かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

トマト・ナス・キュウリの苗を植えました。

2011-04-25 | 気ままなる日々の記録

 満を持してトマト・ナス・キュウリの苗を植えました。野菜作り始めて十年ほど、この三品種は失敗したことがない。特にトマトは、昨年師匠からも褒められたほどの出来だ。苗はいつもの苗店で買って来た。

 私が子どもの頃(昭和20年代の前・中期)は、これらすべての苗を家で種から育てていた。最初は、翌年のためにどの実から種をとるか、その選別から作業は始まった。トマトの場合だと最初に大きくなった実ではなく二番目に収穫できそうな実の中から姿・形がよく、元気のよさそうな実が選ばれ、その実の茎に布切れが巻かれる。この実は完熟まで収穫を待ち、実が崩れそうになったころ慎重に収穫し、中から種を取り出し、水洗いをした後、何日も陰干しにしてガラス瓶に収められた。しかし、トマトやウリではときどき事件が起こった。当時の子どもは昼間家の中にいることなどなく、近所の友だちと付近を駆け回り、お腹(なか)が空(す)くと、自分の家の畑に入って食べられるものを口にし、食べながら友だちの後を追ったものだ。そんなとき例の「布切れ」を見落としてしまう。「また誰かが、種用の実を取った!」と母が怒った。もちろん犯人は私か兄だが、二人とも心当たりはない。過失なのだ。それでも神妙に叱られていた。

 昭和20年代後半には近くに苗店ができ、トマトとナスだけはそこで買うようになった。それでもウリ類はズーッと遅くまで「布切れ」が巻かれ、種から育てていた。「苗を買う」ということは「田植え機」の発明に匹敵する農業革新だ。

 植えたのはトマト24本、キュウリ4本、ナス5本。トマトを買うとき、また悪い癖が出て新品種(?)「麗夏」が欲しくなり4本だけ買った。これが凶とでるか吉とでるか、残りの20本は「桃太郎」を始めとして例年の品種とした。

 植えた苗が風によって倒れないように2週間ほど防風壁を作って保護します。近年、皆さん方は通称トンネルと呼ばれる方法で防風壁を作っておられるが、私は断固伝統的な方法を踏襲している。これを「あんどん(行燈)」と呼んでいる。色とりどりの廃袋使用、出来あがって、その奇妙さにニット笑うのが私の趣味だ。

 見ているだけで身を切られる思い、プラム(大石早生)がガンにかかって苦しんでいるように思えてならない。「ふくろみ病」です。一昨年までたくさんの美味しい実をつけてくれたこの木だが、昨年「ふくろみ病」が大発生して収穫は9割減。今年はいろいろ調べて2月に「石灰硫黄溶合剤」をたっぷり散布して万全を期したつもりでしたが、敵はそんなに甘くない。今年もダメだ。反省としては私が使用した果樹の本が古かった、という点にあるようだ。改めて調べてみると開花直前に散布する新薬があるようで、来年は忘れず新薬を散布することにする。それにしてもカビの一種とかいう敵も手ごわい。試験も実験も一年待たなければならないのが、更に手ごわい。

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八重桜が咲きました。

2011-04-22 | 気ままなる日々の記録

このところ少し暇(手帳が空白)で、裏の花壇の草取りと読書に熱中しています。熱中している本は『はじめての宗教論』右巻と左巻。普通は上巻と下巻とするところでしょうが、著者の佐藤優氏が気合いを表そうとこうしたのでしょう。いずれもNHK出版新書です。少し難しいと箇所もあって上滑りで読んでいるところもありますが、私にとっては「目からうろこ」の部分も沢山り、できたら二度読みもいいかなあ、と思っています。著者は元外務官僚でロシア担当、前衆議院議員鈴木宗男氏と連座して背任罪で特捜部に起訴され現在係争中の人です。「これは国策捜査だ!」と主張、特捜部と真っ向から戦い、雑誌に寄せた論文がなかなか面白く、以前から注目していた人です。彼は同志社大院で神学を学びプロテスタント系の教会で洗礼も受けています。起訴されたときも「神がお与えになった試練だ。神は私に何をお求めか」と考えたという。特捜部も、一切の懐柔策に乗らない彼に困っていることだろう。

 私が、面白いと思った点は沢山ありますが、サワリの部分を2~3書きますと、①イエス・キリストは決してキリスト教の開祖ではない。イエスは、自分はあくまでユダヤ教徒で、正しいユダヤ教を説こうとしていた。キリスト教の開祖は弟子のパウロだ、という論説。②天動説に代わって地動説が認められると、天におわします神の基盤が怪しくなり、神は人々の命と心の中におわします、という説が市民権を得てプロテスタントが生まれた。③人々の心の中に神がおわしますと、ナショナリズムが神と手を結び、第一次世界大戦を引き起こし、民族紛争や国家間戦争を引き起こす。その意味で、北朝鮮は典型的な宗教国家だ、という世界解釈。などなどです。その他、カトリックとプロテスタントの違いや論争も、私にとっては新鮮でした。蛇足ですが、あの偉大な哲学者カント、神から独立したところで正義を考え、近代的な道徳や倫理を確立し、生涯独身を通したたと教えられたカントさんは、実は高貴にして大富豪の女性パトロンを複数人持ち、結婚するとパトロンを失うから独身をとおした。彼はイケメンで巧みな話術で高貴なご夫人を笑わせ、モテモテだった、とのこと。これもこの本に書いてあります。

 駄文を弄しました。これも少し暇なせいです。庭の八重桜が満開になりました。

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モクレンが咲きました。

2011-04-17 | 気ままなる日々の記録

モクレンが咲きました。紫式部(?)も咲きました。でも、この二つの花の名前は我が家だけで使っているもので正式な名前は分かりません。これから気をつけて、正しい名前を見つけようと思っています。これらの花木は母が植えたものです。母は晩年女学生時代の友人に誘われていろいろなサークルに参加していました。「詩吟」、「貼り絵」、「短歌」、「源氏物語を読む会」(お爺さんの先生を囲んで源氏を読み、お茶を飲んで昼食を食べる)などなど。そうしたサークルの友人の中に花木を集めるのが趣味の人がいて、その友人に頼んで、当時としては珍しい通販で気に入った花木の苗を買っていました。

 母が亡くなり、私がリタイアして、庭の手入れを私がするようになってから、何本花木を枯らしたことでしょう。除草剤を根元に掛けたり、雑木と間違えて刈り取ったりしたからです。当時の私は花木に関心がなく「庭がスッキリした」ぐらいに思っていましたが、今になって母に申し訳ないことをした、と詫びています。

 人生には、その年にならないと分からないこと沢山あって、そのことがこんなに沢山あることを私はこの年になるまで気がつきませんでした。浅はかなことでした。

  4月28日、このブログのビジター(Mr.Doi)さんから連絡がありました。「モクレン」は「紫モクレン」、「紫式部」は「ハナズオウ」が正解とのこと、感謝を込めてこの文を加筆します。

 

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枝垂れ桜が満開になりました。その下で「ヒキガエルの呟き」

2011-04-13 | 気ままなる日々の記録

 

 娘の結婚記念に植えた枝垂れ桜が満開になりました。今日も暖かな晴天、休耕地に除草剤散布の仕事をしました。使った道具は背負い式の噴霧器、いつもなら鼻歌で作業を進めるところですが、今日はちっとも心が晴れません。福島原発のことが気にかかって、どこからか「ヒキガエルの呟き」が聞こえてくるのです。「自主的避難区域」「屋内退避」「安全基準を超えたけれども安全です」などなど最近の政府用語が分かりません。

「自主的避難区域って、その区域内の人はどうしろって言うことなの?」

「自主的に判断して危ないと思った人は避難しろっていうことでしょ」

「そんなこと言われなくたって、お金持ちや縁故のある人は避難するんじゃない?」

「じゃあ、避難費用は自分持ちということかな」

「じゃあ、お金のない人は、ちょっと危ないけどそこにいろ、っていうこと?」

「わかりませんね」

「屋内退避ってどういうこと?」

「なるべく外へ出ないっていうことでしょう」

「そんなことできるの?」

「だから、なるべく、っていうことでしょう」

「そういうときは、今日明日はとかこの一週間はとか、期限をつけて言わなければ守れないよね」

「ちょっと危なそうなので、言ってみただけじゃないの?」

「その危ないっていうことだけど、安全基準を超えたけど安全だって言うじゃない。分からないよね」

「『自主的避難』も『屋内退避』も『安全基準』も、以前に政府が決めた緊急時のマニュアルで決められた対策じゃないの?」

「でもそれって、緊急時を想定して決めたんだろうけど、今回は想定外っていうでしょ。だったらそんなマニュアルに従っていていいのかなあ」

 今回の政府発表で使われている「言葉」は「言葉の意味」を失っているとしか思えません。「前向きに検討します」という政府答弁と同じで、生活者の言葉ではありません。もし町内会の会長さんが「この町は自主的避難地域に指定されました」と言ったら、近所のおばちゃんがすぐに「そんで、私たちどうすりゃいいの?」と聞くでしょう。「屋内退避」もおばちゃんは「何時まで?」と聞くでしょう。さらに「安全基準」についても「ちょっと危ないけど危なくないって、なにそれ」と言うに決まっています。

 役所言葉もマニュアル用語もそれなりに必要でしょう。しかし、緊急時にそれらを「生活者の言葉」に翻訳し中身を持たせるのが政治家の仕事だと思います。なにしろ政治家は生活者の代表だから。その意味で今日の日本は政治家に恵まれていません。原子力安全・保安院が経済産業省の中に置かれ、いつもテレビに出てくる原子力安全・保安院のスポークスマンは経産省のエリートで経済だか法律だかがご専門だとか、この人に「生活者の言葉」で原発事故への対策を話せというのは始めから無理です。ましてこの人に責任を追及することもできません。そして今朝、「レベル7」への危険度引き上げがなされたとか、出るのはため息ばかりです。

 

 

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雪柳が満開になりました。

2011-04-10 | 気ままなる日々の記録

 ブログを教えて頂いてから、庭の花々に目が向かうようになりました。今までも確かにこれらの花々を見ていましたが、それは通りすがりにチラッと目にしていただけでした。しかし、今は違います。大げさに言うと「いとおしさを感ずる」というこでしょうか、カメラを取りに行くときに、これらの花々にまつわるいろいろな出来事を思い出したり、独り言を言ったりしています。ありがたいことです。枝垂れ桜も咲き始めました。本当は、もう数日後が満開で、そのとき投稿する予定でしたが、待ち切れずにシャッターを押してしまいました。(満開になったときも投稿の予定)。この枝垂れ桜は娘の結婚祝いに苗木を求めて植えたものです。植える時には、思い切って広く余裕を取ったつもりでしたが、今となっては生垣の外にも枝が溢れるほどになりました。この枝ぶりが、歳月の流れや娘たちの成長と重なって見え思いもひとしおです。最近では散歩中の人が、携帯カメラでこの桜を撮られている姿をよく見ます。中には「庭に入って撮影させて頂きたい」と声を掛ける人もいます。

 我が家の庭にしては、珍しいものが干してありました。「春休み放射線避難」をしてきた3歳の孫娘の遊び道具です。家内が改めて洗いなおし干したもののようです。家内の後をついて歩き、家内が植木鉢に水をやると真似をしてプラスチックのジョウロで水をやっていた姿が思い出されます。

 

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川島の東端分水点を訪ねて

2011-04-08 | 気ままなる日々の記録

3月の中旬、庭仕事も一段落していて、家内も「お出かけ」で留守番となったある日、私は晴天に誘われてチョットした探検に出かけました。北アルプスの霊峰御嶽山あたり一帯を水源地とする木曽川が、犬山を境に扇状に広がり濃尾平野の東部扇状地を形成しています。「あばれ川」の異名をもつこの川は大洪水を起こす度に川筋を変え、多くの人々を飲み込み、新たな「中州」を作って来ました。現在「大震災と津波」が東北地方の人々を苦しめていますが、私たちが住む地では「大震災と大洪水」が人々を苦しめました。そんな連想から、ここを歩いてみようと思ったのかもしれません。

 現在は治水工事完成と上流での取水(愛知用水や名古屋市水道局)によって、ようやく川筋が管理され、北側を流れる北派川と南派川の二つに分けられ、その間に大きな中州であるのが川島町でした。

 上の二つの写真は戦後のもので、上は岐阜県川島町から愛知県一宮市の高校へ通う高校生、下は昭和27年橋の完成を祝う地元有力者の記念写真と思われます。治水が進んだとはいえこの木橋はチョットした洪水でよく流されていました。

 この川島町は平成の大合併で岐阜県各務原市と合併することになりました。かくして各務原市は木曽川の右岸沿いに「うなぎの寝床」と呼ばれる細長い市となりました。合併当時の川島町の町長さんはこれを機に政治の世界から引退、合併交渉の条件であった木曽川北派川への架橋に全力投球されたそうです。その架橋工事が現在着々と進んでいます。

 この橋の完成を私も楽しみにしています。何しろ前町長が「世界屈指の美しい橋にする」という意気込みで取り組んでいたという噂を聞いたからです。この日の私の探検は川島町の東端、木曽川の分水点を見てみよう!というものでした。川島町の北側の境界線(北派川の河原)をひたすら上流に向かって歩きました。「木曽の丸石」で有名な大きくて丸い花崗岩で埋め尽くされた河原を歩きました。

 そしてやっと辿り着きました。写真の「測量ポール」の立っている地点です。私の希望は南派川の水量(写真右側への流水量)が多くなることですが、ここを見る限りそのための工事は並大抵でない気がしてきました。それでも楽しい時間を過ごしました。帰りに川島町内にある「ラジコン飛行場」で多くのヘリコブターが飛んでいて、「私もやってみたいなあ。でもチョット年を取りすぎているかなあ」という思いで見せて貰いました。

   

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プラムの花が満開になりました。

2011-04-04 | 気ままなる日々の記録

 

 44日、昨日からの暖かさでプラムの花が満開になりました。福島原発からの重苦しいニュースが続く中、我が家の庭先では何事もなかったように春がほほ笑みかけています。4月1日にはツバメが姿を見せました。もっとも、来てくれたツバメが去年我が家で育ったツバメであるかどうかはわかりませんが。

 千葉県市川市に住む息子家族が「避難帰省」して来たのが3月28日。計画停電と余震、その上放射能汚染が問題になり、春休み中だけでも子どもたちを空気と水が奇麗で停電がない田舎で過ごさせたいと避難帰省して来ました。息子は「逆単身赴任」。上の孫が男の子で4月から小学2年、下が女の子で3歳。それまでは死んだように静かだった我が家が、急に賑やかになり、私も家内も若返った感じ。朝は孫たちに起こされ、すぐに「鬼ごっこ」や「かくれんぼ」が始まります。私の家は古く、母屋と離れが渡り廊下で繋がっていて「かくれんぼ」にもってこい、鬼はいつも私で、分かっていても見つからないような振りをして2~3度通り過ぎ、やっと見つけたように振舞うと、孫たちはキャッキャッと喜んでいました。

 その孫たちも昨日市川市へ帰りました。下の子は4月から「年少さん」で幼稚園に入りますが、その準備があるのだそうです。それにつけても、孫たちの通学・通園が始まるころには、何とか放射能汚染だけはくい止められないかと祈らずにはいられませんが。

 プラムの花、上は4月4日撮影、下は4月2日撮影です。この花を見ながら被災地のことや福島原発のことを思うと、大自然の前で人間がどんなに小さいかという思いに駆られます。今、高台の避難場所から、瓦礫の平地と化した自分たちの屋並みの跡を眺め、その向こうに、春の光にきらきら輝くおだやかな大海原を目にされたとき、被災者の人たちの胸に去来するもの、それを想像しながら、私は深い思いに沈んでいます。

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