青山城は小倉城から尾根伝いに行けるようですが、5.8kmとあり覚悟と用意が必要です。
青山城地図
5.8kmを歩く気がしないため、西の八高線沿いから仙元山へ向かう山道を登りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/6e/ed2c30fe5aac76ae506b705f19620f6d.jpg)
地方道30号線沿いの青山郵便局の南の町道を東に進むと八高線第五青山踏切の西側に駐車場があり500m歩く道と
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/ed/64006f0a31054be49d64e06822b30d0a.jpg)
青山郵便局から南に300mの八高線第二青山踏み切りを渡って(奥の山が城山)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/3f/0fb87a496f076734c742cdec1231f03e.jpg)
第二踏切を渡って、左に林道を進むと、登り口になります。500m歩かなくても、こちらの方が登り口は近いです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/d2/809df6282907f5a626aa812e6848d2ef.jpg)
尾根に着くと仙元山と青山城との分岐があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/d6/ceee3b287a6643774bc98088f9c4005b.jpg)
分岐から南尾根を15分ほどで、この案内があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/c9/4287164731706ba4ae9ffb42ecd1b471.jpg)
登ってゆくと堀切が見えてきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/cb/619eca99f5072b66844f4c2dd22a18c0.jpg)
この城壁が第一関門です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/42/6963bc38b477407cb4d23d0d61610447.jpg)
堀切を見返しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/aa/5eaa2b6f90cba170af772bf6a6836283.jpg)
東曲輪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/76/bbf4ab4e7c709a11fdb1fa9c571ea41b.jpg)
東曲輪から堀切を見下ろしています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/40/34e5fbbda38f0bd99c5db5b8123318d6.jpg)
尾根を北に進むと三の丸(薮です)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/f9/b01800c553690768e1450661cf241bae.jpg)
大きな第二堀切、これを登れば本丸ですが次回とします。
歴史
「小川町の歴史 資料編1考古」によると「青木家系譜」(小川町青木家文書)では、天慶の乱の後に藤原成文の後裔氏宗が土着し青木氏を名乗り、治承4年(1180年)青山城に青木山城守氏久が篭居したとの記録を紹介しているが、その記録としての真偽は定かではないとしている。
「関八州古戦録 巻五」によれば、永禄五年(1562年)に後北条氏が太田資正から松山城を奪回した際、同年三月上田朝直、朝広らに城を任せたとあり、合わせて青山、腰越の砦を守らせたという記述が見られる。
また「新編武蔵風土記稿」の記述によれば、下里村の条に「古城蹟 山上の周囲300mから400mぐらいの広さで、城主に関する伝承は無い」とされてい。「城跡ほっつき歩記」青山城記事より
青山城地図
5.8kmを歩く気がしないため、西の八高線沿いから仙元山へ向かう山道を登りました。
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地方道30号線沿いの青山郵便局の南の町道を東に進むと八高線第五青山踏切の西側に駐車場があり500m歩く道と
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青山郵便局から南に300mの八高線第二青山踏み切りを渡って(奥の山が城山)
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第二踏切を渡って、左に林道を進むと、登り口になります。500m歩かなくても、こちらの方が登り口は近いです
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尾根に着くと仙元山と青山城との分岐があります。
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分岐から南尾根を15分ほどで、この案内があります。
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登ってゆくと堀切が見えてきます。
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この城壁が第一関門です。
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堀切を見返しています。
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東曲輪
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東曲輪から堀切を見下ろしています。
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尾根を北に進むと三の丸(薮です)
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大きな第二堀切、これを登れば本丸ですが次回とします。
歴史
「小川町の歴史 資料編1考古」によると「青木家系譜」(小川町青木家文書)では、天慶の乱の後に藤原成文の後裔氏宗が土着し青木氏を名乗り、治承4年(1180年)青山城に青木山城守氏久が篭居したとの記録を紹介しているが、その記録としての真偽は定かではないとしている。
「関八州古戦録 巻五」によれば、永禄五年(1562年)に後北条氏が太田資正から松山城を奪回した際、同年三月上田朝直、朝広らに城を任せたとあり、合わせて青山、腰越の砦を守らせたという記述が見られる。
また「新編武蔵風土記稿」の記述によれば、下里村の条に「古城蹟 山上の周囲300mから400mぐらいの広さで、城主に関する伝承は無い」とされてい。「城跡ほっつき歩記」青山城記事より