St. John of the Crossの生き方に憧れて

受洗後、最初に買ったカトリックの本が「愛への道」。相応しい生き方をしてない。彼に倣う生き方が出来るよう心がけたいです。

日記(11/26)

2009-11-26 17:17:32 | Weblog
日記(11/26)

 海岸に立ち尽して本を読んだ 
 岬を駆ける人の群れ 観光地でもないのに今時の流行りなのか
 大人数だった
 黙々と走る 連なったものが何か半島のようで
 黒々として

 砂が中々その成果を阻んでいて 風は渺茫とただ吹く
 夕暮時で カラスも集まっていた
 その景色はカラカラに乾燥していそうで
 けれど
 何かをぎゅって絞ってみても もうそこには捨て去った昨日すらなくて

 突発事の様に過ぎる3艘の下りの船
 無駄な歳月だったのか 繋留され損ねた過去なのか

 沈黙が支配した

 自転車を漕いで それでもそこらじゅう探しあぐねているものは
 中途半端な悪夢に近い夢じゃなくて
 かといって 現実の突破口(くち)を探してみても
 それは砂丘に蟹の鋏の剪定の痕跡を探るようなもの

 だから
 只管長い堤防を他人を装って走った
 風はもう後ろからも前からも吹いて来ない それが現実だ

 ただ
 体育館のような野球場に集められたもの
 それはもしかして文明なんかじゃなくて もっと野蛮な何かじゃなかったのか?
 と思う 
 その瞬間ジェット飛行機が低空飛行で 脅かすように通って行った

 渓谷のような海岸線に沿って その物体は無言に威圧を感じさせながら
 クネクネと当て所も無く夕陽に向かって走って行く

 赤く染まった胴体は 気球のようでもあり
 それから毎日 わたくしはどうし様も無く起き抜けにその物体の幻を見た
 耳鳴りがし 棘が刺さった様に 指に霜焼けがした
 もう若くは無かった
 自転車を漕ぎ続けた足が妙に腫れて 夜中に3度痙攣がきた
 風がやはり砂漠のように渺茫と吹いていた
 障子に飛行機の影に怯えた
 「あそこではやはり今の時間も砂利を採り続けているのか?」
 望みが尽きた様にふと安堵した それから眠った

コメちゃん・・
「火曜日の出来事を詩にしてみた。家を離れて数時間不思議な空間の中にいた。天竜川堤防。ただ、詩は着々と都会の風景を刻む。砂を駅の時計、黒々をビル、船は私鉄準急、野球場はそれ、飛行機だって都会を通る。自転車は勤めだ。砂利採取とは夜中に働く人々の挽歌の積もりだった。・・・駅にプラットホームや山の手線循環で半日本を読んだことのある人は感傷が分かってもらえるかな?と思う。ただ比喩は適当でない。正直なところ。最後にしんどい。前回と心情は継続する。個人的だが・・・」


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