山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

新潟、山梨、長野、群馬、栃木、埼玉県などの埋もれた城跡を探索しております。カテゴリ「城郭一覧」で簡単にアクセス。
 

勝頼の逃避行②

2018-06-16 12:52:11 | 日記
目指した栖雲寺

栖雲寺地図

景徳院から3kmくらい県道218号線を北に進めば栖雲寺はあります。途中竜門峡入り口を過ぎて土屋惣藏昌恒片手切の碑があります。



栖雲寺に向かう勝頼一行を織田軍勢は先廻りをしてゆく手を阻んでいたという。この窮地に土屋惣藏が狭い崖路に立って迫りくる敵兵を片手切りに川へ突き落とし活躍したとの伝説が残っています。この奮闘によって勝頼一行は景徳寺にもどり、自刃できたという。







栖雲寺、こんな山深い道を北条夫人を伴い逃れてきたのです。





武田信満について
応永20年(1413年)、父の死により家督を継いで当主となる[1]。室町時代に甲斐国は関東8か国を支配する鎌倉府の管轄下に置かれていたが、『鎌倉大草紙』によれば、応永23年(1416年)10月に鎌倉で鎌倉公方の足利持氏と前関東管領の上杉氏憲(禅秀)の対立から禅秀による反乱が起こった(上杉禅秀の乱)。氏憲の縁者(小舅)に当たる信満は氏憲側に属したが、乱における甲斐の情勢は不明。
『鎌倉大草紙』によれば、上杉禅秀の乱は10月2日に足利満隆・足利持仲の兵が鎌倉の御所を攻め、持氏は駿河国の今川範政を頼り駿河大森(静岡県裾野市)へ逃れるが、「甲州の敵程近し」として範政を頼ったという[2]。その後、室町幕府将軍・足利義持が持氏を支持し、禅秀討伐の御教書を発し、今川範政や越後守護・上杉房方らが鎌倉へ出兵すると、翌応永24年(1417年)正月10日に禅秀らは滅亡し、10月17日に持氏は鎌倉へ帰還した[3]。
『鎌倉大草紙』によれば乱の平定後に持氏は禅秀方の討伐を行い、信満は上杉憲宗の討伐軍の攻勢を受け、応永24年2月6日に「都留郡十賊山(とくさやま)」で自害する[4]。「十賊山」は都留郡・山梨郡・八代郡の郡境に位置する山[5]。『武田源氏一統系図』によれば、禅秀に嫁いだ信春息女も比定地未詳の「藤渡の川辺」で自害したとしている[6]。信満の墓所は甲州市大和町木賊の棲雲寺。


武田勝頼がこの武田信満の自害の地を意識したのかは不明ですが、あるいは覚悟していたのかもしれません。

余談 「土屋山城守高久伝説」として勝頼の嫡子信勝が下仁田町の西、南牧村に遁れてきたという伝説が残っています。この伝説に従い遺跡を調べ南牧村にある信勝の墓や土屋山城守の位牌が遺されている上野村の家を尋ねてきました。単なる架空の話ではないと実感しております。私のブログ、日記のカテゴリに入っており、「検索」土屋山城守高久伝説でヒットします。

巌流島の決闘

2018-06-16 12:46:56 | 日記
宮本武蔵の巌流島の決闘、最後は集団リンチに終わった?
2018/06/16 07:00

© SHOGAKUKAN Inc. 提供 宮本武蔵、実は卑怯だった?(AFLO)
 剣豪同士の決闘として名高い「巌流島の決闘」といえば、宮本武蔵と佐々木小次郎が一対一で相対している場面を思い浮かべることだろう。ところが実際には、勝利した宮本武蔵側が、卑怯な手段で佐々木小次郎を絶命させていたという。『ざんねんな日本史』(小学館新書)を上梓した歴史作家の島崎晋氏が、その知られざる顔を紹介する。
 * * *
 巌流島は、関門海峡に浮かぶ小さな無人島でありながら、宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘を行なった場所として知られている。
 宮本武蔵は生涯に六〇余度の立ち合いをしながら、一度も負けたことのない天才武芸者。対する佐々木小次郎は豊前国小倉で兵法と剣術を教えていた人物で、長い大太刀を愛用した。
 一般に流布する話では、武蔵は小次郎から平常心を奪おうと約束の時間よりかなり遅れて登場し、武器には舟の櫓を削った、小次郎の大太刀より長い木刀を用い、わずか一撃で小次郎を絶命させた、という。
 だが、これには後世の創作がかなり入っており、武蔵の養子となった宮本伊織が残した文書には、武蔵は遅刻などしておらず、巌流島には小次郎と同時刻に到着したと記されている。
 さらに注目すべきは、小倉藩の家老で門司城代(城主の代理)でもあった沼田延元の家人が著わした『沼田家記』という記録である。
 これによれば、小次郎は一対一の勝負という約定を守り、単身で来ていたが、武蔵の側では数人の弟子がひそかに島に渡り、物陰から決闘の様子を注視していた。武蔵は小次郎の命まで奪いはしなかったが、武蔵の弟子たちは蘇生した小次郎にわっと襲いかかり、とどめを刺した。それを知った小次郎の弟子たちが仇を討とうと大挙して島へ渡ったところ、武蔵は門司城に逃げ込み、沼田延元に身柄の保護を求めて助かったという。
 剣豪同士の決闘が、最後は集団リンチに終わってしまったというのだが、果たして真相や如何に。
※SAPIO2018年5・6月号

政治を読む(日朝会談を総裁3選のために悪用)

2018-06-16 12:01:46 | 日記

日朝会談を悪用…安倍首相「総裁3選」へ露骨なムード作り

日刊ゲンダイDIGITAL / 2018年6月16日 9時26分

 8月か9月に「日朝首脳会談」実現に向け調整――。政府関係者の情報をもとに大メディアがこうはやし立てている。「対話のための対話は意味がない」と繰り返してきた安倍首相が百八十度方針転換し、14日は拉致被害者の家族とも面会して直接交渉への強い意欲を見せた。突如として浮上した“日朝会談ムード”だが、これにはウラがある。

 首相官邸は公式には何も発表していない。しかし、メディアは一斉に、12日の米朝首脳会談で金正恩朝鮮労働党委員長がトランプ米大統領に対し、安倍首相との会談に応じる用意があるとの考えを示したと報道。8月に安倍首相が平壌を訪問する案や9月にロシアで開かれる東方経済フォーラムを利用した会談の案が検討されていると伝えている。

 13日に安倍首相と会った自民党の萩生田幹事長代行が、金正恩は拉致問題について「解決済み」という従来の立場を示さなかったとして、「大きな前進」だと発言。西村官房副長官も「(北が交渉を)拒否することはないだろう」と楽観的だった。だが、「解決済み」と“言わなかった”とは「無言だった」とも取れる。どうして「前進」になるのだろうか。

「春から水面下で北と交渉してきた」という政府関係者の話も疑わしい。実際、日本政府に北とのパイプがないから、ここまでトランプ頼みだったわけだ。かつて北朝鮮の「ミスターX」と秘密交渉を行った田中均元外務審議官は「今の日本には北とのチャンネルが不足している」と嘆いていたし、朝鮮半島情勢に詳しい東京新聞の五味洋治論説委員は「外交ルートを通じて北朝鮮に厳重に抗議」というのは、「北朝鮮大使館にファクスを送っているだけ」と実情を明かしていた。最近も「官邸の首相側近が『北にアプローチしたけれど全く反応がない』と頭を抱えていた」(自民党ベテラン議員)という。

 安倍首相の茶坊主が都合のいい情報を流してムードをつくるのは、政権の常套手段である。萩生田は総裁特別補佐や官房副長官時代から何度もその役回りを演じてきた。西村はつい先日も、「G7で安倍首相が議論を主導した」とツイートしたら、その後、トランプが「合意文書に署名しない」と事務方に指示していたことが分かり、赤っ恥をかいたばかりだ。

 だからこのタイミングで、「8、9月の日朝会談」という情報が出されるのにも理由がある。9月の自民党総裁選対策だ。総裁選直前の日朝会談は安倍3選に効果絶大。「トランプと話せるのは安倍さんしかいない」「金正恩との会談を調整しているのは安倍さんだから、9月以降も続けるしかない」という流れをつくろうとしているのがミエミエなのである。

■“我田引水政権”の常套手段

「本当にこの『我田引水政権』には呆れます。メディアがトランプ大統領に確認できないのをいいことに、都合のいい筋書きを仕立て上げ、いかにも前進しているように見せかける。日朝首脳会談が実現するのではというムードづくりは、明らかに総裁選向けのアピールであり、世論調査対策でもあります。安倍首相は、内閣支持率が30%を切って党内の安倍離れが進むことを極度に恐れていて、なりふり構わず何でも利用しようと考えている。北風(北朝鮮の脅威)が利用できなくなったので、拉致問題を利用するしかなくなったということなのでしょう」(政治評論家・野上忠興氏)


安倍が「非核化のために最大限の圧力をかけてゆく」と発言し続け、韓国と北朝鮮の会談の動きがあると、会談中止を促すかのような足を引っ張る言動を叫んでいた。アメリカが対話路線に変更をし始めて来た時も、「対話のための対話は意味がない」と有事を望むかのような発言を繰り返してきた。この安倍の外交方針に対して金委員長が敵対意識を持ったのは当然である。安倍が拉致問題解決のためには訪朝する必要があると手のひらを返して関係省庁に指示を出したと報道されているが、金正恩は「拉致問題は解決済み」とこの問題では取り合わない姿勢を見せた。安倍は拉致問題は最大重要課題であると、口では言っているが、実際は何の政治的動きをしてこなかったどころか、北朝鮮とのつながりを持つパイプも一つもないという。アメリカが軍事行動を起すことを期待しての発言を行っていけば、拉致被害者の救出など不可能であることは承知のうえで、安倍は拉致問題は重要課題などと口先だけで国民を騙し続けてきたわけである。安倍の本音は日朝会談の実現などはできなくてもいい、9月に会談ができるかもしれないという雰囲気させ国民に持たせられれば総裁3選は実現できるであろうと計算している。この雰囲気づくりに御用新聞、協力的テレビ報道が世論操作を行っていくでしょう。