テレビ番組や週刊誌、女性誌とか、
世俗のレベルで、ああだこうだと端から人間を評価している。
こういう異性がいいだの、ああすれば好かれるだの。
それは、普通の人の標準的な感覚の、素直な現れなんだろうな、と思う。
人は見掛けに弱くて、肩書きや学歴にも弱い。
その付属品や、表面的な態度や仕草にもこだわる。
だけど本当は、それはあんまり本質とは関係がない。
そういう面で人を好きになったりする異性にはモテるかもしれないけど、
そんなことで世の中に資することができる訳じゃないし、
良い人間関係や家族生活を作り上げ、続けられる訳じゃない。
みんなが寄って加わりたいと思うような盛り上がりを作ったり、
世の中の流れを読んで、そちらへ乗り出していく事ができるわけでもない。
だから、あくまでもそういうのは、趣味の世界の問題だと思う。
実質とは、あんまり関係がないのだ。
そういうのにこだわって、いい男性を掴んだと思ったら
なんかDVで苦しんだ、みたいな人も知り合いにいるから、
そういう好みには、むしろ十分に注意すべきだと思う。
わたしは、そういう事にはあまりこだわらない。
というか、そういうのにこだわる人たちと同じに見られるのを好まない。
あの雑誌にこう書いてあった、というレベルで来られると、
勘弁してくれ、と思う。
そういう事をああだこうだ言う女性たちの一人に見えるのだなぁ、
と思うと、少し落ち込む。
そう見るという事は、わたしの内面が全く見えていないということだから、
パートナーとしてはまったく問題外なのである。
***
まあ、個人的な話はさておき、
では何を基準に人間を見るのか、という話になると思う。
twitterにも書いたのだが、わたしなりには、
◎“貪”や物惜しみより、友人や家族を大切に思う気持ちが強い。
◎メタ認知がしっかりしていて、
完璧でなくていいから、モニタリングだけでなく、何らかのコントロールの志向がある。
◎他人に指示されたり、周囲に流されたりではなく、
自分自身の動機付けによる何らかの向上心がある。
必ずしも型通りの“上昇志向”である必要はない。
この三点があれば、将来にかけて刺激しあえる
いい人間関係を持ち得ると思う。
もちろん、自分自身も、これを満たせる自分であるよう、
努力していくのである。
“わたしたち同じだね”で安心感からくっついているだけだったり、
もの惜しみ同士で、便宜的につるんでいるだけとか、
そんな関係も世の中にはあるみたいだけど、
それはあんまり、生きていく力にはならないのだと思う。
逆に、“同じだね”を脱皮しようとした時には、やっかんだり
幸福を妬んで足を引っ張りあったりして、
人生の思わぬ落とし穴になることもある。
もの惜しみや貪で孤独な人に対して、可哀想とか自信を持たせてあげようとか、
本人が変わる気がないのに関わり続けるのも要注意で、共依存に陥りかねない。
(本人に努力する気があれば別である。それは“向上心”だから)
***
お互いに上の三点のような事を重視する人間同士であれば、
相乗効果で、そうした波長も強まるし、
お互いに相手のそうした面を意識して見るから、
そうした面を引き出し合う効果もあると思う。
潜在的な素質とは、実は、
そのようにしてお互いの可能性を見る良い人間関係があってこそ、
より開花しやすいのだと思う。
世俗のレベルで、ああだこうだと端から人間を評価している。
こういう異性がいいだの、ああすれば好かれるだの。
それは、普通の人の標準的な感覚の、素直な現れなんだろうな、と思う。
人は見掛けに弱くて、肩書きや学歴にも弱い。
その付属品や、表面的な態度や仕草にもこだわる。
だけど本当は、それはあんまり本質とは関係がない。
そういう面で人を好きになったりする異性にはモテるかもしれないけど、
そんなことで世の中に資することができる訳じゃないし、
良い人間関係や家族生活を作り上げ、続けられる訳じゃない。
みんなが寄って加わりたいと思うような盛り上がりを作ったり、
世の中の流れを読んで、そちらへ乗り出していく事ができるわけでもない。
だから、あくまでもそういうのは、趣味の世界の問題だと思う。
実質とは、あんまり関係がないのだ。
そういうのにこだわって、いい男性を掴んだと思ったら
なんかDVで苦しんだ、みたいな人も知り合いにいるから、
そういう好みには、むしろ十分に注意すべきだと思う。
わたしは、そういう事にはあまりこだわらない。
というか、そういうのにこだわる人たちと同じに見られるのを好まない。
あの雑誌にこう書いてあった、というレベルで来られると、
勘弁してくれ、と思う。
そういう事をああだこうだ言う女性たちの一人に見えるのだなぁ、
と思うと、少し落ち込む。
そう見るという事は、わたしの内面が全く見えていないということだから、
パートナーとしてはまったく問題外なのである。
***
まあ、個人的な話はさておき、
では何を基準に人間を見るのか、という話になると思う。
twitterにも書いたのだが、わたしなりには、
◎“貪”や物惜しみより、友人や家族を大切に思う気持ちが強い。
◎メタ認知がしっかりしていて、
完璧でなくていいから、モニタリングだけでなく、何らかのコントロールの志向がある。
◎他人に指示されたり、周囲に流されたりではなく、
自分自身の動機付けによる何らかの向上心がある。
必ずしも型通りの“上昇志向”である必要はない。
この三点があれば、将来にかけて刺激しあえる
いい人間関係を持ち得ると思う。
もちろん、自分自身も、これを満たせる自分であるよう、
努力していくのである。
“わたしたち同じだね”で安心感からくっついているだけだったり、
もの惜しみ同士で、便宜的につるんでいるだけとか、
そんな関係も世の中にはあるみたいだけど、
それはあんまり、生きていく力にはならないのだと思う。
逆に、“同じだね”を脱皮しようとした時には、やっかんだり
幸福を妬んで足を引っ張りあったりして、
人生の思わぬ落とし穴になることもある。
もの惜しみや貪で孤独な人に対して、可哀想とか自信を持たせてあげようとか、
本人が変わる気がないのに関わり続けるのも要注意で、共依存に陥りかねない。
(本人に努力する気があれば別である。それは“向上心”だから)
***
お互いに上の三点のような事を重視する人間同士であれば、
相乗効果で、そうした波長も強まるし、
お互いに相手のそうした面を意識して見るから、
そうした面を引き出し合う効果もあると思う。
潜在的な素質とは、実は、
そのようにしてお互いの可能性を見る良い人間関係があってこそ、
より開花しやすいのだと思う。