岩切天平の甍

親愛なる友へ

サンタフェ

2008年03月09日 | Weblog

ワーキング・プアの取材でニューメキシコ州サンタフェへやって来た。

サンタフェはプラザと呼ばれる広場を中心にしたスペイン式の街で、多くの建物がアメリカ・インディアンの「アドベ」と呼ばれる、土と藁を固めた日乾し煉瓦で作られている。 ぶらぶら散歩していると、あちこちで建築中のアドベを見かけた・・鉄筋が入っている・・。市の条例か何かでアドベ風にしなけりゃならないんだろう。

三時間もあれば歩ききってしまえるほどの小さな街は、ギャラリーや土産物屋がひしめく観光地で、アメリカ・インディアンが白人観光客にアクセサリーを売っている。
北アメリカで一番古いキリスト教の教会がある・・最初の爪痕。

また悪い癖が出て来た。ぼやきおやじ。

この略奪した土地に殺したインディアンの建物を建てて観光地をでっちあげ、彼らに土産物を売らせて、何を観光しようと言うのか・・・。

愚かな人たちが侵略されたのは自業自得であるとか、
侵略されたために文明を得られて、彼らは結果的に幸せになれた。などと言うのを耳にするが、それは詭弁だろう。

殺された人が一体いつ幸せになれると言うのか。
侵略などされなくても、文明は情報が運んで来ただろう。
だいいち、彼らを幸せにしようとして侵略したわけじゃないだろう。イラク人を解放するなどと言うのと同じだ。


ワーキング・プアー

2008年03月05日 | Weblog

ニュース特集番組の取材でイェール大学に来ている。
(この文は放送終了後に書いています)

ワーキング・プアについての特集。
日本の自治体が経費削減を目指してその業務(清掃、上下水道、ガス管理など)を民間に委託し始めた。
これまで公務員として働いていた人達が解雇されると同時に自営業者となり、入札による仕事争奪戦は最低賃金まで落ち、収入は激減、生活のめどが立たない。

経費削減とは無駄使いを無くすと言うことではないのか?
我々が削ってほしい無駄とは、そういう部分だろうか?

経済活性化をうたう規制緩和の名のもとに悲惨な事になっているタクシーやトラックの運転手を思い出した。
一体、損をするのはいつも一番弱い者たちではないか。

ニューメキシコ州サンタフェでは、七年前に“人間らしい生活ができる賃金を”と、最低賃金がおよそ二倍に引き上げられた。
当然雇用者達は猛反対したが、経済専門家(イェール大学の教授)による「結果的に地域経済にもプラスになる」と言う調査報告を持って、先ずは自治体業務から始められ、そして民間に移行していった。
これを参考にできないだろうか。

番組の中の僅かな部分の取材だが、もしかしてこれを見た人が、「これではいけない、何とかしなきゃ。」と思ってくれたら・・・。
こういう仕事の末席に働ける幸福に、思わず武者震いを覚える。



ランドリーゲートの想い出

2008年03月04日 | Weblog

ブックオフのCDコーナーで、“加川良ウィズ村上律”を見つけた。

二十歳を過ぎた頃、吉祥寺にある居酒屋“ライフハウスのろ”で働いていた。
“のろ”では毎週末にライブが行われ、フォーク、ブルース系の蒼々たるミュージシャンたちが出演していて、僕は彼らのブッキングとPAミキサーを担当しながら、ライブの無い日はフライパンを振っていた。

当時住んでいた立川ランドリーゲートの米軍ハウス、二件先にラップ・スティール・ギタリストの村上律と言う、時々のろでも演奏していた人が住んでいた。
律ちゃんはとても優しい人で、子供の僕をさほど気にする様子も無く付き合ってくれ、一緒にレコードを聞いたり「特上の棒棒鶏を食わせてやる。」と言っては、二人で立川駅前の裏通りにある傾いた地鶏屋まで鶏肉を買いに行き、自ら料理してごちそうしてくれたこともあった。

ある週末、加川良という歌手と律ちゃんが、のろでライブをやる事になった。
“加川良ウィズ村上律”は1983年の録音だから、レコード発売後のツアーだったのかもしれない。

僕はマイク・ミキサーのつまみを指が白くなるほど強くつまんで、二人の床を踏みつけるようなビートに涙を流していた。律ちゃんのスライドもコーラスも歌の神様が降りて来たみたいだった。

音声卓内蔵のリバーブに満足出来ずに自前で買って来た中古のRE201の、サ行が幻の様に残るエコーが不思議にCDでも同じように響いていて、あの夜がありありと甦る。二十年以上経って、ずっと違う音楽を聴いて来たのに、あの年頃に聴いた音は僕の体に染み付いていたらしい。

パット・メセニー・グループを聴きながら、加川良を聴く矛盾に我ながら苦笑する。仕事でメンフィスへ行く度に、ビールストリートでブルースを聴いてはほろ酔いで加川良の“メンフィス・ビールストリート”を口ずさみながらを散歩するのを楽しみにしている。

その後律ちゃんは長渕剛とツアーを回ったり、お金が足りなくなるとトラックの運ちゃんもしながら、マイペースで演奏を続けていると聞いた。元気かな、律ちゃん。覚えているかな、俺の事。


制裁

2008年03月03日 | Weblog

国連安保理でイラン核開発の追加制裁決議を採択。
賛成十四、棄権一の採決後、会見場でシリア大使の談話。

「イスラエルは核を保有していると言われて久しいのに、IAEAの査察すら受けていない。イスラエルの核こそが世界の、そして第一にイスラエル自身の脅威であるのに・・・云々。」

至極まっとうな発言のようにも聞こえるが、当然どこのメディアにも取り上げられない。



グレ・ギャラリー

2008年03月01日 | Weblog

三鷹駅前にあった“グレ・ギャラリー”のオーナーで写真家の市毛さんと古田さんがニューヨークにやって来た。

東京に居た頃にしょっちゅう通っては長居して話し込み、時にはご飯までごちそうになっていた。
“グレ”ではおしゃれな市毛さんが選んだ服や小物も売っていて、田舎者の僕はいつも支払いを待ってもらっては似合わない服を・・・思い出すと布団を頭からかぶってキャッと叫びたくなる。

今回は、近くニューヨークで開く、書の個展の下見とのこと。

十八年振りの再会、楽しみなのと同時にほんの少しの不安な気持ち。かつてあんなに楽しく話し合った人達、この十八年間、僕自身は彼らの信頼にそえるような生き方をして来ただろうか? してないよなー・・・。
昔話に花を咲かせるようなことはしたくない。今の話が出来るだろうか。

チェルシーのカフェに座っている二人が振り向いた瞬間、十八年間が消えた。
その顔は懐かしくさえも無い、まるで昨日話した続きのようにわくわくと会話が始まる。ああ、ある意味で僕はこの人たちとも一緒に生きて来たんだと、つくづく嬉しくなった。

偶然にも彼らもグッゲンハイムの展示を見に行ったと言う。話せる相手をみつけた僕は、ここぞとばかりまくしたてる。

気がつけばいつも、友達が思った通りの自分らしい自分でいたい。
あたりまえと言えばあたりまえだけど。