恥ずかしい弁当

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10月06日(金)
故きを温めて新しきを知る (15)
弁当の中身は進化していない
 
 今時弁当の話は珍しくもないが,これを出すのは学校へもって行った自分たちの弁当(昭和30年~32年頃)と今の子たちの弁当と比較して,中身があまり変化も進化もないということをあらためて思うからである。昔も今も,男の子は大きな弁当箱,女の子は小さな弁当箱で,中身は夕べのおかずを詰めたものが相場である。

 一般に弁当の中身は家庭ごとに事情があって決定したもので,平均して話をすることはできないが,食べ方に違いがある。今の子たちは恥ずかしがらずに堂々と開いて食べている。私たちの頃は,弁当箱のふたを立てて前から見えないようにして食べている者が多かった。その理由は私の場合は,見せられるおかずではなかった。油揚げを煮てご飯の上に敷いたものそれだけ,次の日は煮た卵一個に梅干1個を麦飯の中央に埋め込んだもの,これらを1日おきにもって来ていた。パン代を親がくれたときはホッとした。食パン2枚の間にクリーム系のサンドをはさんだものを買うことができた。 
 今の子でもたいしたおかずを作ってもらってきているわけではない。自分の口に合わないときもある。そんなときは仲間が食べる。残したのでは作ってくれた母親に叱られる。これが恐い。とにかく仲間同士が一緒に食べる。オープンな雰囲気で食べられることは小学校時代の給食のスタイルが元になっているのだろう。私たちの教室,小学校では2人で一つの机,中学校では机と椅子がくっついていて容易に向き合うなどの移動ができなかった。だから一斉授業スタイルで弁当を食べていた。

 弁当の箱が現在はプラスチックが主流である。私たちの頃はアルマイトのベントバコと言っていた。今でもあるでしょうが,当時はその形がブックスタイルで,これがカッコよかった。しかし防水のことは保障されていなくて,汁がこぼれて教科書がベタベタになることがよくあった。密閉機能の金具のついたおかず入れもあったが小さくておかずが入らない。ご飯を入れる方の箱に入るように作ってあるから浅い作りである。弁当のおかずは辛くて少なくて済むものというのが当時の常識であった。弁当箱のごはんとの仕切りが2:8位であった。それが逆転した今日のコンビに弁当は進化したのであろうか。どこの弁当もうまくないのである。
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