”玲瓏”管理人のつぶやき

"玲瓏:羽生善治(棋士)データベース"管理人たいがーの独り言(HP更新情報含む)

八王子観光大使委嘱式典(後編)

2006年11月16日 | 羽生善治
 当日は羽生さんのご両親も来場されました。羽生さんは、ご自分の記念講演が終わったあとの第3部観光大使による記念公演(八王子車人形、斉藤映画作品ハイライト)を、ご両親に挟まれて観覧されておられました。

【第2部】新八王子観光大使 就任記念講演 テーマ「決断力を磨く」 要約(続き)

 将棋は最後まで・・・:将棋というゲームは1ポイント取ってもあまり喜べません。最後相手の玉を詰ますまでは気が抜けないからです。バレーボールは、1点取って喜ぶところを見るとある意味羨ましいですね(^^;。

 勝利の喜び:一局が終わっても勝った”喜び”は普段の喜びと種類が違います。時間が経つと実感が湧いてきますが、緊張から解放された安堵感の方が大きいかもしれません。

 時間:何気なく過ぎる時間ですが、日常生活の1分、または5分と違って、対局での1分、5分はもの凄く大事なものです。時間は大事に使うことを普段から心がけるようになりました。

 敗北:将棋はまた他人のせいにできないゲームでもあります。ミスをして負けたら自分の責任です。白黒はっきりしてするところは良い点ではありますが、同時にその敗北という結果は残酷なものでもあります。

 時代の流れ:最近の対局は序盤から気が抜けないので、朝から真剣勝負です。将棋のプロ棋士はサラリーマンの方が毎日会社に通われるのとは違って対局のときだけ連盟の会館へ行きます。10代の頃は朝と言えばのんびりしたもので、近況を語り合う時間でもありました。

 コンピュータ:今やコンピュータを使って、情報分析をすることは当たり前になりました。昔は有利なことだったかもしれませんが、そうではなくなりつつあります。これからの棋士にとって、コンピュータは”あるもの”として、個性・方針・戦略などの独自性がより重要度を増すことでしょう。

 コンピュータゲーム:すべて画面上で並べてくれるので、最近では、人と将棋をしたことがない、駒を並べたことがない、というお子さんが増えました。しかし、将棋はやはり、人と人が向き合って指し互いに礼をつくすのが好ましいかと思います。

 定跡よりは新手:定跡では頭を使うというよりは記憶をたどる行為に近いでしょう。新しい道、舗装されていない道は、事故に合いやすいかもしれませんが、頭脳をフル回転しやりがいを感じます。脳科学者の茂木健一郎さんが、偶有性が頭を刺激すると語られているのもわかります。

 最先端は?:現在三冠王ではありますが、自分が将棋界の最先端ではありません。奨励会員など低段者の過去にとらわれない自由な発想から流行が発生しているのが実情です。自分は、トップランナーの意識はありません。

 流行の戦法:現代将棋は知識がかなり広がったと思われます。すべてをカバーしようとしても現実的には無理なこととなってきています。その流行が自分に合っているかを判断し、合っていれば自分なりの工夫をして取り入れています。

 破門の手:最近の流行戦法を見ると、家元制度では破門とされていた異筋の手が主流となってきています。当たり前とされてきたことが、あらためて見直そうとできる時代になり見直された結果でしょうか。同じようにあらためて考え直していくと、学ぶことが多く、面白かったりします。

 研究成果?:異筋の手が主流となる現在では、昔時間をかけて研究したものが役立たないことが大半です。積み上げてきた一番上の上積みは大事ですが、その下は極端な話、空洞であってもかまわないのかもしれません。ただ、自分なりに新しいものを吸収する方法は確立できてきたと自負しています。

 日本文化:将棋の起源は、インドのチャトランガとされますが、チェスや中国の象棋と異なるのは取った駒の再利用ができることです。国の習慣や文化が反映されて、必要最小限な駒の構成要素になってきたことなどは感慨深いことかもしれません。

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