かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

リハビリエリアの移転。

2016-09-29 | 気ままなる日々の記録

   一昨日の夕方、何気なく二階に降り立った。リハビリの男性療法士の方が二人椅子に腰かけて誰かを待っておられるようだった。勤務時間過ぎにこのような光景を見るのは珍しいことである。

 しばらくすると庶務課のスタッフが3~4人現れた。何事かと見ているとリハビリ器具の平衡棒が二つの台車に載せられ西端のエリァに移動され始めた。

 あまり見ているのも感じが悪いと思い、部屋へ帰り夕食時に主人にそのことを話した。好奇心旺盛な彼は私が食後の歯磨きをしている間にもう二階へ出かけていた。

 帰ってから聞いたところによると、10種類以上の器具が全部西側へ移された様子。何だか私も落ち着かなくて、リハビリをしながら見に出かけた。

 今までとは風景がまるで変ったようで、落ち着かない。よその階へ迷い込んだような気持ちだ。この落ち着きのなさは何だろうと思い、かわることを好まない年のせいか、少し違う。やっと理由がはっきりしないためではないかと気が付いた。

 ぶらぶらしているとテーブルに残された会議用のプリントが目に入った。議題「改修工事に伴うリハビリエリア案」とある。どうやら、リハビリエリァが工事の部屋の真下になるらしい。

 其れでやっと合点がいった。3階から5階までの居室各10室をトイレ付に改造するという話を今月号の便りで読んだばかりだから。

年を取ると予想外のことが起こる。何でもないことが気になって、落ち着かなくなるのだ。(E)

     いつも利用するレッグエクステンション


アマゾン騒動。

2016-09-28 | 気ままなる日々の記録

   今朝のニュースで、ネット・バンキングによる詐欺が横行、用心するようにと云っていた。そういわれるとオソマツ君もアマゾンで本を買うときとても便利でよく利用させて貰っている。だから、虎の子を詐欺で盗まれては大変と考え今登録してあるUFJ銀行の口座を綴じようと事務室へ出かけ助太刀を頼んだ。

  そうしたら、①僕のメールアドレス、②銀行の口座番号、③アマゾンのパスワードがわかれば、その口座からの支払いを止めてあげる。という。ところが、今「老人ホーム」の支払いから、市役所関係の支払いが全部引き落としになっているので、それを止めると毎回振り込まなければならないという面倒な事態になるという。

  そこで、事務長さんに謝って、該当の銀行口座を綴じるということをやめにした。しかし考えてみればおかしな話である。お金を預かった銀行が詐欺にかかるから預けた側に注意して欲しいと呼び掛けている構図が良く理解できない。常識的には支払う側の本人確認が甘いから詐欺が起きている訳でそれを預けた側に責任転嫁し、あとは独占によって甘い汁を吸っている我が国の銀行業界の横暴を誰も指摘せず預金者がおろおろしている構図、我が国の立法府はどちらを向いているのだろう。国会議員も大蔵省もまるで国民の味方ではない。

  ネットバンキングといえども、送金や引き出しの場合は本人確認こそが大切でそれこそが、銀行の本務である。それなのに、詐欺に遭い預金者に注意を呼び掛けるという我が国銀行業界の横暴さに開いた口がとじられない。世の評論家の先生方もこの点を指摘しないし警察関係者も底を見ていない。およそ民主的でない。(T)

       ヒマのみ


左足の裏の皮膚病は湿疹でした。

2016-09-26 | 気ままなる日々の記録

   今日は午前中「総合病院の皮膚科を受診した。1ヵ月程前から左足の裏に水疱ができ、その水疱が破れて靴下が酷く濡れ、歩くと痛くなって歩けなくなった。

率直に云うと皮膚科の先生に対する不信感は頂点に達していた。

 当初は何もしなくても治るという診断であったが治るどころか水疱は広がり歩けない程痛くなったので再度受診を希望した。

勿論今まで戴いた塗り薬は真面目に塗って来た。。

だが一向に良くならない。そこで、皮膚科の先生に「僕の足の裏が罹患した皮膚病は何と云う病気ですか?」とお聞きしたら「チョット珍しいが湿疹ですよ」とのこと。

そこですかさず「全治するまでにどのくらいかかるでしょうか」とお聞きした。「そうねえ。一週間くらいでしょうか」とのことであった。帰り際に次回は2週間後の同じ時間帯にと云うことであった。

え?1週間で治るのに2週間後に再度受診なのか?と思ったが、口にしなかった。

 此処で思い出すのが日本の国民皆参加の健康保険制度の欠陥である。

日本の保険制度はベテラン医師と藪医者とが同じ診療報酬を受け取る制度である。

従って医師の研修に力が入らない。

 アメリカは違う。アメリカでは日本のような3時間待って診察は3分と云うことは起きない。

 日本には医師を評価するシステムが無い。日本医師会が反対してそういう制度を作らせない。かく    して、  

患者は待たされ開業医はロールスロイスへ乗るという現象が普通になっている。

 アメリカのように健康保険の民営化が待たれる。(T)


マジックショーで思い出すこと・

2016-09-22 | 気ままなる日々の記録

   先日施設のイベントで、マジックショーが行われた。ショー自体よりも観客がどんな反応を示すか見ている方が面白い。即座に反応して拍手が多いのは華やかで簡単なトリックの物。トリックが二段階になっているものは混乱しやすく拍手が少ない。一つも拍手が起こらないものは、あまり好ましくないものの登場や結果が予想されるものなど。 

  1 0年も前のこと二人目の孫が生まれることになり上の孫の子守りを頼まれた。主人は張り切って、市内で一番大きいおもちゃ屋へ出かけ、店員さんと相談して子供用のマジックを買ってきた。孫が泣いたりグズグズ云ったりしたときのためにである。

  案の定ママべったりの孫は眠くなると「ママがいい、ママがいい」と云って泣き出した。ここぞとばかり主人はマジックを取り出して、やって見せたが、孫はキョトンとしているだけで、関心を示さず笑いもしない。主人のガッカリした顔と孫の顔とを比べている方がよほど面白い。

 この孫が一番喜んだのはお気に入りのパトカーを手に持って主人に抱かれてマンションの通路をパトロールすること「ウーウーこちらパトカー。困っている人はいませんか?」「ママ・ママと云って泣いている子はいませんか?」と云いながらパトロールしたので、さすがの孫もその時ばかりは「居ない!」と云って泣き止んだ。孫が3歳8か月の時のことである。(E)

            9月のイベント   マジックショー


お母ちゃんの膝・

2016-09-22 | 気ままなる日々の記録

  今日はお風呂があって、ホーカンさんにお世話になった。ホーカンさんとは訪門看護士さんのことで、 看護士さんの詰所のようなところへお願いしておくと予約時間に看護士さんが出向いて治療して下さる看護士さんのことである。

 オソマツ君は今左足の裏に沢山血豆ができ、それが崩れて皮膚科で戴いたお薬を塗る治療を看護士さんにお願いしなければならない。入浴は許可されていて、お風呂から出たら、綺麗なお湯で良く洗ってお薬を付けて包帯を巻かなければならない。

 それを、お願いしたわけだ。来てくださった看護士さんは40歳ぐらいのご婦人で、僕の左足を太い自分の膝の上に載せて手際よく包帯の交換をしてくださった。

 以下Oはオソマツ君、Cが看護士さんである。

O「お子さんやご主人様の特等席に私如きものの左足を乗せて頂いて恐縮至極です。」

C「子供たちも小さかったときは兄弟で私の膝を取り合っこしていたものだけど。今では、憎たらしい、私より、ほかの女の人の膝の方がいいみたい。」とおっしゃった。

 「憎たらしい!」と云うところに力が入っていて、リアリティーがあった。

 僕は「それが自然ですよ」なんて言うことは言えなかった。この言葉に老婦人の哀愁を感じ取り、感無量だった。

 これが、「老いる」ということであり、命あるものの宿命だと思った次第です。(T)


台風16号の直撃を受けて。

2016-09-20 | 気ままなる日々の記録

   ここのホームは「鉄筋コンクリート6階建て」だから、風には強い。

  今日、昼食後テレビを見ていると、愛知県北部が、暴風雨圏にすっぽりと入り、荒れ狂う風や洪水の映像ばかりを流していた。こうなるとオソマツ君はじっとしておられない。発病前の好奇心がうずき、館内のパトロールに出かけた。メインのポイントは3階の中央にある広いガラス窓からの展望デアル。眼下に広がるのは一面の田圃であり穂が出た美しい緑である。その緑の絨毯に雨が滝のように降り注いでいる。

  目を凝らすと、尾形光琳の風神図のようにねじれた紙テープを一面にまき散らしたような形に稲が倒されている。これが風の通り道なのだろうか、正に惨い仕打ちである。農家の方々の今までのご努力を思うと残酷にさえ思える。台風の眼の中へ圧縮空気を送り込んで低気圧を高気圧に変えてしまう技術は開発できないものだろうか。などと次々と狂人的夢想に溺れる。いずれにしても、治水に関しては先手を打って「転ばぬ先の杖」で通常のの降水量なら大丈夫な対策を立てて貰いたいものだ。建設省を廃止して防災省にする案です。(T)

       トレニナ  前庭にて


泣きっ面(つら)に熊蜂(くまばち)

2016-09-19 | 気ままなる日々の記録

 オソマツ君の左足の裏はこのところ、予想もしない災難に悩まされています。

 足の裏の気持ちを考えれば、なるほど、と思える節がありますが・・・・。

 オソマツ君は生まれて10か月ほどで歩いたと云いますから、それから79年間足の裏さんは体重を支えてご主人様の体を守ってくれていました。

 ところが約3年前突然左半身不随になり、左足の裏に体重を掛けることができなくなり、

足の裏君も足の親指君もびっくり仰天。親指に体重がかかることによって爪を広げていたのに、体重が掛からないから爪が広がらず「巻爪」になってしまったという理屈のようです。

 まず左足の親指の爪が巻爪になり爪の生え口から常時出血、

ついに化膿し始め奥に膿が溜まり激痛が走るようになりました。

 第二が足の裏に血豆ができ、其処に体重が掛かるとこれまた激痛と云う事態に陥りました。

 このときも医療法人が経営している病院の皮膚科に掛かりました。巻爪については綺麗な水で洗い、その後の塗り薬処方をしてもらって1日2~3回その治療を繰り返していたらお陰様で完治しました。

 問題は血豆の方、皮膚科の医師は何もしなくてもよい、自然治癒で大丈夫と云う診断であったが以外にも血豆が足の裏全体に広がり今朝になって立ち上がると激痛が走るようになってしまいました。

 今朝看護婦さんに診て貰って皮膚科受診を勧められ手続きに入ったら今日は「敬老の日」とかで病院もお休み。

 かくして、受診は明日になりましたが、車いす生活とは言え少しは歩かないと椅子の乗り降りもできません。

 全く「泣きっ面にスズメバチ」だ。こうなったら、得意の読書だが、心が晴れないと読書も頭に入らないし、楽しくもありません。

ついでに繰り言をもう一つ。

 それは、元来9月15日が「敬老の日であったが、「連休を増やし、国内消費を刺激して景気回復の一助にしようというオソマツナどこかの国の政府政策で、9月の第3月曜日が「敬老の日」となったといいます。何ともセコイ話でしたねえ。

 はたして、の効果はどうであったのか、政府が調べたらまた役人たちが数字をいじるだけだから、

 民間機関が冷静に分析してどうなったか、しりたいものです。(T)

     敬老の日のコンサート

 


風の通り道。

2016-09-18 | 気ままなる日々の記録

   ここの施設は、六階建の鉄筋コンクリ―ト建てである。オソマツ君の部屋は5階だが、3階に北面がガラス張りで素敵な展望を誇る場所がある。オソマツ君は此の展望場所から、眼下に広がる広大な田圃を呆然と見ていることが好きである。

 今日も夕方からここにきてぼんやり田圃を診ていてハッと気づいたが、風には通り道があって、気の毒に広い田んぼの中に風が通った跡がありそこの稲が倒れていたのだ。穂が出た直ぐの稲が倒れてしまってはもうお米の収穫は望めない。これまで育てるのにお百姓さんがどれほど手を掛けられたことか。3月の籾蒔きから始まって、草取り、害虫の消毒と施肥いずれも炎天下の作業である。そして順調に育てて出穂直前になって台風によって倒されては泣くに泣けない。

 窓から見るとその憎き風には通り道があるようで、丁度大蛇が這ったように大きく曲がりながら稲が倒されている。オソマツ君は3階の窓からこれを見ながら、駆けつけて行って、お百姓さんの肩を抱き寄せ共に風の無常を嘆いてあげたい衝動に駆られた。

 あれほどいたシラサギもどこへ消えたか一羽もいない。白鷺たちはどこで、風雨を避けたことやら皆自然の恵みを受けながら、懸命に自然と戦っている。頭が下がる思いだ。それに引き替えわが身を思うとあまりにもオソマツで、情けない。(T)

 


人工知能について考える。

2016-09-18 | 気ままなる日々の記録

  今日は日曜日、毎日が日曜日の僕にとってもやはり、本当の日曜日はうれしい。「一日を有効に使うぞ!」と気合を入れて一日の計画を立てる。

 今日は、学生時代の友人が送ってくれた日経新聞の特集記事や雑誌ボイスの記事のコピーで骨のあるものを丁寧によむことにした。

 興味を持ったのは人工知能についての考察記事だった。

 「人間の脳は、自分の脳を超える人工的な脳を作ることに成功するか?」と云うテーマの考察である。

 膨大な情報量を持つ百科事典を全部記憶させ、人間が項目ごとに検索するよりも早く検索できるコンピューターを作って、これを持って人口知能が人間の脳を超えたとは言えない。

 人間の脳の神秘的な素晴らしさは「第六感]と呼ばれる感が働くところである。

 この仕組みはまだ分かっていない。仕組みがわかっていないものを人工知能にやらせることはまずできないであろう。

 以上は送って貰ったコピー記事に載ってていた考察であるが、僕の場合、最近凝っている昭和20年代の演歌の歌詞に例を撮りたい

 「風雪ながれ旅」という詩の歌詞に「よされよされと雪が降る」と云う歌詞があるが、この「よされよされ」と云う言葉はコンピューターでは出ないと思う。作詞家の造語だからである。吹雪ののような雪を見て「よされ、よされ」と、雪が降る表現する才能は正に人間の脳の素晴らしさだと思う。理屈っぽい話になって失礼シマシタ(T)

 


徘徊老人に間違えられて。

2016-09-17 | 気ままなる日々の記録

   私は毎日3キロ以上は歩くよう心掛けている。一度に纏めて歩けないので、4回に分けている。以前膝を痛めたことがるからだ。食後に歩くことが多いのは消化器系が弱い私には効果的におもえる。それにその時間帯はリハビリの先生付きでする人が、いないので、器具も自由に使える。

   或るとき、遅くなって主人と二人で7時半ごろ出かけた。広いリハビリエリアは明かりが半分ぐらいになって、気味が悪いし何かあったら困ると思って、主人に同行を頼んだのである。

 驚いたことにいつも熱心で有名な3人が黙々とリハビリされているのが目に入った。この人々は50代、60代、70代と、年齢的には差があるが、症状の程度が似ていてお互いに励まし合いながら、時には競争されながら、9時近くまでされる人もあるとか。私たち二人も仲間に入れて頂いた。

 そして、昨夜のことである。何故か私一人で時間もいつもよりズーッと遅い自主トレとなった。帰り際エレベーターで、A棟のケアーさん二人に出会った。二人とも初めて見る顔だった。「しっかりしてみえますね」と云われ、咄嗟に何と返事したらよいかと戸惑っているうち、「部屋は何階ですか。お名前を聞かせて貰ってよいですか」と第二の質問が・・・。

 完全に間違えられた徘徊老人に!わかれたらすぐに、私の階担当のケアーさんにコールが入ったことだろう。皆が寝静まる時間帯に、誰もいないエリアをうろうろしていたので、仕方ないかと、それにしてもと思い、苦笑しながら床に就いた。(E)

      マリーゴールド   前庭にて


「昭和演歌」

2016-09-16 | 気ままなる日々の記録

  インターネットで「昭和演歌」にたどり着くことを覚え「お気に入り登録」をしたので 暇があると直ぐそこに入り昭和演歌にうっとりしています。

  歌手の名前を挙げると丘晴夫、(帰り船)春日八郎(お富さん、山の吊り橋)、田端義男《会いたかったぜ)、近江敏郎、等などである。

   確かNHKラジオで金曜日の夜8時ごろから「今週の明星」と云う番組があってリクエストの多かった演歌をやっていた覚えだ。土曜日は「とんち教室」とかがあって、この二つの番組は夕食もそこそこに、欠かさず聞いていた記憶だ。日曜日はこの時間第二放送だったかNHK交響楽団の演奏を流していて、高校生になったらN饗も聞いた。学校で話題になったから無理して聴いていて居眠りし母親に早く寝なさい、と叱られたものだ。

 今ユーチューブでこれを聴くとあのころのことがとめどなく思いだされて懐かしい。これを聞いている時間が、80歳の老人にふさわしいひと時である。中学生時代オソマツ君の通った中学校は村のお祭りの日に翌日が体育祭で村人は莚《むしろ》を持って中学校へ集まり子供たちの応援をしていたものだった。(T)


真面目と不真面目について。

2016-09-14 | 気ままなる日々の記録

 今日は水曜日だから11:15分からリハビリだった。いつも僕を担当してくれている理学療法士が都合が悪いとかで別の人が僕を担当してくれた。僕は早速予防線を張った。「あまり、真面目にやらないでくれよ」と。

「不真面目な真面目ぐらいがちょうどいいんだ。」「最悪は真面目なふまじめだけどね」と云った。

 理学療法士というのも気の毒な仕事で、患者だが痛がることをやってこそ褒められる商売だ。硬縮が起こった筋肉を伸ばして良くほぐして、必要な収縮を脳の命令によって自由にコントロールしてできるようにしようという訓練士だ。硬縮した筋肉を強引に引っ張ってのばし柔らかくしようという極めて原始的な江戸時代のマサージとお灸を合わせたような医療行為である。

 いずれにせよこんなことを真面目にやられたら、患者はたまったものではない。患者が痛がることを次々とやらせる。オソマツ君はついに「僕は別にオリンピックに出ようというのではないから。もし例の障害者がでるオリンピックに出ないかと云う話があっても、即座におことわりするから。僕はもう、日本の男の平均寿命は生きたんだから、あとは気ままな余生で十分満足且つ感謝だから、つまらぬことをやれやれと云うんじゃないぞ」とくぎを刺しておいた。

 かくして、例の新顔理学療法士もホッとしたようで「分かりました」と云った。どうやら僕は厄介な反抗的な患者として彼らの間で有名になっていたようだ。僕の思う理想は新しい患者については理学療法担当者と患者がよく話し合って余生の生き方について話し合い、双方の合意の上治療が始まるというような制度である。(T)

 

 


オートロックドアー

2016-09-13 | 気ままなる日々の記録

  此処の施設には、蓮池と呼ばれる場所がある。正式の入口はオート・ドアーで一か所のみ、朝7:00に開き夕方6:00に閉まる。池が多いので、管理上そういう決まりになっているらしい。

  入居間もない2年前の6月下旬、とんだ目に合ってしまった。

   オートロックされるのを知らずに明るいからのんびりと散歩していた。帰ろうとドアの前に立ったがドアーは、びくともしない。パニックになってしまった。運よくガラス越しに人影をみて、合図を送った。車いすの主人は車ごと運ばれて大変恐縮していた。

   ところが、あらぬことか、一年後に同じようなミスをしてしまった。その日は曇りで、いつもより薄暗かった。ドアーが15分も早く閉まったのである。その頃には、抜け道も知っていて私一人なら素知らぬ顔もできたが、車いすと一緒で通り抜けもできない、またしても哀れな姿を見せることになってしまった。

 だから5時から出かける時はハラハラドキドキである。そうかといって、早くから出かけては9月の日差しはまだまだ強い。5時からの30分間が食事前の貴重な散歩時間である。主人にとっては、唯一途切れることなく手すりがあり安心して歩行訓練ができる貴重な場所でもある。(E)

    

              コスモス  前庭にて


アメリカはキリスト教原理主義のくにです。

2016-09-11 | 気ままなる日々の記録

  今日は日曜日毎日が日曜日のオソマツ君もやはり日曜日はわくわくする。

  朝から、まとまったことをして充実したいちにちにするぞ!と考え結局、

池上彰著「池上彰の宗教がわかれば世界が見える」(文春新書》を読むことにした。

雨が上がって、途中で池へ散歩に出かけたりしたので完読できなかったが、

アメリカが、キリスト教の国家であることがよく分かった。

このことを見落としている日本人は多いと思われます。

キリスト教は一神教で他の神様を認めません。

そのことは、何と、ドル紙幣にも書いてありました。そのうえ、

他の神様を信じる人を邪教徒として、改宗させようとします。それが彼らの良心であり善意なのです。

これでは、世界平和は無理です。

イスラム教徒とは正面衝突しますし、

他の宗教国家も要らぬお世話だということを、ぬけぬけとやってきます。

  ダーウィンの進化論は認めていませんし、ゲランドキャニオンもコロラド川が何万年もかけて造ったのではなく神様が一晩でおつくりになったと思っているのです。

流石に、今ではアメリカ人もそのことを口にしなくなりましたが、態度に出したり、政策で表したりしますから、問題を興します。

つまり、世界のリーダーになる資格がないのです。

  日本人は自分が信じていない宗教でも誰かの聖地には、土足で入ったりしません。

日本は多神教の国ですから他の神様に対するマナーを守ることができるのです。

   国際化した今日の世界では日本の態度こそが大切で、アメリカに代わって早く国連で活躍する人材が育つことが待たれます。(T)


孫の変化。

2016-09-07 | 気ままなる日々の記録

  上の孫は中学へ入って、Eメールを送ってくることが多くなった。そして、メールの中に出てくる両親の呼び方が変わってきたのを見て微笑ましく思った。今までは何でもパパ、ママでなければならなかったのが、お父さんお母さんに変わってきたのだ。時々ついうっかりパパママが登場してくるので笑えてくることもあるが・・・・。

 我々の子どもたちはどう変化したのだったか。はっきりと記憶していないが、パパママは年少まで、それから、お父さんお母さんとなり、今では父さん、母さんになっている。

 ここの施設に入居して気付いたのだがここでは我々は実にたくさんの呼び方をされている。ケアーさんの中にはお父さんお母さんと呼ぶ人もかなりいる。事務室の若い人は名前で呼び、療法士の先生方は姓で呼ばれる。夫婦での入居は数少ないので、皆さん戸惑って居るのかも知れない。

 わたくし個人としては、基本的には姓で、二人で一緒にいる時にはご主人、奥さんと区別して呼ばれると心地よく感じる。

 その時々に応じて正しい呼び方をされる人に出会うと本当にかしこい人だなあと感心してしまう。

 つい最近呼ばれたのに「奥様」と云われたことがある。これもまんざら悪くはないと思ったりする。(E)

     雨上がりの蓮池にて