もう一度笑って

平成最後の秋に母が旅立ちました。
脳梗塞で倒れた夫をサポートする日々を記録する
のんびり主婦のブログ

特養のキャンセル

2018-12-28 20:42:21 | 母のこと
こんばんはぽんたです。
あっという間に年末です。
最強寒波らしいので油断せずに!

申し込んでいた特養(特別養護老人ホーム)をキャンセルしました。

年金のみで入所できるので
それはそれは人気なのです。

何百人も順番待ちで
数年待つのが当たり前の世界です。

母も、申し込んでからおよそ3年近く。

順番が近くなると連絡が来るそうですが
とうとうそんな連絡もなく旅立ってしまいました。

2カ所を申し込んでいて

地域一番人気のところと、そんなに人気はないけれど送迎バスがあるところと。

今回のキャンセルで
その差を理解することができました。

どちらも電話にてキャンセルしたのですが

一番人気のところは
お悔やみの言葉や
希望(入所)にこたえられなかったことの謝罪
私達(遺族)への言葉など
丁寧に対応してくれました。
ちょっと泣きそうになりました。

送迎バスのところは
本当にビジネスライクというか
「ハイ、わかりました。キャンセルしておきます」・・・のみでした。

ケアマネさんや介護スタッフさんではなく
事務スタッフさんだと思うのですが
対応のあまりの差に驚きました。

なんだか勉強させてもらったような気がしました。
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母との別れ その4

2018-12-22 15:13:13 | 母のこと
こんにちはぽんたです。
あと2日でクリスマスですよ~!
早いっっ!

母は、茶道の先生の資格を持っていたからか
京都に1人でもよく行ってました。
時には私も付いてゆき
神社仏閣を頻繁に訪れていました。

だから

母がまだ元気な時の

「葬式はいらない。戒名もいらない。お坊さんなんて呼ばなくていい」

この言葉には驚いていました。
お気に入りのお寺さんなどには何回も行って
お坊さんの説法など聞いておりましたので
とても意外でした。

このことは何度も母から聞いておりましたので

遺志に従い、家族葬という小さな式で見送ることにしました。

今は、このパターンが多いそうです。

母の二人の弟家族と、うちの家族と。

火葬する当日も、かえってゆっくりお別れできたと思っています。

母の好きだった着物
茶道のお免状とお道具
好きだったお菓子
最後に履いたと思われる靴
たくさんのお花などを棺に納め、お別れしました。

お母さん 私のお母さん

ごめんね  ありがとう

さようなら
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母との別れ その3

2018-12-18 16:54:52 | 母のこと
こんにちはぽんたです。
北風は寒いけど
太陽の陽射しのありがたさよ~!

市役所での、火葬の手続きは葬儀屋さんがやってくれました。

母の火葬は5日後。

え?? 5日??と思いましたが
同じ県内でもっと都会のほうは、火葬場がいっぱいで10日後とかザラだそうです。

だからほとんどの方は
葬儀屋さんが契約している冷蔵庫に安置するそうですが
私は、自宅へ安置することにしました。

もう あと5日しか母と一緒にいられない。

それに、まったく知らない場所で
母をたった一人にはしたくなかったのです。

母は、ずっと家へ帰りたがっていました。

その家は、母が小学生まで暮らしていた
戦時中の東京大空襲で焼けてしまった下町の家でした。

母が帰りたがったその家はもうないけれど
私と 私の夫と 孫と一緒に暮らした家へ

お母さん いっしょに帰りましょう。

施設を退所する日
スタッフさんや入所者さんが挨拶に来てくれました。

このグループホームは認知症のみを受け入れるため
入所の皆さんは
母が亡くなったことが認識できるのかしら・・・と思っていました。

お一人お一人、丁寧に手を合わせてくれて
中には、泣いてくださっている人もいて
それぞれなりに『死』を認識しているようでした。

「遺影にしてください」 と
ステキな写真立てに入れた母の写真をいただきました。
小さなアルバムもいただきました。

夫に車を出してもらって
母の洋服や荷物を運び出しました。

夫の運転はやや心配でしたが
何とか無事に運び出せました。

自宅に到着すると
がっしりした棺へと、母を安置しました。
保冷庫も兼ねている棺だそうで
火葬の日まで、毎日ドライアイスを交換してくれます。

5日間、母に話しかけ歌い
母の好きだったメニューやお菓子を供え
たくさんの花を飾りました。
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母との別れ その2

2018-12-16 11:14:21 | 母のこと
こんにちはぽんたです。
もうあと半月で今年が終わりますね。
平成最後の大晦日が近づいてます。

眠っているような母は、皮膚は柔らかいのに
手足が冷たくなり始めていました。
何度呼んでも、何度肩をゆすっても
目覚めてはくれませんでした。

間に合わなくてごめんなさい。

満足に介護できず施設入所を選んでごめんなさい。

死因は脳出血。

血圧を下げる薬や血液サラサラの薬を飲んでいたので
血管がもろくなっており
一度出血すると、大出血につながってしまうらしいです。

涙が止まらず
ぐちゃぐちゃの顔をしてドクターを話を聞いていました。

悲しんでいる暇はなく

葬儀屋さんを選ぶことになりました。

葬儀屋さん?

調べたこともなく、どこがいいのかわかりません。

この施設がよく利用する
小規模の葬儀屋さんを勧められ、そこにしました。

もう遅い時間で、この日はこのまま施設にいて
翌日動くことにしました。

処置をしますとナースが来て
とてもキレイに薄化粧をしてくれました。

私も少しだけ眉墨を入れ、おしろいを母の頬に塗りました。

施設は、母のベッドの横に簡易ベッドを用意してくれましたが
横になれるはずもなく
一睡もせず、母の肩を抱き、頬をなで足をさすって過ごしました。

こんなことになるなら
もっと頑張って毎日のように面会に来ればよかった。

泣きながら、母の好きだった歌を歌い、謝り続けました。
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母との別れ その1

2018-12-11 11:48:06 | 母のこと
こんにちはぽんたです。
すっかり冬になりましたね。

母との別れは、本当に急でした。

その日のお昼過ぎ、施設から電話がありました。

お昼前に吐いたこと。

朝食は元気に完食したが、お昼は食べたくないらしい。

少し様子を見て、バナナとプリンを食べる予定。

これは高齢者にはよくあることなのです。
母がまだ在宅のころもよくありました。

少し時間を空けて、消化の良いものを食べてもらうと
本人はすっかり元気になるのです。

今回も、夕方にはケロッとして
夕食は元気に完食だろうと思っていました。

午後、再び施設から電話がありました。

意識が無くなってゆく。

肩で浅い息をしている。

すぐに来てほしい。

震えながら仕度して
足を引きずりながらできる限り急ぎました。

でも 間に合いませんでした。

母の個室に入ると
眠るように穏やかな表情でベッドに横たわっている母がいました。


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