とねり日記

とりことや舎人(とねり)の
どげんかせんとの日々

神の丹(あか)い穂(2)

2014年09月30日 | わが舎の動物たち
とりこと舎こかげカフェが9月15日で2周年を迎えたので、ご挨拶のハガキを作って、住所がわかっているお客さまに送った。


ハガキに使ったこの写真を撮ったのは9月7日。
クリの背中に乗っているのはヤンチャ。
わが舎のニワトリたちは、私たちがしゃがんで草引きなどをしていると、ときたま背中に飛び乗ってくることがあるが、なかでもヤンチャは甚だしい。
必ず乗ってくる。ヤギの背中にまで乗ってくる。クリもそれをあまりいやがらない。

ちなみにわが舎のニワトリは一人ひとり名前がついている。
名前は「世代名+個体名」で付けられる。
例えば今年の6月に入舎した一番新しい3羽のニワトリたちは9世代目で、世代名は「ツブ(粒)」。
色の黒いのが「ツブクロ」(写真真ん中)、茶色が「ツブチャ」(向かって右)、白いのが「ツブコ」(左)。毎世代3羽ずつ入舎してもらっている。


ちなみに初代(2003年9月入舎)は、クロ、チャー、シロの3羽。
2代目(2004年5月入舎、世代名チビ)は、チビクロ、チビチャ、チビコ。
3代目(2005年5月入舎、〃プチ)は、プチクロ、プチチャ、プチコ。
4代目(2007年5月入舎、〃ニュー)は、ニュークロ、ニューチャ、ニューコ。
5代目(2009年5月入舎、〃ミニ)は、ミニクロ、ミニチャ、ミニコ。
6代目(2010年7月入舎、〃ジュニア)は、ジュニクロ、ジュニチャ、ジュニコ。
7代目(2012年7月入舎、〃ヤング)は、ヤンクロ、ヤンチャ、ヤンコ。
8代目(2013年6月入舎、〃豆)は、マメクロ、マメチャ、マメコ。

自分のエサ代以上の卵を産み(1羽が週に3~5個産む)、ときにはお客さんを出迎えたりお見送りしたりと、わが舎の家業を助ける優秀な舎員だが、毎年、老衰、病気、天敵(キツネ、アライグマ、カラスなど)に食われるなどで、1~2羽が死んでいく。
現在、残っているのはミニコ、ヤンクロ、ヤンコ、ヤンチャ、マメクロ、マメコにツブ3姉妹の、あわせて9羽。

話がそれてしまった。
前回お知らせしたように、冒頭の写真の右端に写っているフクが死んだ。
川向かいの休耕田に繋いで草を食べさせていたが、わずか1メートル足らずの段差の下に落ちて首が絞まって死んでしまった。
9月13日、秋晴れの日だった。
わが舎の庭から見たとき、寝ているのかな、と思ったが、不自然なかっこうをしているので、変だと思って駆けつけたが、遅かった。
眠っているような安らかな顔で、体の温もりもあり、死んでいるとは思えず、心臓マッサージのようなことを続けたが、息を吹き返すことはなかった。

ヤギ小屋の前に大きな穴を掘ってフクを埋めた。
獣に掘り返されないように、土を盛り踏み固め石を置いた。
次の日、神丹穂を供えた。


去年、すももを死なせ、今年また、フクを死なせた。
大事に育てていたつもりだった。
この秋、発情したら、雄ヤギのいるヤギ農園に連れていって交配させ、来年、子ヤギを産ませて、お乳を出してもらい、ヤギ乳でヨーグルトやチーズを作り、お客さんに出したいと思っていた。子ヤギのためにヤギ小屋を増築し、搾乳場も作らなければ、と考えていた。
「ぶさかわ」(顔はぶさいくだったが我々にはとてもかわいい子)だった。

フクも可哀想だったが、小さなクリにも可哀想なことをしてしまった。
休耕田に一人だけ繋いでおくと、不安なのかメーメー泣き続ける。
フクと二人のときは無心に食べていたのに。
ヤギは群れで生きる草食動物だから、草原で一人ぼっちでは不安でたまらないのだろう。
小屋に入れると安心するのか、餌を食べ終えると、脚を折って蹲(うずくま)って安らかな顔をして反芻している。

でも、ずっと小屋の中に入れておくわけにもいかないし、晴れている日は外に出す。メーメー言いながら草を食べているが、啼き声が聞こえなくなると逆に心配になる。そっと様子をうかがいにいくと、一人座って反芻している。この子はこれまで飼った4頭の中でいちばん落ち着いていると思う。
でも、しばらくするとまたメーメー泣き出す。


お客さんがそばに来てくれると、クリは泣きやむ。




クリのオーナーは4名増えて9組になった。
よかったなあ、クリ。


フクが死んで数日して、ナガちゃんのところに籾殻をもらいにいったとき、ナガちゃんが「ヤギが死んだのか」と聞いた。「はい」と答えた。ナガちゃんが「大きい方か」と聞いたので、「これから子を産ませ、乳を出させようと思っていたのに、がっかりです」と言った。ナガちゃんはそれ以上何も言わなかった。
でも、その後、舎長には「なぜ死なせたんだ」と非難するように問うたそうだ。ナガちゃんもヤギの死がわがことのように残念だったのだろう。私には言えなかった悔しさを舎長にぶつけたのだろう。一家の大切な働き手であり財産であり感情を持つ生き物でもある家畜の死の悲しさが、かつて耕牛とともに暮らしていたナガちゃんの胸によみがえったのかもしれない。

雨続きの8月が過ぎ、夏が戻らぬまま9月がやってきた。山里は静かだ。
空は青く澄み切っている。風が薄く黄葉したウワミズザクラの葉を散らす。
悲しい。

いつまでもめそめそしている舎長にタッちゃん(この谷の一番奥の茅葺き屋根の家に一人で住む83歳のオバア)がこう言ったそうだ。
「おまえらがあのヤギを大事に育てていたのはヤギ自身が知っている。だからヤギも心残りなくあの世に旅立っていった。でもおまえがいつまでもくよくよしていると、ヤギはおまえのことが気がかりで振り返りふりかえりして安心して冥土に行かれん。安心してヤギを行かせてやれ」

悲しみを癒せるのは悲しみを知る者なのだろうか。
私たちの悲しみをこの谷の年寄りたちが受け止めてくれる。

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神の丹(あか)い穂(1)

2014年09月25日 | 山里から
わが舎の稲刈りシーズンがやってきた。
今年の一番バッターは「峰の雪もち」。白い糯米(もちごめ)。
真ん中の背の低い稲がそれ。


ところが、今年もまたトラブル発生。

ちょっと説明しにくいのですが、こういうことです。
上の写真の田んぼは秋が深まると徐々に山陰に入る時間が長くなり1日の日照時間が短くなる。わが舎では稲木に架けて米を乾燥させるので、この田んぼの稲はなるべく早く刈りたい。それで毎年、早生(わせ)の品種を2種類ほど植えている。前述の「峰」ちゃんは8月上旬出穂(しゅっすい)で成熟期は9月上旬。この峰の雪もちの「まくら」に、成熟期が近い「染分(そめわけ)」という早生の糯(もち)の赤米を植えた(つもりだった)。
ちなみに「まくら」というのは田植機や刈り取り機(バインダー)の回転スペースのこと。田植えの時は最後に植え、稲刈りの時は真っ先に刈り取らなければならない。

ところがこの「染分」が8月半ばになっても出穂してこない。種籾を送ってくれた関東の団体が添付してきたデータには「出穂期・8月2日、成熟期・9月15日、芒色・褐、稈長・110㎝(茨木,1991)」などとなっているのだが…。結局出穂したのは8月31日だった。しかも穂の様子が送ってくれた「染分」のそれとあきらかに違う。芒(のぎ)の色は褐色ではなく赤い。稈長・110㎝というのは相当なのっぽだが、そこまで高くないし…。


「これ神丹穂(かんにほ)じゃない?」
舎長と二人、顔を見合わせた。舎長の実家で以前作っていたものだ。
とても美しい赤い穂を持った粳(うるち)の赤米だ。神丹穂の「丹」は赤色絵の具の主原料となる鉱物(水銀と硫黄の化合物)を意味する字だそうだ(by『広辞苑』)。どちらかというとドライフラワーなどの観賞用として栽培されている。

まあいいか、食用にもなるのだし…と、気持ちを切りかえるしかないのだが、困ったことにこれを「まくら」に植えてしまっている。神丹穂は晩生(おくて)で、成熟期は10月半ば。刈り取り適期までまだ1か月ある。未登熟の米を先に刈るわけにはいかない。一方で峰は「早く刈ってくれ」と待っている。
しかたなしに神丹穂の内側の峰を手刈りしてバインダーの回転スペースを確保し、刈り取った。


何のための「まくら」なんだ、こんなところ他の百姓には見られたくないな、などとぼやきながら。逆モヒカン。


そして、その後、再び水を入れた。出穂、登熟期の稲は水をほしがるからね。


刈った稲は稲木(ウマ)に架けて干した。
やれやれ。

稲木の向こうにクリがいる。
一人だけで…。


フクは死んでしまった。




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