本堂のわきを右手に登っていくと,高台の林の中に千光寺の三重塔がそびえています。
江戸時代1765年(明和2年)に建立された赤磐市唯一の三重塔で,1999年(平成11年)に修復されています。
本堂のわきを右手に登っていくと,高台の林の中に千光寺の三重塔がそびえています。
江戸時代1765年(明和2年)に建立された赤磐市唯一の三重塔で,1999年(平成11年)に修復されています。
山陽自動車道・山陽ICを下りて,県道27号線を少し北に向かうと右手に「千光寺」の案内版があります。
曲がりくねった山道を走っていくと,畑の中に江戸時代後期1786年(天明6年)築の仁王門が迎えてくれます。
さらに畑道を登ると600mほどで千光寺の本堂にたどりつきます。
千光寺は,報恩大師開創の備前四十八カ寺のひとつで,江戸時代には備前の天台寺院として金山寺に次ぐ名刹として栄えたとあります。
本蓮寺は,南北朝時代1347年(正平2年),京都妙顕寺の座主であった大覚寺大僧正が
法華堂(本堂)を建立したことに始まります。
牛窓は,古来より風待ち・潮待ちの港として栄え,江戸時代には朝鮮通信使が寄港して
当寺に滞在し,岡山藩の饗応を受けたとあります。
本堂は国の,祖師堂は県の重要文化財に指定されています。
国道2号線岡山バイパスから無料化された「ブルーライン」を使って邑久IC,又は一本松ICで下り
南下すると,「日本のエーゲ海」と呼ばれる牛窓にたどりつきます。
そのフェリーターミナルから,うら山を少し登ったところに本蓮寺はあります。
境内からは瀬戸内海の眺望が素晴らしいところです。
三重塔は江戸時代1690年(元禄3年)の築で県の重文指定を受けています。
静円寺の本堂は,棟札に「天正七年(1579)11月3日上棟」とあり,桃山時代に再建され,
江戸時代中期に現位置に移転されたものです。
一見,建物は地味に見えますが,細部は二重虹梁大瓶束式に蟇股(かえるまた),
破風下には三つ花懸魚(げぎょ)が吊られている優美なものです。
岡山市からブルーラインを走り,邑久ICを牛窓に向けて進み,案内板を右手に折れてしばらく行くと静円寺に着きます。
寺は奈良時代,行基によって創建され,のちに報恩大師により備前四十八ヶ寺の一つに加えられたが,
まもなく焼失し,江戸時代になって現在地へ再建されとされます。近くに生家のある竹久夢二ゆかりの寺としても有名です。
写真の多宝塔は,江戸時代前期1690年(元禄3年)までの再建で,県の重要文化財に指定されています。
誕生寺は,国道53号線を岡山から津山に向かう中間あたりにあり,
JR津山線にもその名の駅があります。
ここにはかつて法然上人の父,漆間時国の旧宅があって
法然の弟子となった熊谷直実(法力房蓮生)が上人生誕の地として
鎌倉時代1193年(建久4年)に寺を建立したものです。
写真の御影堂は江戸時代1695年(元禄8年)の再建,山門は1716年(正徳5年)の建造で
いずれも国の重要文化財に指定されています。
国道53号線を津山市に向けて走り,岡山市に隣接する建部町太田の交差点から
県道71号線を少し南下したところに成就寺はあります。
成就寺は寺伝によれば報恩大師開基備前48ヶ寺の最後の寺で,そのため成就寺と号するとされます。
三重塔は江戸時代後期1808年(文化5年)の再建塔で,特徴二層の軒のみ扇垂木を用いています。
最近は岡山県の塔を中心に巡っていますが,県下には近世以前の国宝,重文級の
秀麗な塔が多い割にあまり知られていないように思います。
今日の福生寺もその一つで,調べて出かけ,間近に観ると,とても均整のとれた姿でした。
国道2号線でJR伊部駅から少し岡山方面へ向かい,大内の交差点から北へ15分ほど入り
西法院の境内から南東の方角を見返ると塔が見えます。
寺伝では室町時代1441年(嘉吉元年),六代将軍足利義政の命によって建立されたとされています。
曹源寺の境内から経蔵のわきを抜けると,うら山に向かってハイキングコースがあり,
革靴ではきびしい山道を落葉を踏みしめて200mほど登っていくと,雑木林の中に三重塔が見えてきます。
江戸時代文政年間の建立のもので,手前の岩,背後に広がる木々と調和した姿をみせてくれました。