稲又山へ向かう途中から中央奥に目指す笊ケ岳が見える。
笊ケ岳頂上から。小笊の後ろに富士山。
新型コロナウイルス問題と長引いた悪天のせいでこの2か月間、登山をしていない。ようやく梅雨が明けたので南アルプスの青薙山から笊ケ岳の周回登山を計画し、久しぶりにY君を誘って実行した。
行動時間
1日目: 沼平 - 池の平 (約4時間)
2日目: 池の平 - 青薙山 -稲又山 - 布引山 - 笊ケ岳 - 椹島(18時間)
3日目: 椹島 - 沼平 (約5時間)
朝7:00に小牧駅出発。登山口の沼平に12時ちかくに到着。ほとんど人がいないと思っていたら駐車するにも難儀するほどの混雑ぶりでビックリさせられた。10日は山の日なので、そのせいもあるのだろうが、コロナ問題がなかったら一体どの程度の登山客が押し寄せるのか想像するだけでもぞっとする。幸いほとんどのパーティーは有名コースに集中し、我々のコースは結果的に笊ケ岳の一般コースと合流する2日目の午後まで人に会うことはなかった。
1日目(約4時間)
12時前に沼平を出発。リニア工事、その他で工事関係車両が多いのには閉口させられた。これから何年もの間、一大登山基地の椹島に静けさが戻ることはないだろう。椹島方面に1時間少々の13:06に青薙山登山口に到着(行き過ぎて青薙橋からUターン)。この間、土砂崩れが数か所あって正規の道は数か所にわたって大きく崩れ絶壁状態なので使えず、カンカン照りの川原を歩くことになったので暑さがこたえた。登山口からはいきなり急登りが続く。15:52に幕営予定地の池の平に到着。水量豊富な谷筋の横にあり、なかなか雰囲気のよいところだった(周囲は鬱蒼とした森なので夜は何となく不気味)。
2日目(行動時間: 約18時間)
3時に起床。ラテをつけると気味の悪い虫がそこら中をはいずり回っていてびっくり。今まで四季を問わず3000m級の山でも重荷の時にはツエルトを使ってきたが、このようなことはなかった。今の時期に森林帯でツエルトを使うとこうなることが遅まきながらわかったので、今後はテントにしよう。4時過ぎにテント場をラテをつけて出発。 赤崩れの崩壊場所は、踏み跡が空中に消え、のぞき込むことが恐ろしくてできない。高度感と崩壊のすざましさに恐怖感を覚えるほどだ。そこからルートファインディングに気を使いながら青薙山を目指す。この間、読図力が必要。7:20に第一通過点の青薙山頂上に到着。少しの休憩ですぐに次のピークへ。稲又山には9:27に到着。このころから同伴者は重荷のせいかペースがいつになく遅くなってきた。稲又山の下りも間違い易い。幸い持参した昭文社の地図に注意点が記入してあったので少し迷っただけで済んだが、Y君の持参したポイントとなるウエイポイントが事前に登録されていないGPSに頼ると時々、踏み跡を外して直進強硬突破させられそうになるので注意させられた。所ノ沢越に11:16に到着。ここで水を補給するために沢を少し下って登り返す。水場はとてもよい幕営地だった。時間の遅れが気になるので、ほとんど休憩なしで山梨県側から来る登山道と合流する布引山を目指す。ゆっくり休みたかったであろうY君には申し訳ないが、引っ張るつもりで先行することにする。13:40に雨畑からくる一般道に飛び出し、待望の布引山に13:41到着。ここまでくればあとの見通しが明るい(この時はそう思った)。さすがに一般道だけあって頂上付近には幕営者もいた。雨畑からの日帰り登山者、数パーティにも出会ったが皆、苦しそうだ。雨畑ルートは夏以外の時期でないと暑さで厳しいはずだが、なぜ今の時期を選ぶのだろうか? テント泊の人と談笑しながら暫く頂上にいたがなかなかY君が到着しないので、ゆっくりペースでいよいよ最後のピークである笊ケ岳を目指す。布引山からの下りを終える頃にY君が追い付いてきた。ここから登り40分程度で待望の笊ケ岳頂上に到着(15:14)。ここ2年ほど間、自分の登りたい山No.1だったので感激もひとしおだ。展望は360度で申し分ない。先ほどまでかかっていたガスも消え始め小笊の後ろに聳え立つ富士山が見えた時はうれしかった。この小笊のバックに雄大な富士山を見るということが最大の楽しみだったので、とても感激した。Y君も10分くらい遅れて到着し付き合ってくれたことに感謝し、感激の握手。しばらくの間、お互い写真を撮りまくった後、16時少し前に今日の幕営予定である土倉沢を目指す。一般道とはとは言え、知名度の高い山道と全く違い、予想外に歩きにくい下りが続く。途中、涸れた沢をくだり 17:10に幕営予定地に到着。しかし水場が見当たらない。しかたなく、今日中に下山すべく先を急ぐ。土倉沢からの登りは踏み跡が分かりづらいところがある。途中、7つある谷筋のトラバースも危険で疲労と重荷では神経を使う。なんとか日没ギリギリで7つの沢をクリヤーできたのは運が良かったが、日没したらラテだけではとても危険で躊躇なくビバークしただろう。一時は待ってもY君がなかなか現れないので沢のトラバースでY君滑落という最悪のシナリオを覚悟して登り返すという一幕もあった。7つの沢を通過後は危険はなくなったが暗闇の下降は踏み跡とそれ以外の区分がしずらく赤テープも探しづらくてペースは半分以下におちてしまった。Y君のラテが使い物にならないくらい暗いので単独での先行もできず、彼の足元を照らしながらの下山が続いた。Y君はしきりに新品ラテの性能のせいにしていたが、電池が古いのが原因なのは明らかだ(予備の電池がないのも論外だ)。結局、幕営可能な椹島についたのは22時を過ぎていた。遅すぎる夕食をとり、24時近くにシュラフにもぐりこんだ。
3日目(行動時間 約5時間)
朝、4時頃起床。Y君はまだ寝ているので少し明るくなってから一人で椹島を散策する。昨夜は暗闇でなにもわからなかったが工事関係の車や建築中の建物が多く、とても想像していた椹島とは違っていた。歴史ある登山基地は一体どのような姿に変わっていくのだろうか。我々が雑魚寝したところは著名な写真家、白籏史郎のの記念博物館の軒下だった。7時15分頃、沼平へ向けて出発。ここから5時間の林道歩きが始まる。コロナ問題ななければ東海フォレストのバスが運行されているのだが、今は自分の足で歩くしかない。 途中にある所ノ沢越に続く登山道に掛けられた”中の宿つり橋”と茶臼岳方面に掛けられた”畑薙大つり橋”は大井川の川幅に掛けられているので、その長さと景観のスケールはなかなかお目にかかれないほどの迫力があった。Y君は昨日の疲れは何処へやら、私を呆れさせるほど何度もつり橋を行ったり来たりしてはしゃいでいた。沼平に予定時間通りに到着。帰途、数年前に登った大無間山明神谷ルート登山口に近い白樺荘の温泉で汗を流した。
忘備録:
・小生定番の2泊3日料理でのガス使用量は45g。 今回はプリウスガス250だが110で十分(好天時)。更にEPIならより軽くできる。
・今回、モンベルのエアーマットを使用したが剥離問題が1夜目に発生し、まともな睡眠ができなかった。この問題はメーカでも修理不可能。 寒冷時期はエアーマット式は絶対にNG。
・サーバーを荷物室に入れて使用したので(本来は別の所にいれる場所がある)、他の荷物と干渉しあい給水口が外れてザックの中が水浸しになってしまった。