みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

余寒

2017年02月19日 | 俳句日記

 「ウッ、寒!こう寒くっちゃ、手足がちじ込んでいけねぇ。おまけに風がひどくなって

きやがった。暖房のはいった寄席の座布団のうえで、『心頭滅却』がどうのこうのと

ご託を並べやがって、噺家なんてぇ者はいいきなもんだ」

 

 八つぁんが冒頭から、あたしに文句を言いたくなるような寒のもどりでございます。

お客様もどうぞお気をつけ下さってお過ごしください。こないだも言ったばかりすよね。

 でもね、警告というものは何度でも言っておきませんと効き目がありません。

噺家の務めだと思って言っております。悪しからず。

 

 さて、八つぁんがそういいながら浜町の辻に差し掛かりますと、むこうから先の

高札を読んでくださったお侍が、きょうは着流しに一本差しの姿でやってこられます。

 

「おや、先だってのお武家様じゃございませんか?」

「うむ、こないだの職人か。憶えておるぞ」

「先だってはありがとうごぜぇました。あれからお武家様がおっしゃられた『海国兵談』に

つきやしてね、近所のご隠居さんに聞きましたんですよ」

 

「左様か、してなんと申しておった」

「水戸様は大変勉強熱心な藩だそうですねぇ。だから外国の事情もよくご存知でしたんですね」

「三代藩主水戸光圀(みつくに)公以来、学問は武士のたしなみであるから励めと言われておる。

光圀公みずから『彰考館』という学問所を開き『大日本史』の編纂に努められておられた」

 

「なんです、その彰考館てのは?」

「されば『彰考(しょうこう)』とはな、『過去をあきらかにし、将来を考える』ということだ。

学問とはまず歴史を学ぶことだ。日本のこと、外国のこと、さすれば外交を過つことはない」

「お侍さまはてえへんですね、こちとら道具のこと、木のこと、家のことしか知らねえ」

 

「それはそれで大切なことだ。身共たちは家のことなどなにも知らなぬ。だが戦が始まれば

身共たちが、そこもと達を守らねば誰が守る。それがご政事と武士の務めじゃ」

「さいですね、俺っちなんぞヤットー(武道)のことは、とんと苦手で・・・」

「それでよい。そこもと達がいなければ日本を守る意味がない。水戸学はそれを『愛民』と言う。

そして、それを実践していく心がけを『敬天愛人』というのだ」

 

「どうにも、学問のことばは難しくていけねぇ。そこんところと外国のお話を、もしお暇なら

ちょいと教えてくれやせんか、そこらで一杯ひっかけながら」

「なに、酒を飲みながら教えろだと!? ま、いいか。町人なのに感心な申しいれじゃ。

わしも非番であるし、 酒もたしなむ方じゃて、よしわしが馳走しよう」

「とんでもねぇ、あっしが言いだしっぺですんで、あっしに払わせてやっておくんなせぇ」

 

 てなわけで、話がまとまりまして、二人はいつもの居酒屋ののれんをくぐることになります。

さて、どうなることですか、この噺の続きは次のお越しで。 =お後がよろしいようで=

 

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二月十九日(日)  晴れのち曇り 風強し

          強風にて動けず、食料の買い出しのみ

          金正男のニュースしきり

          江戸後期の世界情勢にさも似たり

          いや白村江になるかも