ブログの更新を完全に怠っておりますが、僕のブログのアクセス数はこの1年間すごいのです。
それも花沢健吾氏の漫画、「アイアムアヒーロー」のおかげです。
人気のほどはどうなんでしょうか?
コミックの売り上げなどはワンピースなんかが圧倒的でしょうし、日本漫画大賞2010では、おしくも4位でしたが話題性やインパクトでは群を抜いている気もします。僕がいつも行く本屋さんでも最新刊の第4巻の発売に合わせてコーナーが設置されました。
第3巻のレビューをと・・・と、ずっと思っていたのですが、いつの間にやら第4巻が発売されてしまいましたw
単に僕が更新を怠っていただけで、アイアムアヒーローの連載ペースが上がったわけではありません。きちんと定期的に休載がありますし、物語の進行具合も加速度はついていません。あまりにもドラマチックな展開なのに、どこかゆったりとしたマイペース感が漂うのは、花沢氏の漫画のよいところかもしれませんね。ゾンビの増殖は確実に加速度がついているのに、主人公・鈴木英雄の情けなさからなのか、危機感や恐怖感は感じるものの、完全にピンと張った緊張感とはちょっと乖離しているかな~と感じます。ところどころに笑いの要素が程よく入っているのも、主人公のキャラ設定のたまものでしょう。そして、そんな英雄の情けなさもパートナーとして登場した、女子高生・早狩比呂美の登場で浮き彫りになっていく。
この早狩さんは、第3巻中盤からの登場ながら、なぜか第2巻の表紙に登場します。そんなところからも物語のキーパーソンになっていくのは予想できます。早狩さんは英雄とは対照的で、情けなさではなく、芯の強さと凛々しさで物語の緊迫感を薄めているのが特徴的。本来ならば女子高生キャラの登場はパニックになって場を荒らしてしまい、早々に死亡フラグがたってもおかしくないのだけど、そうじゃなく、常に落ち着いていて、英雄の情けなさ、優柔不断さなんかを強めてしまうところが面白い。
そして、この早狩さんのバックグラウンドを知るにつれて、この漫画のもう1つのメッセージみたいなものが見えてくる。
それは、人間関係の希薄さ、危うさ、気持ち悪さ。
早狩さんは学校ではいじめられていて、でも、そんないじめの主犯たる紗衣ちゃんとはどこか深いところでつながっていて。
「私たち…誰も仲良くないから…」
このセリフが最も顕著に表しているように、友達、仲良し、親友…現代の世の中でこれほど危うい言葉はないくらいに、他人の気持ちが分かりえず、不安を抱えているのがリアルなのではないだろうか。そんな中でも、早狩さんと紗衣ちゃんの関係はヤマアラシのジレンマを感じずにはいられない。多分、友達、親友という関係に一番近いところにいるはずなのに、それ以上近づくと紗衣ちゃんは自分自身を維持することができなかったのだろう。
英雄と徹子の関係も危うさをもっていた。
英雄は徹子のことを信頼しているつもりなのに、徹子の元彼で才能のある漫画家であり、しかも金持ちの中田の存在が不安でしょうがない。徹子は英雄の漫画家としての才能を信じ、ステップアップのために中田の漫画と引き合わせており、そのことを英雄も理解しているのに、どうしても徹子を信じきれない。その原因が自分自身への自信のなさであることが他へ知られることが怖すぎるので、理論武装をして強がって見せる。誰にも情けないところは見せられない(ダダ漏れなのだけどw)から、妄想の住人である後輩・矢島を相手に強い自分を創りだし、バランスを保っていた。でも、矢島はもう消えてしまった。
単行本4巻から先の話になるけど、英雄は何故か早狩さん相手に自分の弱さを堂々と露呈しはじめている。そして、こんな緊急時なのにどこか楽そうなのもたしか。
英雄の職場の人間関係ももっとぐっちゃぐちゃだったよね、そういえば。
ちょっと地味目でおとなしそうな、アシスタントのみーちゃんを取り巻く男関係はどぶ川の底のように淀みきって、気持ち悪いものだった。英雄と似たようなパーソナリティーを持つ三谷のみーちゃんに対する思いの方が、よっぽど清潔であったくらいに。
三谷が死ぬ直前に示唆した、生き難さと閉塞感と、それからの開放。
生き難さを感じる人たちが行き着くさきは、リセットである。それはつまり、世界の終わりだ。
世の中のシステムが崩壊して、つまり、リセットされてもう一度構築されていく中で、自分の居場所を作り出すことこそが、行き難さからの解放なんだよね。なので、ゾンビだらけになっても待ち望んだ世の中であるという人種は確実に存在するのだ。多分、何も変わらないはずなんだけどね。
ゾンビを目の当たりにしての人々の対応にも人間関係がにじみでている。
果敢にゾンビに向かっていくもの、襲われている人を守るもの。自分が逃げることしか考えない人・・・近しい人がゾンビになった時の対応もそうだろう。英雄が徹子に対してしたこともそう。ゾンビ化してしまった人達だって、自分が一番強く思っていたことを口にだしている様子が伺える。また、英雄と早狩さんの前に現れた首吊り状態のゾンビは、自らが他人に危害を及ぼさないように、手紙を残し、首を吊っていた。ゾンビ化しても、早狩さんから家族写真を受け渡されることによって、自らゾンビとしての命を絶った(ここにもしかしたらゾンビの攻撃性をおさえるヒントがあるのかも・・・漫画的だけどw)。
さてさて、物語は進んでなさそうでじわりじわりと進行しています。
第4巻から先の話はがっかりさせてしまいそうだけど、劇的な展開はないです。でも、確実に進行しています。政府の記者会見は要領をえず、安全であろうと向かった先はやばい状態だったり。そして、本日発売のスピリッツの「アイアムアヒーロー」の最後のページの欄外コメントは、
「……………そして、世界は終わってゆく。」
劇的な展開はなく、予想していた状態であったのだけど、やたらとひびくこの言葉は第1巻最終話につぐ衝撃を覚えました。多分、ここから先、少し物語りが展開していくでしょう。僕が編集者ならばそうしますw
それも花沢健吾氏の漫画、「アイアムアヒーロー」のおかげです。
人気のほどはどうなんでしょうか?
コミックの売り上げなどはワンピースなんかが圧倒的でしょうし、日本漫画大賞2010では、おしくも4位でしたが話題性やインパクトでは群を抜いている気もします。僕がいつも行く本屋さんでも最新刊の第4巻の発売に合わせてコーナーが設置されました。
第3巻のレビューをと・・・と、ずっと思っていたのですが、いつの間にやら第4巻が発売されてしまいましたw
単に僕が更新を怠っていただけで、アイアムアヒーローの連載ペースが上がったわけではありません。きちんと定期的に休載がありますし、物語の進行具合も加速度はついていません。あまりにもドラマチックな展開なのに、どこかゆったりとしたマイペース感が漂うのは、花沢氏の漫画のよいところかもしれませんね。ゾンビの増殖は確実に加速度がついているのに、主人公・鈴木英雄の情けなさからなのか、危機感や恐怖感は感じるものの、完全にピンと張った緊張感とはちょっと乖離しているかな~と感じます。ところどころに笑いの要素が程よく入っているのも、主人公のキャラ設定のたまものでしょう。そして、そんな英雄の情けなさもパートナーとして登場した、女子高生・早狩比呂美の登場で浮き彫りになっていく。
この早狩さんは、第3巻中盤からの登場ながら、なぜか第2巻の表紙に登場します。そんなところからも物語のキーパーソンになっていくのは予想できます。早狩さんは英雄とは対照的で、情けなさではなく、芯の強さと凛々しさで物語の緊迫感を薄めているのが特徴的。本来ならば女子高生キャラの登場はパニックになって場を荒らしてしまい、早々に死亡フラグがたってもおかしくないのだけど、そうじゃなく、常に落ち着いていて、英雄の情けなさ、優柔不断さなんかを強めてしまうところが面白い。
そして、この早狩さんのバックグラウンドを知るにつれて、この漫画のもう1つのメッセージみたいなものが見えてくる。
それは、人間関係の希薄さ、危うさ、気持ち悪さ。
早狩さんは学校ではいじめられていて、でも、そんないじめの主犯たる紗衣ちゃんとはどこか深いところでつながっていて。
「私たち…誰も仲良くないから…」
このセリフが最も顕著に表しているように、友達、仲良し、親友…現代の世の中でこれほど危うい言葉はないくらいに、他人の気持ちが分かりえず、不安を抱えているのがリアルなのではないだろうか。そんな中でも、早狩さんと紗衣ちゃんの関係はヤマアラシのジレンマを感じずにはいられない。多分、友達、親友という関係に一番近いところにいるはずなのに、それ以上近づくと紗衣ちゃんは自分自身を維持することができなかったのだろう。
英雄と徹子の関係も危うさをもっていた。
英雄は徹子のことを信頼しているつもりなのに、徹子の元彼で才能のある漫画家であり、しかも金持ちの中田の存在が不安でしょうがない。徹子は英雄の漫画家としての才能を信じ、ステップアップのために中田の漫画と引き合わせており、そのことを英雄も理解しているのに、どうしても徹子を信じきれない。その原因が自分自身への自信のなさであることが他へ知られることが怖すぎるので、理論武装をして強がって見せる。誰にも情けないところは見せられない(ダダ漏れなのだけどw)から、妄想の住人である後輩・矢島を相手に強い自分を創りだし、バランスを保っていた。でも、矢島はもう消えてしまった。
単行本4巻から先の話になるけど、英雄は何故か早狩さん相手に自分の弱さを堂々と露呈しはじめている。そして、こんな緊急時なのにどこか楽そうなのもたしか。
英雄の職場の人間関係ももっとぐっちゃぐちゃだったよね、そういえば。
ちょっと地味目でおとなしそうな、アシスタントのみーちゃんを取り巻く男関係はどぶ川の底のように淀みきって、気持ち悪いものだった。英雄と似たようなパーソナリティーを持つ三谷のみーちゃんに対する思いの方が、よっぽど清潔であったくらいに。
三谷が死ぬ直前に示唆した、生き難さと閉塞感と、それからの開放。
生き難さを感じる人たちが行き着くさきは、リセットである。それはつまり、世界の終わりだ。
世の中のシステムが崩壊して、つまり、リセットされてもう一度構築されていく中で、自分の居場所を作り出すことこそが、行き難さからの解放なんだよね。なので、ゾンビだらけになっても待ち望んだ世の中であるという人種は確実に存在するのだ。多分、何も変わらないはずなんだけどね。
ゾンビを目の当たりにしての人々の対応にも人間関係がにじみでている。
果敢にゾンビに向かっていくもの、襲われている人を守るもの。自分が逃げることしか考えない人・・・近しい人がゾンビになった時の対応もそうだろう。英雄が徹子に対してしたこともそう。ゾンビ化してしまった人達だって、自分が一番強く思っていたことを口にだしている様子が伺える。また、英雄と早狩さんの前に現れた首吊り状態のゾンビは、自らが他人に危害を及ぼさないように、手紙を残し、首を吊っていた。ゾンビ化しても、早狩さんから家族写真を受け渡されることによって、自らゾンビとしての命を絶った(ここにもしかしたらゾンビの攻撃性をおさえるヒントがあるのかも・・・漫画的だけどw)。
さてさて、物語は進んでなさそうでじわりじわりと進行しています。
第4巻から先の話はがっかりさせてしまいそうだけど、劇的な展開はないです。でも、確実に進行しています。政府の記者会見は要領をえず、安全であろうと向かった先はやばい状態だったり。そして、本日発売のスピリッツの「アイアムアヒーロー」の最後のページの欄外コメントは、
「……………そして、世界は終わってゆく。」
劇的な展開はなく、予想していた状態であったのだけど、やたらとひびくこの言葉は第1巻最終話につぐ衝撃を覚えました。多分、ここから先、少し物語りが展開していくでしょう。僕が編集者ならばそうしますw
アイアムアヒーロー 4 (ビッグコミックス) | |
花沢 健吾 | |
小学館 |