オークションで落札したものです。Meyer Domiplan 50mm f2.8が目当てで落札したんですが、カメラ本体を見てびっくりです。しかもシャッターが動作したので2度びっくりです。
M42マウントのカメラです。と言うよりプラクティカマウント、その起源のカメラPrakticaのそのまた先祖なんですよね。製造元のKWというのは、1920年ころドイツ東部のドレスデンという街で創業したカメラ・ヴェルケ(KW)日本的に言えばカメラ工業所だったそうです。Wは自動車のBMWのWと同じ意味です。
PraktiflexシリーズはKWの初めての35mm一眼レフカメラで1938年に誕生したときはM40(M39?)のスクリュウマウントだったのですが1947年の最終型このPraktiflex FXでM42スクリュウマウントになりました。
このPraktiflex FXの後継機に当たるのが、有名なPrakticaプラクティカになるわけです。まさに世界の一眼レフカメラの創世期を象徴するようなカメラなんです。この1947年式のPraktiflex FXと1949年に誕生したPrakticaはほとんど仕様に違いはありません。マウント右のなんだかわからない3つ縦にならんだ端子のようなものや上から覗き込む二眼カメラのようなファインダー部(ウエストベルトファインダーと言うそうな)や巻上げダイヤルや巻き戻しダイヤルもそうです。シャッターもB、1/2~1/500秒の速度でPrakticaと同じで、名前こそPraktiflexですがPrakticaそのものです。
1947年と言えば以前紹介したkodak retina Ⅰtype010と略同じ時期のカメラです。セルフコッキングでもなかったretina Ⅰと比べればフィルム巻き上げダイヤルを回してフィルムを巻き上げるだけでシャッターもセットされるのですから大きな進歩です。
第二次世界大戦直後のドイツの製品です。このカメラが造られたころの時代背景はまさに激動の時代だったことでしょう。実は創業者の二人は1937年ころ戦争の気配を感じたんでしょうか、スイス、アメリカに移住して経営権をドイツ生まれのアメリカ人Charles A. Noble に売却しています。創業者は二人ともユダヤ人であったようです。そして1941年ドイツは第二次世界大戦に突入し1945年には敗戦。ドイツ東部に位置するドレスデンはソ連統治下に置かれ、KWを経営していたCharles A. Nobleもシベリヤへ抑留されることになったようです。Charles A. Nobleは1892年にドイツで生まれ1922年にアメリカに渡ります。そしてアメリカの市民権を1931年には得ています。デトロイトで写真業会社を経営していたようです。シベリヤへ抑留された後の彼の苦難はよく分かりませんが、1983年に亡くなっています。
このような当時の経営者の状況にもかかわらず1947年にはこの個体Praktiflex FXが生産され、1949年には新機種のPrakticaが販売されいるのです。1949年と言えばドイツが東西に分断された年でもあります。社会主義国家となった東ドイツの企業KWは1953年にKW人民公社になります。でも少なくとも、たっちゃんの手にしたKW Praktiflex FXは社会主義統治下のKW人民公社の製品ではなさそうです。重要なのは人民公社となってから東ドイツ内にあった光学機器会社と合併し1964年にペンタコン(PENTACON)人民公社となる系譜上にあったということです。
この個体は運が良いことにはっきり壊れたり、敗れたりしているところがありません。こんだけ古くても壊れていなければ、使ってみたくなりますよね。ファインダー部は使わない時は畳み込まれていて略フラットです。その真ん中にKWのマークが入ってます。レリーズボタンは真正面を向いているんですよね。
右から巻き上げダイヤル、リバースボタン、シャッタースピードダイヤル巻き戻しダイヤルです。シンプルですよね。
底もレザー張りです。この時代から底面固定用のネジは変わらないんですね。
背面のマークは残っていますが消えそうです。
これで巻き戻すとクランク式のありがたさが分かります。とのかく時間がかかります。フィルム脱着時は現代のフィルムカメラどうように引き上げておきます。
フィルム巻上げダイヤルはひとコマ分巻き上げると止まりますし、セルフコッキング式でシャッターのチャージも兼ねています。どうも分からないのがシャッター速度を変えるためのダイヤルです。
シャッタースピードはこのダイヤルの周囲の部分を引き上げて回し小さなポチの位置を変えます。ただ、この個体はシャッタースピードが1/250秒以上だとシャッター幕の動きが怪しくなるので今回の試し撮りでは1/100秒に固定して使いました。分からないのは▲のマークのある小さなダイヤルの使い方で結局わからないままです。
試し撮りするのに、ピントを合わせなきゃいけないから背面上部の小さなボタンを押してファインダーを開きます。今の一眼レフと同じでミラーに反射した光がマットで像を結びそれを上からみるのでペンタプリズム使ってないから像は左右反対で見えます。この辺は二眼カメラと同じ。
実際撮影したときは思った以上に戸惑います。画像の右の方を写したくてカメラも右を向けたら反対なのであららってな感じです。
ミラーは逆台形をしてます。これで不足はないんですね。クイックリターン式のミラーじゃないので、ミラーが降りてるのは、巻き上げダイヤルで巻き上げられていている間だけです。シャッターが切れた後はまた巻き上げダイヤルを回すまではファインダーはブラックアウト。
おっと、こんなところに製造番号発見です。ついてないのかと思ってました。
しっかりピントを合わせるにはこのルーペを使うようです。マジ分かりやす。ここにMade in Germanyの文字。
フィルムを入れる際は、サイドのボタンを上にスライドさせて背面をばっくり、ゴロっと外します。完全に外れてしまうタイプの背蓋です。フィルムを入れる部分はkodak retina Ⅰもそうでしたが、今のフィルムカメラとそんなに変わりません。
試写をするのに選んだM42マウントのレンズはマニュアル仕様で使えることが条件なのでとりあえず super-Takumar 28mm f3.5を付けときます。
思った通り若干1/100秒に合わせてあっても更に遅いシャッタースピードになってるようで露出オーバーなんだけど、フィルムの懐の広さがカバーしてくれてます。
レンジファインダーと違って一応一眼レフなのでしっかりピントが合わせられます。
68年も前のカメラでこうして写真が撮れるのは、ただそれだけで高揚感があるんですね。
次はレンズもドイツの同時代のもので撮りたいのですが、懐具合的に難しいかな(笑)