Oceangreenの思索

主に、古神道、チベット仏教、心理学等に基づく日本精神文化の分析…だったはずなんだけど!

無意識が信用できないとき

2010-06-20 | 思索のかけら
無意識的にやったことは、ことごとくポカになってしまう。
ふと意識を緩めただけでも、必ずと言っていいほど、
度を越したミス、失敗の原因になってしまう。

そのために、無意識というものが信用できない。
意識と無意識の境界線で働くフロー状態など、想像もできない。

ミスをしないためには過剰に気を使うしかない。
意識を酷使することで、なんとか人並みにやっている。

そんな場合、様々な原因が考えられると思うのだけど、

一つには、無意識中に何かを隠すために意識が過剰適応している、
そのため、無意識が意識に反発している、というのが有り得ると思う。

何を隠しているかというと、おそらく本音だろう。
人間は、直霊が本当に望み、示している方向を、
意識の都合で無視してしまうことがあるのだ。

***

直霊の声は、普通無意識を通して現れる。
それは、高次の“自分”が本当に望んでいることであり、
この人生で為すべきと感じていることだ。

フロイト的な考え方をすれば、
無意識の声は抑圧された煩悩ばかり、という事になるのだが、
そうではなく、高次の自己意識のメッセージであることも多い。

どちらにせよ、意識が無意識の声を無視し続けていると、
無意識は、意識に従わない状態になってしまう。

日常生活ではなく、仕事の場面で無意識の反乱が強いなら、
一つの可能性として、その仕事が、
本当に直霊の望んでいる物ではないことが考えられるだろう。

例えば、若い頃にやりたい夢があったのに、
それでは食べていけないからと、無理矢理、
全く関係ない他の職についているような場合など。

もちろん、それが芸術や演劇、文筆など、特殊で芸術性の高い職業ならば、
それだけで食べていくということは難しい。

しかし、名誉欲や虚栄心だけでなく、
直霊の欲求でそれを経験したいと思っている場合、
おそらくは、精神的な成熟に必要な経験なのである。

たとえば演劇ならば、架空ではあるが、
多くの人生を演じ、経験することができるだろう。

それは、単調な日常だけではなく、人生の中の様々な文学的な陰影を描く。
人生を味わい深く解釈するヒントに満ちている。

また、現実生活においては、ただ真っ正直で開けっ放しなだけではなく、
真心で、腹の中と違うことを演じなくてはならないこともある。

それを学ぶことにもなるだろう。

芸術にも、文筆にも、その経験で学ぶべきことがあり、
直霊はそれを求めていると考えられるのである。

***

現実的に食べていけないからと、すっかりそれを捨て去り、
生活のための仕事に忙殺されているとしよう。

直霊は、望む体験をするために、意識に様々な方法でサインを送る。
意識が耳を貸さなければ、
無意識の方も、意識に協力しないことを決意する。

根比べということになれば、必ず無意識の方が強い。
無意識の方が根っ子なのだから、
精神的なエネルギーは常に無意識が握っているのだ。

無意識は決して、意識の勝手の言いなりにはならない。
意識は、無意識による兵糧攻めにあうことになる。

生活が難しいとしても、現実の許す範囲で、
例えば趣味としてでも、直霊の望むことをした方がいい。

直霊が満足すれば、それはエネルギーになり、
現実的な正業にも、元気に従事できるようになるだろう。

無意識の協力も得られるようになる。

逆に、直霊の欲求を無視して、生活のための仕事だけをしていれば、
不満はつのり、
努力にふさわしい見返りがない、と感じることがより多くなる。

努力に報いる満足感を与えるのは、実は無意識であり、
他人や名誉や権力ではないのだ。

なすべきことをなさず、
他人に求めても無駄である。
それは期待外れに終わるだろう。

***

――精神的本性に忠実であるべきで、
自己の弱さから、あるいは利害その他の理由で
これを拒んではならない、と強調されるのである。

自己の才能をいつわり、天性の画家が靴下を売り、
インテリが愚にもつかない生活をし、
真実を見ている人が口をつぐみ、男らしさを捨てて臆病者になる。

これらの人びとは、みなひそかに、
自分にとって間違ったことをしていると感じとり、自分を蔑む。

この自罰が神経症を生むが、しかしまた同じようにして、
その後正しいことをおこなうことにより、
更新された勇気、不正に対する義憤、自尊心の向上を生ずることも多い。

A.H.マズロー 『完全なる人間』より

環境や年齢、さまざまな障害はあっても、
直霊の求めることならば、不思議と越えられるものである。

問題は、この現実の中でやってみようとすること。
その方法を模索することである。

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