セトは、地の神ゲブと天の女神ヌトの間に産まれた、
四柱の神々の一柱である。
循環サイクルによる拡張(例えば種子の発芽に象徴されるような)と
豊穣の神オシリス、及び
周期的循環を司る二柱の女神、イシスとネプテュスの弟にあたるが、
長男に与えられる王権を得るために、母ヌトの脇腹を食い破り、
自らの力で産まれたのだと云う。
それでも、オシリスに先んじて産まれることができなかった。
しかし、この出自は、セトに与えられた性格をそのまま現している。
つまり、権力や名利のためには、
イレギュラーなやり方で周囲を傷つけることも厭わない、という。
母ヌトを傷つけて出生したセトの神話は、
出生によって母イザナミを焼き殺した、
火の神カグツチの神話を思わせる。
セトは、循環による生命の拡張を示すオシリスの反対の原理、
すなわち、生命の縮小を象徴する神なのだけど、
灼熱の砂漠や岩や、
焼き尽くす火のネガティブな面をも示し、
それを象徴するように赤い髪を持つ。
鹿島の神タケミカヅチは、
記紀の系図によればカグツチの息子とされている。
つまり、セトの火の神としての側面がカグツチであり、
敵の生命を縮小する武神としての側面が鹿島の神であり、
また、荒海の神としての側面が、
中臣氏の祖とされる天児屋根の祖神となる、津速産霊なのだと思う。
津速産霊は、根源神・天御中主の息子とされている。
高神産霊や神産霊(おそらく、世界創造におけるマート(天)とトト(道))と
同格の、極めて高位の神として扱われている。
そのワリに、何をした神なのか、
サッパリ知れないのである。
また、日本神話におけるスサノオは、
セトを思わせる暴風神とされているが、
これは、憎きオシリスに、嫌な役を押し付けたものと思う。
古代エジプトにおいてオシリスは、
セクメトの夫にしてネフェルティムの父である技巧神プタハ、
冥界の神にして“ゲブの魂”と呼ばれたソカルと同一視されていた。
おそらくこれが
本来のスサノオの神格なのだと思う。
スサノオの王としての側面が大国主であり、
その宰相としてのツクヨミがスクナヒコなのだろう。
千五百年にわたり、トップとしての名利を手にし、
自らを敬う民を国に君臨させ、憎きライバルを謗って、
セトの気は済んだのだろうか?
しかし、仏教の教えによれば、
欲望をいくら満足させたところで、
決して、完全に満たされることはないのである。
いまだに満たされず、まだなお名利が欲しいというのが、
本当のところではないだろうか?
***
火の女神としてのウシャスの神格は、
おそらくエジプトにはなかったもので、
焼き畑農業の出現と共に現れた、
生産、生命拡張力の母胎としての火を示す神だと思う。
火の神という面において、
ウシャスはセトの双子なのである。
また、大地と一体化することで生産力としての大地を産み出す
母胎としての霊質、という面から、
産み出す混沌としての根源神・ヌンの成就相であろうネイト(アテナ)と
同一視されたのだろう。
ウシャスは火の神として、質の面からセトに惹き付けられるが、
生産神として、セトを嫌うのである。
四柱の神々の一柱である。
循環サイクルによる拡張(例えば種子の発芽に象徴されるような)と
豊穣の神オシリス、及び
周期的循環を司る二柱の女神、イシスとネプテュスの弟にあたるが、
長男に与えられる王権を得るために、母ヌトの脇腹を食い破り、
自らの力で産まれたのだと云う。
それでも、オシリスに先んじて産まれることができなかった。
しかし、この出自は、セトに与えられた性格をそのまま現している。
つまり、権力や名利のためには、
イレギュラーなやり方で周囲を傷つけることも厭わない、という。
母ヌトを傷つけて出生したセトの神話は、
出生によって母イザナミを焼き殺した、
火の神カグツチの神話を思わせる。
セトは、循環による生命の拡張を示すオシリスの反対の原理、
すなわち、生命の縮小を象徴する神なのだけど、
灼熱の砂漠や岩や、
焼き尽くす火のネガティブな面をも示し、
それを象徴するように赤い髪を持つ。
鹿島の神タケミカヅチは、
記紀の系図によればカグツチの息子とされている。
つまり、セトの火の神としての側面がカグツチであり、
敵の生命を縮小する武神としての側面が鹿島の神であり、
また、荒海の神としての側面が、
中臣氏の祖とされる天児屋根の祖神となる、津速産霊なのだと思う。
津速産霊は、根源神・天御中主の息子とされている。
高神産霊や神産霊(おそらく、世界創造におけるマート(天)とトト(道))と
同格の、極めて高位の神として扱われている。
そのワリに、何をした神なのか、
サッパリ知れないのである。
また、日本神話におけるスサノオは、
セトを思わせる暴風神とされているが、
これは、憎きオシリスに、嫌な役を押し付けたものと思う。
古代エジプトにおいてオシリスは、
セクメトの夫にしてネフェルティムの父である技巧神プタハ、
冥界の神にして“ゲブの魂”と呼ばれたソカルと同一視されていた。
おそらくこれが
本来のスサノオの神格なのだと思う。
スサノオの王としての側面が大国主であり、
その宰相としてのツクヨミがスクナヒコなのだろう。
千五百年にわたり、トップとしての名利を手にし、
自らを敬う民を国に君臨させ、憎きライバルを謗って、
セトの気は済んだのだろうか?
しかし、仏教の教えによれば、
欲望をいくら満足させたところで、
決して、完全に満たされることはないのである。
いまだに満たされず、まだなお名利が欲しいというのが、
本当のところではないだろうか?
***
火の女神としてのウシャスの神格は、
おそらくエジプトにはなかったもので、
焼き畑農業の出現と共に現れた、
生産、生命拡張力の母胎としての火を示す神だと思う。
火の神という面において、
ウシャスはセトの双子なのである。
また、大地と一体化することで生産力としての大地を産み出す
母胎としての霊質、という面から、
産み出す混沌としての根源神・ヌンの成就相であろうネイト(アテナ)と
同一視されたのだろう。
ウシャスは火の神として、質の面からセトに惹き付けられるが、
生産神として、セトを嫌うのである。