岩切天平の甍

親愛なる友へ

バーモント

2008年03月27日 | Weblog

金融危機の取材でバーモント州へ。証券マンのインタビューに山あいの美しい街へ来た。

四、五年前の冬、アーミッシュのイマニュエルが「バーモントにチーズの作り方を教えてくれる人がいるんだけど、車を雇うのが大変だ。」とこぼしたことがあった。面白そうだから「そんなら俺が行くよ、カミサンも習いたいって言うし。」と、三人ででかけた。
ペンシルヴァニアから車で七時間、日本人二人とアーミッシュマンの珍道中、どこへ行っても目立つ。

夜が更けて、街道沿いのバーガーキングに入った。店員全員が目を丸くして一瞬動きを止める。イマニュエルはにやにやして、店長らしき男に「何だい、みんなじろじろ見てるじゃないか。」と言うと、店長は慌てた様子で「そ、そんなことはありませんよ、だんな。」と目をそらす。

テーブルに座って、さあ食べようとイマニュエルがハンバーガーを手に取って口を開けた瞬間、僕が何の気無しに両手を合わせて「いただきます。」をすると、イマニュエルは開いた口をひきつらせ、ハンバーガーを皿に戻したかと思うと、えへんと一つ咳払いをして「さあ、祈りましょう。」と言った。
がらんとしたバーガーキングの青白い蛍光灯の下、祈るアーミッシュと日本人・・。

その夜は街道沿いのモーテルに泊まった。シャワーから出るとイマニュエルがステテコ姿でベッドの端に腰掛けてじっとテレビから目をはなさずに訊く。「これ、誰?」「ああ、オサマ・ビンラディンだよ。」「おー、これがオサか・・。」

翌日はピーター・ディクソンのチーズ教室。牛の世話係の太っちょの相棒と皮肉屋のおかみさんがにこにこと出迎えてくれた。
髪が混じらないようにシャワーキャップを僕らは頭に、イマニュエルはヒゲにかぶせてミルクをかき回す。
お昼にお土産にとリトル・イタリーで買って来た生ハムとチーズでパンを食べて、僕はまた七時間運転して帰らなければならないので車で仮眠、あとの二人はみっちりと特訓の仕上げ。目が覚めると出来上がっていたチーズを車に積み込んで土砂降りの中をペンシルヴァニアへ。
爆睡するイマニュエルを「着いたよ」と揺り起こしたのは夜中の二時過ぎだった。

その後、イマニュエルはわざわざカナダまで道具を買いに行ったり自宅にドリルを改造した撹拌装置を作ったりしてチーズ作りの設備を整え、自分で絞ったミルクで美味しいチーズを作るようになったけど、投資と収入がなかなか見合わないらしく、最近はたまにしか作らなくなっている。

ああ、バーモント・・・。