みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

水戸の梅まつり

2017年02月20日 | 俳句日記

 この物語に登場する水戸のお武家様といえば、今日から始まる日本三大名園の一つ

「偕楽園」の梅祭りを思い出しますな。

 なんでも三千本の梅が、都市公園の中ではニューヨークのセントラルパークに次いで

世界第二位の広さの中に植えられているってんですから、盛りのときの香りときたひにゃ

それはもう、うっとりと誰でも女房がいることを忘れっちまうんじゃないでしょうかね。

 おっと、不謹慎なことを申し上げました。あいすみません。

 

 かく言う私ですか?それがまだ行きだしていないんですよ。やもめなもんですからね。

風流人の芭蕉先生でも、曾良というお人が付き人でいらしたから、掛け合いのような筋が

出来上がって、あの「奥の細道」てな名紀行が生まれたわけだ。

 

 アタシみたいな者が、矢立なんぞをぶらさげて一人でウロウロしてたひにゃ、せっかくの

風情を楽しんでいらっしゃる行楽客のじゃまになりこそすれ、景色を引き立てる役割なんぞ

果たせるわけがありません。

 ということで、いい相方でも見つけたら行ってみようかと思っています。

 

 それにしても「偕楽園」てぇ名前は良い名ですね。「余は衆と偕(とも)に楽しむ」てな

わけで九代藩主の水戸斉昭公自ら命名されたという話ですから、「水戸学」の本家本元の

お殿様らしい心構えでおいでになる。

 

 そういう意味では、岡山の「後楽園」も同じように漢籍からとられた名前でしてね、政治とは

「民に先んじて憂い、楽しみは民の後にするべし」という教えから生まれた「先憂後楽」という

四字熟語のやはり心構えを踏まえてあるそうです。

 

 ちなみにもう一つの名園、金沢の「兼六園」はというと、景観には「宏、幽、人、古、水、眺」

なる情趣がある。その六つが兼ね備わっているということで名づけられたそうですよ。

 誰かというと、かの八代将軍吉宗の孫、「寛政の改革」をすすめた老中筆頭松平定信公です。

もともと白川藩主で、地元では南湖公園をつくった名君と言われるお人ですね。

 

 そこで思い出して頂くと有難いんですが、八つぁん熊さんの時代背景は寛政六年の江戸です。

寛政四年に林子平の「海国兵談」を禁制にしたのがこの定信公でした。「寛政異学の禁」なんてぇ

のがありやしてね。次の年に林先生は獄死しちゃうんですよ。責め殺されたのかもしれませんや。

なにか「安政の大獄」を思わせるような時局だったんですね。

 

 それもこれも原因はヨーロッパ情勢にありました。いえ、きょうはくどくどと書きません。

なにせ腹が減ってしかたがありませんので、申し訳ありませんが。

 かわりといっちゃなんですが、明日この続きを、お侍と八つぁんに例の居酒屋でとことん

語っていただきやしょう。

 

 当時もてえへんだったんですね。今よりも、もっとてえへんでしょう。なにせ外貨なんぞ

稼いだこともない東洋の一小国だったのですから日本は。

 では、またのご来場をお待ちいたしております。 =お後がよろしいようで=

 

      < 法華経と 啼く鳥を松 紅梅香 >  放浪子

 

二月二〇日(月)  薄曇りのちみぞれ

          川へ急ぐあまり、ゴミ出しを忘る

          おまけに箸も忘れ、弁当を食すあたわず

          餌を撒いたのみ、アイ達は喜ぶ