ブログタイトル変更しました。
元々のやつです。Payasoって何?ってブログ開設時にはよく聞かれてました。
スペイン語でピエロと言います。ブログを開設した当初はサッカー大好きでして、当時好きだったアルゼンチン人のサッカープレイヤー、パブロ・アイマールのニックネームがPAYASOだったんです。本人はそう呼ばれるのが嫌いだったらしいんですけどねw
さて、またしても親父のことです。
母が亡くなってから、実は親父の体調や認知は少し良くなりました。
母の闘病開始から1年経過した頃に父の体の状態はかなり悪くなっていました。
体調が悪くなったと言っても咳が出る様になったとか、食べ物を飲み込めなくなったとか、動けなくなったとかそういうのではなく、お漏らしが多くなったのです。母が生きている時は僕はあくまでも母の手伝いをするっていう体でいました。父に直接関わらなかったわけではないのですが、そういう体(てい)でいることが大事かなって思っていたので。
母はその年の3月には入院してそのまま意識がなくなり亡くなってしまったわけですが、母が入院する2週間くらい前のことです。母が父のお漏らしに限界を感じて僕に相談を持ちかけました。とにかくすぐに下着を汚してしまう、どうしたらいいかと。
夫婦の仲というか間柄ってそれぞれだとは思いますが、僕の母は父にあまり強く言えない人でした。父が常に高圧的だったかというとそういうわけではないのですが、なんとなく言い難いそんな感じだったんだと思います。もちろん言う時はしっかり言いますし、父が母に暴力をふるうところは見たことはありません。ま、酔っ払ってる時は手を上にあげるくらいはしてましたけど。
「僕が一緒に話するから、オムツを使う様にしよう。だから一緒に買いに行こう」
そんな風に言ったと思います。
父はその頃、お漏らしだけでなくなんとなくぼんやりもしていたのですんなりと言うことを聞いてくれました。プライドの高い父には難しいのではと母は心配していたわけですが稀有に終わりました。
それから父のオムツ(正確にはリハビリパンツ)生活が始まりました。
・・・正直なところオムツをつけたらつけたで大変でした。
1日にオムツを交換する回数は平均で4回にものぼりました。
すんなりと自分で気がついてオムツを交換してくれればよかったのですが、オムツが尿を吸い取るだけ吸い取って重たくなってズボンが下がってるなんてこともありましたし、オムツから漏れてズボンがぐっしょりなんてこともありました。もしかするとオムツをしてる安心感からそうなってるんじゃないかって思うくらいで。
やがて母が亡くなりました。
お葬式など母の死に関するあれこれが終わるまで、父はシャキッとしてたと思います。
45年以上連れ添ったわけですから、認知症のためにあれこれ忘れてしまった親父にとっても大きなものを失った悲しみは大きかったのでしょう。
母が亡くなってしばらくしても父はほんの少しだけシャキッとしてました。
尿漏れ(だけじゃないんだけどねw)の頻度は半分くらいになったと思います。
それからまたしばらくして、親父の尿漏れはまた悪くなってきました。ただ、良い時と悪い時の波があったように思います。
ま、酷い時は椅子に座ったまま大量にお漏らしをして、椅子を1つダメにしてしまいました(カリモクのやつ)。その椅子にはいまだに誰も座らないので、親父専用になってしまいましたw
そして、また月日が流れて僕の介護の負担を少しでも緩和するためにこれまでは頑なに拒否していたショートステイの利用を開始しました。
最初のショートステイの日程が十日後になった時のことでした。
親父はショートステイの日程についてはよくわかってなかったはずです。でもなんとなくぼんやりとした頭のどこかに施設に行く日が近づいているっていうのがしっかりと存在していたのか、お漏らしの頻度がハイペースになり、10日間の間に親父の下着だけで8回洗濯をして、5枚下着をダメにしました(大きい方をガッツリとやられて)。
これはキツい・・・
さすがにギブアップしそうになったのですが、ショートステイの利用開始が目前だったのでなんとか堪えました。
親父のショートステイ利用開始はその年の10月からでした。
最初は2泊3日からスタートし、少しずつ長くしたりしながら、月に2回程度合計で10日くらいの利用になりました。
外で色んな人と関わるせいか、親父の体調は少しずつよくなっていきました。
利用から半年後にズボンまでぐっしょりのをやりましたが、確実に状態はよくなりました。
お漏らしっていう点においてはですけどねw
親父はほぼ1年の間に酷くなって、回復してってのを見せたわけです。
それから数年が経過した去年、3ヶ月の入院をしました。
退院してから2週間が地獄でした。
お漏らしはするし、いうこと聞かないし、夜中に何度も起こされては面倒を見ての繰り返し。2週間の間、僕は1時間おき、2時間おきに起こされるので平均睡眠時間は3時間とか4時間。続けて眠れるのは1時間か2時間。3週目になってようやく少し落ち着きましたが、現在に至るまで僕は3時間以上続けて眠れた日は両手で足りるくらいです。ま、癖がついてしまったのですね。
親父は退院からしばらくして元に戻ったかのように思たのですが、夜中に起きることはなくなったものの、お漏らしがまた酷くなってしまっていました。状態でいうと、良い時と悪い時の波がある時と同じですね。今は尿取りパッドを入れているのでズボンがぐっしょり、布団がぐっしょりってのはなくなりましたが。
多分なんですが、親父は現状維持はあったとしても、もう回復することはないんじゃないかって思います。
親父の退院から僕はしっかりと眠れることがなくなったのと、認知症が酷くなって僕を忘れてしまったこと、さらには金銭的な困窮なども手伝って鬱っぽい状態が続いています。体調もあまりよくないってのが正直なところです。こうなってしまうと色々とバランスが崩れてきて、食べすぎたり、飲み過ぎたり(幸いなことにお酒は7年以上飲んでないのでお酒に逃げることなないです)。体のあちらこちらにストレス反応が出てるんですね。
だから色々なことを考えるわけです。
現実的には親父を施設に入れてしまうことは難しいです。
でも、このままだと僕が潰れてしまうのは目に見えています。あと何年持つかな〜そんなことばかり考えてしまうんですよ。親父より僕が先に死ぬんじゃないかとかね。
なんとか頑張って親父を施設に入れたとしても、家以外の場所が大嫌いな親父が家に滅多に帰って来れないことや、親父のオムツ交換を他人にやらせてしまうこと、そして何よりも、僕自身が自分が楽したいがために親父を施設に入れてしまったという後悔・・・
難しいです、ほんと難しい。
僕に何かしらの強い理由があれば親父を施設に入れたことを後悔しないでしょうね。でも、そんなものは無いし、これからできるものでもないと思うのですよ。
親父を施設に入れても、このままでも、どっちもキツいです。
うちの場合は親父はかなり自分のことは自分でできるので(これが問題でもあるのですが)、介護自体は楽な方ですが、親父との軋轢や兄貴達のこと、そして僕自身の人生を考えた時にかなり難しい状態になります。
今年1年は親父のことと自分のこと1つくらいは答えを見つけたいと思います。
元々のやつです。Payasoって何?ってブログ開設時にはよく聞かれてました。
スペイン語でピエロと言います。ブログを開設した当初はサッカー大好きでして、当時好きだったアルゼンチン人のサッカープレイヤー、パブロ・アイマールのニックネームがPAYASOだったんです。本人はそう呼ばれるのが嫌いだったらしいんですけどねw
さて、またしても親父のことです。
母が亡くなってから、実は親父の体調や認知は少し良くなりました。
母の闘病開始から1年経過した頃に父の体の状態はかなり悪くなっていました。
体調が悪くなったと言っても咳が出る様になったとか、食べ物を飲み込めなくなったとか、動けなくなったとかそういうのではなく、お漏らしが多くなったのです。母が生きている時は僕はあくまでも母の手伝いをするっていう体でいました。父に直接関わらなかったわけではないのですが、そういう体(てい)でいることが大事かなって思っていたので。
母はその年の3月には入院してそのまま意識がなくなり亡くなってしまったわけですが、母が入院する2週間くらい前のことです。母が父のお漏らしに限界を感じて僕に相談を持ちかけました。とにかくすぐに下着を汚してしまう、どうしたらいいかと。
夫婦の仲というか間柄ってそれぞれだとは思いますが、僕の母は父にあまり強く言えない人でした。父が常に高圧的だったかというとそういうわけではないのですが、なんとなく言い難いそんな感じだったんだと思います。もちろん言う時はしっかり言いますし、父が母に暴力をふるうところは見たことはありません。ま、酔っ払ってる時は手を上にあげるくらいはしてましたけど。
「僕が一緒に話するから、オムツを使う様にしよう。だから一緒に買いに行こう」
そんな風に言ったと思います。
父はその頃、お漏らしだけでなくなんとなくぼんやりもしていたのですんなりと言うことを聞いてくれました。プライドの高い父には難しいのではと母は心配していたわけですが稀有に終わりました。
それから父のオムツ(正確にはリハビリパンツ)生活が始まりました。
・・・正直なところオムツをつけたらつけたで大変でした。
1日にオムツを交換する回数は平均で4回にものぼりました。
すんなりと自分で気がついてオムツを交換してくれればよかったのですが、オムツが尿を吸い取るだけ吸い取って重たくなってズボンが下がってるなんてこともありましたし、オムツから漏れてズボンがぐっしょりなんてこともありました。もしかするとオムツをしてる安心感からそうなってるんじゃないかって思うくらいで。
やがて母が亡くなりました。
お葬式など母の死に関するあれこれが終わるまで、父はシャキッとしてたと思います。
45年以上連れ添ったわけですから、認知症のためにあれこれ忘れてしまった親父にとっても大きなものを失った悲しみは大きかったのでしょう。
母が亡くなってしばらくしても父はほんの少しだけシャキッとしてました。
尿漏れ(だけじゃないんだけどねw)の頻度は半分くらいになったと思います。
それからまたしばらくして、親父の尿漏れはまた悪くなってきました。ただ、良い時と悪い時の波があったように思います。
ま、酷い時は椅子に座ったまま大量にお漏らしをして、椅子を1つダメにしてしまいました(カリモクのやつ)。その椅子にはいまだに誰も座らないので、親父専用になってしまいましたw
そして、また月日が流れて僕の介護の負担を少しでも緩和するためにこれまでは頑なに拒否していたショートステイの利用を開始しました。
最初のショートステイの日程が十日後になった時のことでした。
親父はショートステイの日程についてはよくわかってなかったはずです。でもなんとなくぼんやりとした頭のどこかに施設に行く日が近づいているっていうのがしっかりと存在していたのか、お漏らしの頻度がハイペースになり、10日間の間に親父の下着だけで8回洗濯をして、5枚下着をダメにしました(大きい方をガッツリとやられて)。
これはキツい・・・
さすがにギブアップしそうになったのですが、ショートステイの利用開始が目前だったのでなんとか堪えました。
親父のショートステイ利用開始はその年の10月からでした。
最初は2泊3日からスタートし、少しずつ長くしたりしながら、月に2回程度合計で10日くらいの利用になりました。
外で色んな人と関わるせいか、親父の体調は少しずつよくなっていきました。
利用から半年後にズボンまでぐっしょりのをやりましたが、確実に状態はよくなりました。
お漏らしっていう点においてはですけどねw
親父はほぼ1年の間に酷くなって、回復してってのを見せたわけです。
それから数年が経過した去年、3ヶ月の入院をしました。
退院してから2週間が地獄でした。
お漏らしはするし、いうこと聞かないし、夜中に何度も起こされては面倒を見ての繰り返し。2週間の間、僕は1時間おき、2時間おきに起こされるので平均睡眠時間は3時間とか4時間。続けて眠れるのは1時間か2時間。3週目になってようやく少し落ち着きましたが、現在に至るまで僕は3時間以上続けて眠れた日は両手で足りるくらいです。ま、癖がついてしまったのですね。
親父は退院からしばらくして元に戻ったかのように思たのですが、夜中に起きることはなくなったものの、お漏らしがまた酷くなってしまっていました。状態でいうと、良い時と悪い時の波がある時と同じですね。今は尿取りパッドを入れているのでズボンがぐっしょり、布団がぐっしょりってのはなくなりましたが。
多分なんですが、親父は現状維持はあったとしても、もう回復することはないんじゃないかって思います。
親父の退院から僕はしっかりと眠れることがなくなったのと、認知症が酷くなって僕を忘れてしまったこと、さらには金銭的な困窮なども手伝って鬱っぽい状態が続いています。体調もあまりよくないってのが正直なところです。こうなってしまうと色々とバランスが崩れてきて、食べすぎたり、飲み過ぎたり(幸いなことにお酒は7年以上飲んでないのでお酒に逃げることなないです)。体のあちらこちらにストレス反応が出てるんですね。
だから色々なことを考えるわけです。
現実的には親父を施設に入れてしまうことは難しいです。
でも、このままだと僕が潰れてしまうのは目に見えています。あと何年持つかな〜そんなことばかり考えてしまうんですよ。親父より僕が先に死ぬんじゃないかとかね。
なんとか頑張って親父を施設に入れたとしても、家以外の場所が大嫌いな親父が家に滅多に帰って来れないことや、親父のオムツ交換を他人にやらせてしまうこと、そして何よりも、僕自身が自分が楽したいがために親父を施設に入れてしまったという後悔・・・
難しいです、ほんと難しい。
僕に何かしらの強い理由があれば親父を施設に入れたことを後悔しないでしょうね。でも、そんなものは無いし、これからできるものでもないと思うのですよ。
親父を施設に入れても、このままでも、どっちもキツいです。
うちの場合は親父はかなり自分のことは自分でできるので(これが問題でもあるのですが)、介護自体は楽な方ですが、親父との軋轢や兄貴達のこと、そして僕自身の人生を考えた時にかなり難しい状態になります。
今年1年は親父のことと自分のこと1つくらいは答えを見つけたいと思います。