Oceangreenの思索

主に、古神道、チベット仏教、心理学等に基づく日本精神文化の分析…だったはずなんだけど!

イメージから動かす

2010-06-19 | 思索のかけら
主にtwitterに書いたものに、少し手を加えてまとめました。
(現在、人とコミュニケーションが取りにくい病状なので、
今のところ、twitterはフォローしていただいても、フォローできません。
本当にごめんなさい。)

***

パソコンを使うようになって、人は、すぐに反応を求めるようになったという。
パソコンは、クリックした途端に動く。
軽く動くほどよい。
でも、大きなプログラムほどやはり、重いのだと思う。

人はパソコンではないから、言ったことに対して
パソコンのようにすぐには反応しない。
普通は、聞いたことにピンときたとしても、
それを今の現実の中にどう取り入れていこうかと考えるはず。

そして、自分の体系の中に取り入れることができて初めて、
それは主体性を以って実行され得る。
つまり、言われてすぐに影響されるのでは主体性に欠ける、と言い換える事もできる。

大人ならそう言えば分かるだろうけど、
人間よりパソコンと多く関わって育つ今の子供が心配だ。

***

言ったこと、言説が、その場ですぐ人々に影響を及ぼし、
ダイレクトに革命-変化につながっていくということは、まずないと思う。
時が経ってから、“あれ”と思うような人が、
“あれ”と思うようなところで動いている、というようなもので。

ものごとが動くときには、まず気配が生じ、雰囲気とイメージが生まれ、
その後で、やっと一般の人々の意識が動く。
大きな流れは遅々たるものだから、
俯瞰的に見ることができる人にしか気付けないのだろう。

それから、危機感を煽る前に、
自分の中で肯定的なイメージがしっかり確立していないと、
責められているだけのように受け取られてしまうと思う。
つまり、素晴らしい国際的な学術の府としての日本の大学のイメージをしっかり抱かないと、
“いいなぁ”“そうなりたいなぁ”とは思われない。

例えば、ギリシャの哲学者たちが集う広場。
周囲の国々から志あるものが集った唐の都。
その活気そのままに、人々を、日本と様々な国々の若者たちに置き換えてイメージする。

それを、現実の大学に投影する、ということをわたしはしているが、
それは東大ではない。
東大は、なぜかイメージができないので。

つまり、ごっこ遊びみたいなもの。
大学の中に身を置いた自分が、そこにいるつもりになるのである。
集合的な意識にシンクロしているほど、
イメージが周囲に及ぼす影響は強くなる。
神なるものをキャッチしやすい人が、そうしたイメージをキャッチして、無意識的にノッてくれる。

目の前の“事、物”しか見ず、簡単に“何も変わらない”と言い切ってしまう人は、
全てが変わった時、取り残されているか、
あるいは自分も変わっている事に気付かないタイプ。
水がお湯になるのに気付かず、鍋で煮られるカエルタイプだと思う。

***

メタ認知のクセがある人のほうが、集合的な意識とシンクロしやすい。
メタ認知というのは、外から自分を見ているもう一人の自分のこと。
それを全く持たない人は、気配もイメージも受けとることが下手な傾向がある。

それを持つには、
自分の物の見方と他人の物の見方が同じとは限らないことを知らなければならない。
複数の他人の物の見方を知り、それをすり合わせたものと、
自分の物の見方の違いを知り、自分のクセを知ること。

自分のクセを弁えながら、それとは別に、
標準的にはどう見るのが妥当なのか、を想像するよう心掛ける。
それは、主観よりは客観に近い。
客観そのものではあり得ないが、多くの他人を知ることにより客観に近づく。

自分と同じ感じ方をする人としか付き合わなければ“標準”は偏り、
客観は想定しにくい。
日本人にしか興味を持たなかったり、
偏った外国にしか興味を持たなくても、勿論偏る。

また、“慣習”や“常識”の位置にメタ認知の目を想定すると、
フロイトの超自我になりやすい気もする。

サンプルをどこに取るかが、問題になる。

大切なのは、利害を離れた人々であること。
客観というのは、利害を離れていなければ難しいと思う。
自分の利害が、無数の利害の一つでしかないことを理解している人々を参考にし、
彼らならどう見るかを想像する。

他に、三人称で今の自分の状態を文章にすると考えるのもいいと思う。
文章にしてくれる作家は、広く世界を知り、
理性的で公平な文章を書く人間と想定したほうが適切だろう。

***

しかし、どんなに集合的な意識とシンクロした人でも、
イメージで本当に現実を動かすのには限界がある。
そこで言霊の出番になる。
言葉でイメージを伝えることにより、相手がそのイメージをキャッチしやすくなるから。

イメージを共有する人が多いほど力は強くなる。
そうした意味では、ネガティブなイメージは個人にとどめ、
あまり共有しない方がいい。

イメージすればその通りになるという事では勿論なく、
イメージを共有し、そうなりたいと思う人たちにより、
そうなる為の手段が考え出され、努力が始まるという事。

一人の力で出来ることは少なく、
多くの人たちが自主的に共有するイメージに向かうことにより、
初めて実現に近づく。

実現する、と言い切っているのではない。

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