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TAZUKO多鶴子

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達磨大師の『無功徳』

2009-06-23 | TAZUKO多鶴子からの伝言
     

    <『無功徳』…… 達磨大師 ……>


  達磨大師と中国梁の武帝との問答は有名。

  武帝 
    「私は今までに多くの寺院を建立し、
     たくさんの人を救い、写経もし、
     仏像も数多く作らせました。
     どんな功徳があるでしょうか」

  達磨大師 
    「無功徳(功徳などありません)」


  *達磨の
   この『無功徳』はあまりにも有名で、
   とても大切な言葉です。
   今!
   現代の人々に、
   この『無功徳』を
   心に刻む必要があると
   TAZUKO多鶴子は痛感しています。*
  
 


<達磨大師>
378年? - 528年?
達磨(だるま、ボーディダルマ)は禅宗の開祖とされている人物である。菩提達磨(ぼだいだるま、梵: ????????、ピンイン:P?t?d?m?)、達磨祖師、達磨大師ともいう。「ダルマ」というのは、サンスクリット語で「法」を表す言葉。達摩との表記もあるがいわゆる中国禅の典籍には達磨、古い写本は達摩と表記する。「達(ダチ)」を「ダル」と読むのは中古漢語の入声[t]が朝鮮語漢字音で流音[l]に変化したため達[dat]は朝鮮半島で[dal]に変わり、その音が日本に伝わったためとされる。画像では、眼光鋭く髭を生やし耳輪を付けた姿で描かれているものが多い。
南インドの王国の第三王子として生まれ、中国で活躍した仏教の僧侶。5世紀後半から6世紀前半の人。中国禅の開祖。『景?傳燈?』によれば釈迦から数えて28代目とされている。インドから中国南方へ渡海し、洛陽郊外の嵩山少林寺にて面壁を行う。確認されているだけで曇林、慧可の弟子がいる。彼の宗派は当初楞伽宗と呼ばれた。彼の事績、言行を記録した語録とされるものに『二入四行論』などがある。


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