さびしい年賀状

上段:カテゴリ 中段:投稿日 下段:サブテーマ ブログナンバー: 154
     大きなお世話 (15)
12月25日(月)
何も書いてないが読める生活事情
 25日は年賀状を出す日と決めて23と24の2日間は年賀状書きに終始した。デザインの作成と印刷は自分で,宛名は筆ペンで,コメントは万年筆でというスタイルである。書き初めていろんな思いがわいて来る。先ず物理的にインクジェット紙は万年筆に向かないので途中からボールペンに変えた。

 昨年の年賀状を見ながら宛名を書き,文面を考える。相手の文面に何も書いていないときはいろいろ想像する。すべてが業者印刷のあいさつ文だけのものは別として,自分でデザインを考え,あいさつ文と名前の間を少しあけ,コメントが書いてないものを見るとき,「何か一言入れなさい。もらっても何も伝わってこないよ。」という気持ちが第一に働き,次にその人の心の中が伺い知れる。
 何も書きたくない心境なんだ。毎日の生活がおもしろくないのだろう。高校時代を共にした仲間が同じ職場の上司になっている。こういうことはよくある。私立の高校を出て,教員として母校に戻ってくる場合,先輩も同輩も後輩もみな昔同じキャンパスに暮らした仲間である。同輩や後輩が校長と教頭を占めている現在の環境では心から楽しい暮らしは出現しないに違いない。

 私は年に一度の情報伝達と思い,近況を3行で書くことにしている。相手が一番知りたいことを書く。毎年交わす相手で,以前職場を非円満退職させられた年上の人であるが,毎回近況が書かれていない。何か一言でも見つけて話の火種にしようにもできない。挙句の果て,姉が亡くなり欠礼しますという葉書がきてしまい,またまた,情報取得が先延ばしされた。おそらく言葉に出して語れない生活が続いているのだろう。年の瀬はいつもさびしい思いをさせられる。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

カラスに豆をやる人

上段:カテゴリ 中段:投稿日 下段:サブテーマ ブログナンバー: 153
     町内ご近所でおこる話し (49)
12月22日(金)
何かおかしい
 一歩外へ出ると目に入る珍事。その人には当たり前でも,昭和10年台末から日本の成長と共に成長してきた私たちから見ると不思議な光景であり,否定的に見てしまうことがやたらと多い。

 家を出てコンビニへ寄った。レジで支払いを待つと,前の客が缶ジュース1本の代金を財布から取り出し,と思ったらカードを取り出して店員に見せ,カードリーダーで決済がなされていた。客は高校生である。私には初めて見た光景であり,カードはこういう使われ方をすることを目の当たりにした。すぐに計算が浮かんでくる。ものを買うのに借金して支払いをしなくてもよさそうなもの。借金の利息まで払うならもう1本余分にジュースが買えるのにと思いやってしまう。
 しばらく行くと,犬をつれた女性がJRの高架橋の下の休憩広場で鳩に豆をやっている。豆と言うか麩というか定かでないが,10数羽が拾って食べている。黒いものも混じっているなあと思ったらカラスである。2羽のカラスが鳩よりスピーディーにえさを拾う。普通はカラスにえさをやる人はいない。やらなくてもごみ袋をあさって困っている敵であるのにこの女性は3種のペットに囲まれてご満悦そうだった。

 横断歩道を渡る所で待っていると,向かい側に白いマフラーをまいた高校生が青信号を待っている。そのマフラーが長い。首にひと巻きして尚2本の先が太ももまで届きぶら下がっている。風に吹かれればなびくこと必至であり,私には危険が思いつく。車と並行して走らなければならない道もあり,浮かんだマフラーを車が引っ掛けるに違いない。そういう想像力は若い高校生にはないのだろうか。危険きわまりないと思われる光景に出会ってしまった。以上3件忘れないうちに記録しておきたかった。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

次の葬儀のために

上段:カテゴリ 中段:投稿日 下段:サブテーマ ブログナンバー: 152
     町内ご近所でおこる話し (48)
12月6日(水)
礼儀作法の審判場
 高齢化が進んでると言うのに,斎場はすごいことになっている。1年で1館ずつ増えて今は火葬場の前に7館が林立している。これだけ揃っていれば毎日15人ずつ葬式を行える。市立の斎場は2世帯用。お寺の建てた斎場も2世帯受け持てる。その他は葬儀屋の建てた斎場である。昨日ご近所の専門学校の創立者が亡くなって葬儀があった。

 何回も見ている葬儀の進行の中で今回初めて見たのは,空き座席への案内をはじめ,ご焼香の順番の促しなどを一人の若い女性が担当していた。今まででも女性がいなかったわけではないが,送り花の世話とか小道具の準備片付けの下働きをしていた程度で目立つことはなかった。しかし,今回はメインの司会の片腕となってよく動いていた。その功あってスムースな進行ができたことは確かである。
 お導師様と法中様が祭壇の前から少し離れて中央にお座りになる。親族と来賓は祭壇の前でご焼香する。一般参列者は法中様の後に設置してある焼香台に来て礼拝する。このときが最も大事な瞬間である。4列に並んで焼香を待つ一般参列者は並ぶ列によって喪主と挨拶を交わすことができない。他の列の参拝者で遮られてしまう。解決策は簡単である。喪主とその配偶者が両サイドに立って挨拶を受ければよい。そこが若いスタッフのせいか喪主に指示するとき舌足らずなのである。見ているこちらがお節介を焼きたくなる。

 話が前に戻るが,親族の名前が呼ばれて焼香が始まると,参列者の席の一部で必ずひそひそ話しが始まる。見たことのない親族に興味がわくのであろう。サスペンスドラマの焼香のときの場面さながらである。これは失礼な態度であるから慎むべきことである。逆に祭壇前で焼香する親族になったときは,参列者に対して,よくぞおいでくださいました。私は親族の一人ですとしっかり挨拶すべきである。たくさんの審判員がその振る舞いをしっかり評価しているのである。急にはできないので日ごろから人としての礼儀作法を実行していることが大事である。誰にも葬儀の親族側に座る可能性をもっているからこそ,こんなことに触れてみた。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

元気と山登り

上段:カテゴリ 中段:投稿日 下段:サブテーマ ブログナンバー: 151
     故きを温めて新しきを知る (27)
12月5日(火)
晴耕雨読を実行する難しさ
 10年ぶりに
自分の足で山に登ってみた。町のはずれにある山だから,軽装で行ける。400m余の高さから見下ろす景色はテレビや本の写真で見た景色と同じである。この山にもう一度来たくなるかどうかは山の作りや道の作りで決まるが,今回は道を間違える失敗によって次回成功させようという気持ちにさせてくれた。

 自分たちの登ってきた後の方から,大きな音が,三田明さんの歌が聞こえてきた。近づいてくると,西郷輝彦さんの歌に変わった。おはようございますと言いながら追い抜いていった足早の女性がCDプレーヤーを持っていた。展望台で再び会ったが,一人だから恐怖心を緩和する為であると言っていた。
 頂上から反対側に降りてみた。これから昼食をとろうとしていた10人のグループがいた。山を愛好する人たちの一団がいたことが,今回自分たちが山に来たことに高い価値を与えてくれたような気がした。定年退職して暇をどう使うかが課題である私たちであるから,山登りは価値ある選択のひとつであることを証明してくれたとも言える。それくらい山と縁遠くなっていたのである。

 この山で出会ったりすれ違った人たちのほとんどが一人登山であり,60歳過ぎの人ばかりであった。皆元気である。元気を維持する方法は家に閉じこもらない,晴耕雨読という言葉で表現されるこの4字熟語を座右の銘とすることが必要になったように思う。晴読を続けてきて体調を崩している。薬で回避し,また晴読を繰り返している。この日の登山はこれからの自分のポリシーに影響を与えてくれた。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

うれしい故障

上段:カテゴリ 中段:投稿日 下段:サブテーマ ブログナンバー: 150
身の回りの小道具 (14)
12月2日(土)
起こったことをまず受け入れてみる
 ものが故障してうれしいひとはいない。大抵のものは使えないから,修理するか取替えるかしなくてはらない。取り替えると粗大ごみが発生して双方が困る。機械の故障で最も多い故障箇所はタイマー関係である。時間とかかわる作動のコントロールが難しいからだろう。タイマーが故障しても機械の一部であるからそのまま使用できるものがある。宅の電気洗濯機のタイマーが故障して,モーターの回転がとまらなくなった。止めるにはタイマーのメモリを手で0に戻すかコンセントを抜くかである。

 故障するような機械だから年式は古いけれども洗濯機としての機能は残っている。すすぎにタイマーを使うようになっているが,タイマーが壊れているので自分で回転を止めなくてはならない。しかし,タイマーが動いているときでも,水道の蛇口まで自動で止まるわけではない。モーターだけ止まって水だけはそのまま注がれっぱなしである。これは無駄であるというか,洗濯機の設計ミスというか,むだな機能である。こんなものはない方がいい。願ってもかなわない故障がおきて重宝している。
 7年前母親の介護と仕事に真っ最中であった頃,骨折入院していた母親の病院食に出た煮魚を私が食べたとたん骨がのどにひっかかった。通常はご飯を丸めて飲み込めば骨がとれていた今までと違って今度はどういうわけかいつまでものどにつかえている。日が経つにつれ骨ではなくのどのはれもののように感じられるようになった。最悪の場合を考え,たばこなど吸っていては治るものも治らない。このとき35年間の喫煙習慣を断ち切った。その後のどはさまざまな症状を起こし,6年半の歳月を苦しみながら,やっと2か月前くらいからのどのことを忘れられる快復を遂げた。

 身体もタバコの煙の影響と精神の困ぱいとで,悲鳴を上げたのであろう。のどの故障でタバコをやめることができた。この6年間は悲惨な思いをし続け,心が晴れたことはなかった。しかし,今の自分にとって,タバコを吸わない人間の部類にはいることはいいことである。タバコなしではいられなかったことを思うとものすごくいいことである。吸えない場所に拘束されているときは早く逃げ出したい。吸えない相手と会っているときは早くその場を離れたい。これがたばこのみの心理であると知って欲しい。これではいい仕事ができない。タバコを知らない経営者は知っておいてもらいたい。タバコを吸う従業員は常にイライラしながら仕事をしていると。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )