ブックオフのCDコーナーで、“加川良ウィズ村上律”を見つけた。
二十歳を過ぎた頃、吉祥寺にある居酒屋“ライフハウスのろ”で働いていた。
“のろ”では毎週末にライブが行われ、フォーク、ブルース系の蒼々たるミュージシャンたちが出演していて、僕は彼らのブッキングとPAミキサーを担当しながら、ライブの無い日はフライパンを振っていた。
当時住んでいた立川ランドリーゲートの米軍ハウス、二件先にラップ・スティール・ギタリストの村上律と言う、時々のろでも演奏していた人が住んでいた。
律ちゃんはとても優しい人で、子供の僕をさほど気にする様子も無く付き合ってくれ、一緒にレコードを聞いたり「特上の棒棒鶏を食わせてやる。」と言っては、二人で立川駅前の裏通りにある傾いた地鶏屋まで鶏肉を買いに行き、自ら料理してごちそうしてくれたこともあった。
ある週末、加川良という歌手と律ちゃんが、のろでライブをやる事になった。
“加川良ウィズ村上律”は1983年の録音だから、レコード発売後のツアーだったのかもしれない。
僕はマイク・ミキサーのつまみを指が白くなるほど強くつまんで、二人の床を踏みつけるようなビートに涙を流していた。律ちゃんのスライドもコーラスも歌の神様が降りて来たみたいだった。
音声卓内蔵のリバーブに満足出来ずに自前で買って来た中古のRE201の、サ行が幻の様に残るエコーが不思議にCDでも同じように響いていて、あの夜がありありと甦る。二十年以上経って、ずっと違う音楽を聴いて来たのに、あの年頃に聴いた音は僕の体に染み付いていたらしい。
パット・メセニー・グループを聴きながら、加川良を聴く矛盾に我ながら苦笑する。仕事でメンフィスへ行く度に、ビールストリートでブルースを聴いてはほろ酔いで加川良の“メンフィス・ビールストリート”を口ずさみながらを散歩するのを楽しみにしている。
その後律ちゃんは長渕剛とツアーを回ったり、お金が足りなくなるとトラックの運ちゃんもしながら、マイペースで演奏を続けていると聞いた。元気かな、律ちゃん。覚えているかな、俺の事。