かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

突然ですが、旧制高女のお習字の時間。

2016-03-31 | 気ままなる日々の記録

オソマツ君の母親は戦前布袋町にあった旧制高等女学校の卒業である。

 その母親から聞いた話であるが、お習字の時間、B4の用紙を縦にした習字用紙に6字くらい漢字の諺を書くと左はしの一行に「愛知県平民○○次郎左衛門五女○○××子」と書かねばならなかったという。母は五女と云うのが恥ずかしくて、隠していたと云っていた。せいぜい三女までなら隠さなかったと笑っていた。

 そこで僕が「クラスに平民以外の人がいたの?」と聞けば「士族」と云う人が一人いた」と云っていた。

昔は女性の結婚年齢が大体決まっていたので僕の高校の同級生に親が僕の母親と同級生と云う友達が沢山いた。

この母と同級生の士族さんの子どもも僕の同級生だった。

まあ愛知県北部の江南市のことだから、平民以外は士族がチラホラだが、

名古屋のお城に近くに行けば士族は沢山いて華族などもいたことであろう。勿論名古屋には皇族はいない。

 今の若い人はまるで知らないことだろうが、戦前には「身分制度」というものがあって、生まれたときから身分で差別されていた。

 この問題で有名なのが例の「新平民」問題である。

島崎藤村の小説「破戒」もこの問題を扱っていた。

 そういえば僕の知人に犬山市池野に「士族」出身の人がいた。

彼の先祖は尾張藩が造った貯水池としての入鹿池の水門を管理するお侍さんだったとのことである。

つまり、五条川の水門管理の侍である。水田を耕し米を作っている農民にとって、用水の管理は命がけである。

一方で水門を開けてくれと云う百姓がおれば、他方には閉めてくれと云う百姓がいるという難しい仕事を担当した侍であった。多分水門の開閉計画を相当早くから発表し農民に徹底していたことだろう。

 それでも、「切り捨て御免」の侍でないと務まらない水門管理だったかもしれない。

 歴史的には血の流れたこともあったであろう五条川で今は長閑な花見である。平和を始めとする政治がまあまあうまくいっている御蔭である。(T)

 

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此処のマイクロバスのお世話になり「お花見」に連れて行って貰いました。

2016-03-31 | 気ままなる日々の記録

行き先は五条川堤でした。

五条川の水源は入鹿池とか聞いた覚えがあります。

天下分け目の戦いが終わって日本は徳川幕府の時代に入りました。

江戸に居を構えた徳川家康将軍は水戸、紀伊、尾張を御三家として、

江戸に攻め込もうとする反対派を防御し、挟み撃ちにするよう盤石の布石を敷きます。各藩は今までの戦闘モードを改め自国の産業の振興を図り豊かな藩になるような政策をとります。

明治になっても同じですが平和な時代が30年も続くと直ぐに人口爆発に困りました。

いわゆる農家の次男・三男問題です。彼らには耕す田畑がないのです。明治になってもこの問題の解決策が見つからないまま、中国東北部に進出して、其処に農地を確保して国内にあふれている農民をそこへ移住させようとしたのが太平洋戦争の始まりです。つまり、工場労働者として農村の次男三男を働いてもらうという政策を思いつかなかったのです。明治の御三家尾張藩も田畑の開発に力を入れます。最初に手掛けた大工事が入鹿池を堤で囲んで貯水池・水源地として、荒野に用水を造り田畑にしようという政策でした。この工事によって造られた用水が「五条川」で当時江戸で突然変異として人気の高かった「ソメイヨシノ」と云う桜の苗を堤に植えたわけです。桜の名所を造ると大勢の人がそこを通るので堤を踏み固めるのに絶好だったといいます。

 今我々が楽しんでいる五条川の桜もその名残だと云えると思う。この五条川ですが岩倉の方も流れていてここ大口町よりも周辺の人口密度が高いので、花見客が岩倉方面の方が断然多い。

桜の木が驚くとは思うのだが、岩倉の方は桜の木の枝枝にぼんぼりを付けたりして夜の花見を楽しむ人が多い。ここはそこまでもいかない。

これはこれで素朴でいい。東京の上野公園まで行くともう狂気である。

とはいえ、発病前の自分は狂気の真ん中にいつもいて、お酒を飲みすぎ翌日は半病人だったから大きな口は叩けない。

 今日はお天気にも恵まれ狂気ではない健全なお花見を楽しんできた。ありがたいことです。(T)

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江戸時代と云う冬眠から目覚めて世界経済の荒波にもまれた日本を救ったものは・・・・・。

2016-03-29 | 気ままなる日々の記録

それは、トヨタ佐吉の自動織機と御木本幸吉の真珠の養殖だった。

 豊田は東京の工業高等専門学校かなんかに進学して、イギリスへ見学に行き、

当時イギリスが植民地のオーストラリアから羊毛を輸入してそれから毛糸をつくりそれを織物にして《洋服地》世界へ売っていたのを見て日本のこれからの在り方を考えた。

イギリスから織機を買って一宮の実家に贈ったという話だ。

帰国後その織機を改良して女工さん一人で数台の織機を担当できるように改良して「自動織機」と命名した。

 一方アコヤ貝に核を植え込み真珠を造らせる方法を見つけたのは三重県の御木本幸吉だった。

資材をなげうって研究を続けやっと成功したときには貧乏のどん底だったと聞いている。

 いずれにしてもこの二人が明治の日本経済を支えた。

 戦後の日本を支えたのがトヨタ《自動車》と半導体《ナショナルや東芝《携帯ラジオやテレビ)に似ている。

こうした世界に先駆けた技術を育てた日本人だ。

マイナス金利などと云うインフレ政策で経済の再建を図ろうとするより、

日本の大学は明治の時代のエネルギーを失っていないか、

研究者が熱狂できる雰囲気を持っているか検証する必要があると思われる。(T  五条川の桜

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僕が7代目の続き・

2016-03-28 | 気ままなる日々の記録

   僕の家の《母屋》の東側に《こーえ》と呼んでいた8畳と6畳の二間と台所が付いたいえがある。昔藤沢周平の時代小説を読んでいたら「小家」と云うのが出てきてハッとした。藤沢の小説では「こーえ」は『隠居部屋』であった。親夫婦が長男夫婦に家督を譲った後「こーえに」移る。三度の食事は母屋へ出向いてちょうなん夫婦と一緒に取るが、老夫婦への客人が来た時などは直接「こーえ」に通し

そこでお茶を出したりするし老夫婦で少しお酒を飲んだり夜食をするときなどには、煮炊きもする。

わがやの「こーえ」もそれであったかといたく感動したことを良く覚えている。

 ところで、この「こーえ」で雨漏りが見つかったときには悩んだ。

本格的に修理するにしては中にあるものがオソマツでそれほどお金をかけて大切にすべきものか疑問がのこったが、雨漏りを放置して屋根が抜けるのを見るのも切ない。

そこで、とりあえず中にあるものを全部外へ出して保存と廃棄に分類することにした。 

勿論それさえも大変な作業量で分厚いマスクを付けて、慎重に作業を進めた。

 そこで見つけて大切にしたものは数冊の大福帳であった。

「大福帳」というのは和紙を二つ折りにして一方を麻糸で綴じた縦40㎝横10㎝厚さ7~8センチくらいのメモ帳である。

 お盆や正月の4・5日前になると小作の人が米俵を荷車に積んで我が家に運び込む。

すると祖父が出てきて荷物を送るときに着けるエフを俵に付けて○○殿と書いて俵につけてゆく。

 その後小作の人が家の蔵にその俵を運び込む。祖父は俵を並べる位置を指図して、キチンと積ませる。そのあと小作の人が持ってきた大福帳に○月○日○何俵正に受け取り候と筆で書く。

 これが「年貢納めの日」であった」小作の人は「来年もよろしくお願いします」と云い、祖父は「先日の台風がそれて良かった」などと云う事を云っていた。

 ところで「こーえ」のことであるが、相当古く何が書いてありかサッパリ読めない「大福帳」が出てきて困った末、江南市歴史民俗資料館に持ち込みこれは価値がある書類かどうか調べて貰った。

 数日後犬山にこうした古文書が読める先生がお見えとかで読んでいただいたら「慶事贈答控え」だそうで、

 香典帳はよくあるが、「慶事贈答控え』は非常に珍しく江戸末期尾張の農民の祝い事の折の贈り物がどのようになされていたかを知るうえで貴重な資料だという。

 そこで。市の資料館の耐火金庫に入れて名古屋大学に持ち込んで、和紙を食べる虫が発生しないように煙で消毒・保存し概要をインターネットで公開し研究者に開放したいというので「承知して」その大福帳を市に寄贈した形になっている。

 之も僕が死ぬと何のことかサッパリ分からなくなっ てしまうのでこのブログに書いて息子や娘に伝えることにした。

  毎日に追われていて、思いついたときにやっておかないとすぐ忘れてしまう。そういえば同じ「こーえ」から錆びた短い日本刀や槍も出てきた。農民一揆の時これを持って武士たちと戦ったのかと思うと胸が熱くなったことを覚えている。さてあの刀と槍はどこへやったかなあ。母屋の2階のどこかに転がっていると思うが定かでない。

 

               鯉がみられるはすいけ

 

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嫁と姑の中の難しさを垣間見ました。

2016-03-27 | 気ままなる日々の記録

   今日は家内が予約しておいてくれた床屋さんの日であった。

   時間になるとお迎えが来るので部屋で待っているようにとのこと。待っていたらケアーさんが来てくれて連れて行かれた。幼稚園の送迎バスくらいの大きさのバスの片側にお客用の椅子が三脚あって両側で6人の客が座れる。若い女性の理容師さんが6人おられすぐに散髪が始まった。

 昔の床屋さんと云えば柱に一方と止めた皮のベルトでカミソリを梳いておられる姿が思いだされるが今は全部の道具が充電式の物。スイッチをいれられると自動的に振動を始め髪の毛は切られるし髭も剃られる。まあ簡単なものだ。

   僕の隣にいたおばあちゃんが前髪の一部を握ってこれだけ黒く染めてくれと云い始めた。「そういう予約はうかがつていません」と理容師さんが云うと「また私に聞きもせず嫁が余計なことをして困ったものだ」と毒舌を始め止まらない。

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お爺ちゃんがお爺ちゃんから聞いた話。

2016-03-27 | 気ままなる日々の記録

  孫がこの4月から中学生になります。

そこで僕が子どもの頃祖父から聞いた話を孫にしてやろうかと思い立ち僕が我が家の7代目《僕は次男だから正しくは7世代目》だがまあなんとなく両親と同居したのが僕だから7代目と云ってもいいかもしれない。

 そこで孫には「お前は9代目だぞ」と吹き込んだ。時代錯誤の誹りを免れないがまあいいだろうと「お爺ちゃん風を吹かせている。

僕の祖父は孫好きで、紙芝居のオジサンのように身振り手振りも交え、声色まで変えて僕たちにいろいろな話をして呉れたものだ。この年になって、昨日のことのように思いだされます。

 江戸時代から明治時代に変わったときには興味深いことが一杯あって少し目先の利いた人はいい思いを沢山したと思うがそれは孫が大学生ぐらいにならないと分からないだろうから話すことを我慢している. 

 ソレニシテモ孫が大学生になるまで僕が生きているか、

 生きていても頭が正常か、全く保障の限りでない。

 それに「上に書いた」紙芝居屋さんが今の若い人には分からない。

 家内も知らないと云います。やはり世の中はものすごいスピードで変化しています。

 我々老人が「時代遅れ」と思われても仕方がないことですし、事実時代遅れなのです。

 知らないのは本人だけと云うピエロぶりです。

 何かに書いておくという手もあるがそれも面倒だ。  いやはや困ったものだ。「とかくこの世は難しい」(T)

  《追伸》今朝K先輩からS先輩のところに電話があって僕のブロブが一向に更新されないが元気かなあ?」と       の問い合わせがあったとか、有り難いことです。

 実は2~3日前、風邪を引いて体温が37度少々と云うことで、お風呂も止めておとなしく寝ていました。

 それもやっと平熱になってお風呂にも昨日から入っています。これらは全て看護師さんの指示によります。

 かぜではなくて、花粉症かも知れないというのは家内の説。僕は花粉症などになったこともなく、よくわからないが、確かに鼻がグズグズ云ってスッキリしない。変な事であった。(T)

 

 

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10月21日は旗日(国民の祝日)であります。

2016-03-20 | 気ままなる日々の記録

    この日は月曜日ですから僕の嫌いなリハビリがあるかどうかが大問題になります。

  そこで、先週の金曜日リハビリの時理学療法士に「旗日はリハビリはどうなるの?と聞いたら、

  多分あると思います。とのこと。そこで僕は日本国民は日本の法律によって祝日と決められている以上それを守らなければならない義務がある。

 僕は日本人を守り通すからね、21日僕担当の理学療法士が日本人でなかったら一人でやっていて、給料をもらえばいいよ、と伝えておいてくれと云った。それいごこの問題がどうなるか、まだ動きはないが次の二つのケースが考えられる。

その1。理学療法士から次のような返事が届く。

  私たち病院関係者のモットーはナイチンゲール・スピリットこそが大切で、病気の人がいたら国籍に関係なく医療活動に最善を尽くすというのが国際赤十字の精神でその国の法律を超えて医療活動は展開されます。従って夜も昼も祭日もウイークDAYも関係なく治療やリハビリはおこなわれます

。という回答がくる場合です。(まだきていません)

その2。ナイチンゲールさんの先祖は日本人と云うガサネタ。ナイチンゲールのお父さんは日本人でお母さんが米国または英国人でロンドンかニューヨークの日本人街に住んでいた。最初の子どもさんが女の子であったので、お父さんが、無いチンはガールかと云って笑い、お母さんも日本語の「ないチン」の意味を聞いてザッツ・ライトと云って笑っていたと云います。

  そこで近所の人がこの夫妻を「ないチンガール」さんと読んでいてそれがナイチンゲールさんになったという説。この説によると国際赤十字の生みの親であるナイチンゲールさんも本人は日本人と云うことになって国民の祝日にはお休みになるはず、ということになります。

 この説を誰かに云いたくて仕方がないのですがまだ理学療法士から国際赤十字スピリットの返事がないので、出番が来ていません。第2の説を聞いて何というか理学療法士の幅の広さが分かります。(T)

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「オソマツさん大丈夫よ」と云われて目玉白黒。

2016-03-20 | 気ままなる日々の記録

    別にお落とし穴にお落ちてシマって、上から励まされたわけでもない。

 何時ものようにお風呂へ行って脱衣場でゴソゴソ左足の装具を外したり靴下を脱いだりしていた時だった。

 遠くの方から顔なじみのケアーさんが声を掛けてくださったのだ。

 僕は何のことだかわからず目玉白黒。

 近くのケアーさんに、「僕はどうしてればいいの?」と聞いた。

 「何もしなくていいよってことよ。だから、なにもしなくていいのよ」とおっしゃる。

 そして「いまここでは、「「大丈夫」」が大流行中」とのことだった。

   此処は殆どのケアーさんが、子育て中の主婦で,子どもが保育園に行っている間だけとか学校から帰るまでと云う時間に,軽の可愛いマイカーを駆使し パートとして、時間給で働いておられる方たちで若い女学生のように流行語がお好きだ。

 いまはどうやら「大丈夫」が大流行中のようでなんでもかんでも「大丈夫」のようだった。聴けば「え?、それって、ほんとう?」が流行ったとき、これを、看護師さんに云ってしまいおお目玉を貰ったケアーさんがいたとか。

   僕は困ってしまう。家内は様子がよくわかるという。「きっとあなたが変な格好をして車いすから落ちそうな姿勢で装具を外していたか靴を脱いでいたんだわ、だから、「そんなことしなくていいよ」という意味で「大丈夫よ」と云われたんだと思うわ、という。

 だったら「なにもしなくていいよ」とか「そんなことしなくていいよ」といってくれよといいたい。「だいじょうぶよ」と云われてわかるはずがない。でもここで論理を展開しても聞いてもらえるはずもない。そこで、さっそく「僕は頭が悪いので持って回った言い方はすぐわからなくなってしまってごめんなさい。子どもさんに話されるようにはなしてね」と謝る。

  そんなこんなで、何処へ行っても、この世の、苦労はつきない。(T)

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徒然なるままにテレビを見れば・・・・。

2016-03-18 | 気ままなる日々の記録

  今日は3月18日《金》で午前中何気なくテレビを付けたら、国会中継で予算委員会とか、多分与党議員の質問だったと思うが、その議員若いころ茶道を習ったことがあるそうで、自宅には狭いながら床の間もあり座敷もあるそうで、床の間の架け軸は毎月季節の物に架け替え、忙しかった日の午後掛け軸を見ながら自分で抹茶をたて一福頂くと本当に美味しいと思い「日本人でよかった!」と思われるそうだ。

  そこで質問「若い人たちに日本文化を伝え、日本文化の良さを知らせるためにどんな政策を行っているか」だった。僕は突然そんなことを聞かれても困るだろうなあと、はらはらしながら見ていたら文部科学省の課長が出てきて上手に答えていた。多分質問内容の事前通告がなされていたのだろう。

   オソマツ君は「そうだ!僕も自分で抹茶を立てて頂こう!」さらに「老後何か伝統文化を習いに行くということは優雅で若いころには分からなかった日本文化の良さを味わうことができるかもしれない」 としみじみ思ったが情けないことに今の体ではそれもできない。確か探せば抹茶を引く石臼が有ったので、それを使ってゆっくり石臼でお茶を挽くことぐらいはできそうだ。それにしても花も生けられない情けない体になったものだ。(T)

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三体千字文について。

2016-03-17 | 気ままなる日々の記録

   詳しくは、グーブログ「私の70代」(K先輩のブログ)をみていただきたいのですが、中国の梁《502~529》の時代に皇帝の命により文字を習うためのテキストを造ることになった何とかいう学者が4文字熟語を250個並べそれを楷書、行書、草書の三つの書体で書いたものが「三体千字文」のようですが、先輩がそれをキチンと調べ上げ、墨痕鮮やかに描かれているとお聞きし、そのコピーを拝見したいとおねだりした。そうしたら、1ノ1、1の2、1の3,2の1,2の2、3ノ1,4ノ1、等に分けワープロで漢字を打ちその読みと意味を丁寧に解説した印刷物をくださった。

  ものすごい労作だと感謝感激雨霰だ。大切に何度も読ませて頂いているが、オソマツ君にはチョット程度が高すぎるようだ。オソマツ君の関心事はお粗末ながら4文字熟語250個の中に同じ文字が出てこないかどうか、もし1ッ個所でも同じ文字が出てくれば、千字文にはならないという程度の悪い興味だけであった。戴いたデータを見る限り同じ文字は見当たらない。

  むしろ、四文字熟語というより四文字による世界観の表記ともいうべき文字の並びで、当時の人が宇宙をどう見ていたか,とどまることなく変化する自然界をどう見ていたかを四文字で表していると見るべきで興味深いものがありました。

  例を書きますと、天地玄黄 宇宙洪荒=(天は玄(くろ)く地は黄色 宇宙は広く広大無辺

等と延々と続きます。《恐縮ですが音読みが分からず、パソコンで打ち出せません。》(T)

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桃始笑《桃初めて笑う》『日本の72候』による。

2016-03-14 | 気ままなる日々の記録

 日本には1年を24等分した24節季と72等分した72候と云う季節があるといいます。

見出しに書いた「桃初めて笑う」は第八候で3月10日~3月14日頃といいます。

「春を喜ぶように咲く桃の花」と解説があり桃色の美しい桃の花の写真があります。

 日本でははなといえば「桜」ですが、中国では冬が厳しいので、

花と云えば「桃」桃の花で、桃が咲くと人々はお花見に出かけ桃の花の下で食事をしたり、お酒を飲んだりするそうです。

 そういえば今日の夕焼は空いっぱいにピンク色が覆い見事な美しさでした。

 もうすぐ春です。 

 そういえば、今日午後、

師匠が書家を訪ねてこられ、私もいそいそと書家の部屋へ出かけ雑談を楽しんだのでしたが、その席でこれからは「師匠と呼ばないで!」「書家と呼んだり書いたりしないで!」といわれてしまいました。

 そこで、これからは。それぞれK先輩、S先輩と呼ばせて戴くことにします。この呼び方は家内と相談して決めさせて頂きました。(T) 

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ダンス療法

2016-03-14 | 気ままなる日々の記録

   初めての療法がまた増えた。ダンス療法と云うのだろうか。音楽に合わせてステップを踏むのである。

  皆で一重の輪になるように手をつなぎ8拍まで同じステップを続ける。担当のひとの説明によると、ボールルームダンスの要素を取り入れたダンス風と云うことだったが、まるで異なっていた。ボールルームダンスは私の得意とする分野で勇んで出かけたら拍子抜けした感じ。

  2階でリハビリをしていたオソマツさんがリハビリの先生にそれを見て感想を漏らした「まるで幼稚園のお遊戯みたいだ」と。先生は言いようがなく苦し紛れに「そんなことを云ってはいけません。オソマツさんの奥さんも輪の中にいらっしゃるから」とたしなめられたらしい。

 見た目は幼稚園児のダンス位にしか見えないがヨーロッパなどで輪になってダンスをするのに似ている。慣れてしまえば簡単だが身につくまでは戸惑って難しい。

  今回の必須条件は歩行できる人に限るということだったが、ダンスの場合は片足を軸にして体重を掛けることが多い。ステップに気を取られ、リズムを正しく、しかも片足で立つということになると高齢者には並大抵のことではない。他から見ていてどうしてできないかと思うようなことができないのである。

  この際、出来不出来は関係なく、体を動かすことが第一、それで楽しければよいと思いなおした。今回の参加者は15名程度で男性はただ一人。(E)

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「アクティブ・ラーニング」について。

2016-03-14 | 気ままなる日々の記録

もう30年も前から、

 教科書は数学を,公理→定義→定理の積み重ねとして書きますし、 数学教育法を研究している人たちは、

 相変わらず生徒たちの生活空間の中から問題を見つけ、それを解いた喜びを教えながら数学を学ばせたい、と主張します。

 この主張を「問題解決学習法」といいます。

 僕は、この論争に興味を持ちません。

数学のスバらしさや美しさは系統学習でなければ満喫できないし多くの天才たちの偉業も系統学習でこそ感動的に学ぶことができますし、

 今更「問題解決学習」などと云うつまらないことを、 声高に云うまでもなく

 数学を教える時は登山をする生徒たちに寄り添う山岳ガイドこそが教師の役割と思っていますので生徒が迷子にならないように、遭難しないように、もうすぐ平坦な道になるよ、とかすぐに素晴らしい展望台に出るよ、その見晴らし台で休憩してお菓子を楽しみますよと励まし続けやっと定理を証明したら、

 その定理が如何に素晴らしいかを、口を酸っぱくするほど語り生徒の反応を見ずして先へ進まないというのは、教師の常識です。

 一生懸命教えても進まなかったら教科書なんかのこせばいいのです。大人になって暇があったらこの続きを読んでくださいと云っておけば、よいだけです。入学試験を受ける生徒のためには、補修が必要なのは当然です。始めから分かり切っていることをごちゃごちゃ云うでないというのが僕の立場です。

 最期に、コメントよろしくお願いします。コメントには「円周率πは3より大きいことを証明せよ」の答えを書いて下さい。(T)

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「π」(円周率)は3より大きいことを証明せよ

2016-03-14 | 気ままなる日々の記録

親愛なる訪問者のみなさま、おはようございます。

。数日前僕の学生時代からの親友から「貴兄は暇そうだから次の問題を解いてください、これは新教育課程になったときの予想東大の入試問題だそうです。『円周率πは3より大きいことを証明背よ』

僕は始め興味も持てず考えようともしませんでしたが 今朝トイレの中で突然解けました。それをここに書いてもいいですが、どこか面白味がありません。そこでご来訪の皆様に考えて頂き溶けましたらこのブログのコメントへ投稿してください。そうすれば著作権もはっきりします。どうでしょうコメント投稿期間は3月一杯ということで。沢山のコメントお待ちしています。(T)

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今日の午後師匠が来てくださいました。

2016-03-12 | 気ままなる日々の記録

   有り難いことに、私の師匠は書家とお友達でお二人は殆ど同年配でお互いにお互いを尊敬しておられ、お二人の仲に少し若いオソマツ君が入れて頂き3人で愉快なよもやま話を楽しみました。

 今思い出しても有意義なお話が聞けたと感動しています。お話の内容をまとめてみますと

 ①一時若い人たちを「新人類」と呼ぶことが流行ったことがありますが、その真似をすると自分たちこそ、

 日本人の歴史の中で現れたことのない「新老人」じゃないだろうかと云う話題でした。

 書家はこのブログでも紹介したことがあります(「春爛漫」の書)が手の込んだ作品の制作に没頭しておられ,

 一方では90歳になろうとしながらパソコンを楽しみブログを投稿しインターネットでいろいろなことを検索して新しいことを覚えると無性に嬉しいという老後を楽しんでいるということであり、

 ②自分たちの親や祖父母は確実の「阿弥陀様がお迎えに来てくださる」と云うことを信じていたようだが、自分たちは決してそのようには考えず、季節ごとに昆虫が死んでいくように人間もある年齢になると少しの誤差があるとしても自然の営みとして死んでいくと考えていること

 ③私たちの若いときには「シングルマザーと云うことはまったく考えられなかったが、今は「シングルマザー」が大変多くなり孫娘たちに「早く貰ってもらえ!」などと云うと嫌われてしまう時代になった。若い人たちの「同棲生活」にも世の中が寛容になり、年寄りは付いていけない世の中になりつつある。等々の話題でした。

 師匠のブログは「連鶴」の時にここでも紹介した「GOOブログ「私の70代」です。僕の場合、

 家内に「あなたは文句ばっかりブログに書いていてどうしようもないね」と云われている訳ですが、

 師匠も書家もそれはそれで現代の日本の老人の一つのタイプとしていいから、急にいい子にならなくてもよいと激励頂いた。今日はいよいよ春で、充実した一日でした。(T)

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