とりこと舎こかげカフェが9月15日で2周年を迎えたので、ご挨拶のハガキを作って、住所がわかっているお客さまに送った。
ハガキに使ったこの写真を撮ったのは9月7日。
クリの背中に乗っているのはヤンチャ。
わが舎のニワトリたちは、私たちがしゃがんで草引きなどをしていると、ときたま背中に飛び乗ってくることがあるが、なかでもヤンチャは甚だしい。
必ず乗ってくる。ヤギの背中にまで乗ってくる。クリもそれをあまりいやがらない。
ちなみにわが舎のニワトリは一人ひとり名前がついている。
名前は「世代名+個体名」で付けられる。
例えば今年の6月に入舎した一番新しい3羽のニワトリたちは9世代目で、世代名は「ツブ(粒)」。
色の黒いのが「ツブクロ」(写真真ん中)、茶色が「ツブチャ」(向かって右)、白いのが「ツブコ」(左)。毎世代3羽ずつ入舎してもらっている。
ちなみに初代(2003年9月入舎)は、クロ、チャー、シロの3羽。
2代目(2004年5月入舎、世代名チビ)は、チビクロ、チビチャ、チビコ。
3代目(2005年5月入舎、〃プチ)は、プチクロ、プチチャ、プチコ。
4代目(2007年5月入舎、〃ニュー)は、ニュークロ、ニューチャ、ニューコ。
5代目(2009年5月入舎、〃ミニ)は、ミニクロ、ミニチャ、ミニコ。
6代目(2010年7月入舎、〃ジュニア)は、ジュニクロ、ジュニチャ、ジュニコ。
7代目(2012年7月入舎、〃ヤング)は、ヤンクロ、ヤンチャ、ヤンコ。
8代目(2013年6月入舎、〃豆)は、マメクロ、マメチャ、マメコ。
自分のエサ代以上の卵を産み(1羽が週に3~5個産む)、ときにはお客さんを出迎えたりお見送りしたりと、わが舎の家業を助ける優秀な舎員だが、毎年、老衰、病気、天敵(キツネ、アライグマ、カラスなど)に食われるなどで、1~2羽が死んでいく。
現在、残っているのはミニコ、ヤンクロ、ヤンコ、ヤンチャ、マメクロ、マメコにツブ3姉妹の、あわせて9羽。
話がそれてしまった。
前回お知らせしたように、冒頭の写真の右端に写っているフクが死んだ。
川向かいの休耕田に繋いで草を食べさせていたが、わずか1メートル足らずの段差の下に落ちて首が絞まって死んでしまった。
9月13日、秋晴れの日だった。
わが舎の庭から見たとき、寝ているのかな、と思ったが、不自然なかっこうをしているので、変だと思って駆けつけたが、遅かった。
眠っているような安らかな顔で、体の温もりもあり、死んでいるとは思えず、心臓マッサージのようなことを続けたが、息を吹き返すことはなかった。
ヤギ小屋の前に大きな穴を掘ってフクを埋めた。
獣に掘り返されないように、土を盛り踏み固め石を置いた。
次の日、神丹穂を供えた。
去年、すももを死なせ、今年また、フクを死なせた。
大事に育てていたつもりだった。
この秋、発情したら、雄ヤギのいるヤギ農園に連れていって交配させ、来年、子ヤギを産ませて、お乳を出してもらい、ヤギ乳でヨーグルトやチーズを作り、お客さんに出したいと思っていた。子ヤギのためにヤギ小屋を増築し、搾乳場も作らなければ、と考えていた。
「ぶさかわ」(顔はぶさいくだったが我々にはとてもかわいい子)だった。
フクも可哀想だったが、小さなクリにも可哀想なことをしてしまった。
休耕田に一人だけ繋いでおくと、不安なのかメーメー泣き続ける。
フクと二人のときは無心に食べていたのに。
ヤギは群れで生きる草食動物だから、草原で一人ぼっちでは不安でたまらないのだろう。
小屋に入れると安心するのか、餌を食べ終えると、脚を折って蹲(うずくま)って安らかな顔をして反芻している。
でも、ずっと小屋の中に入れておくわけにもいかないし、晴れている日は外に出す。メーメー言いながら草を食べているが、啼き声が聞こえなくなると逆に心配になる。そっと様子をうかがいにいくと、一人座って反芻している。この子はこれまで飼った4頭の中でいちばん落ち着いていると思う。
でも、しばらくするとまたメーメー泣き出す。
お客さんがそばに来てくれると、クリは泣きやむ。
クリのオーナーは4名増えて9組になった。
よかったなあ、クリ。
フクが死んで数日して、ナガちゃんのところに籾殻をもらいにいったとき、ナガちゃんが「ヤギが死んだのか」と聞いた。「はい」と答えた。ナガちゃんが「大きい方か」と聞いたので、「これから子を産ませ、乳を出させようと思っていたのに、がっかりです」と言った。ナガちゃんはそれ以上何も言わなかった。
でも、その後、舎長には「なぜ死なせたんだ」と非難するように問うたそうだ。ナガちゃんもヤギの死がわがことのように残念だったのだろう。私には言えなかった悔しさを舎長にぶつけたのだろう。一家の大切な働き手であり財産であり感情を持つ生き物でもある家畜の死の悲しさが、かつて耕牛とともに暮らしていたナガちゃんの胸によみがえったのかもしれない。
雨続きの8月が過ぎ、夏が戻らぬまま9月がやってきた。山里は静かだ。
空は青く澄み切っている。風が薄く黄葉したウワミズザクラの葉を散らす。
悲しい。
いつまでもめそめそしている舎長にタッちゃん(この谷の一番奥の茅葺き屋根の家に一人で住む83歳のオバア)がこう言ったそうだ。
「おまえらがあのヤギを大事に育てていたのはヤギ自身が知っている。だからヤギも心残りなくあの世に旅立っていった。でもおまえがいつまでもくよくよしていると、ヤギはおまえのことが気がかりで振り返りふりかえりして安心して冥土に行かれん。安心してヤギを行かせてやれ」
悲しみを癒せるのは悲しみを知る者なのだろうか。
私たちの悲しみをこの谷の年寄りたちが受け止めてくれる。
ハガキに使ったこの写真を撮ったのは9月7日。
クリの背中に乗っているのはヤンチャ。
わが舎のニワトリたちは、私たちがしゃがんで草引きなどをしていると、ときたま背中に飛び乗ってくることがあるが、なかでもヤンチャは甚だしい。
必ず乗ってくる。ヤギの背中にまで乗ってくる。クリもそれをあまりいやがらない。
ちなみにわが舎のニワトリは一人ひとり名前がついている。
名前は「世代名+個体名」で付けられる。
例えば今年の6月に入舎した一番新しい3羽のニワトリたちは9世代目で、世代名は「ツブ(粒)」。
色の黒いのが「ツブクロ」(写真真ん中)、茶色が「ツブチャ」(向かって右)、白いのが「ツブコ」(左)。毎世代3羽ずつ入舎してもらっている。
ちなみに初代(2003年9月入舎)は、クロ、チャー、シロの3羽。
2代目(2004年5月入舎、世代名チビ)は、チビクロ、チビチャ、チビコ。
3代目(2005年5月入舎、〃プチ)は、プチクロ、プチチャ、プチコ。
4代目(2007年5月入舎、〃ニュー)は、ニュークロ、ニューチャ、ニューコ。
5代目(2009年5月入舎、〃ミニ)は、ミニクロ、ミニチャ、ミニコ。
6代目(2010年7月入舎、〃ジュニア)は、ジュニクロ、ジュニチャ、ジュニコ。
7代目(2012年7月入舎、〃ヤング)は、ヤンクロ、ヤンチャ、ヤンコ。
8代目(2013年6月入舎、〃豆)は、マメクロ、マメチャ、マメコ。
自分のエサ代以上の卵を産み(1羽が週に3~5個産む)、ときにはお客さんを出迎えたりお見送りしたりと、わが舎の家業を助ける優秀な舎員だが、毎年、老衰、病気、天敵(キツネ、アライグマ、カラスなど)に食われるなどで、1~2羽が死んでいく。
現在、残っているのはミニコ、ヤンクロ、ヤンコ、ヤンチャ、マメクロ、マメコにツブ3姉妹の、あわせて9羽。
話がそれてしまった。
前回お知らせしたように、冒頭の写真の右端に写っているフクが死んだ。
川向かいの休耕田に繋いで草を食べさせていたが、わずか1メートル足らずの段差の下に落ちて首が絞まって死んでしまった。
9月13日、秋晴れの日だった。
わが舎の庭から見たとき、寝ているのかな、と思ったが、不自然なかっこうをしているので、変だと思って駆けつけたが、遅かった。
眠っているような安らかな顔で、体の温もりもあり、死んでいるとは思えず、心臓マッサージのようなことを続けたが、息を吹き返すことはなかった。
ヤギ小屋の前に大きな穴を掘ってフクを埋めた。
獣に掘り返されないように、土を盛り踏み固め石を置いた。
次の日、神丹穂を供えた。
去年、すももを死なせ、今年また、フクを死なせた。
大事に育てていたつもりだった。
この秋、発情したら、雄ヤギのいるヤギ農園に連れていって交配させ、来年、子ヤギを産ませて、お乳を出してもらい、ヤギ乳でヨーグルトやチーズを作り、お客さんに出したいと思っていた。子ヤギのためにヤギ小屋を増築し、搾乳場も作らなければ、と考えていた。
「ぶさかわ」(顔はぶさいくだったが我々にはとてもかわいい子)だった。
フクも可哀想だったが、小さなクリにも可哀想なことをしてしまった。
休耕田に一人だけ繋いでおくと、不安なのかメーメー泣き続ける。
フクと二人のときは無心に食べていたのに。
ヤギは群れで生きる草食動物だから、草原で一人ぼっちでは不安でたまらないのだろう。
小屋に入れると安心するのか、餌を食べ終えると、脚を折って蹲(うずくま)って安らかな顔をして反芻している。
でも、ずっと小屋の中に入れておくわけにもいかないし、晴れている日は外に出す。メーメー言いながら草を食べているが、啼き声が聞こえなくなると逆に心配になる。そっと様子をうかがいにいくと、一人座って反芻している。この子はこれまで飼った4頭の中でいちばん落ち着いていると思う。
でも、しばらくするとまたメーメー泣き出す。
お客さんがそばに来てくれると、クリは泣きやむ。
クリのオーナーは4名増えて9組になった。
よかったなあ、クリ。
フクが死んで数日して、ナガちゃんのところに籾殻をもらいにいったとき、ナガちゃんが「ヤギが死んだのか」と聞いた。「はい」と答えた。ナガちゃんが「大きい方か」と聞いたので、「これから子を産ませ、乳を出させようと思っていたのに、がっかりです」と言った。ナガちゃんはそれ以上何も言わなかった。
でも、その後、舎長には「なぜ死なせたんだ」と非難するように問うたそうだ。ナガちゃんもヤギの死がわがことのように残念だったのだろう。私には言えなかった悔しさを舎長にぶつけたのだろう。一家の大切な働き手であり財産であり感情を持つ生き物でもある家畜の死の悲しさが、かつて耕牛とともに暮らしていたナガちゃんの胸によみがえったのかもしれない。
雨続きの8月が過ぎ、夏が戻らぬまま9月がやってきた。山里は静かだ。
空は青く澄み切っている。風が薄く黄葉したウワミズザクラの葉を散らす。
悲しい。
いつまでもめそめそしている舎長にタッちゃん(この谷の一番奥の茅葺き屋根の家に一人で住む83歳のオバア)がこう言ったそうだ。
「おまえらがあのヤギを大事に育てていたのはヤギ自身が知っている。だからヤギも心残りなくあの世に旅立っていった。でもおまえがいつまでもくよくよしていると、ヤギはおまえのことが気がかりで振り返りふりかえりして安心して冥土に行かれん。安心してヤギを行かせてやれ」
悲しみを癒せるのは悲しみを知る者なのだろうか。
私たちの悲しみをこの谷の年寄りたちが受け止めてくれる。