除、取水堰のイネ板設置(圃場関係者皆で半日)
  下旬 籾ふり(半日)
  下旬 苗床(苗代)作り(1日)
  下旬 苗床に苗箱並べトンネル掛け(半日)
5月中旬 荒代掻き(1回目の代掻き)・ぬか撒き(1日)
  下旬 本代掻き・均平(1日)
  下旬 田植え(1日)
  下旬 補植(挿し苗)(2日)
  下旬 ぬか撒き(半日)
6月上旬~下旬 チェーン除草(5日おきに4回、各半日)
  中旬~下旬 分けつ肥(半日)
  下旬~7月上旬 田草取り(1~2週間)
7月中旬~下旬 中干し
9月上旬~10月中旬 稲刈り・稲木干し(3~4回、各半日~1日)
  下旬~11月上旬 脱穀・籾摺り(3~4回、各半日)
11月中旬 切り藁入れ・乳酸菌散布(1日)
  中旬 稲木片付け・田鋤き(1日)
 ※( )内の日数は二人で作業し機械のトラブルや悪天候などがない場合の目安。

ところで、安藤庵ととりこと舎のコラボイベント第4弾は7月1日(日)の予定なんですが、テーマは「アーシング」。田んぼに入って草取りしながら体に帯電している電気を抜く(えーっ!)という趣旨の企画です。詳しいことが決まりしだいご案内しますね。
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さよならだけが人生ならば

2018年04月08日 | 山里から
4月4日、山桜Aが開花した。
観測史上最速か?
そして8日、ほぼ満開。


春はせつない。

桜の蕾が膨らみつつあった3月末の日もとっぷり暮れたころ、Yさん夫妻が到着した。遠い大都会から乳飲み子を連れての長旅だ。そして翌朝さらに遠くへ旅立つ。二度と都会へは戻らない旅だ。

お二人が始めてわが舎に来たのは去年の春。
農作業を手伝いたいというので畦はつりをしてもらった。

話を聞くと、二人にとって大都会での生活は心にも体にも極度にストレスフルのようだった。それで、ストレスをほぐす必要から、休日にはちょくちょく二人して田舎に出かけ泊まりあるいてきたそうだ。だがなかなか満足できる宿にはめぐり会えなかった。「自然」「古民家」「田舎」などを謳った宿でも、例えば糊のきいたシーツや浴衣に、あるいはタオルに使ってある柔軟剤の香料に気分が悪くなる、肌が負けるなどということがままあったのだそうだ。

そのお二人に「今まで経験してきたなかでここが最高」と言っていただいた。
以来、季節が変わるたびにやってきて、二泊、三泊して帰っていかれた。そして来るたびに、田草取り、苺の定植など農作業を手伝っていただいた。

その間に子が生まれ、いつしか三人の旅となった。
そして秋の終わりに来られたとき、一家が田舎への移住を考えておられると聞いて、後日、京都府の移住サポート機関などを紹介した。わが南丹市の空き家バンクなどへも積極的に紹介依頼をされたようだが、二人が考える農業への取り組みが地元住民に理解されなかったようで、物件はあっても話がまとまらなかった、と後で聞いた。

私たちもときどき田舎暮らし物件を見ることがあるが、「有機(農業)お断り」という地域は結構多い。
このような山里に移住してきて、自力で食っていこうという意思をもった人たちの考える農業というのは、苗箱にネオニコ系農薬を振って、除草剤撒いて、化学肥料やって、コンバインで刈り取って、1日~2日で乾燥させて…といういわゆる慣行農法米作のような農業ではない。
役場、農協、土建業などの勤めに出るかたわら、慣行農法で省力手間いらずの米作りをしながら補助金をもらってかろうじて維持してきた田畑だが、補助金がなくなり、税金で成り立っていた仕事も減るなかで、人は出て行き耕作放棄地が広がってきたのではないか?

にもかかわらず、ヒトマチ(1区画)の田んぼが最大2反に満たないようなこの山里で、新たに就農し自力で食っていこうという入人(いりびと)に慣行農法でやれというのは、霞を食って生きろと言うようなものではないか?自分たちですら食っていけない農業をなぜ人に押しつけるのか。

二人は大都会で強いストレスに耐えながら懸命にナチュラルな生活を希求してきた。
したがって、忙しい都会生活者が簡単便利に使えるナチュラルフーズのヘビーユーザーでもあった。
その観点から、まだ誰も商品化していない新しい農産加工品の製造・販売を新生活の収入の軸にするという展望を持っている。

その彼らがようやく見つけた新天地は山のあなたの遙か遠く、君よ知るやの地だった。
出発の朝、記念写真を撮った。三脚を出してきてカメラを据えセルフタイマーで撮った。皆で写っておきたかったのだ。

彼らの行く土地は遠い。物理的な遠さだけではなく、田畑を耕し山羊や鶏を飼い…といった暮らしをしていると、1年に一度、一泊の旅に出るのもやっとだから。
もうしばらく会えないだろうなあ。
新しい生活のために買った新しい車で彼らは旅立っていく。車の窓を一杯に開けて彼らが手を振る。私たちも手を振る。走り始めた車の中から彼らの声が聞こえた。「さよなら」と言ったのか「また来ます」と言ったのか…。思わず私も「がんばれよー!」と二度、三度、叫んだ。涙が流れた。

花発多風雨 人生足別離

ハナニアラシノタトヘモアルゾ 「サヨナラ」ダケガ人生ダ

「人生に別離足(み)つ」か…
井伏鱒二の訳で名高い漢詩が、またも口をつく春。
人の去った部屋で、弱りかけた炭火の掘りごたつに足を突っ込んでぼんやりしていたら、ふと寺山修司の詩の一片が浮かんだ。

さよならだけが人生ならば また来る春は何だろう
さよならだけが人生ならば めぐりあう日は何だろう

4月16日、山桜Aはあらかた散った。


そして手前の山桜Bが開花した。


来年も再来年も花は咲き、春は来る。
(4月8日に投稿したこの記事は、プライバシーに配慮して4月16日に一部書き改め再投稿しました)
コメント (2)
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