みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

涅槃講(涅槃会)

2017年02月15日 | 俳句日記

 え~、毎度のお早いおはこびで、誠にありがたく存じます。

 きょうは「涅槃会」つまりお釈迦様がお隠れになった日でしてね、「涅槃講」とも申しますな。

「講」としましたのは、お釈迦様の命日にちなんで、そのありがたい教えを皆でかみしめようと、

偉いお坊様方がお話をなさるからだとも、また「会」と同じに「集う」と言う意味もありましてね、

とにかく、お釈迦様のご遺徳を偲ぶ日であります。

 

 世界中の人々がお釈迦様のような人だったら、嫌な戦争なんてぇものは無くなるだろうにと

ときどき思うんですがね、そうなるとあっしみたいな道楽モンはこの世に棲めなくなって、まず

寄席なんてところは無くなっちまうかもしれませんな。嫌なことがあるもんだから気晴らしがいる

ってんで、こうして「噺」ってぇ商売が成り立ちますんでアタシも棲める余地が出来るって訳です。

 

 さて昨日は、私とおなじ極楽トンボのお二人さんが、ご隠居さんのところでお話を聞いている

ところまででしたが、その続きをお聴きいただきたいと思います。

 

「で、ご隠居さん、その林なんとかってぇお人はどうなりなさったんで?」

「幕府に意見するなどとは不埒者め!と獄につながれなさった」

「おやまぁ、ご意見は通らなかったんですかい」

「どうもそうらしい。だがな、お前さんたちが会ったお武家様のような志の高いお人たちの

間で、その書物が手写しで広まり始めているんだよ」

 

「ということは賛成なさる方が沢山お出になっているてぇことですね」

「そうだな。ただ公儀としては野放しにには捨て置けないのも分かる気がする」

「どうしてです?」

「ご公儀としての面子もあろうし、本根はまだ外国とどう付き合うかが解からないんだろう」

「しかし、備えあれば憂いなしてぇ言うじゃないですか?」

 

「八つぁん、いいこと言うね。まったくその通りだ」

「いえいえ、普通の人間ならだれでもそう思いますぜ。ましてお武家さまが言ってらしたが、

外国もそれぞれ事情があって、てぇへんだって言うじゃありませんか。なおのこと用心だけは

しといて損はねぇと思いやすけどねぇ。なあ熊公」

「あっしも、そう思いますねぇ」

 

「ロシヤだけではなく中国もむかしから日本を欲しがっているしな」

「ほんとうですかい」

「ほんとうだとも、千年以上前から日本が欲しいのさ」

「じゃあ、なおさらだぁ、『海国兵談』ですぜ」

 

 てなわけで、どうやら庶民のなかにも海防の意識が少しづつ広がりだしたようで、それは

46年後に勃発した「アヘン戦争」でいっきに国中に広がります。それ故に尊王攘夷運動が

民衆の支持を受けて明治維新が起こり、日本は昭和20年まで東亜百年戦争を戦って

いくことになるんですね。

 

 なにも大日本帝国がアジアを侵略したというのではなく、このころからの危機感がずっと

尾を曳いていたところに、欧米列強が日本以外のアジアをほんとうに植民地にしちゃった。

 それにますます危機感を覚えた日本人が総意で戦い続けたのが東亜百年の自衛戦争

だったんです。この自衛戦争だったというのは歴史的事実として見直されて来ていますね。

 

 問題なのは日本が欲しいという中国の歴史的願望と共産党一党独裁体制が怪しくなって

きているところなんですね。どだい共産主義と資本主義経済が一つ船に乗っかるてぇのは

無理な話で、呉越同舟なんてぇものじゃない。理念が違うのですからマズイんですね。

何処がマズイのかと言うと資本主義は自由な経済活動が原則なんです。

 

 自由がまかりとおると、共産党政府の統制がきかなくなるってぇとこなんです。そうなると

国が混乱し始める。軍は何をしでかすか分からなくなる。いままで反日教育ばかりしていた

からこれも日本が悪いということになる。つまりは日本はほころびの出た共産党政権と軍の

かっこうの標的になるって寸法です。おお怖わ!

 

 きょうはとことん怖い話になりました。明日はほのぼのとした「お江戸の噺」をしたいものです。

 

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二月十五日(水)  晴れのち雪

          陽光うららな河畔、アイ達と朝餉

          通院日、異常なし、喜ぶ

          帰りに財布拾う、交番へ