酒酔い自転車

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10月20日(金)
町内ご近所でおこる話し (44)  
”車は止まらないかもしれない”と思え
 優良運転者講習といえども私のように自転車しか乗らない者も含んでいて無事故といっている集団であるが,自動車運転者と同様運転者のしぐさ悪さは毎日見ていてわかるものだし,自転車の運転も交通ルールを守らなくてはならないから,講習を受ける義務がある。自転車の飲酒運転,自転車の携帯メール運転など歩行者に危険をもたらすことは必至である。

 この稿では,自転車運転で身を守る方法?をここに記しておきたい。①自転車が安全に進んでいくのは自動車が避けて通ってくれるからである。ちょっとでも身体に触れたり近づきすぎたりすれば,転倒するに決まっている。存在を示すためには,前後ろから見えるように暗くなる前に早めのライトをつけること。これは自転車を見ていると守られていない例である。
 ② 横断歩道を自転車や歩行で渡るときはそこへ突っ込んでくる運転者の顔をにらむことである。女性運転者は運転にはハンドルを使う選択肢しかもっていない。ブレーキを使うことを知らない。横断歩道を渡る人がいたらハンドルで避けて自分がその人の前を先に横切ろうとする。ぶつかる寸前を走る。決して歩道の前では止まらない。これを肝に銘じて渡るときは車の運転者と視線を合わせることである。

 ③ 雨の日の運転はめったにないが途中から雨ということもある。傘は常に持っていて,かさをさして運転するのがよい。①で述べた自分の存在を相手に知らせることで安全を守ることができるからである。カッパなどを着て顔などをビニールでおおうような姿は前方が見えなくて最も危険である。カッパは着ないで傘を使う。片手運転となるから慎重になり,力も入り手と足の運動になって体力増強にもなる。
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有事の頼み

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10月19日(木)
故きを温めて新しきを知る (20)  
古くからある永遠のテーマ
 奈良の妊婦さんの病死(脳内出血)とそれにかかわる医師たちの処置についてのニュース報道に違いがあると同時に,聞き手のわれわれははじめと終わりの状況しか知りえないので評価がまちまちになる。

 「担当医師が近県の病院に電話で依頼して,受け入れ病院を見つけた。」こういう報道の場合は,担当医師のご苦労が感じられる。問題はいざという時の予防措置がとっていなかった。つまり日ごろのお付き合いがなかった。そのため手遅れになった。われわれの日常でもよく起こることとして肝に銘じておかねばならない。
 「担当医師が県立医大病院に依頼して,そこの当直医師が受け入れ病院を見つけた。」こういう報道の場合は,担当医師は見つかるまでどう患者と向き合っていたかわからない。5時間も放置の状態では,対応に問題がある。その間,同僚の援軍を呼び出して,いろいろな症状を想定して検査もできたはずである。病院内の体制も不整備でこれからかかる患者の減少は免れない。

 医療ミスと判断ミスでは意味が違う。前者は不注意による過ちで,どのレベルでのミスかによって致命的かそうでないかにわかれる。後者は無知よるミスで手遅れになるなど,取り返しが付かない羽目に陥る。いずれも人間の世界では起こりうることで,生に対する死は誰にも与えられた宿命である。交通事故の被害者も同じくらい怒っていい。地震の被害者も怒っていい。何らかの原因で病気になった人も怒っていい。われわれの身の回りには危険がいっぱいある。それに遭遇しないで生きてきたひとが,長寿者として表彰されるのだ。
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恍惚の人

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10月18日(水)
<ショート>大きなお世話 (6)  
要介護1のドラマ
 「恍惚の人」が昨晩放送された。見ていた人も多いと思われるが,感動を持って見られた人は,おそらく身の回りにそういう認知症とかかわりのない,これから認知症になるやも知れない配偶者や親をもった人たちであろう。しかし,過去に認知症の介護を経験してその任務が済んだ人や現在認知症患者を抱えてご苦労されてる方には,ストーリーのような笑い事ではない。ストーリーは最も恵まれた環境の中の軽い認知症出現の話である。この本が出た35年前の当時としては社会問題として衝撃的な現象を世に問うものとして,介護進行形の人にも受け入れられたに違いない。しかし,現代,もっと大変な思いをしている方,公的介護にかかれない貧困と戦いつつ介護をされてる方にとっては,こんな恵まれた介護環境で何が問題なのだと怒りすら覚える設定ではないか。
 ストリーは原文そのままではない。現代にあわせて脚色されている。携帯電話も出てくるし,介護制度も出てくるからそれがわかる。したがって,現代では世間体など気にしなくてもいい日常のありふれた出来事である。しかも介護する人が,息子夫婦や娘や孫など十分にそろっているこんな恵まれた環境では世に問うものがない。どうせ脚色するなら,介護する人が足りない場面(老配偶者とか子一人しかいない)での設定にして,回りの人たちがどのように支援して乗り切って行ったかの見本を示して,現在奮闘中の人の勇気付けになるようなストーリーにすべきであったと思われる。
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4300円の身分証明書

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10月17日(火)
町内ご近所でおこる話し (43)
簡略すぎる運転免許更新講習会
 運転免許証更新のお知らせのハガキが届いた。自分のリアクションは次の3つである。
① 長い間車に乗っていない。もう免許証は廃棄しようかどうしよう。
② 指定日を見て,都合が悪い。日曜日の予約をしなくてはならない。
③ 写真をどこで撮ってもらおうか。以前に撮ったデジカメ写真を持っていこうか。
これらが最初のさっと読みの印象である。

 ①は学校や職場の身分証明書より信頼度が高いから継続することにして,もういちど文面を読むと,②と③が改善されている。これはサプライズである。②の指定日以外でウイークデーなら予約無しでいいと書いてある。③の写真は必要ありませんとボールドで書いてある。これまで写真をもって行っても,講習所で個人撮影する。どうして必要なのだろうと疑問視していた。公安委員会の中で改善案を具申できる立場に昇進されたのであろう。昇進おめでとうございます。といいたい。ところが郵政公社はお年玉年賀はがきの景品に50円の切手を未だにつけている。50円切手ばかりあまる。30円切手を買って80円として封書に使っている。一般の人が50円切手をどこへ使うのだろう。
 はがきには講習区分等に優良運転者講習(講習時間30分)と書いてあった。講習手数料と時間に差のある一般講習と違反講習の3つに分かれている。優良というのは過去5年以内に無事故無違反というが,つかまっていないだけの人もこの中に入る。講師の講習内容を聞きながら,これだけで運転者の心構えが向上するのだろうか。事故を起こさないポイントを目で見て,耳で聞く(写真)のであるが,心に訴えるものがない。「私はあのとき,横断歩道で歩行者の前を突き切ってしまった。どうして止まれなかったのだろう。歩行者をヒヤーとさせることが何回もあった。」こういう反省が沸いてこなくては講習会の意味はない。いわゆる腰掛の状態で聞き,講師は忙しそうに話される。もう少しで終わるよ。終了3分前になりました。こんな調子である。

 きょうは講習会に行くことをサラリーマンなら上司から認められて大ぴらに参加できる日なのだ。腰を据えて聞こうと心構えもできているはずである。3時間分のカリキュラムを組む必要がある。運転で出くわすあらゆる場面を提示して,このときの処置の仕方を考えさせる。このことは配布した冊子に書いてある。これをいかに消化させるかがこの講習会であり,警察の力量が発揮される場である。家に帰ってから読んでおきなさいというだけでは,ほとんど読まない。この時間を最大限に生かす姿勢が欠けている。規制緩和とか易きに流れる方だけは進捗するが,3時間の講習時間を生かすための計画に頭を使う人が警察にはいないのかといいたい。それに比べて放送局の番組編成の努力は頭が下がる。24時間の番組を作って放送されている。警察は各種あわせて5.5時間の番組しか作っていない。しかも毎日同じ番組であるから比較にならない。もっと国民の教育(指導ではない)に力を入れるべきではないか。
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非Windows

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10月16日(月)
<ショート>大きなお世話 (5)  
学位取得目的のフィールドワーク
 素人がコンピュータを使うといえば,アイコンが左から縦に並んだデスクトップのWindowsパソコンに決まっている。マックというのもマニアでは使われているがそれも久しく忘れかけていた。それが,10月から大学で新規科目を学ぶことになって,LinuxリナックスというOSを紹介された。いっぺんにアルファベットがたくさん出てきて戸惑いを受けながらも,Linuxの一つKNOPPIXクノーピクスをまず使ってみようということで,いきなりCDドライブに入れたメディアから起動を始めた。いつも見ているデスクトップと違って新鮮な画面が現れた(写真)。インターネットもOK,officeシリーズもすべて動く。ゲームソフトまで入っている。ソリティアなどサイズを大きくできる。 
 LinuxとはWindowsやMacOSと同様、コンピュータを操作する上で基本となるソフトウェア(OS)のひとつである。長い歴史があり、UNIXユニックス と同等の機能やポリシーが適用されている。これらはサーバーを動かすのに使われており,業務上の貢献をしている。ホームページを見たり,メールをやりとりしたりするのに使われているがわれわれはOSが何であるか意識はしていない。プロバイダーのようなシステムを動かす専門家なら日常使うOSなのでLinuxに違和感はないだろうが,このLinuxを教えるというだけの大学の先生にとっては何なのだろう。他の先生はLinuxは知らなくても済んでいる。院生が教育学の学位をとるためにはフィールドワークが必要らしい。それで中国まで行って学校を見てきたと聞いた。これとLinuxと結びつけるとわかるような気がする。Linuxは学位取得目的のフィールドワークのひとつなのだろう。
 

 
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排他的論理和

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10月15日(日)
故きを温めて新しきを知る (19)  
友人関係から見る大学
 男子大学生の服装を見るとファッションを気にしているグループと特に気にしていないグループに分かれる。前者は黒い帽子と白い長袖の上に白黒の半袖チョッキ,腰に薄物の上着を巻き,黒いズボン,パンダかホルスタインのように白黒が交互に現れるように着こなしている。このスタイルで教室にだいぶ遅れて入ってくる。こういうファッション系は複数で行動していることが多い。あるきっかけで友人になり,互いに影響を受けて,同じような服装にしているのだろう。

 この学生たちの友人関係は行動をともにすることが目的で,授業は出席カードに署名するためにくるがよもやま話が尽きない。途中退場にも絶対服従という感がする。一人が立てば遅れまいと急いでついて行く。密着行動を旨としていて離れてはいけないのである。偶然が友人関係をつくったのであるが,この関係が育っていく過程で興味関心が同じ者同士なので結びきの強さは大きい。学習にプラスに働く関係同士なら同じ教室で席を隣にして座れる幸せは大きい。特に実習の授業など相談しながらできるからついていけなくなることはない。
 一方単独行動の学生もいる。友人を作るきっかけに恵まれなかったのであろう。昼食はコンビニ弁当を屋上へあがる階段の行き止まりへもっていってするという。だれもいないので人目を気にしないでゆっくり食べられる。しかし,たいていの学生は友人と行動を共にしてキャンパスライフを楽しんでいるようであるが,ともに時間を過ごすことがもっとも多い相手といつどこで友人になったか,入学して10ヶ月後に調査をしたことがある。「入学前から知っていた」者同士でずっと友人という発展性のない者が2割いるが,「入学式やオリエンテ-ションで座席が近かった」者同士が最も多く,4割を占める。その他「各種の共有した時間・場所」が4割である。

 この調査結果を半月後に見せて,ここから読み取れる事柄たとえば「出会いとは」,「大学生活とは」などを書かせてみた。友人作りは最初が肝心だと言う。自分から求めなければ友人は作りにくい。会っていて話をしないで別かれると再び話せないとも言う。出会いの不思議さと大切さを熱く語る者もいる。このような調査は10年前のものであるが,今の学生に書かせたら考え込んでしまい,友人のいないことをどう説明するか悩むであろうし,ファション系の学生は友人をどう評価しているのか見当がつかない。もしかしたら「出会いとは」,「大学生活とは」という問題と次元の違う世界で生きているのではないか。自分たち独自の空間を形成し,その一部を大学が占めている。教師と学生との集合は民主党のロゴマークのような排他的論理和を形成している。
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編集者と作家

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10月14日(土)
<ショート>大きなお世話 (4)
人がほしいのは承認と賞賛の言葉
 人はほめられると悪い気がしない。自分は人からほめられることが多いのか人をほめることが多いか。自問してみるとどちらもあまりない。これは人生を豊かに過ごしてない証拠である。12日NHKのプロフェショナルという番組で本の編集者が作家の初稿をまずほめることから始めて,自分の要求をそれとなく伝えることを20年続けているという。ほめることを仕事の一部にしている人からほめられる作家でもその気になって,筆が中断していた作品の執筆を再開する。この手を使うべき職業は多い。ものを教えたりする仕事をしながら,できても当たり前の顔ではついてこない。できたら本気にほめようではないか。
 さらにすごいことは,ほめるところはどんどんほめて,原稿関係で注文があってもほとんど触れないで相手に気づかせることにしているという。原稿の仕上がりが遅くても別の用件で接触をはかり,自己の目的を達成していく。私はその晩Aさんからメールをもらった。書かなくてもいいことも書いてあった。発信時刻も気になった。しかし,返事にはほめることを主として文を作った。この習慣を身につけると相手に腹を立てることはなくなるように思う。
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文化財

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10月13日(金)
故きを温めて新しきを知る (18)
国民への周知をブログでこまめに
 右の問題では文化財の種類が書いてあることは当然であるが,「記念物」「選定保存技術」など不純物も混じっている。これらが文化財とどういう関係があるのだろうと普通は思う。自分で問題を出しておいて,おかしな答を出しているようだが,これら関連用語とそうでないものとを区別することがしばらくできなかった。文化庁のホームページを読み,それをノートに書いて,何度も繰り返した。

日本のみ 世界でも
・ 有形文化財
・ 無形文化財
・ 民俗文化財
・ 記念物
・ 文化的景観
・ 伝統的建造物群保存地区
・ 選定保存技術
・ 埋蔵文化財
・ 登録有形文化財
・ 世界遺産
・ 無形文化遺産
 そしてやっと,これらがすべて広い意味の文化財として受け入れることができるようになってきた。そこでわかり易く整理してみた。先ず第一に,この中に重複しているものがある。日本で認めてかつ世界で認められたものが2つある。
有形 無形
・ 有形文化財
・ 民俗文化財
・ 記念物
・ 文化的景観
・ 伝統的建造物群保存地区
・ 埋蔵文化財
・ 登録有形文化財
・ 世界遺産
・ 無形文化財
・ 選定保存技術
・ 無形文化遺産
 第二に文化財には人間の手から離れた有形文化財と人間そのものの芸や技すなわち無形文化財とに区分できる。有形文化財とは建造物と美術工芸品を指す。無形文化財とは芸能と工芸技術を指す。
指定 選定 登録
・ 有形文化財
・ 無形文化財
・ 民俗文化財
・ 記念物
・ 文化的景観
・ 伝統的建造物群保存地区
・ 選定保存技術
・ 登録有形文化財
・ 民俗文化財
・ 記念物
 第三に文化財には国の指定と選定と登録というある種のランクがある。

重要と特別(国宝) 重要
・ 有形文化財
・ 記念物
・ 無形文化財
・ 民俗文化財
・ 文化的景観
・ 伝統的建造物群保存地区
 第四に国指定のものを重要と頭につけ,特に重要なものには特別と頭につけるか国宝ということになっている。

 文化庁はこういう文化財の名称を紹介しているわけではなく,これらは「文化財の保護」という項目のページにのせて保存や修復の費用を支援していることを知らせることが目的であることに注意を向けたい。ホームページには文化庁の月ごとの活動を知らせる「文化庁月報」の紹介はあるが,書店へ行っても特別扱いで販売はされていない。もの好きのように店員から見られた。これでは文化財の重要性が伝わらない。

 いま,これらの分類が私たちに意味を持つものではないが,登録という制度があるから身の回りに文化財が眠っていればまず市町村に相談してみることである。ひとたび保護を受ければ文化庁の指導に従わなければならなくなることは当然である。
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おでん

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10月12日(木)
<ショート>大きなお世話 (3)
油ものを入れないのがおいしい
 コンビニエンスストアに行くといい匂いが漂っている。おでんだ。涼しくなりおでんの季節がやってきた。中を覗くと,こんにゃく,大根,ゆで卵,それに揚げ物と練り物がはいっている。でも想像してみると24時間営業で一つの種が何時間つかっているのだろう。長ければうまいと言うものではない。テレビで1ヶ月間つかったおでんを見せてくれたことがある。真っ黒でちじんでとても食べられる代物ではない。また,ちくわやはんぺんはどなたも承知のように作ったその場で食べなくてはおいしくない。ふやけて味が抜けてしまう。
 おでんはやはり家で作って食べるのがうまい。値段のことは言ってもしょうがないが1個70円もする。ふたきれで大根が1本買える。さて大根に味がしみていつまでも継続的に食べるには,練り物,揚げ物は入れないことである。スーパーではおでんセットなるものが売っているが練り物と揚げ物ばかりである。あれがおでんの雛形ではない。これらを使うと手抜きはできるが反面教師である。大根,サトイモ,にんじんを下ゆでし,こんにゃくに溝をつけ,昆布を忘れずいれて,たんぱく質はゆでたまごでまかなう。暖めるときにとうふがあれば入れる。これで十分堪能できる味の”おでんのもと”が売られている。
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公文書館

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10月11日(水)
故きを温めて新しきを知る (17)  
窓際の仕事は今の人には無理
 公文書と言うのは上司がはんを押して部下に回すあれである。しかし公文書館というのは知っている人は少ない。公文書を末永く保存して末代まで残しておく建物である。それも使い終わって要らなくなった文書だから散逸して集めようとしても集まらないと思うのが普通の人間の考え方である。

 「文化とは何か」⇒「文化の集積場所は」⇒「公文書館」と学んで行く中で,考えてみたことであるが,日本には統一的な文書管理法は存在しないことを問題としている人がいる。文書管理法とは公文書館が政府機関を文書の管理に関して指導監督することを義務付ける法律である。文書を残すには必要であるが,今の日本人には合わない発想である。「いついっかまでに要らなくなった文書をもってらっしゃい。」こんな指導ができるだろうか。要らなくなった文書は残さず,シュレッダーにかけて廃棄するのが相場である。
 また仕事そのものが地味である。歳をとって窓際に追いやられた人にまわってくるような仕事である。今の日本人は若くても日の目を見るところに立ちたい。下積みの苦労は真っ平であると,かなえられないけれどもその気持ちで暮らしている。私たちの昔でも「研究所」とか「市役所」,「農協」というのは仕事のイメージが悪い代表であった。辛気臭い仕事なんかしたくないというのがこれまた偽らざる本音である。

 こうした状況から脱皮を迫られていると言うのが学者や関係者の訴えであると見た。それには,テレビのCMのように重要性を何度も訴えることが必要である。国民の意識変革からはじめなくてはいけない。Web2.0の時代は,自分の論拠をホームページ上に発表すればそれで伝えたことになるのではない。個人がプロバイダーのサーバーにホームページを立ち上げても誰も読まない。更新もしない。この悪循環を打ち破ってブログが誕生したのである。毎日更新する。皆がそこを訪れて読み歩く。このシステムに行政も学者も関係者も乗らなければ読者は増加しない。ホームページが古文書になっている。
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