とねり日記

とりことや舎人(とねり)の
どげんかせんとの日々

マンニィの爪跡(2)

2013年09月29日 | 山里から
台風18号(マンニィ)はわが舎の田んぼにも大きな爪跡を残していった。

木住川に沿った田んぼの畦(あぜ)は2カ所で大きくえぐられた。


鹿、猪よけのフェンスの下がえぐられて大きな穴があき、フェンスが川側に倒れかけている。折しも稲刈りの真っ最中で、猪や鹿が入ってこないか心配だが、手をつけられずにいる。


また、川が氾濫し、田の一部に土砂や流木や藁クズなどが入ってきて、収穫直前の稲を押し倒した。道を修復した翌日(17日)、舎長と二人で、稲に覆い被さった泥や藁クズを取り除き、稲を起こした。


さらに翌18日、舎長の幼友達「にゃあ」さんが、「迷惑かもしれないけど、行かずにおれない」といった感じで、手伝いに来てくれた。ご助力の申し出は誰に限らずご辞退申し上げていたのだが、正直なところ助かった。「にゃあ」さんと舎長の二人で、起こした稲を3株ずつ束ねて、自力で立てるようにした。写真向かって左側のおしゃれな帽子をかぶっているのが「にゃあ」さん(お仕事もおしゃれな職場に勤めていらっしゃいます)。おかげで、泥に埋もれた稲のほとんどが生き返った。


台風のあとは秋晴れの日が続いた。


わが舎の稲刈りが始まった(稲刈りはこれから10月中旬まで続く)。


刈った稲は、田んぼの広さなどに応じて、「タツ」(複数段の稲木)に干したり、


「ウマ」(1段の稲木)に干したり、


きっと、美味しいお米になるだろう。

台風のあと、大勢の方から、お見舞いの電話、メール、ことづてなどがありました。
「お手伝いに行きたい」との申し出もありました。
「うちはそれほどの被害ではないし、自力でやれますから」と、辞退させていただきましたが、お気持ちは、本当に嬉しく、受け取らせていただきました。

ご心配くださった皆さまに、
この場をお借りして、お礼申し上げます。
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マンニィの爪跡(1)

2013年09月27日 | 山里から
台風18号(マンニィ)は9月15日夕刻、紀伊半島のはるか南方にあり、その時点ではそれほど心配はしていなかった。
15日は朝から雨が降り続いていたが、天気予報は、台風は16日に東海から関東に接近、紀伊半島から関東で大雨になるが、関西方面は昼過ぎには秋空が広がるような、のんびりしたものだった。
それで15日夜は、舎長と二人で「こかげカフェ1周年」をささやかに祝い、床についた。

有線放送の警戒警報で起こされたのは、16日午前1時過ぎだった。
外は激しく雨が降っている様子。先に起きて土間へ行った舎長の声。
「水が入ってきている!」
土間に行くと数センチの浸水。外へ出ると、家のすぐ横を流れる小沢が滝のようになって、ときおり大きな石がゴロンゴロンと流される音が聞こえる。
厨房にもわずかに浸水してきた。
とりあえず、いつでも避難できるよう、舎長に貴重品や衣類をリュックにまとめるよう頼んでから、家の周囲や下の木住川を見て回った。

木住川の水位はすでに橋の上に達していて、わが舎とアスファルト道を結ぶ川の横の道は水没していた。昨夜のうちに車を道の上に上げておかなかったことが悔やまれた。

家の裏に回ると、裏山からの伏流水が湧き出る石垣横の溝があふれ、その水がわが舎の床下に浸入し、床下を横切って玄関側へ流れ出していた。

パソコンを起ち上げ、天気予報のサイトで天気図や雨雲の動きなどをチェックすると、今がピークの様子。たぶんこれ以上は激しくは降らないだろう。あと数時間をしのげばなんとかなる。なんとかしのぎたい。

再度、土間に戻って、どうしようかと考えた。まだほんの数センチの浸水だ。とりあえず、ちり取りで水をすくって掻き出すことにした。厨房からは「排水溝にフタしてあったガムテープを剥がしたら水が出ていった」と、舎長の嬉しそうな声が聞こえてきた。去年、厨房を作るとき、保健所の指導で、コンクリート床の中央付近に排水溝を開け、そこへ水が流れるように床に傾斜をつけてあった。これまでは、こんなことをしても何の役にも立たないと思っていた(というよりも排水溝の存在すら忘れていた)のだが、このときはじめて保健所に感謝した。

水を掻き出しても、後から後から水は入ってくるが、頑張って掻き出し続けているとだいぶ水が減ってきた。少し気持ちが落ち着いたところで、もう一度外に出て、舎長と二人、わが舎周辺の水の流れを観察してみた。
土間の裏側が池のようになっていて、そこから水が土間に入ってくる。この水をどげんかしたい。舎長が「ここの石をどけたらどう?」と指さす場所を見ると、確かにそこは水を小沢に逃がす唯一のルートだ。こういうとき舎長は冷静な観察眼を発揮することがよくある。土砂降りの雨の中、石をどけ、土を崩した。水の流れる道ができると、さーっと流れていく。これで土間への浸水の勢いがかなり弱まった。

石垣横の湧水の溝もあらためてチェックしてみた。溝と小沢の境付近が上流からの石や砂で埋まってしまっていて、流れが悪くなっている。スコップとツルハシを持ってきて溝を浚(さら)った。溝の流れがよくなるにつれ、裏庭全体の水位が下がっていった。土間への浸水もやがて止まった。

時計を見ると午前3時をまわっていた。その後、1時間ほど仮眠した。

雨脚は次第に弱まっていったが、夜が明けても雨は降り続いた。そして風が出てきた。

昼前、ようやく雨が止んで、しばらくすると日も射してきた。木住川の水位もみるみる下がってきた。

昼までに土間の水はほぼ拭き取った。


外へ出てあらためて被害状況をチェックすると、わが舎へ上る道が至るところで深くえぐれている。
竹垣もばっさり。


特に下の川沿いの道は水道管が見えるほど深くえぐれている。橋には流木が絡みついていて、濁流のものすごさを物語る。


お昼ご飯を食べていると、隣家のミズトくんとユキちゃんがやってきた。彼らは昨夜、橋が水につかる直前に、車を道に上げたそうだ。私らがぐっすり眠っていたころだ。隣家の駐車場も泥に覆われ、自然農法にチャレンジ中だった麦畑も柵ごと土砂に埋もれたが、家の方は全く無事だったそうだ。


とにかく道をどげんかしないと車も出せないので、まずは道を補修したいと言うと、彼らも手伝ってくれるという。

昼食を食べ終えてから作業にかかると、近所の人たちが次々と加勢に来てくれた。
ミズトくん(腕がたくましいなあ)、セーやん(炭焼きグループ「里まる」の会長です)、テッちゃん(81歳、現役)、ユキちゃん(妊娠7か月の身重にもかかわらず鍬をふるってくれました)、このほか写真には写っていないけれど、上のヒトッちゃん、ケイちゃん(セーやんの奥さん)、そして見回りに来た区長さんも(忙しいはずなのに)30分ほど土運びなどをしてくれた。来てくれた人たちの家や畑も大なり小なり被害を受けているのに…。そんなみんなの姿を見ていると(そして今思い出しても)胸が押される感じがして、まぶたの上が熱くなってくる。


作業をしていると、上(かみ)の方から土石を積んだトラックが走り去っていった。上の神社の横から道に流れ出した土石を撤去しているらしい。「あの土欲しいなあ」という声があがる。2台目のトラックがやってきたとき、誰かが道に出てトラックを止め、交渉してくれた。運転手はどこかに電話していたが、しばらくするとバックして、土石を下ろしてくれた。


こうして2台分の土石をもらい、ボコボコしているけれど道はなんとか通れるようになった。

舎長がこの地へ移り住んで12年(私が合流してから6年)。なるべく地域と関わり合いながら暮らそうとしてきたが、今回、しみじみと「よかったなあ」と思った。

これからも、何があってもこの地で生きていけるなあ。

みなさん、ほんとうにありがとう。
コメント (2)
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