連載第9回では、ワクチンを受けることで避けられる病気「VPD」の被害を受けた子どもを持つ保護者でもある細菌性髄膜炎から子ども守る会事務局長、高畑紀一さんに、なぜ被害が起きるのか、またどうしたら被害はなくなるのかを解説してもらった。今回は、日本の予防接種の疑問に答えてもらった。
【詳細画像または表】
ワクチンを受けることで避けられる病気「VPD」を防ぐためには、ワクチンが重要になることは、前回解説した。しかし、日本の予防接種法で積極的に接種を促すワクチンは、そう多くはない。予防接種には大きく分けて「法定接種」と「任意接種」の予防接種があるが、その違いを正確に理解していないケースもあると聞く。
そこで今回は、「法定」「任意」の違いからVPDへの関心の低さの要因などを含め、医師、元・厚生労働省大臣政策室政策官、村重直子さんに解説してもらう。
Q1 予防接種法の法定接種=国民には接種義務がある?
Q2 一部インフルエンザワクチンが「法定接種」に。なぜ?
Q3 任意接種は「受けなくていい」は間違い?
Q4 「医師や病院は病気を治してくれて当然」なもの?
Q5 ワクチンを打たずにVPDにかかる人数、後遺症が残る人数、死亡する人数などのデータはどこにあるの?
Q6 “時代遅れ”な国、日本のドラッグラグってどれくらいある?
Q1 :予防接種法の法定接種=国民には接種義務がある?
いま、予防接種法で定められた法定接種のワクチン(定期接種や臨時接種)を受けることは、国民の義務ではありません。
子どもの頃に小学校でずらりと並んでワクチンを受けた記憶がある方もたくさんいらっしゃるでしょうけれど、当時の予防接種法はもう変わっているのです。
1948年(昭和23年)に予防接種法が制定された当時は、罰則付きの義務接種でした。罰則付きということは、刑事罰ですから、要件を満たせば逮捕もできました。
しかしその後、ワクチン接種後の有害事象が、ワクチンによる副作用だと思われ(実はワクチンが原因ではなかったものがたくさんあります)、訴訟などの紛争を繰り返してきました。これに対し、国家賠償訴訟で国の責任や財政負担を認められることを恐れる官僚は、国の関与の度合いを減らしてきたのです。
まず76年(昭和51年)に罰則を廃止。94年(平成6年)には義務接種を廃止し、接種対象者の努力規定とそれに対応した市町村等の行政による積極的な勧奨となりました。
現在の予防接種法では、「受けるよう努めなければならない」という努力義務となっています(表1)。努力義務があるか否かは、国民にとって事実上何の違いもありません。ワクチンを受けることを強制されることはないのですから、最後は個々人の判断で決める点では、任意接種とまったく同じです。
Q2 :一部インフルエンザワクチンが「法定接種」に。なぜ?
かつての学校での集団接種など、皆さんがよく覚えておられるインフルエンザワクチンは、ワクチン接種後に有害事象が起き国家賠償訴訟となったことや、有効性を示すデータが十分にないことなどから、94年の法改正で定期接種から外されました(表2)。
すでに信頼を失い接種しない人が増えてはいましたが、法定外の接種となったことで、ワクチンの使用量は落ち込みました(表3)。インフルエンザワクチンを製造しているのは、北里研究所、化学及血清療法研究所、阪大微生物病研究会、デンカ生研の国内4社です(表4)。
他にも定期接種にすべきワクチンがたくさんあることは、この連載でも繰り返し書かれていますが、厚労省はなぜかインフルエンザだけを法定接種にしようとしました。ただし、国の関与はできるだけ少ない形にしたかったのでしょう。01年、わざわざ定期接種の中に「二類」という新しい区分を作って、高齢者のインフルエンザワクチンを法定接種にしました(表2)。
その後、ワクチン使用量は順調に伸びています(表3)。毎年、高齢者に限らず、働き盛りの健康な成人まで、有効性を示すデータは十分ないにも関わらずインフルエンザワクチンを打つ人が多いのは、皆さんご存じのとおりです。
二類は、個人の重症化予防が目的で、自分の意思で接種したのだから自己責任?
新たに二類を作った厚労省の説明はこうです。
一類は、「その発生及びまん延を予防することを目的として」いるが、二類は、「個人の発病又はその重症化を防止し、併せてこれによりそのまん延の予防に資することを目的として」いるというのです(表5)。
しかし、まん延予防のためか(一類)、個人のためか(二類)という区別は、医学的には不可能です。どんなワクチンも両方の要素を併せ持っていますから、国民にとっては何の意味もない区別です。
ではなぜ、役人はこんな理屈を作ってまで「二類」を作ったのでしょうか。
二類が一類と違う点は、国の関与の度合いを減らすことによって国家賠償訴訟で国の責任を認められにくくすることと、重篤な有害事象が起きた人に対する補償金額が低いことにあります(表6)。
二類は、個人の重症化予防が目的で、自分の意思で接種したのだから自己責任であり、国はあまり補償する必要はない。こう考えていると思われてもおかしくないのではないでしょうか。しかしながら、一類も二類も任意接種も、自分の意思で接種するか否かを決めるという点では、差異がありません。
その後の結果に大きく影響を及ぼしたのは、国内メーカーが製造するインフルエンザワクチンの使用量が増えたことだった点は、見逃せないでしょう。
Q3 :任意接種は「受けなくていい」は間違い?
ところで皆さん、任意接種は「受けなくていいもの」と思っていませんか。
乳幼児期に接種するワクチンのうち、定期接種は母子健康手帳に書かれていますが、任意接種であるB型肝炎ワクチン、ヒブワクチン、小児用肺炎球菌ワクチン等は行政から情報提供さえされないのですから、無理もありません。
それに、定期接種は市町村などが費用を出すので無料で受けられますが、任意接種は接種費用を自己負担しなければなりません(表7)。経済的な理由から、接種を躊躇する方も少なくないのです。
しかし、任意接種は「受けなくていいもの」というのは危険な思い込みです。
乳幼児期に接種が必要なワクチンは、「VPDを知って、子どもを守ろう。」の会のホームページにあるとおり、こんなにたくさんあります(表8)。VPDとは、ワクチンで防げる病気(Vaccine Preventable Diseases)のことです。VPDの怖さもワクチンの存在も、両親が知らなかったために、ワクチンを接種せず、VPDにかかってしまい命を落としたり後遺障害が残ったりする子どもたちが、日本ではあとを絶ちません。
ワクチン接種後の補償制度も、定期接種と任意接種では大きく異なります。もし万一、ワクチン接種後に重篤な有害事象が起きたとしても、任意接種では十分な補償を受けられないのです。
任意接種に留めておけば、国の関与も費用も小さくなる!?
必要なワクチンが定期接種にされず、任意接種のまま留め置かれている現状は、国民の不利益ばかりであることが、お分かりいただけたと思います。法律を変えずとも、政令で迅速に定期接種化できるにもかかわらず、厚労省はしてきませんでした(表6)。
ではなぜ、必要なワクチンが定期接種にされず、任意接種のまま留め置かれているのでしょうか。
厚労省の立場になって考えてみましょう(表7)。
法に位置づける定期接種にしてしまうと、賠償金の支払いや接種費用の負担などさまざまな責任を持たなければならなくなります。しかし厚労省には国家賠償訴訟で繰り返し負けてきた歴史があります。
これを、法に位置づけない任意接種に留めておけば、国の関与は限りなく小さく、接種費用の負担を回避することができますし、「自己責任」においての接種となりますから、国としては責任もほとんど取らなくて済むというインセンティブがあります。
しかし、だからといって放置していては、国民の不利益が増すばかりです。
この現状を打開するために、無過失補償・免責制度の導入が不可欠であることは、この連載でも既に述べたとおりです(関連記事)。
Q4 :「医師や病院は病気を治してくれて当然」なもの?
日本には無過失補償・免責制度がないために、裁判で、実質的には過失がないのに過失を認定して、その人に賠償金を支払わせる仕組みとなっています。
ただもうひとつ、この仕組みの背景には忘れてはならない要因があります。それは、医療関係者とそれ以外の人々(とくに法律関係者)との間に、大きな認知フレームの違いがあることです(表9)。
普段から人間の病気や死といった自然現象を見ている医療関係者は、自然界の認知フレームを持っています。ある人が病気にかかってしまうことや命を落としてしまうことは、どんなに努力しても人間にはどうしようもない自然の摂理であることを知っています。
他方、人間の病気や死をほとんど見たことがない人々は、それぞれが生きてきた人間界の認知フレームを持っています。
初めて自分や家族の病気や死に直面する人々が、人間界の認知フレームを医療にあてはめてしまい、「医師や病院は病気を治してくれて当然だ」と思うのも無理はないかもしれません。
この期待の高まりに対して、厚労省は、自然界の摂理を説くのではなく、「拍車をかけている」のが現状だといえます。たとえば、院内感染や薬害、ドラッグラグなどが大きく報道されたとします。そのたびに厚労省は、医療費抑制を続けたまま、○○拠点病院、○○事業、○○補助金、○○研究費など、さまざまな看板を掲げてきました。これらを見せられた国民は、あたかもそれで医療の問題は解決するかのような印象を持ってしまいかねないのです。
こうして高まる国民の期待値は、現実に可能な医療から、ますます乖離していってしまう危険性があるのです。
Q5 :ワクチンを打たずにVPDにかかる人数、後遺症が残る人数、死亡する人数などのデータはどこにあるの?
国民の認知フレームや医療への期待値が、現実の医療からどんどんかけ離れて行く、もうひとつの要因に、厚労省が積極的に説明責任を果たしてこなかったこと、それどころか、データベースを十分に公開していないことがあげられるでしょう。
米国では政治主導で説明責任を果たしているようです。クリントン前大統領はワクチン接種率などのデータを発表していましたし、オバマ大統領はじめ現政権の人々も、費用の自己負担なしでワクチン接種を受けられるようにするというメッセージを繰り返し国民に発表しています。一方、日本政府からこうしたメッセージが国民に届くことは稀です。
十分なデータや数字を公表して、オープンに議論をしてこなかったということは、VPDの怖さやワクチンの重要性を国民が正しく理解する機会が激減してしまうということではないでしょうか?
ワクチンを打たずにVPDにかかる人が何人、後遺症が残る人が何人、死亡する人が何人、ワクチンを打つ人が何人といった数字を、皆さんは知りたくありませんか?
欧米では数多くのデータベースが公開されています。誰でも自由にダウンロードして解析できるため、様々な立場の人々が書いた医学論文がたくさん発表されています。それらを判断材料として、医療関係者も患者さんも、バランスの取れた判断をすることができるのです。
例えば、米国では、ワクチンの有害事象報告データベースも公開されています(表10)。誰でもCSVファイルの形式でダウンロードできるため、このデータを用いて数多くの論文が発表されています。このように世界で発表されているデータベースの数、論文の数は計り知れません。
日本でも、膨大なデータベースを厚労省が持っていますが、誰でも自由に解析できるような形では公開されていません。大量のデータが、宝の持ち腐れになっているといえます。
医学情報が圧倒的に少ないのですから、現場の患者や医療関係者にとっても、それぞれの判断材料になる医学情報が少ないのです。
しかし、厚労省は今現在、データベースを自由に解析できるよう十分に公開しようとはしていません。
Q6 :“時代遅れ”な国、日本のドラッグラグってどれくらい?
欧米に比べて新薬を使えるようになるのが遅い「ドラッグラグ」について、どのくらいのラグがあるかご存じですか。
たとえば世界のどこかの国で、ある薬が最初に販売されてから、日本でその薬が販売されるようになるまでの期間は1633.6日、米国では495.9日というデータがあり、その差は約3年(1137.7日)です(表11)。
日本の患者に薬が届くタイミングは、欧米の患者よりも約4年遅いというデータもあります(表12)。
メーカーが日本で治験着手するタイミングは、米国より1.9年、ヨーロッパより2.7年遅れています。メーカーが治験にかかる期間は、日本で6.1年に対し、米国で4.5年、ヨーロッパで5.3年です。審査期間は、日本のPMDAで1.8年、米国とヨーロッパでは1.1年です。
まとめると、メーカーが日本で開発着手するまでのラグが約2年、メーカーの臨床開発期間のラグが約1年、PMDAの審査期間のラグが約1年で、合計約4年のドラッグラグです。
ドラッグラグの要因は、PMDAの審査に時間がかかることだという話をよく聞きますが、それだけでなく、メーカーが日本で開発を始めるタイミングが遅いことが最大の要因であることがおわかりいただけると思います。
(文/村重直子〈医師、元・厚生労働省大臣政策室政策官〉)(任意接種は「受けなくていい」は間違い! 日本の予防接種は“非公開・情報不足”だらけ? (nikkei TRENDYnet) - Yahoo!ニュース)
【詳細画像または表】
ワクチンを受けることで避けられる病気「VPD」を防ぐためには、ワクチンが重要になることは、前回解説した。しかし、日本の予防接種法で積極的に接種を促すワクチンは、そう多くはない。予防接種には大きく分けて「法定接種」と「任意接種」の予防接種があるが、その違いを正確に理解していないケースもあると聞く。
そこで今回は、「法定」「任意」の違いからVPDへの関心の低さの要因などを含め、医師、元・厚生労働省大臣政策室政策官、村重直子さんに解説してもらう。
Q1 予防接種法の法定接種=国民には接種義務がある?
Q2 一部インフルエンザワクチンが「法定接種」に。なぜ?
Q3 任意接種は「受けなくていい」は間違い?
Q4 「医師や病院は病気を治してくれて当然」なもの?
Q5 ワクチンを打たずにVPDにかかる人数、後遺症が残る人数、死亡する人数などのデータはどこにあるの?
Q6 “時代遅れ”な国、日本のドラッグラグってどれくらいある?
Q1 :予防接種法の法定接種=国民には接種義務がある?
いま、予防接種法で定められた法定接種のワクチン(定期接種や臨時接種)を受けることは、国民の義務ではありません。
子どもの頃に小学校でずらりと並んでワクチンを受けた記憶がある方もたくさんいらっしゃるでしょうけれど、当時の予防接種法はもう変わっているのです。
1948年(昭和23年)に予防接種法が制定された当時は、罰則付きの義務接種でした。罰則付きということは、刑事罰ですから、要件を満たせば逮捕もできました。
しかしその後、ワクチン接種後の有害事象が、ワクチンによる副作用だと思われ(実はワクチンが原因ではなかったものがたくさんあります)、訴訟などの紛争を繰り返してきました。これに対し、国家賠償訴訟で国の責任や財政負担を認められることを恐れる官僚は、国の関与の度合いを減らしてきたのです。
まず76年(昭和51年)に罰則を廃止。94年(平成6年)には義務接種を廃止し、接種対象者の努力規定とそれに対応した市町村等の行政による積極的な勧奨となりました。
現在の予防接種法では、「受けるよう努めなければならない」という努力義務となっています(表1)。努力義務があるか否かは、国民にとって事実上何の違いもありません。ワクチンを受けることを強制されることはないのですから、最後は個々人の判断で決める点では、任意接種とまったく同じです。
Q2 :一部インフルエンザワクチンが「法定接種」に。なぜ?
かつての学校での集団接種など、皆さんがよく覚えておられるインフルエンザワクチンは、ワクチン接種後に有害事象が起き国家賠償訴訟となったことや、有効性を示すデータが十分にないことなどから、94年の法改正で定期接種から外されました(表2)。
すでに信頼を失い接種しない人が増えてはいましたが、法定外の接種となったことで、ワクチンの使用量は落ち込みました(表3)。インフルエンザワクチンを製造しているのは、北里研究所、化学及血清療法研究所、阪大微生物病研究会、デンカ生研の国内4社です(表4)。
他にも定期接種にすべきワクチンがたくさんあることは、この連載でも繰り返し書かれていますが、厚労省はなぜかインフルエンザだけを法定接種にしようとしました。ただし、国の関与はできるだけ少ない形にしたかったのでしょう。01年、わざわざ定期接種の中に「二類」という新しい区分を作って、高齢者のインフルエンザワクチンを法定接種にしました(表2)。
その後、ワクチン使用量は順調に伸びています(表3)。毎年、高齢者に限らず、働き盛りの健康な成人まで、有効性を示すデータは十分ないにも関わらずインフルエンザワクチンを打つ人が多いのは、皆さんご存じのとおりです。
二類は、個人の重症化予防が目的で、自分の意思で接種したのだから自己責任?
新たに二類を作った厚労省の説明はこうです。
一類は、「その発生及びまん延を予防することを目的として」いるが、二類は、「個人の発病又はその重症化を防止し、併せてこれによりそのまん延の予防に資することを目的として」いるというのです(表5)。
しかし、まん延予防のためか(一類)、個人のためか(二類)という区別は、医学的には不可能です。どんなワクチンも両方の要素を併せ持っていますから、国民にとっては何の意味もない区別です。
ではなぜ、役人はこんな理屈を作ってまで「二類」を作ったのでしょうか。
二類が一類と違う点は、国の関与の度合いを減らすことによって国家賠償訴訟で国の責任を認められにくくすることと、重篤な有害事象が起きた人に対する補償金額が低いことにあります(表6)。
二類は、個人の重症化予防が目的で、自分の意思で接種したのだから自己責任であり、国はあまり補償する必要はない。こう考えていると思われてもおかしくないのではないでしょうか。しかしながら、一類も二類も任意接種も、自分の意思で接種するか否かを決めるという点では、差異がありません。
その後の結果に大きく影響を及ぼしたのは、国内メーカーが製造するインフルエンザワクチンの使用量が増えたことだった点は、見逃せないでしょう。
Q3 :任意接種は「受けなくていい」は間違い?
ところで皆さん、任意接種は「受けなくていいもの」と思っていませんか。
乳幼児期に接種するワクチンのうち、定期接種は母子健康手帳に書かれていますが、任意接種であるB型肝炎ワクチン、ヒブワクチン、小児用肺炎球菌ワクチン等は行政から情報提供さえされないのですから、無理もありません。
それに、定期接種は市町村などが費用を出すので無料で受けられますが、任意接種は接種費用を自己負担しなければなりません(表7)。経済的な理由から、接種を躊躇する方も少なくないのです。
しかし、任意接種は「受けなくていいもの」というのは危険な思い込みです。
乳幼児期に接種が必要なワクチンは、「VPDを知って、子どもを守ろう。」の会のホームページにあるとおり、こんなにたくさんあります(表8)。VPDとは、ワクチンで防げる病気(Vaccine Preventable Diseases)のことです。VPDの怖さもワクチンの存在も、両親が知らなかったために、ワクチンを接種せず、VPDにかかってしまい命を落としたり後遺障害が残ったりする子どもたちが、日本ではあとを絶ちません。
ワクチン接種後の補償制度も、定期接種と任意接種では大きく異なります。もし万一、ワクチン接種後に重篤な有害事象が起きたとしても、任意接種では十分な補償を受けられないのです。
任意接種に留めておけば、国の関与も費用も小さくなる!?
必要なワクチンが定期接種にされず、任意接種のまま留め置かれている現状は、国民の不利益ばかりであることが、お分かりいただけたと思います。法律を変えずとも、政令で迅速に定期接種化できるにもかかわらず、厚労省はしてきませんでした(表6)。
ではなぜ、必要なワクチンが定期接種にされず、任意接種のまま留め置かれているのでしょうか。
厚労省の立場になって考えてみましょう(表7)。
法に位置づける定期接種にしてしまうと、賠償金の支払いや接種費用の負担などさまざまな責任を持たなければならなくなります。しかし厚労省には国家賠償訴訟で繰り返し負けてきた歴史があります。
これを、法に位置づけない任意接種に留めておけば、国の関与は限りなく小さく、接種費用の負担を回避することができますし、「自己責任」においての接種となりますから、国としては責任もほとんど取らなくて済むというインセンティブがあります。
しかし、だからといって放置していては、国民の不利益が増すばかりです。
この現状を打開するために、無過失補償・免責制度の導入が不可欠であることは、この連載でも既に述べたとおりです(関連記事)。
Q4 :「医師や病院は病気を治してくれて当然」なもの?
日本には無過失補償・免責制度がないために、裁判で、実質的には過失がないのに過失を認定して、その人に賠償金を支払わせる仕組みとなっています。
ただもうひとつ、この仕組みの背景には忘れてはならない要因があります。それは、医療関係者とそれ以外の人々(とくに法律関係者)との間に、大きな認知フレームの違いがあることです(表9)。
普段から人間の病気や死といった自然現象を見ている医療関係者は、自然界の認知フレームを持っています。ある人が病気にかかってしまうことや命を落としてしまうことは、どんなに努力しても人間にはどうしようもない自然の摂理であることを知っています。
他方、人間の病気や死をほとんど見たことがない人々は、それぞれが生きてきた人間界の認知フレームを持っています。
初めて自分や家族の病気や死に直面する人々が、人間界の認知フレームを医療にあてはめてしまい、「医師や病院は病気を治してくれて当然だ」と思うのも無理はないかもしれません。
この期待の高まりに対して、厚労省は、自然界の摂理を説くのではなく、「拍車をかけている」のが現状だといえます。たとえば、院内感染や薬害、ドラッグラグなどが大きく報道されたとします。そのたびに厚労省は、医療費抑制を続けたまま、○○拠点病院、○○事業、○○補助金、○○研究費など、さまざまな看板を掲げてきました。これらを見せられた国民は、あたかもそれで医療の問題は解決するかのような印象を持ってしまいかねないのです。
こうして高まる国民の期待値は、現実に可能な医療から、ますます乖離していってしまう危険性があるのです。
Q5 :ワクチンを打たずにVPDにかかる人数、後遺症が残る人数、死亡する人数などのデータはどこにあるの?
国民の認知フレームや医療への期待値が、現実の医療からどんどんかけ離れて行く、もうひとつの要因に、厚労省が積極的に説明責任を果たしてこなかったこと、それどころか、データベースを十分に公開していないことがあげられるでしょう。
米国では政治主導で説明責任を果たしているようです。クリントン前大統領はワクチン接種率などのデータを発表していましたし、オバマ大統領はじめ現政権の人々も、費用の自己負担なしでワクチン接種を受けられるようにするというメッセージを繰り返し国民に発表しています。一方、日本政府からこうしたメッセージが国民に届くことは稀です。
十分なデータや数字を公表して、オープンに議論をしてこなかったということは、VPDの怖さやワクチンの重要性を国民が正しく理解する機会が激減してしまうということではないでしょうか?
ワクチンを打たずにVPDにかかる人が何人、後遺症が残る人が何人、死亡する人が何人、ワクチンを打つ人が何人といった数字を、皆さんは知りたくありませんか?
欧米では数多くのデータベースが公開されています。誰でも自由にダウンロードして解析できるため、様々な立場の人々が書いた医学論文がたくさん発表されています。それらを判断材料として、医療関係者も患者さんも、バランスの取れた判断をすることができるのです。
例えば、米国では、ワクチンの有害事象報告データベースも公開されています(表10)。誰でもCSVファイルの形式でダウンロードできるため、このデータを用いて数多くの論文が発表されています。このように世界で発表されているデータベースの数、論文の数は計り知れません。
日本でも、膨大なデータベースを厚労省が持っていますが、誰でも自由に解析できるような形では公開されていません。大量のデータが、宝の持ち腐れになっているといえます。
医学情報が圧倒的に少ないのですから、現場の患者や医療関係者にとっても、それぞれの判断材料になる医学情報が少ないのです。
しかし、厚労省は今現在、データベースを自由に解析できるよう十分に公開しようとはしていません。
Q6 :“時代遅れ”な国、日本のドラッグラグってどれくらい?
欧米に比べて新薬を使えるようになるのが遅い「ドラッグラグ」について、どのくらいのラグがあるかご存じですか。
たとえば世界のどこかの国で、ある薬が最初に販売されてから、日本でその薬が販売されるようになるまでの期間は1633.6日、米国では495.9日というデータがあり、その差は約3年(1137.7日)です(表11)。
日本の患者に薬が届くタイミングは、欧米の患者よりも約4年遅いというデータもあります(表12)。
メーカーが日本で治験着手するタイミングは、米国より1.9年、ヨーロッパより2.7年遅れています。メーカーが治験にかかる期間は、日本で6.1年に対し、米国で4.5年、ヨーロッパで5.3年です。審査期間は、日本のPMDAで1.8年、米国とヨーロッパでは1.1年です。
まとめると、メーカーが日本で開発着手するまでのラグが約2年、メーカーの臨床開発期間のラグが約1年、PMDAの審査期間のラグが約1年で、合計約4年のドラッグラグです。
ドラッグラグの要因は、PMDAの審査に時間がかかることだという話をよく聞きますが、それだけでなく、メーカーが日本で開発を始めるタイミングが遅いことが最大の要因であることがおわかりいただけると思います。
(文/村重直子〈医師、元・厚生労働省大臣政策室政策官〉)(任意接種は「受けなくていい」は間違い! 日本の予防接種は“非公開・情報不足”だらけ? (nikkei TRENDYnet) - Yahoo!ニュース)