寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3299話) 孤独

2022年04月05日 | 意見

“  【孤独は山にな<、街にある    三木清】
 昔、学生であった頃、古本屋で三木清の『人生論ノート』をみつけた。そしてそのなかにこの言葉を見つけて、ひどく動かされたことがあった。毎日、大学に行きながら、そして同級生たちと言葉を交わしながら、お互いに心に響く言葉をかけあうことがなかったからかもしれない。そんなとき、この逆説的な言葉が心にしみた。
 三木は「ひとは孤独を逃れるために独居しさえする」と言う。たとえぱ自然のなかに一人身を置くとき、小さな草花や深い木々の緑がひそかに語りかけてくれることがある。それに応えて草花や木々に語りかけることもある。おそらくこのようなつながりが孤独をいやしてくれるのであろう。
 三木のこの逆説的な言葉を目にしたとき、物事は、いつもと違った方向から眺めることによって立体的に、そして豊かに見えてくるのだと感じたことを思い出す。それが哲学を学ぶきっかけになったかもしれない。”(3月8日付け中日新聞)

 「今週の言葉」から哲学者・藤田さんの文です。ボクには藤田さんが言われること以上に何も言う知識はないが、孤独には見かけ上のひとりぼっちと、精神上のものがある。この三木清の言葉で言えば、山では見かけ上の孤独であるが、精神的には実はそうとは言えない。逆に町では見かけ上はたくさんの人がいて一人ではないが、精神的には孤独な場合が多い、ということであろう。これは誰もが感じたことであろうし、今も感じておられるかも知れない。
 ボクの周りにもたくさんの人がいる。それのほとんどが、趣味やボランティアなど何か目的とした繋がりである。個人的なことを話している人はどれだけあるであろうか。当然何かの折に話すことはあるが、恥部のようなことまで話す人はほとんどなかろう。今までは、妻も健在で、妻以外に話す必要もなかった、ということであろうか。こう考えるとこれからである。どちらかが先に逝く。その時からである。本当の孤独になる。この孤独を救ってくれる人はあるだろうか。心許ない。


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