goo blog サービス終了のお知らせ 

これは見られるとまずい

サブタイトル 「後ろ」+「め」+「たい」 
カテゴリ 町内ご近所(39) 
訪問者数 8月10日(日)~16日(土)145人 
興味ある方は サッカーJリーグチームの戦績履歴 
  「道草(みちくさ)を食う」という行動をご覧になったことありますか。語源は古語「道」+「草を食う」=馬が道端の草を食べて寄り道することからきた言葉であることは分かりますが実際に見ることはまれですね。きょうは信号無視ではない「後ろめたい行為」を見られてしまった人の心理を語源と共に紹介します。
ことの次第を「小説」風に記述すると
 資源ごみの町内収集所の見張り当番は午前7時から8時までと決められている。ひとりが
「もう誰ももってこないので早めに終わりましょか?」
 それに同意して,二人は8時10分前に持ち場を離れた。その直後に町内副会長のわたしがダンボールをもって収集所へ着いた。ところが居るはずの当番がいなくて,30m先を歩いて帰っていく二人を見つけた。同時にそのひとりが後ろを振り向いてわたしに遥拝しているような姿を見せた。
状況を整理すると:
 ・当番の2人は「決められた時間(午前8時まで)」より早く任務を終えた。
 ・その直後に町内副会長が資源ごみを出しに来た。
 ・ふたりはすでに帰りかけていて、「30m先」で歩いている。
 ・そのうちの一人が「後ろを振り向き、遥拝のような仕草」をした。
このときの感情は?
 その人物の心には、次のような思いがあったと推察されます:
 ・「本当はもう少し待たなければならなかったのに、早く帰ってしまった」
 ・「それを副会長に見られてしまった」
 ・「ばつが悪い、気まずい、申し訳ない」
 これはまさに、「やましさ」や「気がとがめる」=後ろめたさです。
「後ろめたい」の語源「後ろ」+「め」+「たい」と重なる点
 ・見られていることを意識する(=“後ろ”に“目”があるような感覚)
 ・その場から離れていく(=背を向けている)
 ・罪悪感や気まずさを感じる(=やましい気持ち)
 ・古語の「後ろ目悪し」の「悪し」が「たい」に変わった。

まとめ
 この「振り返り+遥拝のような仕草」は、無言の「後ろめたい」に見えます。それを見られては困る人から見られてしまった一瞬だったと言えるでしょう。だれでもありがちな行為ですが,罰則があるわけではありません。しかし自治会で決められたことですから法令違反と自認されたのでしょう。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

親戚の訃報を後で知った さてどうする

サブタイトル:答えが見つかった 
カテゴリ:町内ご近所(38) 定年退職者の目:218 
興味ある方は: サッカーJリーグチームの戦績履歴 
訪問者数:6月8日(日)~6月14日(土)207人 #人生#人間関係
 毎度わがブログサイトを訪問していただき感謝します。
1.家族葬が普通になった理由 「知らせると気の毒」という気遣いは重要な理由の一つですが、それに加えて「静かに送りたい」「負担を軽くしたい」という家族や本人の希望、そして時代の流れも影響しています。

2.知らせると気の毒 いとこの夫が半年以上前に亡くなった事を別のいとこから聞きました。夫を亡くしたいとこは同性のいとこに当時「Sちゃんには言わないでほしい。言うと相手が気を使って気の毒だから」と釘を刺したそうです。これを聞いた私は「香典を贈るとかすれば相手の気持ちにそぐわなくなる」と考え,「相手に負担を与えないように聞いたことに応えるにはどうするか」と思案の末,その家の墓前に黙って花を手向けようと思いました。

3.墓は母の実家の墓 翌日,菩提寺を訪ねてご住職に墓に案内してもらいました。大小数十基ある墓地の中に目的の2基が雨風に晒されて寂しく建っていました。今まで自分は母の姉の葬儀以来ここへ来たことがありません。なんとなくよその墓という思い込みがありました。うちの墓には月命日ごとに墓参していたことがよその墓と言う意識を作り上げていたのでしょう。墓石の側面に母の父親即ち祖父の名を発見したとき,よそではないうちの墓なんだと気づきました。

4.下見の翌日花を手向けました その日は陽も落ち漸く涼しくなった時刻にお寺の裏にある墓地へ行きました。周到に用意をして出かけましたので困ったことは皆無でした。
 忘れてはいけない念珠
 仏花1対(ろうそくや線香は防災上避けた)
 花に水を遣る1リットル水筒(水道の蛇口はあっても桶までは用意されていない)
 お寺さんへの心づけ(水を貰ったり管理費用に)

まとめ ご住職に「いとこの夫はいつ亡くなったのでしょう」と訊ねました。「そろそろ一周忌になりますね」と聞いたとき,なんと1年も知らずに居た自分が情けなくなりました。『幸い,一周忌の法要にいとこたちがお参りに来て誰かが墓参に来たことだけは近いうちに伝わる。これでいいのだ。訃報を知らせてくれなかったことの具体的な理由はおそらく,以前,母の妹の葬儀に大きな供花を贈ったことが影響したのであろう。贈らなかった親戚の気持ちへの配慮が足りなかったことが今回分かった。』
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

医院との別れ方(上)

サブタイトル:別れる要素の産出 
カテゴリ:町内ご近所(37) 定年退職者の目:215 
興味ある方は: サッカーJリーグチームの戦績履歴 
訪問者数:5月19日(月)~25日(日)119人 #病気#健康づくり
 毎度わがブログサイトを訪問していただき感謝します。
1.ストレスの原因は逃れられない環境 ストレスの原因として公認されたハラスメントは幾種類もあります。日本語ならいじめ,ことわれないおせっかいなど。それらの加害者と被害者の力関係が大きいほどストレスは弱者に強く働くし,強者は溜飲が下がる。医師は時に親切なサービスの名の元に,一方的にメディカルテストを患者に強いる。インフォームドコンセントなしにテストを受けた患者はその結果によっては大いにストレスが発生する。これでは患者は原因不明の体調不良におちいる。

2.結果は医師にとってはデータである 血液検査のPSA値を見るのは医師のたのしみの一つである。その他の数値は健康に大きな影響は少ない。3ヶ月に3度も検査された。さあ今度は裏付けるデータが欲しくなると大病院へ精密検査を受けるように説得が始まる。そのうちに患者も厭と言えなくなる。医師は出身の病院の医師へ手紙を持たせて,テストを受けさせる。

3.痛くない検査と言われてきたが 血液検査の結果が疑われたから「この検査のみお願い」といっても聞いてもらえない。前にも書いたが,肛門触診は粘膜を指で擦り剥かれた感じである。痛いと言っても医師は謝らない。次はMRIだと時期を指定された。血液検査の結果を知りたいと出かけてきたが,5週間あとになるという。

4.口を滑らせたばっかりに 入れ歯をつけて3週間後のどに異変を感じた。その後自力で3年間自衛手段を試みてやっと治った。「最近少々喉の異変を感じるようなった」とこの一言がいけなかった。再びパッチテストを受けさせられた。これも不本意な結果に終わった。つまり,歯科医院を巻き込んで耳鼻咽喉科をやめることになった。(次回に続く)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

僥倖といえる出会い

サブタイトル:発達障害のひと 
カテゴリ:町内ご近所(36) 定年退職者の目:215 
興味ある方は: サッカーJリーグチームの戦績履歴 
訪問者数:5月12日(月)~5月18日(日)139人 #病気#健康づくり
 毎度わがブログサイトを訪問していただき感謝します。
1.この椅子に誰か来ますか 図書館で休憩していたら30代の女性がやってきて,対面に座って,「お宅は礼儀正しい方ですね」から始まり,「そういう方は教育者に多いです」,「あたってるね」そして,自分は発達障害ですがと断りを入れて話しをつないでくれました。「人の特徴的な職業なら顔つき身なりから区別できます」「刑事さんは目つきが悪い」と指摘。そこで質問しました。「具体的にどんな障害がおきますか」答えて曰く。「聞いた事をメモできない」,「周りのひとから一度に情報を貰い受けると頭が混乱してしまう」など2,3の例を挙げてくれました。一見しっかりした方でしたが,大人になってから診断されたという人は快復できないのでしょうか。結論から言えば、「完治」という意味での「快復」は難しいことが多く、「生きやすくなること」「困りごとが減ること」は十分に可能だそうです。

2.プレゼント用の本まで持って 後で調べると本人は「浄土真宗親鸞会」のメンバーとして来ていて『親鸞聖人物語』の上映の準備が終わったところでした。「少し待ってください」と,いったん席を離れて再び本を持ってやってきました。これを差し上げますといって『歎異抄をひらく』をみせて,「先生に読んでもらいたかった」ビニールカバーまでつけた単行本をくれました。「こんなのもらっていいのかね」と遠慮しましたが,彼女の様子から受け取ることにしました。そして最後に握手をもとめてきました。

3.誠意を誠意で応える 発達障害を持つ方の中には、「人とつながりたい」という強い思いがあるかもしれません。彼女はその特性を自覚し、正面から受け止め、対話や贈り物を通して自分なりの形で誠意を示していたように感じられます。決して勧誘など全くありません。当方もここは真摯に対応しなくてはと今の自分の体の状況を話しました。痛みが次々と渡り歩き,アレルギー反応に悩まされ,きょうも検査で腕に薬のついたシールを貼ってきたことなどを。これを聞いた彼女はそんな病があるとは思わないような顔をしていました。思わぬ人からあまり理解をしていなかった分野の知識を与えてもらいました。発達障害どころかすばらしいコミュニケーション能力の持ち主でした。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

カラスに豆をやる人

上段:カテゴリ 中段:投稿日 下段:サブテーマ ブログナンバー: 153
     町内ご近所でおこる話し (49)
12月22日(金)
何かおかしい
 一歩外へ出ると目に入る珍事。その人には当たり前でも,昭和10年台末から日本の成長と共に成長してきた私たちから見ると不思議な光景であり,否定的に見てしまうことがやたらと多い。

 家を出てコンビニへ寄った。レジで支払いを待つと,前の客が缶ジュース1本の代金を財布から取り出し,と思ったらカードを取り出して店員に見せ,カードリーダーで決済がなされていた。客は高校生である。私には初めて見た光景であり,カードはこういう使われ方をすることを目の当たりにした。すぐに計算が浮かんでくる。ものを買うのに借金して支払いをしなくてもよさそうなもの。借金の利息まで払うならもう1本余分にジュースが買えるのにと思いやってしまう。
 しばらく行くと,犬をつれた女性がJRの高架橋の下の休憩広場で鳩に豆をやっている。豆と言うか麩というか定かでないが,10数羽が拾って食べている。黒いものも混じっているなあと思ったらカラスである。2羽のカラスが鳩よりスピーディーにえさを拾う。普通はカラスにえさをやる人はいない。やらなくてもごみ袋をあさって困っている敵であるのにこの女性は3種のペットに囲まれてご満悦そうだった。

 横断歩道を渡る所で待っていると,向かい側に白いマフラーをまいた高校生が青信号を待っている。そのマフラーが長い。首にひと巻きして尚2本の先が太ももまで届きぶら下がっている。風に吹かれればなびくこと必至であり,私には危険が思いつく。車と並行して走らなければならない道もあり,浮かんだマフラーを車が引っ掛けるに違いない。そういう想像力は若い高校生にはないのだろうか。危険きわまりないと思われる光景に出会ってしまった。以上3件忘れないうちに記録しておきたかった。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

次の葬儀のために

上段:カテゴリ 中段:投稿日 下段:サブテーマ ブログナンバー: 152
     町内ご近所でおこる話し (48)
12月6日(水)
礼儀作法の審判場
 高齢化が進んでると言うのに,斎場はすごいことになっている。1年で1館ずつ増えて今は火葬場の前に7館が林立している。これだけ揃っていれば毎日15人ずつ葬式を行える。市立の斎場は2世帯用。お寺の建てた斎場も2世帯受け持てる。その他は葬儀屋の建てた斎場である。昨日ご近所の専門学校の創立者が亡くなって葬儀があった。

 何回も見ている葬儀の進行の中で今回初めて見たのは,空き座席への案内をはじめ,ご焼香の順番の促しなどを一人の若い女性が担当していた。今まででも女性がいなかったわけではないが,送り花の世話とか小道具の準備片付けの下働きをしていた程度で目立つことはなかった。しかし,今回はメインの司会の片腕となってよく動いていた。その功あってスムースな進行ができたことは確かである。
 お導師様と法中様が祭壇の前から少し離れて中央にお座りになる。親族と来賓は祭壇の前でご焼香する。一般参列者は法中様の後に設置してある焼香台に来て礼拝する。このときが最も大事な瞬間である。4列に並んで焼香を待つ一般参列者は並ぶ列によって喪主と挨拶を交わすことができない。他の列の参拝者で遮られてしまう。解決策は簡単である。喪主とその配偶者が両サイドに立って挨拶を受ければよい。そこが若いスタッフのせいか喪主に指示するとき舌足らずなのである。見ているこちらがお節介を焼きたくなる。

 話が前に戻るが,親族の名前が呼ばれて焼香が始まると,参列者の席の一部で必ずひそひそ話しが始まる。見たことのない親族に興味がわくのであろう。サスペンスドラマの焼香のときの場面さながらである。これは失礼な態度であるから慎むべきことである。逆に祭壇前で焼香する親族になったときは,参列者に対して,よくぞおいでくださいました。私は親族の一人ですとしっかり挨拶すべきである。たくさんの審判員がその振る舞いをしっかり評価しているのである。急にはできないので日ごろから人としての礼儀作法を実行していることが大事である。誰にも葬儀の親族側に座る可能性をもっているからこそ,こんなことに触れてみた。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

粉末の灰かぐら

上段:投稿日 中段:カテゴリ 下段:サブテーマ ブログナンバー: 140
    
10月30日(月)
町内ご近所でおこる話し (47)
訓練をして理解できることもあるが何か足りない
 昔起こった大地震の日に因んで10月29日に地区一帯で町内ごとに防災訓練が行われた。集まって点呼をとり,班長は自治会長に員数報告をするよう求められてもきちんとできない人が多い。班内の人数(今日は世帯数)のうち参加者何人という2つの数を報告しなくては意味がないのに参加者だけの数を言っている。最初にこういう基本的なことを皆が学んだことになる。

 ABC粉末消火器で炎を消すという体験をするのが今回の訓練規模であり,5本用意されていた。炎の大きさも小さいのですぐ消えるわけであるが,消えたから粉末が出てくるのを止めようとして,あちこち触っているうちにホースが上をむき,空中に粉末を撒き散らしてしまう。空一面に粉末が舞い上がり,参加者は逃げなくてはならなくなる。消火器の使い方は出終わるまでホースを火元に向けて待つものであるが,大部分の人は途中で止めたいらしい。止めて他の箇所の火を消しにいくものだと思い込んだまま終わってしまい,消火器が機能しない壊れ物という認識であった。初期消火に使うもので,あちこち持って廻って消す道具ではない。この意識を払拭しないで終わってしまったのは残念である。
 消化に使った場所はある法人が駐車場に使っている空き地であり,粉末の淡紅色が簡易舗装した地面を染めてしまった。掃除のため水をかけてブラシでこすって送り流そうとすると簡易舗装に使った小石が分離する。ブラシをやめてホースの勢いだけでどぶ板まで送り,穴に流し込んでしまおうとしたが粉末は舞い上がる。今日はずいぶん粉末を吸い込んだことになり,健康被害はないだろうかと気にしながら水の行き先のどぶ穴に押し込む。粉末を下水道に流して水が汚染されるのがこれまた気になる。この水が再び飲み水になって戻ってくるわけである。

 こうして消火器の使い方を目で見て学んだが,本当に火災において役立つ訓練とはなんだろうか。消化器がある家庭はほとんどないだろうし,訓練に出てくる人は各家庭ひとりで,いつものメンバーである。実際に非常事態が発生したら見知らぬ人がいて,助け合う人とのコミュニケーションのとりかたに困惑するだろう。町の中の災害救助のむづかしさは顔を知らないことである。国を挙げて,強制的に1年に1回は町内の老若男女全員が一同に会することを義務付けて実行させる方法を打ち出してほしい。ひとと人が会うという単純なことであるがむつかしいことなのである。
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

ラーメン屋の店じまい

上段:投稿日 中段:カテゴリ 下段:サブテーマ ブログナンバー: 139
    
10月29日(日)
町内ご近所でおこる話し (46)
変化を見て秋を知る
 きのうラーメン屋の前を通ったときは何の変化もなかったが今日その店の前に”誠に勝手ながら閉店させていただきました”と張り紙がしてある。その向かい側には,英語塾が開店したばかりで,ガラス全体に大きな生徒募集の要項が貼ってある。どちらも家から30m前後のご近所である。英語塾はこの町内へ新規参入した人だから知る由もないが,ラーメン屋は3年くらい続いた店であるから,店主も知っている。

 どちらの店も借り店舗で,ラーメン屋の前はうどん屋でこれも短命の店であった。場所が悪いといったら当たらずとも遠からずだが,もう一軒反対の方角に飯屋が長く続いているから場所だけの問題ではないだろう。中華料理の専門店でもあり,味は悪くない。若夫婦だけで営業し,出前も結構あったように思う。ただ,住まいが離れているから,ご近所としてのお付き合いはなかった。どこかいい場所でも見つけて再出発されるといいが。
 一方,新規参入の開店の模様は派手である。間口2間半くらいの小さな英語塾で2人制の授業方式だ。週1回150分,4万円とガラス戸にでかでかと出ている。このわかり易さが開店するときのテクニックかと思わせる。近くに高校があるから,それを狙った商売である。学校帰りの1,2年生を対象にした塾であり,週4日の営業活動だから,曜日をうまく割り振りして8人が放課後待たずに指導を受けられる計算になる。1日2組に膨らめば最大16人となる。収入は64万円となり,家賃と光熱費や通信費などひいても一人で行うなら大きな収入だ。しかし,どれだけ集まるか。捕らぬたぬきの皮算用である。

 新旧入れ替わりの話を持ち出したのは,「”空”とは万物は変化するという意味である」とラジオ深夜便の4時台の再放送が土曜日に聞こえてきたからである。般若心経の一文字を理解するのに何人かのお坊さんに聞いてもわからなかった。上のような解釈を発見してわかるような気がしたという。「物事は死と生が繰り替えされて発展していく。死とは滅びることではなく生への出発である。」とも,番組【たけしの誰でもピカソ】から聞こえてきた。やがて自分の死がやってくるが次の生への発展につながるステップであると考えると気が落ち着いてくる。変化を見て秋を知らされた。
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

世界史未履修

上段:投稿日 中段:カテゴリ 下段:サブテーマ ブログナンバー: 136
    
10月26日(木)
町内ご近所でおこる話し (45)
知っていてもいい子でいたい
 世界史が未履修のまま高校を卒業した大学生が時効であることを知ってマスコミに密告?したのかどうか定かでないが,このようなことを教育委員会が知らないというのはおかしい。県庁裏金問題にかかわっていて教育委員会に異動した教育長がいれば,高校でのカリキュラムにかかわっていて教育委員会に異動した指導主事もいるはずである。ただ,今まで黙っていただけであろう。日本人の義理と人情とでもいうか,いい面でもある。今後本気で調査するにしても,疑ってかかっていい科目は2,3科目である。情報という教科も2単位必修であるが,1ないし0のところもあるだろう。

 「世界史が必修であることはルールであるから,ルールを守ってもらわなくてはいけない。」と記者会見するのは塩崎官房長官である。このルールを実際に守ってきた学校(生徒)が日本中にはたくさんある。受験前だから無罪放免では日本中の高校生が黙っていない。受験に不利になるのは他校の履修してきた高校生である。どうやって公平さを保つのか論ずる時間もない。昭和44年の東大や東京教育大の入試が実施されなかった不公平とは出所が違うけれども同じ受験生間で面白くない感情が沸き起こるのは避けられない。
 世界史を2単位分履修させるには50分授業を70回近く行わねばならない。1日6こま連続授業を11回は行う計算だ。ひとつのクラスならまだしも数クラスある。これでは教師が参ってしまう。地理歴史という教科の中で世界史を選択にしている学校では教師の数は1人か2人であろう。日本史や地理を教えるベテランの教師は二三十年世界史は教えていないから,急に教えろと言われても集中講義などできるわけがない。だから援軍は当てにならない。つまり教師不足となる。そうすれば,集中講義をやったとしても,うやむやのやり方でお茶を濁してしまうだろうことは火を見るより明らかである。

 生徒と先生が向き合う世界史の補講を想像してみよう。おそらく授業にならないであろう。不平不満の場面が手にとるようにわかる。馴染みのない先生が当たっているからなおさらだ。一部の生徒は授業に出てこない。そうなれば,学校はやったことにしてまた世間をだますことになるだろう。ではどうするのか。卒業生も世界史を履修せずに卒業してしまっているから,このまま目をつぶって,病院や警察と同じように文科省が世間特に他校の受験生に頭を下げて「このたびの不祥事が二度と起きないように省内の綱紀粛正をします」と謝罪するより仕方がないであろう。
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

酒酔い自転車

上段:投稿日 中段:カテゴリ 下段:サブテーマ ブログナンバー: 131
    
10月20日(金)
町内ご近所でおこる話し (44)  
”車は止まらないかもしれない”と思え
 優良運転者講習といえども私のように自転車しか乗らない者も含んでいて無事故といっている集団であるが,自動車運転者と同様運転者のしぐさ悪さは毎日見ていてわかるものだし,自転車の運転も交通ルールを守らなくてはならないから,講習を受ける義務がある。自転車の飲酒運転,自転車の携帯メール運転など歩行者に危険をもたらすことは必至である。

 この稿では,自転車運転で身を守る方法?をここに記しておきたい。①自転車が安全に進んでいくのは自動車が避けて通ってくれるからである。ちょっとでも身体に触れたり近づきすぎたりすれば,転倒するに決まっている。存在を示すためには,前後ろから見えるように暗くなる前に早めのライトをつけること。これは自転車を見ていると守られていない例である。
 ② 横断歩道を自転車や歩行で渡るときはそこへ突っ込んでくる運転者の顔をにらむことである。女性運転者は運転にはハンドルを使う選択肢しかもっていない。ブレーキを使うことを知らない。横断歩道を渡る人がいたらハンドルで避けて自分がその人の前を先に横切ろうとする。ぶつかる寸前を走る。決して歩道の前では止まらない。これを肝に銘じて渡るときは車の運転者と視線を合わせることである。

 ③ 雨の日の運転はめったにないが途中から雨ということもある。傘は常に持っていて,かさをさして運転するのがよい。①で述べた自分の存在を相手に知らせることで安全を守ることができるからである。カッパなどを着て顔などをビニールでおおうような姿は前方が見えなくて最も危険である。カッパは着ないで傘を使う。片手運転となるから慎重になり,力も入り手と足の運動になって体力増強にもなる。
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ