高校世界史恐い将来

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10月27日(金)
故きを温めて新しきを知る (22)
先得さきどくのつけ踏み倒しが心配
 企画会社の経営を紹介しているNHKの番組”プロフェショナル”。社員は懸命にアイディアを提供し,寝ても覚めても頭の中はおもちゃの開発で染められている。その努力が結果として,社員の利益につながる。この仕事には賄賂や談合や法律の網の目をくぐるなどの道がない。世間の眼鏡にかなうかどうかで生き残るか廃業かである。

 一方,この2,3年あちこちで不祥事や法律違反が暴露し,謝罪会見で世間を騒がせている団体は,何を考え誰の利益を追いかけているのだろうか。今まで長い間来たことのない大きな台風が突然やってきてあらゆるものを洗い流した後のような現象である。公的機関の不祥事,鉄道会社や航空業界の内部問題,建築業界の不正利益追求,医学会の倫理問題,行政府の裏金作り,そして学校のいじめ,カリキュラム不正運用など本来の業務に真剣に取り組んでいればなんら問題にならないばかりか,尊敬さえされる団体である。架空請求とかを行う架空の団体ではない。それがなぜ隠さなければならないあるいは横道にそれて行くことに自己規制がかからないのだろうか。
 医師の倫理問題は賛否両論があって,患者や家族,妊婦にとって利益になるも,第三者がその行為を自己利益のため不正利用するからということで,医師の意志と法律の間に摩擦がおきている。それを強行に実行してしまってあと処理に手をこまぬいている。今回の学校の教師の倫理問題には賛成をもって許す者はいない。生徒や家族にとって利益になるも,将来の生徒や家族にとっては利益にならないので,文科省が基準を設けている。その基準を破っていたことをこれまで隠してきた。誰がこれを裁くことができるのだろう。

 何事もいずれわかることを愚かにも人間はやるものだ。みんなでやればたとえ不正でも恐くない。人間が公平に暮らせるように法律がもうけられ,それを守るのも取り締まるのも皆人間である。法律がもうけられる時点はでは人間の精神は神の心を宿し,法律に神の心を吹き込んでいた。古今の法律の歴史を調べるとわかる。例えば,ちという神獣が神社の参道に祀られているが,古代の裁判に用いた動物で,法という字は,裁判に破れて穢れたちを皮袋に入れて水に投じ去るさまを表している。法を守ることはその場では不利益を蒙るようでも終局において皆が公平に利益を得ることを保障するものである。今回何万人もの高校生が不正に卒業することになるだろうが,いい味を占めたこの体験が将来の日本を背負う立場になったとき,どんな判断を下して国民を引っ張っていくのかと思うとやり切れない。
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