かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

付知峡と苗木城跡へ行って来ました。

2012-08-30 | 気ままなる日々の記録

 20年来の「山歩き」を趣味とする友人たちと渓谷散策に出かけました。かつては、7月と8月には絶対3000mを超える山々を目指しましたが、ここ2~3年は涼しい渓谷散策が多くなりました。今回の目的地は岐阜県中津川市付知町で、木曽川の支流付知川沿いの渓谷歩き。中でも有名な「不動滝」や「観音滝」などを巡るコースでした。

       

 渓谷を抜ける風は心地よく、よく整備された散策道を下ると最初に現れるのが「観音滝」、さらに少し下ると「不動滝」で近くに不動明王が祀られていました。ただ残念なのは不動滝では滝壺まで降りる道は整備されていなくて、上から覗きこむだけの滝でした。しかし、この渓谷沿いの散策路は歩けば鼻歌が出る道で、吊り橋あり、小さな河原ありで、冷たい水で手を洗いお弁当を広げるにのに最高の場所を提供してくれるコースでした。

       

       

  我々も全員がコンビニ弁当。便利な世の中になったもので、オニギリ・スケロク・オセキハンとそれぞれ好きなものを買い込み大自然の中での至福のお弁当を満喫しました。

  帰りに寄ったのが「苗木遠山資料館」と「苗木城跡」。戦国時代から明治維新までこの地を治めた遠山氏所蔵の資料を公開したのが資料館でその居城が苗木城です。
  石高は1万。江戸時代石高1万の弱小大名は30人ほどいたようだが、いわゆるお城を持っていたのはここだけとか(後は「陣屋」風の居城)。従って、自然石を生かしての経費節減型の築城で、逆に当時の職人たちの持つ技術の高さを示す貴重な文化財になっているとか。

         

           

  我が友人たちの好奇心の強さに敬服。最初に入った資料館にはボランティアの解説者がおられ「ザーッと説明します」とのことだったが、途中から質問が相次ぎ、解説者もだんだん熱が入り、ついに「上のお城跡にも行きましょう。私も行きます」ということになった。説明で聞いた話で興味深いことを3~4個書いておきます。

 ①殿に仕えた武士は300人。参勤交代では100人がお供をした。
 ②参勤交代費用は莫大で、経費節減のため出発も到着も提灯を点けてのこと、お供の武士は小
   走りで、殿は馬を使った。
 ③新しい田畑を開墾するとご褒美。よそから百姓(稲作、麦作、豆作りなど)の達人を呼んでくる
   とご褒美。
 ④貧乏藩ゆえに殿は領民のことを考え質素倹約に努め、領民も工夫を重ねて殿に仕えた。従っ
     て「お国替え」なし。そのせいで膨大な資料が残され、殿や家臣たちの墓石も全部残されてい
   る。(当時は、「お国替え」のとき、書類は整理しお墓も掘り返して新しい領地に移した)

           

 戦国時代、付知川を挟んで手前が織田信長側、川向こうが武田信玄側という時代が続き、この地は織田側にとって戦略的要衝であった。はるか向こうに「女城主」として有名な岩村城(岐阜県恵那市岩村町)あたりが眺望できました。

 女城主:織田信長の母違いに妹が政略結婚でこの地に嫁いだ。夫が急死、そのさなか武田軍が攻め込んできたので女城主となって奮戦、武田勢を追い返した。しかし数年後武田側からイケメン武将との再婚話を条件に講和の話があった。当時信長は軍勢をよそに向けていて援軍は望めず、女城主は部下の幸せを考え、講和を受諾した。信長は激怒し、後日岩村城を攻め落とした。

 

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ご報告二つ。

2012-08-25 | 気ままなる日々の記録

報告。その1。
 先日あしなが蜂に刺されたばかりですが、そのあしなが蜂が、何と屋根の低い車庫の屋根裏に2つも巣を作っていました。その巣のすぐ下で車のドアーを開けたり閉めたりしますから、危険が一杯!

    

 子どものころ、祖父が「軒先に蜂が巣をつくる年は、秋に大きな台風が来る、用心しないと……」と言っていたことを思い出しました。左の小さい巣も10日くらいで右のような大きさになると思います。こんな巣を見た以上、車の出し入れが恐ろしくなりました。夜、懐中電灯とジェット式アースで絶滅を期します。

報告。その2。
 私も募金活動のお手伝いをした氏神様(白山社)の屋根の葺き替え工事が始まりました。そんな折、「お拝殿の屋根裏から沢山の“棟木札(むなきふだ)”が見つかったそうだ」という連絡が入りました。職人さんが奇妙な袋を見つけ、中を調べたら沢山の木札で、江戸時代からのものもある、とのこと。

 早速職人さんと連絡を取り、指定した日に今回の発見品を屋根裏から降ろしてもらい、同時に今回の工事の記録係をお願いしている二人のカメラマンさんと一緒に、その日に工事中のお拝殿へ出かけました。

      

 1番右が札が入れてあった袋、「紀元2595年、昭和10年」という文字が読み取れます。中央が一番古い札で、三代将軍徳川家光の時代、一番左は新しい方の札で、昭和天皇ご即位の大典を記念して白山社の改築をしたようです。

 この地域としては「国宝級」の大発見だといいたいところですが、何はともかく、文字を読み解かないことには話になりません。幸い保存状態がよく、ある程度何とか読めそうで、糸口を見つけて専門の研究者に見て貰うようにしたいと思っています。

 手始めに3人で写真撮影、明暗やコントラストの調整をして、ズームかけながら判読して、文面を何とかワードに落とそうと話し合っています。また少し忙しくなりそうです。
  申し遅れましたが、上記の棟木札は全部で28枚出て来ました。最古のものは元和9年とあり、お宮では家康の時代と訊きましたが、家に帰って調べてみると手元の年表では家光の時代で、幕藩体制の確立に努めていた時代です。

 この木札だけでも漢字をワードに落としてみんなで眺めてみようと悪戦苦闘中です。

 

 

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「早朝草刈り」を開始しました。

2012-08-17 | 気ままなる日々の記録

 連日の猛暑と気象情報による「大気の状態が不安定で、急なお天気の崩れにご注意ください」放送に悩まされました。例年この時期に「耕作断念地」への除草薬散布を開始していますが、今年はそれが出来ないからです。迷っている間に雑草はスクスクと育ち、とくに蔓草の繁茂が目につくようになりました。蔓草はなかなかの強敵で、除草薬に対しては自分の葉の下に他の雑草の子どもを隠して護り、草刈り機に対しては、必ず切られない自分の蔓を残し、意気揚々と生き延びるからです。

 そこで決心して、今朝から「早朝草刈り作戦」を開始しました。ここ数日、毎朝5時半から作業を開始し、2時間から2時間半エンジン音を響かせる計画です。

        

 右の写真が今朝我が家に2階から5時10分に撮った東の空、左が作業開始直前の現場の映像です。

        

 右が携帯用ガソリンタンクと我が愛機のエンジン付き草刈り機。ガソリンは25:1の混合油です。左が小休止の時の撮影で手前が草刈り終了域、現在は区別がつかないような状態ですが太陽光が1時間も当たればクッキリと違いが出て来ます。

         

 ツバメが少なくなりました。今朝はほとんど見ませんでした。昨年までは作業を始めると何処からともなく沢山のツバメが飛んできて、目の前で宮中滑空を見せてくれましたが。代わって上の写真の小鳥たちが来て次々と虫を啄ばんでいました。 

    
 わが「耕作断念地」の隣の空き地が、この地区の老人クラブの「ゲートボール練習場」になっていて、7時半ごろから試合が始まったようでした。半分は私より若い人たちですが、リハビリ中とか通院中の人が多く、汗びしょりになって草を刈っている私のほうが「有難いことだ!」と思いました。

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不覚にも蜂に刺されました。

2012-08-09 | 気ままなる日々の記録

 明日は当地区の資源ごみ回収の日。朝食後、3か月分ほど溜まったビン・缶・金属・ビニール類等の分別作業を開始、埋め立てごみ(割れた茶碗や土鍋など)の分類に着手した瞬間に、あしなが蜂の大群が私の右手に襲いかかってきた。何と割れた皿を屋根代わりにその下に大きな巣を作っていたのだ。
   

 
 正に「想定外の事態」に一瞬戸惑ったが、その後の対応は我ながら敏速・的確で、手元の噴射式アースで応戦。奴らの毒牙から先ずは顔を護り、続いて体を護り、襲われれば逃げ、敵が引けば襲い、ついに奴らを殲滅しました。しかし、間もなく右手の甲に痛みを感じ始め、みるみる強(こわ)ばり始め、どの指も太くなった感じ。手袋はしていたが、どうやら勇敢なる一匹よって手袋の上から蟻酸の注入を受けたらしい。早速水道水で洗いながらよく見ると、一点赤い斑点を発見。そこに口をあててチュウチュウ吸い、ペッぺと唾を吐く動作を繰り返した。子どものころ、蜂に刺された子はみな大人にそうして貰っていたものだ。

 応急手当が迅速・的確であった性で大事に至らず、今は、キータッチに少し強ばりを感じ、その上甲がホコホコ暖かいという程度の被害です。明日の夕方頃痒くなったらもう完治ということでしょう。

 もう残暑です。ここ数日真面目に早朝草取り2時間を実行、苔の庭も奇麗になりました。庭のサルスベリが満開です。

 

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路上市場と古戦場を訪ねました。

2012-08-05 | 気ままなる日々の記録

 ガイドブックに“日曜日に開かれる路上市場を訪ねるのも面白いかも”とあるとかで、出かけました。

    

 私たちが着いたのは午前9時ごろで、人出のピークの後のようでした。しかし周辺の道には所狭しと車が止められ、駐車場探しに一苦労しました。お客はほとんどが現地人で、時々観光客らしき人々も見かけました。

     

 飛び交う言葉は殆どがチャモロ語、チャモロ語は文字を持っていないのか段ボールの切れ端に書かれているのは全て英語(ドル表示を含む)という、ちょっと珍しい空間でした。

 レオパレスの豪華空間とこの市場の素朴空間とのギャップに戸惑いながら、ある言葉を思い出しました。

 愛知万博が開かれた時「一市一国フレンドシップ運動」という事業が展開され、私の住む市はミクロネシア共和国を受け持つことになり、数年間にわたって市民交流が企画されました。私も何かの縁で交流事業に参加しして、同国の国会を訪ねたりしました。その折、大臣が「我が国も豊かな自然を大切にして、観光事業を興して世界からお客さんが来てくれる国にする計画だが、グアムのようにはしたくない」と言っていました。

 レオパレスの豪華空間を、比較的安価な値段で提供できるのは人件費の安さによって支えられていることは間違いありません。部屋の清掃から広大な庭の手入れ、早朝から行われるプールの清掃などなどがそれです。大手外国資本の進出は雇用の創出か人件費の買いたたきか、経済のグローバル化に伴うむずかしい問題です。もっとも、グアムは現在アメリカ合衆国(准州)となっていますからこんな問題の立て方は可笑しいかも知れませんが。

    

 グアムは横井正一さんが敗戦を知らず27年間ジャングルの洞窟で暮しておられた島で、硫黄島のバンザイ・クリフ並んで大戦の悲劇が集積している島でもあります。錆が浮いたこれらの大砲を前に、私は目を閉じ、手を合わせました。

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グアムへ行っていました。

2012-08-03 | 気ままなる日々の記録

 

 一昨年は沖縄、昨年は河口湖、そして今年はグアムへ出かけました。息子の休暇に合わせて孫たちに同行したということです。

 先回の答え。最初の写真はグアムで「恋人岬」と呼ばれている展望台からの写真で、緑の丘の付け根に見えるのが『ホテル日航グアム』です。次の写真は、ホテル日航グアムのプライベート・ビーチで、岩陰で熱帯魚を観察するシュノーケリングも出来ます。次が、私たちが投宿した「レオパレス・リゾート」のプール・サイドです。このホテルは広大な庭を持っていて、次のヤシの木も蛙も朝の散歩の途中で撮影したものです。

 今回も写真を紹介しながら、旅行中の見聞を紹介します。最初にグアムの観光客についてです。8割までが日本人でしかも小学生低学年程度の子どもを連れた若いカップルでした。セントレアからも成田からも飛行機は満席で、臨時便まで飛んでいました。

                

 当初私はグアムは暑いのではないかと心配しましたが、日陰に入ればそよ風が心地よく全体に空気が乾燥していて暑さを感じません。小学校低学年の子どもたちに人気の観光地で雑誌なんかで特集を組んでいるに違いないと思いました。(息子たちも子どもの希望でグアムにしたようです)上の写真はレオパレス・リゾートのエントランスの吹き抜けと庭園内のヤシの木(池に写った影を狙いました)です。

        

 上の2枚もレオパレス・リゾートの庭園内で撮影したもので、私たちは毎朝5時半ごろから1時間ほどこの付近を散歩しました。毎回何かの発見があり退屈はしません。
 
 何が子どもたちの人気かといえば、間違いなく大規模なウォーター・パークとも言うべきプールとその周辺の施設です。

       

 右の写真はその一つで、定期的に上のバケツの水が空けられますがその度に鐘や太鼓が鳴らされ子どもたちは大はしゃぎです。左はプールサイドで、日除けや椅子が十分に用意されています。

 私たちは朝の散歩、プールサイドでの鬼ごっこ、読書とお昼寝を楽しみました。

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