20年来の「山歩き」を趣味とする友人たちと渓谷散策に出かけました。かつては、7月と8月には絶対3000mを超える山々を目指しましたが、ここ2~3年は涼しい渓谷散策が多くなりました。今回の目的地は岐阜県中津川市付知町で、木曽川の支流付知川沿いの渓谷歩き。中でも有名な「不動滝」や「観音滝」などを巡るコースでした。
渓谷を抜ける風は心地よく、よく整備された散策道を下ると最初に現れるのが「観音滝」、さらに少し下ると「不動滝」で近くに不動明王が祀られていました。ただ残念なのは不動滝では滝壺まで降りる道は整備されていなくて、上から覗きこむだけの滝でした。しかし、この渓谷沿いの散策路は歩けば鼻歌が出る道で、吊り橋あり、小さな河原ありで、冷たい水で手を洗いお弁当を広げるにのに最高の場所を提供してくれるコースでした。
我々も全員がコンビニ弁当。便利な世の中になったもので、オニギリ・スケロク・オセキハンとそれぞれ好きなものを買い込み大自然の中での至福のお弁当を満喫しました。
帰りに寄ったのが「苗木遠山資料館」と「苗木城跡」。戦国時代から明治維新までこの地を治めた遠山氏所蔵の資料を公開したのが資料館でその居城が苗木城です。
石高は1万。江戸時代石高1万の弱小大名は30人ほどいたようだが、いわゆるお城を持っていたのはここだけとか(後は「陣屋」風の居城)。従って、自然石を生かしての経費節減型の築城で、逆に当時の職人たちの持つ技術の高さを示す貴重な文化財になっているとか。
我が友人たちの好奇心の強さに敬服。最初に入った資料館にはボランティアの解説者がおられ「ザーッと説明します」とのことだったが、途中から質問が相次ぎ、解説者もだんだん熱が入り、ついに「上のお城跡にも行きましょう。私も行きます」ということになった。説明で聞いた話で興味深いことを3~4個書いておきます。
①殿に仕えた武士は300人。参勤交代では100人がお供をした。
②参勤交代費用は莫大で、経費節減のため出発も到着も提灯を点けてのこと、お供の武士は小
走りで、殿は馬を使った。
③新しい田畑を開墾するとご褒美。よそから百姓(稲作、麦作、豆作りなど)の達人を呼んでくる
とご褒美。
④貧乏藩ゆえに殿は領民のことを考え質素倹約に努め、領民も工夫を重ねて殿に仕えた。従っ
て「お国替え」なし。そのせいで膨大な資料が残され、殿や家臣たちの墓石も全部残されてい
る。(当時は、「お国替え」のとき、書類は整理しお墓も掘り返して新しい領地に移した)
戦国時代、付知川を挟んで手前が織田信長側、川向こうが武田信玄側という時代が続き、この地は織田側にとって戦略的要衝であった。はるか向こうに「女城主」として有名な岩村城(岐阜県恵那市岩村町)あたりが眺望できました。
女城主:織田信長の母違いに妹が政略結婚でこの地に嫁いだ。夫が急死、そのさなか武田軍が攻め込んできたので女城主となって奮戦、武田勢を追い返した。しかし数年後武田側からイケメン武将との再婚話を条件に講和の話があった。当時信長は軍勢をよそに向けていて援軍は望めず、女城主は部下の幸せを考え、講和を受諾した。信長は激怒し、後日岩村城を攻め落とした。