ご皇室のご存在意義の理解は、仏様の悟りの世界に似ているらしくてね、仏様の言う
「貪、嗔、痴」や、ニーチェの言う「ルサンチマン」(妬み、嫉み、恨み、等)に
憑りつかれた人には、しばらくは理解がいかないといわれていますな。
ところが、人の上に立ったり、海外経験が長くなったりすると、あるときふと気づく時がくる
と言われているんですよ。歴史の重みとでも申しますか、運命共同体の象徴としての価値
とでも申し上げますなか、禅問答じゃありませんが「守っていると思っていたら、実のところは
守られていた」そんなメンタルな、ある意味宗教的な価値観なのかも知れません。
「築地にそんな社中がおありなんですかい?」
「いや、工藤先生は仙台藩の藩医であられるが、蘭学医としてもつとに有名で、前野良沢、
大槻玄沢、杉田玄白といった蘭学医の大御所たちとの交流があったので、自然とそういう
社中が生じたのだな、工藤邸を中心として。そこから海外の事情がよくお分かりになった」
「やっぱり蘭学ってのはたいしたもんですね」
「そればかりではない。わが水戸学の藤田幽谷先生や志士の高山彦九郎殿とも仲が良い。
いや、良かったというべきだな」
「どうしてです?」
「去年の六月八日にロシア船が初めて函館に入港し、二十日にラクスマンが正式な使節
として松前に来た。そうしたら二十一日に林先生が獄死なさった。あろうことかご公儀は、
二十七日に老中の石川忠房様を松前につかわして長崎への来航を許してしまった」
「なんでです!? 林先生は危ないといっておいでじゃなかったんですかい?」
「うむ、その通りなのじゃがご公儀は何故か許してしまった。それを知った彦九郎殿は
滞在先の久留米で自決なさったのじゃ。憤死というやつじゃ」
「なんと勿体のねぇことで、これから両先生のご活躍が始まるんじゃなかったんですかい?」
「そうじゃな。林子平先生が五十六歳、高山殿が四十六歳、これからじゃ」
「無念でらしたでしょうね。国の行く末を思っていらしたのに」
「だから我々は、大っぴらには言えないが、海外の事情を勉強しておるのじゃ」
「さいですかい、事情がよ~く分かりやした。あっし達にも教えてくだせい」
「そう言ってもらうと、お二人とも浮かばれるじゃろうて」
「いや、なんの役にもたたねえかもしれねえが、黙っているわけにもいきやせんぜ、
江戸っ子の心意気ってなもんです」
「あい分かった。これから誰もが外に目をむけねばならない時代が来る。武士も町人もだ」
こうして、二人は共通の想いを温めていくことになります。 =お後がよろしいようで=
< 東宮の 御世や栄えよ 庭の梅 > 放浪子
二月二十三日(金) 春の霧雨 西の風、強弱あり
朝より再診の日、腫瘍マーカーやや上昇
もとより覚悟のうえ、養生に努めるのみ
皇太子の御世までは生きる