みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

早春賦

2017年02月06日 | 俳句日記

 「春は名のみの風の寒さや~ 谷のうぐいす歌は思へど~今にあらずと声も立~てず~」

吉丸一昌(かずまさ)作詞、中田章(あきら)作曲の童謡「早春賦」の歌い出しですが、今日は

この歌のとおりの天候です。昨日も夕刻から雪まじりの小雨でした。

 

 天気図をみると昨日から太平洋岸に寒冷前線がのびて、上空を低気圧が通り過ぎています。

明日は西高東低の気圧配置になるようですので、日中は晴れの予想です。東北ではまた風が

強まるのかもしれません。これから三寒四温の季節ですから仕方がありません。

 

 雑文を書いていますと、この歌詞のように季節感をみごとにとらえて、しかも春を待つ人々の

切ない感情までうたい込み、歌い手や、歌詞を読む人の共感を得るということはとても難しい事

だと、恥ずかしながら、いつも反省させられます。

 

 もう百年も前に(大正二年、1913年)書かれたこの歌は「日本の歌100選」に選ばれている

名曲です。こののちも、百年、五百年、あるいは千年後までも人類の文化遺産として残されて

いくのかもしれません。歌詞が平易で完全に独り立ちしていますから、このごろ作曲されたもの

だといっても誰も気づかないのではないでしょうか。

 

 ほんものとはそういうものですね。古典文学でもクラッシック音楽でも歴史的遺産ではなく、

今の人たちに即座に感動や共感を覚えさせるものが文化遺産なのですから、日本人にとって

この曲は確実に文化遺産でしょう。

 

 日本の音楽教育のすごさは洋曲の音符がもたらされてわずか二十年も経たないうちに、

文部省唱歌として独自の児童用楽曲のジャンルが確立されたことです。

 その後、鈴木三重吉先生により児童文学の扉が児童文芸誌「赤い鳥」の創刊に伴い開かれ、

北原白秋や野口雨情といった童謡の巨人たちが登場します。大正デモクラシーの働きでした。

 

 その先駆けが吉丸先生と「春の小川」や「朧月夜」などで知られる高野辰之先生でした。

私たちは、百年前の童謡を今のものとして楽しく歌っているのですから、先人のご努力に

感謝しなければなりませんね。

 吉丸先生は、東大生の時から東京音楽学校の校長として43歳で亡くなるまで、生涯を

通じて苦学生たちと同居し、学問と音楽の指導に努められた「聖人」でもありました。

 

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二月六日(月) 曇りのち雪 

        寒もどり灯油もとめる

        友人よりTEL

        探し物みつからず