杜甫ー108
贈衛八処士 衛八処士に贈る
人生不相見 人生 相(あい)見ず
動如参与商 動(やや)もすれば参(さん)と商(しょう)との如し
今夕復何夕 今夕(こんせき) 復(ま)た何の夕べぞ
共此燈燭光 此の灯燭(とうしょく)の光を共にす
少壮能幾時 少壮(しょうそう) 能(よ)く幾時(いくとき)ぞ
鬢髪各已蒼 鬢髪(びんぱつ) 各々(おのおの)已に蒼(そう)たり
訪旧半為鬼 旧(きゅう)を訪(と)えば 半ば鬼(き)と為(な)る
驚呼熱中腸 驚き呼んで中腸(ちゅうちょう)熱(ねつ)す
焉知二十載 焉(いずく)んぞ知らん 二十載(さい)
重上君子堂 重ねて君子(くんし)の堂に上らんとは
昔別君未婚 昔 別れしとき 君(きみ)未だ婚(こん)せざりしに
児女忽成行 児女(じじょ) 忽ち行(こう)を成す
怡然敬父執 怡然(いぜん)として父の執(とも)を敬(うやま)い
問我来何方 我に問う 何れの方(かた)より来たるやと
問答未及已 問答 未だ已(や)むに及ばざるに
駆児羅酒漿 児(じ)を駆(か)って酒漿(しゅしょう)を羅(つら)ねしむ
夜雨剪春韮 夜雨(やう) 春韮(しゅんきゅう)を剪(き)り
新炊間黄粱 新炊(しんすい) 黄粱(こうりょう)を間(まじ)う
主称会面難 主(しゅ)は称す 会面(かいめん)難(かた)し
一挙累十觴 一挙に十觴(じつしょう)を累(かさ)ねよと
十觴亦不酔 十觴も亦た酔わず
感子故意長 子(し)が故意(こい)の長きに感じ
明日隔山岳 明日(めいじつ) 山岳を隔(へだ)てなば
世事両茫茫 世事(せいじ) 両(ふた)つながら茫茫(ぼうぼう)
⊂訳⊃
人生では 会いたくても会えないことが多い
ときには 参星と商星のように隔たってしまう
ところで今夜は なんと嬉しい夜だろう
この灯火の光を 二人で共にできたのだ
若い時期というものは いくらもない
君も僕も 鬢髪はすでに灰色だ
旧友のことを語り合えば 半分は亡くなっており
驚きの声をあげて 胸はふさがれる
思いもよらなかった 二十年もの時を隔てて
再び 君の家にお邪魔できるとは
むかし別れたとき 君は独り者だったが
いまは息子や娘が 行列をなして出てくる
打ち解けた様子で 父親の友人に挨拶し
「どちらからいらしたのですか」と尋ねる
そんなやりとりが 終わらないうちに
君は子供たちを指図して 飲み物を並べさせる
夜の雨のなか 春の韮を摘んできてくれ
黄色の粟をまぜた 新しい飯を炊いてくれる
こんな時世だから 会うのは難しい
一気に十杯は空けようと 君は言う
十杯飲んだが やっぱり酔えない
君の友情が 長く続いているのに感動したからだ
明日は別れて 山々を隔てることになれば
この世の事は どうなるかわからないのだ
⊂ものがたり⊃ 詩題の「衛八」は姓が衛、排行が八ということで、呼び方から杜甫の親しい友であることがわかります。しかし、二人は久しぶりに会っていますので、幼なじみでしょう。「処士」というのは士身分の者ですが官に就かず野(や)にいる者のことです。
この詩は作られた場所や時期が不明ですが、故郷の鞏県で久しぶりに会ったときと考えるのが適当と思います。久しぶりに衛八の家を訪ねて旧友の消息などを尋ねてみると、半分は亡くなっており、杜甫は「中腸熱す」と言っています。「復愁」(復た愁う)其の三の詩からも、旧友の死が戦死であったことが窺がえます。
二十年振りの再会ですので、杜甫が二十八歳のとき以来の再会ということになります。そのときは衛八も独身でしたが、いまは「児女 忽ち行を成す」と言っています。ぞろぞろと出てきたのです。衛八の妻のことが出て来ませんが、おそらく亡くなって再婚していなかったのでしょう。
子供たちは父親の友人に行儀よく挨拶し、「どちらからいらしたのですか」と話す態度にもしつけのよさが感じられ、杜甫は感心するのです。はなし終わらないうちに、衛八は子供たちに命じて「酒漿」を並べさせます。もちろんお酒です。ここらあたりの描写は平明で温かみがあり、杜甫があたらしく生みだした詩の境地と見ていいでしょう。とてもいい詩ですね。
衛八は夜の雨のなか菜園の春韮をつんできて、黄粱をまぜた飯(上等の食事)を炊いて持て成します。杜甫は友情の変わらないのに感激して、十杯も盃を重ねますが酔うことができません。世は乱れ、別れたらいつ会えるかわからないと言っていますが、このことはすぐに現実となります。
というのは、鄴城包囲の推移を眺めていた男がいました。安禄山とともに兵をあげた史思明です。史思明は父親を殺した安慶緒と袂を分かち、唐に降って帰義王范陽節度使に任ぜられ、幽州に屯していました。ところが乾元二年(759)の二月末、安慶緒を援けると称して再び唐に叛したのです。
史思明は十三万の兵を率いて幽州から南下してきました。政府軍はこれを相州の野で迎え撃ちます。三月三日、両軍がまさに戦端を開こうとしたとき、突然猛烈な風が吹き起こって砂塵を巻き上げ、天地は真っ暗になりました。両軍は陣を払って潰退しますが、史思明はすばやく兵をまとめ、鄴城に入って安慶緒を殺します。そして自分が大燕皇帝の位に就いたのです。
杜甫ー111
石濠吏 石濠吏
暮投石濠村 暮(くれ)に石濠(せきごう)の村に投ず
有吏夜捉人 吏(り)有りて 夜 人を捉(とら)う
老翁踰牆走 老翁 牆(かき)を踰(こ)えて走り
老婦出門看 老婦 門を出(い)でて看(み)る
吏呼一何怒 吏の呼ぶこと一(いつ)に何ぞ怒れる
婦啼一何苦 婦の啼(な)くこと一に何ぞ苦しき
聴婦前致詞 婦の前(すす)みて詞(し)を致(いた)すを聴くに
三男鄴城戍 三男(さんだん)は鄴城(ぎょうじょう)に戍(まも)る
一男附書至 一男は書を附(ふ)して至(いた)り
二男新戦死 二男は新たに戦死すと
存者且偸生 存(そん)する者は且(しばら)く生を偸(ぬす)むも
死者長已矣 死せる者は長(とこし)えに已(や)みぬ
室中更無人 室中(しつちゅう) 更に人無く
惟有乳下孫 惟(た)だ乳下(にゅうか)の孫(まご)有るのみ
有孫母未去 孫に母の未(いま)だ去らざる有るも
出入無完裙 出入(しゅつにゅう)に完裙(かんくん)無し
老嫗力雖衰 老嫗(ろうう) 力衰えたりと雖(いえど)も
請従吏夜帰 請(こ)う 吏に従いて夜(よる)帰(き)せん
急応河陽役 急に河陽(かよう)の役(えき)に応ぜば
猶得備晨炊 猶(な)お晨炊(しんすい)に備(そな)うるを得ん」と
夜久語声絶 夜 久しうして語声(ごせい)絶え
如聞泣幽咽 泣いて幽咽(ゆうえつ)するを聞くが如し
天明登前途 天明(てんめい)に前途(ぜんと)に登り
独与老翁別 独り老翁(ろうおう)と別る
⊂訳⊃
日暮れになって石濠村に宿る
すると役人がきて 夜中に徴兵をする
老人は 土塀を越えて逃げ
老婆は 門を出て相手になる
役人の声は まったくの怒鳴り声
老女の泣き声はなんとも苦しそうだ
彼女がすすみ出て言うのを聞くと
「三人の息子は 鄴城の守備についています
一人の息子が 便りをよこし
二人の息子は さきごろ戦死したそうです
生きている者は しばらく生をむさぼれますが
死んだ者は 永久におしまいです
家にはほかに 男とてなく
乳飲み子の孫がいるだけです
孫の母親は まだ去ってはいませんが
出入りするのに 満足な裙(スカート)もありません
この婆 力は衰えておりますが
お役人の伴をして 今夜でも出かけましょう
河陽の仕事につかせてもらえば
朝の飯炊きぐらいには役立ちます」
夜も深まって話し声は絶え
むせび泣く声が聞こえたようだった
夜明けにわたしは出立したが
老人と別れただけである
⊂ものがたり⊃ 杜甫が衛八と会ったのは、二月末のことのようです。まだ相州の敗戦のことを知りませんでした。杜甫は前年末に華州を出てから二か月以上たっていますので、そろそろ華州にもどる必要を感じていました。そのとき相州の敗報を聞いて、華州への帰途につきます。
華州へ帰る途中での見聞をもとにまとめたのが五言古詩の連作六首「三吏三別」(さんりさんべつ)で、いずれも戦争に駆り出される民の辛苦を詠ったものです。「石濠吏」は四句ごとに韻を換える楽府(がふ)の体裁を取っていますが、内容によって三つに区分して見ることができます。
石濠村は洛陽の西110km余の陝州(せんしゅう:河南省三門峡市陝県)の村です。杜甫はその村の家に一夜の宿を求めますが、はじめの六句は役人がやってきて、兵に出す男を捉えようとします。老人は垣根を跳び越えて逃げ、老婦が応対に出る場面です。杜甫はおそらく家の中で聞き耳を立てているのでしょう。
つぎの十句は老婦が役人に訴える言葉です。それによると、この家の息子三人は鄴城の戦に駆り出されており、そのひとりから来た便りによると、他の二人は戦死したというのです。家にはほかに男はおらず、乳飲み子の孫がいるだけです。孫の母親は家を出てはいないけれども、満足なスカートもなくて外へ出入りもできませんと、必死に窮状を訴えます。
老婆はけなげにも、自分はまだ力もあるので河陽の陣につれていってもらえば、飯炊きぐらいは出来るでしょうと申し出ます。河陽(河南省孟県)は鞏県の北、黄河を渡った対岸にあり、相州から退いて来た九節度使の軍が陣地を構築して史思明軍を防ごうとしていました。
この詩については、役人の非道な行いに対して杜甫は傍観的に過ぎるのではないかという批判があります。確かに眼前に展開されている暴行は許しがたいことですが、一面において攻めてくる賊軍を防ぐには必要な動員でもあったのです。それに他州の役人である杜甫の立場からは、ここで口を出すのは権限外のことであり、処罰の対象にもなるのです。結句の「独り老翁と別る」という杜甫のつぶやきに、仕方なく口ごもる杜甫の心の葛藤を読み取るほかはないでしょう。
贈衛八処士 衛八処士に贈る
人生不相見 人生 相(あい)見ず
動如参与商 動(やや)もすれば参(さん)と商(しょう)との如し
今夕復何夕 今夕(こんせき) 復(ま)た何の夕べぞ
共此燈燭光 此の灯燭(とうしょく)の光を共にす
少壮能幾時 少壮(しょうそう) 能(よ)く幾時(いくとき)ぞ
鬢髪各已蒼 鬢髪(びんぱつ) 各々(おのおの)已に蒼(そう)たり
訪旧半為鬼 旧(きゅう)を訪(と)えば 半ば鬼(き)と為(な)る
驚呼熱中腸 驚き呼んで中腸(ちゅうちょう)熱(ねつ)す
焉知二十載 焉(いずく)んぞ知らん 二十載(さい)
重上君子堂 重ねて君子(くんし)の堂に上らんとは
昔別君未婚 昔 別れしとき 君(きみ)未だ婚(こん)せざりしに
児女忽成行 児女(じじょ) 忽ち行(こう)を成す
怡然敬父執 怡然(いぜん)として父の執(とも)を敬(うやま)い
問我来何方 我に問う 何れの方(かた)より来たるやと
問答未及已 問答 未だ已(や)むに及ばざるに
駆児羅酒漿 児(じ)を駆(か)って酒漿(しゅしょう)を羅(つら)ねしむ
夜雨剪春韮 夜雨(やう) 春韮(しゅんきゅう)を剪(き)り
新炊間黄粱 新炊(しんすい) 黄粱(こうりょう)を間(まじ)う
主称会面難 主(しゅ)は称す 会面(かいめん)難(かた)し
一挙累十觴 一挙に十觴(じつしょう)を累(かさ)ねよと
十觴亦不酔 十觴も亦た酔わず
感子故意長 子(し)が故意(こい)の長きに感じ
明日隔山岳 明日(めいじつ) 山岳を隔(へだ)てなば
世事両茫茫 世事(せいじ) 両(ふた)つながら茫茫(ぼうぼう)
⊂訳⊃
人生では 会いたくても会えないことが多い
ときには 参星と商星のように隔たってしまう
ところで今夜は なんと嬉しい夜だろう
この灯火の光を 二人で共にできたのだ
若い時期というものは いくらもない
君も僕も 鬢髪はすでに灰色だ
旧友のことを語り合えば 半分は亡くなっており
驚きの声をあげて 胸はふさがれる
思いもよらなかった 二十年もの時を隔てて
再び 君の家にお邪魔できるとは
むかし別れたとき 君は独り者だったが
いまは息子や娘が 行列をなして出てくる
打ち解けた様子で 父親の友人に挨拶し
「どちらからいらしたのですか」と尋ねる
そんなやりとりが 終わらないうちに
君は子供たちを指図して 飲み物を並べさせる
夜の雨のなか 春の韮を摘んできてくれ
黄色の粟をまぜた 新しい飯を炊いてくれる
こんな時世だから 会うのは難しい
一気に十杯は空けようと 君は言う
十杯飲んだが やっぱり酔えない
君の友情が 長く続いているのに感動したからだ
明日は別れて 山々を隔てることになれば
この世の事は どうなるかわからないのだ
⊂ものがたり⊃ 詩題の「衛八」は姓が衛、排行が八ということで、呼び方から杜甫の親しい友であることがわかります。しかし、二人は久しぶりに会っていますので、幼なじみでしょう。「処士」というのは士身分の者ですが官に就かず野(や)にいる者のことです。
この詩は作られた場所や時期が不明ですが、故郷の鞏県で久しぶりに会ったときと考えるのが適当と思います。久しぶりに衛八の家を訪ねて旧友の消息などを尋ねてみると、半分は亡くなっており、杜甫は「中腸熱す」と言っています。「復愁」(復た愁う)其の三の詩からも、旧友の死が戦死であったことが窺がえます。
二十年振りの再会ですので、杜甫が二十八歳のとき以来の再会ということになります。そのときは衛八も独身でしたが、いまは「児女 忽ち行を成す」と言っています。ぞろぞろと出てきたのです。衛八の妻のことが出て来ませんが、おそらく亡くなって再婚していなかったのでしょう。
子供たちは父親の友人に行儀よく挨拶し、「どちらからいらしたのですか」と話す態度にもしつけのよさが感じられ、杜甫は感心するのです。はなし終わらないうちに、衛八は子供たちに命じて「酒漿」を並べさせます。もちろんお酒です。ここらあたりの描写は平明で温かみがあり、杜甫があたらしく生みだした詩の境地と見ていいでしょう。とてもいい詩ですね。
衛八は夜の雨のなか菜園の春韮をつんできて、黄粱をまぜた飯(上等の食事)を炊いて持て成します。杜甫は友情の変わらないのに感激して、十杯も盃を重ねますが酔うことができません。世は乱れ、別れたらいつ会えるかわからないと言っていますが、このことはすぐに現実となります。
というのは、鄴城包囲の推移を眺めていた男がいました。安禄山とともに兵をあげた史思明です。史思明は父親を殺した安慶緒と袂を分かち、唐に降って帰義王范陽節度使に任ぜられ、幽州に屯していました。ところが乾元二年(759)の二月末、安慶緒を援けると称して再び唐に叛したのです。
史思明は十三万の兵を率いて幽州から南下してきました。政府軍はこれを相州の野で迎え撃ちます。三月三日、両軍がまさに戦端を開こうとしたとき、突然猛烈な風が吹き起こって砂塵を巻き上げ、天地は真っ暗になりました。両軍は陣を払って潰退しますが、史思明はすばやく兵をまとめ、鄴城に入って安慶緒を殺します。そして自分が大燕皇帝の位に就いたのです。
杜甫ー111
石濠吏 石濠吏
暮投石濠村 暮(くれ)に石濠(せきごう)の村に投ず
有吏夜捉人 吏(り)有りて 夜 人を捉(とら)う
老翁踰牆走 老翁 牆(かき)を踰(こ)えて走り
老婦出門看 老婦 門を出(い)でて看(み)る
吏呼一何怒 吏の呼ぶこと一(いつ)に何ぞ怒れる
婦啼一何苦 婦の啼(な)くこと一に何ぞ苦しき
聴婦前致詞 婦の前(すす)みて詞(し)を致(いた)すを聴くに
三男鄴城戍 三男(さんだん)は鄴城(ぎょうじょう)に戍(まも)る
一男附書至 一男は書を附(ふ)して至(いた)り
二男新戦死 二男は新たに戦死すと
存者且偸生 存(そん)する者は且(しばら)く生を偸(ぬす)むも
死者長已矣 死せる者は長(とこし)えに已(や)みぬ
室中更無人 室中(しつちゅう) 更に人無く
惟有乳下孫 惟(た)だ乳下(にゅうか)の孫(まご)有るのみ
有孫母未去 孫に母の未(いま)だ去らざる有るも
出入無完裙 出入(しゅつにゅう)に完裙(かんくん)無し
老嫗力雖衰 老嫗(ろうう) 力衰えたりと雖(いえど)も
請従吏夜帰 請(こ)う 吏に従いて夜(よる)帰(き)せん
急応河陽役 急に河陽(かよう)の役(えき)に応ぜば
猶得備晨炊 猶(な)お晨炊(しんすい)に備(そな)うるを得ん」と
夜久語声絶 夜 久しうして語声(ごせい)絶え
如聞泣幽咽 泣いて幽咽(ゆうえつ)するを聞くが如し
天明登前途 天明(てんめい)に前途(ぜんと)に登り
独与老翁別 独り老翁(ろうおう)と別る
⊂訳⊃
日暮れになって石濠村に宿る
すると役人がきて 夜中に徴兵をする
老人は 土塀を越えて逃げ
老婆は 門を出て相手になる
役人の声は まったくの怒鳴り声
老女の泣き声はなんとも苦しそうだ
彼女がすすみ出て言うのを聞くと
「三人の息子は 鄴城の守備についています
一人の息子が 便りをよこし
二人の息子は さきごろ戦死したそうです
生きている者は しばらく生をむさぼれますが
死んだ者は 永久におしまいです
家にはほかに 男とてなく
乳飲み子の孫がいるだけです
孫の母親は まだ去ってはいませんが
出入りするのに 満足な裙(スカート)もありません
この婆 力は衰えておりますが
お役人の伴をして 今夜でも出かけましょう
河陽の仕事につかせてもらえば
朝の飯炊きぐらいには役立ちます」
夜も深まって話し声は絶え
むせび泣く声が聞こえたようだった
夜明けにわたしは出立したが
老人と別れただけである
⊂ものがたり⊃ 杜甫が衛八と会ったのは、二月末のことのようです。まだ相州の敗戦のことを知りませんでした。杜甫は前年末に華州を出てから二か月以上たっていますので、そろそろ華州にもどる必要を感じていました。そのとき相州の敗報を聞いて、華州への帰途につきます。
華州へ帰る途中での見聞をもとにまとめたのが五言古詩の連作六首「三吏三別」(さんりさんべつ)で、いずれも戦争に駆り出される民の辛苦を詠ったものです。「石濠吏」は四句ごとに韻を換える楽府(がふ)の体裁を取っていますが、内容によって三つに区分して見ることができます。
石濠村は洛陽の西110km余の陝州(せんしゅう:河南省三門峡市陝県)の村です。杜甫はその村の家に一夜の宿を求めますが、はじめの六句は役人がやってきて、兵に出す男を捉えようとします。老人は垣根を跳び越えて逃げ、老婦が応対に出る場面です。杜甫はおそらく家の中で聞き耳を立てているのでしょう。
つぎの十句は老婦が役人に訴える言葉です。それによると、この家の息子三人は鄴城の戦に駆り出されており、そのひとりから来た便りによると、他の二人は戦死したというのです。家にはほかに男はおらず、乳飲み子の孫がいるだけです。孫の母親は家を出てはいないけれども、満足なスカートもなくて外へ出入りもできませんと、必死に窮状を訴えます。
老婆はけなげにも、自分はまだ力もあるので河陽の陣につれていってもらえば、飯炊きぐらいは出来るでしょうと申し出ます。河陽(河南省孟県)は鞏県の北、黄河を渡った対岸にあり、相州から退いて来た九節度使の軍が陣地を構築して史思明軍を防ごうとしていました。
この詩については、役人の非道な行いに対して杜甫は傍観的に過ぎるのではないかという批判があります。確かに眼前に展開されている暴行は許しがたいことですが、一面において攻めてくる賊軍を防ぐには必要な動員でもあったのです。それに他州の役人である杜甫の立場からは、ここで口を出すのは権限外のことであり、処罰の対象にもなるのです。結句の「独り老翁と別る」という杜甫のつぶやきに、仕方なく口ごもる杜甫の心の葛藤を読み取るほかはないでしょう。
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