読書会への誘いの断り方

上段:投稿日 中段:カテゴリ 下段:サブテーマ ブログナンバー: 58
     
07月31日(日)
町内ご近所でおこる話し (23)
朗読会の勧め
 
 定年退職した者が集まって読書会をするから,お前も出ろというお誘いを受けた。私はメールで消極的な返事を書いた。「読書会はご意見を拝聴するだけの参加ならできるかもしれませんが,本らしい本を読んだことがないし,読む気力がなくなり,進んで本屋に行って本を探すこともやっていませんので,推薦せよと言われても蓄えがない状況です。」理由はこれだけではないが,そのときは忙しくて書けなかった。その後,再度のお誘いを受けた。「なにか本でも読んで気楽におしゃべりしましょう。」そして,これに応える期限が迫ってきたである。

 私はだまされたつもりで参加しましょうと言えばいいけれども,「本でも読んで」と「気楽におしゃべり」とが両立するとは思わないのである。私がこれまでいろいろ体験してきたが,勉強会をやったり,輪読会に参加したり,原典研究会を主宰したりなど立場もいろいろ経験してきた。どんな会でも他のメンバーより内容に詳しいリーダーがいることで何とかもって来た。リーダーがいない会は行き詰まってしまうものだ。
 今回のような読者会はリーダーがいない。つまり本の内容に通じている者がいない状態で始まる。途中でエンストの状態になるに違いない。一般に読書会というのはひとりの意見に対して誰かが共感したり反対意見を述べたり,またそれに対して意見を繋ぐ人がいるという形で進んでいく。質問も出てくる。最後にそれらをまとめる人が必要である。詳しい者がいない気楽な読書会というのは成立しない。互いに同級生ではないからである。そこで私は今静かなブームらしい?”朗読会”をやったらどうかと返事してみることにした。

 黙って本を読む時間よりいい。声を出して読む。それを聞く。会話文が出てくれば声優のように演じることになる。ロマンがある。輪読にすれば,眠っているわけにはいかない。現役のときよりしゃべることが少なくなってきた。その分トーンが低くなる。だから声を出せば声帯の訓練になる。本の内容より集まることが目的なら朗読会で十分である。予習やらレポーターやらそんな負担を感じずに参加できる。
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

ペジェ曲線で描こう

上段:投稿日 中段:カテゴリ 下段:サブテーマ ブログナンバー: 57
     
07月30日(日)
身の回りの小道具 (1)
文中のカットの効果
 
 私は紙に絵を描いたことがない。絵がへたで絵にならないからである。ところがパソコンで絵が描けることを発見した。そのときはパソコンの威力とソフトの威力をあらためて見直した。ここにある絵は見本を見ながらであるが,腺がぐらつかず曲線と線分の組合せで描けているのがお分かりでしょうか。

 顔の曲線の決め手は円を描いてからそれをペジェ化する機能を使って自由に変形することである。髪の毛全体もそうだ。目や口の中の曲線は線分をペジェ化して,少しつまんでひっぱっただけだ。こぶしは特に威力を発揮する。その他は線分を結んで描いていき,線上に色をつけると輪郭が出来上がる。余分なところは消しゴムで消し,閉領域を塗りつぶして完成する。皆さんもやってみてください。
 使ったソフトはフリーウエアのPixiaである。上の絵も時間をかけて目の部分をいじればいくらでもかわいこちゃんにもっていける。この程度はレイヤーなしでかける。レイヤー機能マスクを使えばなんでもかける。是非このソフトをお勧めする。

 このソフトのもうひとつの特徴は,文字の右下に影をつけることはもちろん,2重文字(左)・3重文字が書けることである。
 さらにきわめつけは,画像自身に陰をつけて浮き上がらせることができるところだ。(右)
こうして自分でイラストを作り文に添えれば,その文が生きかえってくる。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

夏休みは漱石だ

上段:投稿日 中段:カテゴリ 下段:サブテーマ ブログナンバー: 56
     
07月29日(土)
故きを暖めて新しきを知る (4)
学校の役割
 
 学校に通っている限り大抵40日~60日の休みがある。この休みをどう使うか考えられる人は大学生以上でそれ未満の高校生以下は自分の思う通りにできない。親がどう導くかによって満足な夏にもなり,そうでもない夏にもなる。ところが親も自分の経験から一部の例外を除いて,子供を教育するカリキュラムを持っていない。旅行するにも計画書が必要なくらいだから,家族旅行以外のむつかしいことは学校に任せるしかない。

 近所に私立の高等学校がある。街なかの高校で,大規模校であるから,街で見かける高校生は大抵ここの学校の生徒である。夏休みになってもここの高校生を見ない日はない。早朝から行列を作って学校に登る。午後には三々五々帰っていく姿を見る。学校も大手を振ってセミナーとか補習とかを実施できる。昔は保護者に補習への参加許諾書を出させて,親の許可をもらい,その上で学校は補習を行なっていた。成果をあげるには頭を下げてやらねばならなかった。
 塾では中学生が一番のお得意様である。高校への合格は大学への合格よりむつかしい。400人の定員に対して420人の志願者があったというだけで大騒動である。大学入試では考えられないような数字に敏感である。倍率の問題ではないらしい。420人の成績が伯仲しているから誰が落ちても不思議でない。どこの高校でも力の差がないもの同士が受験するから,合格が保障されている受験生がほとんどいない。そんな事情で夏の塾は朝から夜まで忙しい。

 今の中高生は読書をすることがあっても現代ものに限られ,歴史教科書の文化の節にのる明治の作家の作品や英文学の翻訳ものなどは,ほとんど読むことはないと思われる。わたしが寮にいた頃は上級生が読書に没頭していた姿をよく見ていた。当時は漱石や阿部次郎は高校生の常識であった。書物というメディアからのみ新しい知識や情報がはいっていたころである。今はインターネットの世界であらゆる分野と書き手の活字にお目にかかれる。漱石は浜の真砂の一粒であろう。夏の休みくらい文豪ものを読んで語り伝えていって欲しい。
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

日本語会話教室

上段:投稿日 中段:カテゴリ 下段:サブテーマ ブログナンバー: 55
     
07月28日(金)
町内ご近所でおこる話し (22)
英会話に通う前に
 
 英会話学校がはやってる時期。大学へ入学できなかった者が海外大学日本校へ行った時期。さらに外国に渡り,大学へ入る前の英語などを学ぶ予備学校へわれもわれもとなびいた時期があった。さらにもっと前は大学の外国語学部への入学が流行った。好きで行くことはかまわないが,彼らは外国語を読めるようになるために行くわけではない。おそらく話せるようになることが目的で行くはずだ。しかも知り合いと話すためではない。むしろ初めての人と話すことができるようにと思っている。

 わたしは英会話は全くできないから,英会話ができない理由がわかっている。英会話というのは英語で会話する。英をとれば日本語で会話するということである。人とコミュニケーションをはかるのに会話でそれができる人は大変少ないのではないか。多くの人は,大学へ入ったがほとんど友達もいない。教室で授業を待つ。話す相手もいない。講習会を受けるため教室に集まった。みな沈黙を守っている。言葉が出てこないのである。英語だったら出てくるのであろうか。そんなことはあり得ない。
 英会話学校という前に日本語会話学校を開く必要がある。誰もが入学資格を持った人ばかりであるからだ。私は日本語ができますという人はいくらでもいる。しかし自分から日本語を発する人は少ない。それは常に情報を整理して機に応じて出せる状態になっていないからである。メールが会話より多い携帯電話の使われ方は日本人特有だそうである。活字文化と会話文化の違いからくるという学者の分析もあるが,仲間同士以外の電話は会話ができるほどに訓練されていないと言ったほうが当たっているのではないか。

 日本語はむつかしいというのは世界的に周知のことである。日本人がそのためにしゃべることができないわけではない。子供のときから,学習というのは読む書く計算するの3点に絞られてきている。話すことはそれほど評価されなかった。「うるさい。静かにしなさい。」これが相場だった。今国際社会になって最も必要な説得力,コミュニケーション能力これが必要と感じても後の祭りである。100年の計で現れた結果であるから。
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

受けたくないサービス

上段:投稿日 中段:カテゴリ 下段:サブテーマ ブログナンバー: 54
     
07月27日(水)
町内ご近所でおこる話し (21)
短い時間の方がいいサービス
 月に一度ずつ歯医者と床屋へ行っている。やってもらうサービスはどちらも同じで,背もたれが倒れるいすに腰掛けて,複数のスタッフに首から上を危ない刃物や尖りものを持って処置される。違うのはその日を予約するかしないかだけである。

 歯医者には連続して5年ほど同じところへ通っている。上下の3分の2は金属に変わっている。その間院長以外の先生は半年後には顔を見ない。研修医としての修行なんだろう。一方歯科衛生士は,治療台の数と同じで4人いる。2人はわたしの治療開始からいるので歳はもう二十六七になるだろう。白衣の天使も街でときどき見かけるときは着飾った娘さんである。
 床屋には個人経営の2人のところへ通っていたが,今は10台も並んでるすばやく仕上げてくれるところへ通っている。歯医者とは逆に女性のスタッフは1人で男性が数人いる。行くとすぐに空いてるいす(鏡の前の散髪台)に座って順を待つ。通ってる歯科で待つ椅子(硬い事務いす)とは比べ物にならないくらい座り心地がいい。以前の床屋は4200円の料金で1時間以上もかけてこねこね顔をこね回しいつまでもやってくれてるのに対して,必要な処置だけさらりとやってくれるのがなによりのサービスである。

 歯医者のサービスは何をさしていうのだろう。院長一人の力の影響が大きい。治療の結果自分の歯がなくなっても透過的に(あたかも自分の歯の様に)使用できる歯になっていることが本命のサービスに違いない。歯科衛生士もサポートして一生懸命やってくれるが,手袋をはめた手で治療をし,その手で脱いである患者の下足をそろえてくれる。これはよけいなサービスである。
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

名前はジャワ島のジャヴァ

上段:投稿日 中段:カテゴリ 下段:サブテーマ ブログナンバー: 43
     
07月16日(日)
IT関連のカタカナ語と略語ABCに強くなるブログ (11)
携帯・家電に入ってるコンピュータ言語
 
 この稿の目的は専門用語を専門用語を使わないで説明することである。私が聞いている放送大学の教授がやさしく説明しようとして無意識に専門用語を使われる。ある概念の説明で,「国語を60点にセットする」と言われる。え! これ何のこと?「国語という変数に60を代入する」と言えば誰でも分かる。のど元過ぎれば熱さを忘れてしまわれたのだろうか。ご自分がわからず勉強中だった頃を。

 プログラミング言語にJavaという名前のものがある。これはインドネシアの島の名前である。アメリカ人がつけたものと思われるが,勝手につけるものだなーと思う。プログラミング言語はコンピュータの回路を物理的に繋ぎ変えなくてもいいようにと作られて久しいが,Javaは1990年代前半に開発された。現代では多くの支持者があり,家電などの組み込みシステムから携帯電話のシステム,大規模なサーバまで幅広く活用されている。  
 ネットスケープナビゲータとインターネットエクスプローラが張り合ったように,Javaと.NET Framework(ドットネットフレームワーク)が張り合っているが,ここではJavaの特徴をあげてみると,次の①と②の中間を行く仕様を持った言語である。
 ①プログラミング言語を使って書いたもの(ソースコード)はそのままでは実行させることができないものがある。CやC++という言語はコンパイルという操作を経て,実行できるプログラムに仕上がる。これがハードディスクで待機している。ユーザがクリックすればプログラムが開始する。
 ②ソースコードをインタープリターの下で開始すると1行ずつ機械語に翻訳しながら実行していく。その分実行の速度は落ちる。利用は少ないが,PerlやPHPという言語がその仕様である。


 Javaのソースコードをコンパイルしたものを中間コードと言う。これとインタープリターをどんなマシンにも組み込むことができる。これはWindowsやMac-OS,Tronなどの基本ソフト(プラットフォームという)に依存しない八方美人型のアプリケーションソフトだからである。さらにJavaは,これまでの言語に改良を加えられた使い易さつまりプログラミングのし易さと壊れにくさと保守のし易さ(変数に漢字が使えることもそのひとつ)に人気の秘密がある。最初に述べたある概念とはオブジェクトのこと。最近の言語構造はオブジェクト指向プログラミングができるような仕様である。オブジェクトとはプログラムを構成する部品と思っておく。現代のプログラムは部品にリンクするコマンドの集まりと考えればよい。
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )