とねり日記

とりことや舎人(とねり)の
どげんかせんとの日々

今年はいろいろありまし田

2016年11月29日 | 田んぼ・野良仕事
本日(11月29日)、ハーベスターの掃除をして、今期の田んぼ仕事(米作り)を完了した。
今年の田んぼごとはいくつもの改善、成功があった反面、手痛い失敗もあった。
みのる式田植機の導入、健苗の育成、地力の向上、チェーン除草と抑草の成功、分げつの確保、そして秋の長雨と稲木に干した籾米からの発芽、泥田での悪戦苦闘の稲刈り…、それらはこのブログでも折々、報告してきたが、いくつか書き漏らしたことをここに記して、今年の締めとしたい。

このハーベスター(自走式脱穀機)、10月18日に舎長の実家からわが舎にやってきた。


これまで使ってきたハーベスターと比べて、なんと言うたらいいのかなあ、まるで別物。静かで軽やかで、1回のトラブルもなくすべての稲こきを終えることができた。
これまでのハーベスターは、ドンガラガッタ、ドンガラガッタ、キーン、ウィーン、ガラガラドンてな調子で、稲わらは詰まる、籾は詰まる、20~30分に1回はエンジンを止めてあっちを開けたりこっちを閉めたりして、だましだまし使わなければならなかった。使う前も不安、使っている最中も不安、使い終わっても、来年のことを考えると不安で、気の休まることがなかった。
それに比べ、新しくやってきたこいつときたら「蝶のように舞い蜂のように刺す」カシアス・クレイ(モハメド・アリ)みたいなやつ。

舎長の実家からは小型籾摺り機「ミニダップ」もやってきた。


これまでわが舎のお米はすべてナガちゃんのところで籾摺りをしてもらっていた。わが舎の最晩稲(おくて)の緑米の天日乾燥が済むのが11月上旬。それまでナガちゃんは機械を掃除することもできず、待ってもらっていた。今年は、最大栽培品種のイセヒカリだけをナガちゃんに摺ってもらい、他の少量品種はこのミニダップで摺った。機械に二度通すときれいに籾が剥がれた。めでたしめでたし。(上の写真は、大師黒1回目の籾摺り。まだ籾米が残っている)

収穫期が近づいた10月5日、わが舎の田んぼに初めて電柵が張り巡らされた。


わが舎の田んぼのある圃場には全部で田んぼ8枚、畑2枚があり、その全体を猪・鹿除けの柵で囲ってある。
だが、わが舎の収穫期を前に、猪が柵の弱いところを掘って侵入してきた。


一カ所を塞いだら、次の日は別の箇所。結局4カ所、掘られた。


応急措置で塞いだものの安心ならない。念のために電柵を張りめぐらせた。5万円ほどかかったが、区から半額の補助が出たのがありがたかった。

11月22日にはトラクターで田んぼを鋤いた。


舎長が一人でコツコツと稲わらを押し切りで切って田んぼに戻し、乳酸菌をまぶして田んぼに鋤き込む。
地力の向上こそ、有機・無農薬栽培の基礎・基盤。


今年はこんな光景もあった。
9月半ばから10月上旬にかけて雨が続き、刈り取った早稲(わせ)の籾米が乾かない。少しでも乾くようにと囲炉裏淵にムシロを敷いて籾米を広げた。


早稲=赤米、もち米はひどいことになったが、収穫期の遅い中稲(なかて)=イセヒカリ、香米から晩稲=黒米、緑米は豊作だった。

今年はセーやんが作った低農薬コシヒカリの他、わが舎の無農薬・天日干しイセヒカリも販売が可能になった。

1キロ袋、2キロ袋も用意しましたので、お試しにどうぞ。


お求めはホームページ(こちら)から。
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アニキが大根背負って

2016年11月07日 | 山里から
今期初のイノシシ解体。
猟期は11月15日からなのに…
密猟?
いえいえ、隣の福井県でも狩猟者登録をし猟をしている師匠のイマやんからいただきました。


福井県は積雪の関係で解禁日が京都府より15日早い11月1日。
猟期は各都道府県で独自に定めている。狩猟免許を持っていれば全国どこでも猟はできるはずなのだが、実際には各都道府県ごとに決まりがあり、それぞれに登録料を払って狩猟者登録をしなければ猟はできない。

11月4日の昼ごろ「こんまいイノシシが掛かったんやけど、いらんけ?」と電話がかかってきた。
小さいイノシシは脂が少ないのでよい値で売れない。
去年までは小さいのは逃がしていたのだが、またやってきて罠にかかる。そうすると結局大物が獲れない。だから今年からは小さいのも止め刺しして持って帰ることにしたのだという。

わが舎ではイノシシをボタンではなく、カツやステーキなど、赤身肉を主体にして料理するので、柔らかくクセのない子イノシシは歓迎だ。
それに今回の子イノシシは小さいながら脂もそこそこ乗っている。

ありがたく頂戴してきて、肉を冷やすために近くの川に浸けた。
夕方、川から上げ、小屋に吊す。
翌5日、ランチのお客さんが帰られた後、お泊まりのお客さんがチェックインしてくるまでの間に、急ぎ解体にかかる。

丁寧にさばき丁寧に肉を取った。
背骨と大腿骨は寸胴で煮てダシを取った。「このスープで大根を炊いたらメチャ美味いで」と、肉捌きの名人で、私のもう一人の師匠のシカタはんに教えてもらっていた。それで舎長と「明日はどこかで大根を調達しよう」と話しながら、その晩は寝床に就いた。

そして、その翌6日朝、なんと、ヒトシ兄貴が「大根いらんけ?」と言って、畑で引っこ抜いたばかりの大根と小松菜とネギとチンゲンサイを持ってきたのだ。


思わず舎長と顔を見合わせましたよ。
「鴨がネギしょって」じゃないけれど、ヒトっちゃんが大根背負ってやってきたぁ~。

午後から炭山で炭切りと炭詰め作業をして、美山の「おもしろ農民俱楽部」からの注文分の100キロを箱詰めしたあと、大阪・枚方から炭切りに来てくれたノグさんも交え、試食会。
イノシシのダシで炊いた大根と頬肉、そして、イノシシのダシに塩と胡椒とネギと少しの醤油を加えただけのスープ。


ノグさん「メチャうまいっす!」
頬肉は口の中で溶けるように崩れてゆく。

前脚の肩の肉は炭火で焼いた。


これもメチャうまいっす!

自分たちで焼いた炭、頂戴したイノシシと野菜、教えてもらった解体法や調理法…。
舎長が「贈与経済」とつぶやいた。
ハハハ…、確かにそうだ。

マチで暮らしていたとき、モノやサービスはほぼすべてお金で手に入れていた。お金がなかったら惨めだった。
でも与え与えられる経済のなかでは、かなりの贅沢がお金なしで実現できる。
もちろんお金も必要だけどね…
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