かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

僕の場合ユーチューブはやはりクラッシクのピアノ曲である。

2015-08-10 | 気ままなる日々の記録

先に「湯の町エレジー」のことを書きましたが、じきに、飽きてしまいます。その点クラッシックのピアノ曲は何度聞いても飽きません。感動が深く、聴くたびに、心が震える個所が変わるような気がします。僕のパソコンのスピーカーを始めとする音響環境の相性がギターよりピアノに合うのかもしれません。

ここまで書いて高校時代のことで腰を抜かした覚えのあることを思い出しました。

 それを説明するためにチョット私が通った高校の集金システムを少し説明する必要があります。その高校は県立高校で前身は一応有名な高等女学校でした。授業料の他にPTA会費が必要で毎月集金袋が配られ生徒はそこへ指定されたお金を入れて事務の窓口へ提出していましたが、PTA会費のほかに学校徴収金といていたと思いますが、修学旅行費積立金とか、卒業アルバム購入積立金や同窓会入会金や遠足費などを合計してその経費を均等割りして、切りいい金額にして毎月徴収していました。

 そこで、もし修学旅行を不参加にするとその費用が払い戻されるシステムでした。卒業式の日に立派な会計報告が配布されました。残金は殆ど卒業記念品購入費に回され母校に高価な贈り物としてしまい、払い戻し金はなかった記憶です。

 さて、私が親しくしていた友人が突然修学旅行には行かないと云い出し友人たちは腰を抜かすほど驚きました、訊けばそのお金でカラヤン指揮のベルリンフィル演奏会にいくというのであった。当時僕のような田舎の子たちは交響曲と云うのは五月蠅いだけでどこがいいのか全然分からない人間でした。ところが、彼は逆に計画されていた修学旅行に対して「石段を登って金毘羅宮に参拝してどこがいいというのだ、また安芸の宮島などへ行って何になる、そんなところは何時でも行ける。しかし、カラヤン指揮のベルリンフィルは公演中にヨーロパに行かなければ聴けないのだぞ。それが名古屋に来るんだ、それを聴いて感動すれば一生涯の思い出になって人生の宝になると云ったのだった。そして、彼は修学旅行をキャンセルして、三万円強を手にして、君たちは枕投げでもしてこい、と僕たちを軽蔑した。

 そんなことがあって、僕はNHK交響楽団の演奏がラジオであると家族に静かにして貰って、我慢して聴くようにした。勿論途中で居眠りをして母によく笑われた。そして修学旅行中誰も枕投げはしなかった。現在、モーツアルトやショパンの名曲が頭に残っているのはその友人のおかげである。高校時代の友人の影響は大きい。その点僕は恵まれていたと思う。(T)


夏が来れば思い出す。

2015-08-10 | 気ままなる日々の記録

 日本の37候の中に、「涼風至る」という候があり、秋の涼しい風が吹き始める季節となっている。これは丁度新暦の8月7日から8月11日に当たる。

 夕方、5時頃蓮池にでた。期待しただけあって今までの熱風とは違い、涼風とまではいかないがそよ風程度には感じられる。日没後にいけばもっとましかもしれないが、ドアが6時前にロックされてしまい、我々は2度も閉めだされてしまった。歩ける人々にとっては道ならぬ抜け道があるが車椅子利用者はスタッフの手を借りないといけない。之以上失敗しては恥ずかしいので5時ごろ行くことにしている。

 そういえば、セミの鳴き声も以前とは変わり、見えぬ風にも微かな秋の気配を感じる。マダマダ日中は猛暑だが

 猛暑の夏には必ず思い出すことがある。もう10年もまえになるだろうか。その頃、一年に1回ぐらい避暑や避寒を兼ねて海外にセミロングステイをしていた。観光目的ではないので、1か月ぐらいコンドミニアムを借り、食事は朝夕は自分で作るという生活の仕方であった。当然、三日に一度くらいは食糧の調達に出なければならない。市内はどこへ行ってもバス代無料なのでとても便利だが、市内のスーパーは非常に混みレジに長蛇の列ができる。これが厭で我々は電車に乗り込み3つ目の駅で降り、先ず日本食まがいの小さなレストランで味噌汁と丼物のランチをとる。その後、駅のそばの大きなショッピングモールでのんびり買い物をし、のんびり帰宅するという日程にしていた。

以下は避寒に出かけていたオーストラリア西海岸のパースでのことである。この町は初めてイギリス人が多く住みついた街で至る所がイギリス風で洗練された美しさがあるまちであった。

 ある日、買い物に出た折り、いつもより暑いと感じた《日本の32度か33度の感じ》 勿論、パース市内の市民および旅行客は誰もパラソルを使わない。帽子なしの人々も大勢いて、いつものようにビジネスマンはランチに出かけ、いつものように町は観光客で賑わっていた。驚いたことに夕方のテレビでその日の気温は40度以上湿度10パーセントと報じていたのである。熱中症には罹らなかったが喉を傷めてしまった。市内の薬局でマスクを買い着用しようとあちこち探したがオーストラリア人は特別な職業な人を除いてマスクはつかわないらしい。3日間ほどで何とか乗り切ったが、今度来るときはマスク1箱分持参しようと思っていた。

 しかしどうやらこのプランは、実現できそうにない。。(E)